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第零節 王国の異変、盾であることを選んだ戦姫

閑話「戦姫シリーズ」エピソード0

 フェルノートという王国に一つの危機が迫っていた。


 王国ではある程度の頻度で魔物の氾濫〈溢れ〉が発生する。魔物が跋扈し溢れを引き起こす森、王国北部に〈魔の森〉が存在した。


 王国の王都〈リヴェルナ〉の北方を守護する地に封じられているのは、王弟の系譜を持つマクシミリアン公爵家である。


 マクシミリアン公爵家は〈王国の盾〉と呼ばれ、王国を守護する最期の盾として家を興した。初代公爵は王国を守り切った。


 王国の危機は〈魔の森〉に繋がる二カ所で密やかに始まっていた。


 ひとつは、マクシミリアン公爵領の北部に広がる森林地帯だった。公爵領北部を守るために作られた城塞町〈レンベルク〉近辺で魔物が増加した。


 ひとつは、王国北西部に封じられたマリーニュ伯爵家が治める伯爵領の北東部を守るために作られた城塞町〈ヴァルメリア〉近辺で魔物が増加した。


 先に溢れ戦線が作られたのはヴァルメリアであった。マリーニュ騎士団を率いるダルム・マリーニュ男爵は奮戦し溢れを抑え込んだ。


 賢者セレスタンにより瘴気核は封じられ、マリーニュ伯爵領の異変は終結した。


 このとき、セレスタンと共に瘴気核を封じたのがダルム男爵の三女リュミエールとミルド村の少年アルフォンスだった。


 そして舞台はマクシミリアン公爵領城塞町〈レンベルク〉となる――。


 フェルノート王国北端に造られた砦を中心に築かれた防衛線が、いま崩壊の時を迎えていた。


 瘴気を纏った魔物の咆哮が地を震わせ、黒く異形の群れが朽ちた森から雪崩れ込む。幾重にも張り巡らされた前線は、容赦なく押し潰されていく。


 騎士団も冒険者たちも限界は目前だった。補給路は断たれ、負傷者の応急処置すら追いつかない。


「くそっ、南が抜かれたのか! 回り込みか? いや、陽動か、手が回らん」


 戦況図の上で赤い線が乱れ、黒点がじわじわと戦線を侵食していく。それを睨みつけるのは、防衛線の臨時指揮官シグヴァルド・マクシミリアン。


 本来は調査隊の名代に過ぎなかったはずの彼が、今や防衛線の命運を一身に背負っていた。


 シグヴァルドは唇を噛み、必死に次の一手を探る。


「名代だったはずなのに結局こうなるか」


 独りごちるような呟きに、控えていた老執事ルドワンが咳払いをひとつし、静かに言葉を返す。


「坊ちゃま。崩れてはおりませぬ。まだ踏みとどまっております。貴方様の采配あればこそ」


「それ、慰めてるつもりか?」


 投げやりな声色とは裏腹に、彼の手は止まらなかった。焦燥の中で、崩壊の糸をつなぎとめ続けている。


 だが、それでも戦況は限界だった。兵たちの視線には諦めの色が浮かび、震える膝がそれを隠せない。崩壊の予兆は、目前に迫っていた。


 そのとき――。

 朽ちた森の方角から、一陣の風が吹き抜けた。瘴気を裂き、東の空を駆ける清冽な一陣の風。


 東側の見張り兵が「……風?」と息を呑み、目を見開く。


 続いて、空を切り裂く閃光と轟音が鳴り響き、風に乗った石が異形の頭部を撃ち抜き、次々と装甲を穿つ。


「探知範囲に問題なし! 行ける!」


 アルフォンスの魔力を帯びた投擲石が、群れの急所を寸断していく。その軌跡に合わせるように、炎と風の魔法が交差した。


「アル、左に!」「合わせる、リュミィ!」


 風が導き、炎が爆ぜる。炎は螺旋を描きながら敵を呑み、黒煙が立ち上る。ふたりの連携は、すでに戦場の技として研ぎ澄まされていた。


 ――けれど、そこに至るまでには幾つもの試練があった。


「もう一度聞くけど、最前線に行く気?」


「当然だ。シグがそこにいる」


 アルフォンスの声は静かで、揺らぎがなかった。道中、アルフォンスとリュミエールは幾つもの戦場を駆け抜けた。


 救援、避難、支援。全てを最短でやり遂げた。だが、最前線は常に一歩先を行き、手が届かなかった。


「最前線なんて、あなたみたいな無鉄砲が行く場所じゃないのよ」


「それでも行く」


 火花を散らすようなやり取りに、リュミエールは小さく息を吐き、微笑んだ。


「仕方ないわね。どうせ止められないなら、私が支える」


 怖くなかったわけではない。けれど、彼の想いを知っていたから支えたかった。


「全力で行くわよ。私が火力を出す、アルは道を切り拓いて」


「了解、リュミィ――ありがとう」


 幾度も戦場を突破し、敵の包囲を掻い潜り、互いの魔法で傷を庇い合い、ついに最奥へ辿り着いた。


「シグ、支援部隊にこのポーションを! 砦内にも回して!」


「お、お前ら――来てくれたのか!」


 戦場の只中で交わされた言葉に、シグヴァルドの表情がわずかに緩む。だが感傷に浸る暇はなかった。


 二人はすぐさま防衛戦線に加わり、進行を始めた魔物の群れを寸断する。戦力の再配置、指揮系統の整理、全てを即座に組み直していく。


「リュミィ、あの部隊に援護! 風を送る!」

「わかってるわ。炎爆よ、風を抱きなさい!」


