理想の世界
この世界は、まさに楽園だ。
理の改変が可能になって幾百年。
あらゆるものが思いのままとなり、あらゆる不安から人々は解放された。
物質的、精神的に満たされた世界は調和に満ちていた。
旅人が酒場の片隅で一杯やっていると、隣の男が声をかけてきた。
「君、見かけない顔だな。旅人かい?」
男は無表情で、満ち足りたような、飢えたような、曖昧な表情を浮かべている。
「敢えて危険を冒してまで、何が君を駆り立てるんだ?」
旅人は寂しげな表情を浮かべ、うつむいたまま答える。
「僕にはこの楽園が不完全に思えて仕方がないんだ。」
男は笑った。
「すべてが満ち足りたこの世界でそんなことを思うのは愚かだ。」
旅人は軽くうなずくと、笑顔で男に問いかけた。
「もしこの世界が滅びるとしたら、君は何をする?」
男は少し困ったように考え込んだ後、軽く肩をすくめた。
「そんなことはありえないさ。いつも通り、それだけのことだ。」
旅人は立ち上がり、
「話ができてよかった。ありがとう、君に幸あれ。」
そう言うと、酒場を後にした。
旅人は夜空を見上げ、深く息をついた。
完璧に見えるこの世界に潜む、無気力と停滞。
理の管理官を経て見出したのは、この世界の否定だった。
旅人は手をかざし、静かに呟いた。
「理の改変を…消去する。」
その瞬間、世界が揺れ動いた。
「世界に幸あらんことを」
遠くに見える光は、黄昏か、それとも夜明けか。
彼の小さな祈りが世界に届く時、新たな未来への扉が、そっと開かれたのだった。