 風と炎が交差し、砦の守りが再び形を成す。崩れかけていた前線は、ぎりぎりのところで踏みとどまった。


 その瞬間だった――。

 戦場全体を震わせる、凄絶なまでの魔力の奔流。


 南方から、真紅の旗が翻り騎乗した騎士たちがなだれ込んできた。


「マティルダ・マクシミリアン、ただ今着陣! 敵の陣を突き破るぞ!」


 紅蓮の軍装(ぐれんのぐんそう)紅槍(べにやり)を携えた〈戦姫(いくさひめ)〉が戦場を駆ける。その姿は、美しく、そして圧倒的だった。


「第三部隊、私と共に正面突撃! 第四部隊は左翼から押し返せ!」


 紅の槍が閃き、三体の魔物が一閃で吹き飛ぶ。その勢いに合わせ、アルフォンスの風刃が空を切り裂き、リュミエールの炎が敵を焼き尽くす。


「シグ、押し返せる! 中央が整った!」


「よし、右翼展開! 後衛は魔法支援、前進だ!」


 崩壊寸前だった戦線が、暴風のように反転していく。


 希望の紅槍(きぼうのべにやり)が突き立ち、全軍の戦意が蘇る。紅蓮の戦姫(ぐれんのいくさひめ)が咆哮した。


「〈王国の盾〉の名にかけて! 敵本隊の頭を潰すぞ!」


 城塞町〈レンベルク〉の石壁が震えるほどの咆哮が、大地を揺らした。森の奥の瘴気が渦を巻き、巨大な塊となって膨れ上がっていく。


 やがて、その中心に異形の瘴気核が姿を現した。


「……あれが、中心か」


 あまりに巨大な存在に、空気までもが歪む。圧倒的な気配に、騎士たちは息を呑み、誰もが言葉を失っていた。


「アル! リュミエール! 下がれ陣形を――!」


 シグヴァルドが声を張る。しかし、その呼びかけよりも早く、ふたりの姿は前へと駆け出していた。


 唖然とするシグヴァルドの横に、ひとつの影が並ぶ。


「ずいぶん、いい顔になったじゃない」


 紅の軍装に紅槍を構えたマティルダが、そこに立っていた――戦姫の名に相応しい気迫と風格が、周囲の空気を塗り潰していく。


「今は、誰の出番かしら?」


 問いかけに、シグヴァルドは言葉を詰まらせ、その沈黙を断ち切るように――マティルダの声が響いた。


「子供たちに任せきったら、〈王国の盾〉たる公爵家騎士団の名折れぞ!」


 力強く天に向かい振り上げた紅槍の穂先が、瘴気を切り裂き煌めきを撒き散らす。


「動ける者は残敵を掃討せよ! 健在の者は我に続け! 盾の騎士団の底力、見せてやれ!」


「最後の、総攻撃だ!」


 その一喝が、沈みかけていた戦場の心に火を点けた。槍を握る者、剣を構える者、皆が立ち上がり戦姫の背を追う――。


 アルフォンスは風の魔石を握り、リュミエールの胸には紅の紋章が淡く輝く。


「行くぞ、リュミィ」「ええ……絶対、帰るために!」


 ふたりは駆けた。瘴気の渦の中心へ――そこはまさに、地獄だった。


 瘴気が意思を持つかのように絡みつき、魔物たちは途切れることなく湧き上がる。アルフォンスの風が斬り裂き、リュミエールの炎が焼き払う。


 声を重ね、動きを読み、瞬きにも満たぬ判断で命をつなぎとめた。


「こっち、開けるぞ!」「任せて――〈焔嵐〉!」


 爆ぜる炎が渦を巻き、数体の魔物を吹き飛ばす。だが、それでも瘴気核へ届かない。


「下がれ、子供たち!」


 怒声と共に斜め上から紅蓮の影が舞い降りた。紅槍を構えたマティルダが、凛とした声を放つ。


「未来を切り拓くのは若いあなたたちの役目――けれど、今はまだ大人たちに任せていい時なのよ!」


 その言葉は雷鳴のように心へ響く。


 紅槍が閃き、紅の軌跡が核へと突き刺さった。同時にリュミエールの炎が奔り、アルフォンスの風がその勢いを増幅させる。


 轟音。閃光。――そして訪れる静寂。


 瘴気が音もなく霧散し、空気の色が戻っていく。


 周囲を見渡せば、数人の騎士たちが盾を構え、アルフォンスとリュミエールの背を守って立っていた。


 その時、ようやく気がつく。自分たちは、前しか見ていなかったこと。その背を、仲間たちが守り続けてくれていたことに。味方を信じ、背を見せることになったとしても盾として守り通す気概があった。


「……あはは。リュミィ――守るって、こういうことかもしれないね」


 肩が震えた。敵を薙ぎ払うことだけが、守ることじゃなかったのだ。〈王国の盾〉という言葉の意味を実感として理解した感覚があった。盾とは壮絶な覚悟を持つことを意味していた。


「……未熟だな、俺」


 呟きに、リュミエールは穏やかに微笑む。


「でも、気づけたなら――もう違うわ」


 アルフォンスはそっとリュミエールの手を取った。


「リュミィ。これからも並んで歩いてくれる?」


「ええ。最初からそのつもりよ」


 二人は並び立ち、戦いが終わり勝鬨を挙げている騎士や冒険者たちの姿を見つめた。


 二人の長い道のりは始まったばかりである。戦場に優しい風が吹き、二人の頬を撫でていった――。


 この物語は、アルフォンスとリュミエール……ではなく、圧倒的に強い〈戦姫〉の物語である。


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