9話:過激なモーニングコール
「おはようございます、主様。といってもここは地底の月、永遠に陽の見えぬ極夜の地にて。朝が来ない以上この挨拶は、形骸化された慣習に倣うだけの、主様の社会性と精神の安定を保つための行為でしかありませんね。正確に言うのであれば『お目覚めですね、主様。主様は7時間眠っておられました。これは人間として健康的な睡眠時間ではないでしょうか? よい夢を見れましたか』というところでしょうか」
いつの間にかシーツを掛けられ眠っていた俺の横に、レーネが立って待機していた。
「……どちらでも、好きなようにしてくれ。それよりもレーネはずっと起きていたのか?」
「私は人形ですからね。睡眠の必要はないのです」
彼女は、俺が眠っている間に敵が来ないか見張っていてくれたのか。レーネがいてくれ良かった。
「レーネは頼もしいな。ありがとう」
「主様ったら。可愛らしい寝顔を見せて頂けただけで満足していましたのに、感謝までされるなんて……主様はどこまで私を嬉しくさせるのですか」
レーネは感謝の言葉に弱いのかはにかんでしまう。これは良い発見だ。
これからは積極的に感謝していこう、褒め殺していこう。
しかし、普通にこうしてみると可愛らしい女の子なんだよな。
とても人形だとか吸血種だとか信じられない。体だって綺麗だったし……。
自然と昨日(7時間前)見た光景を思い返していた。
蠱惑的な表情をした下着姿のレーネを――っていかんいかん!
寝起きにそんな事を考えてしまったせいで、起き上がってしまった。
鎮まれ、鎮まれ我が半身!
「これは!?」
レーネがベッドシーツのピンと張った部分を見て驚きの声を上げる。
「いや、その。これはだな……」
ああ、最悪だ……。レーネに男の生理現象を目撃されてしまった。
「も、申し訳ありません、主様……。人間である主様の生態に気づけなかったのは私の不徳の致すところ。ここは私が責任を持って処理致さねば!」
「致すって何!?」
レーネが俺の上に体を乗せる。
レーネの端正な顔が間近に迫り、柔らかい感触が胸板に押し付けられる。そしてその繊細な手をシーツの下に潜り込ませて「私に任せてください」と耳元でささやく。
レーネは本気だ!
これはまずい!
昨日と同じ流れだ。このままではレーネに下の世話をされてしまう!
そんな焦燥感はどこ吹く風、「ぐぅぅ」とお腹から間抜けな音が漏れる。
そういえば、地底の月に来てから何も食べていない。
空気を読まない胃袋の警告音にそれまでの淫靡な雰囲気はぶち壊され、レーネも思わず破顔する。
「フフッ、主様は空腹でもあられましたか。主様の体は生理現象に正直ですね。赤子のようです。その赤ちゃんボディと同じように、心も赤ちゃんになって甘えてくれていいのですよ?」
「赤ちゃんボディ!?」
いや、違う、そこじゃない!
少し引いて考えるんだ。注目すべきはレーネが腹の音に反応したという事実。
これはチャンスだ。お腹の音は反撃の合図だ。
「そうなんだ、実は滅茶苦茶空腹なんだ! ここに落ちてから何も食べてなくてさ。なにか口に入れないと餓死してしまいそうだ!」
「そこまででしたか! では主様の栄養摂取が最優先事項ですね。急ぎ、食料の調理をしませんと!」
「ああ……。下の世話はもういいから、食事にしよう?」
「かしこまりました。この下のフロアに厨房がございますれば、主様の革袋に入っている魔物の肉も火にかければ食べれましょう。私が案内いたします」
「オーケー。すぐ行こう! あー、お腹がペコペコだなー!」
レーネがどいたのですぐさま起き上がる。
ナイス胃袋!
と内心ガッツポーズするのだった。
カツカツと革長靴を鳴らしながら先導していたレーネが立ち止まる。
「お待ちを、主様。この先の床には『拘束』の罠が仕掛けられています」
「罠も検知できるのか?」
「いえ、今しがた踏みましたので」
「えっ? じゃあ動けないの?」
そう聞くと何がおかしかったのかレーネはフフッと笑う。
「いえ、ご心配には及びませんよ。私は大丈夫です」
レーネは手足をわざとらしく動かして見せる。
「私、『月狩人』にはいくつか固有の常時発動スキルがございます。その一つ『月守の加護』の効果です。外部から自分にかけられた魔法効果を無効化し数秒だけステータスを少し上げることができるのです」
「魔法効果を無効化か……。そう聞くとすごい能力だな。それってデバフも効かないってことだよな」
レーネがうなずく。
「はい、そのとおりです。ただ、バフも無効化してしまうという欠点もございますね」
デバッファーとして俺の魔法が完全無効化されるわけだ。
味方として頼もしい限りだけど、レーネだけは敵に回したくないな。
「ですがこうして主様が罠に掛かるのを未然に防げたのは、誇らしゅうございます」
レーネは嬉しそうに緩めていた頬を表情を引き締め、目つきが鋭くなる。
それはうさぎを見つけた猛禽類にも似ていた。
「主様に料理を振る舞って差し上げる前にお掃除ですね。今しがた獣の匂いがしました。この先に数匹、ネズミがいるようです」
ネズミ――魔物のことを言っているのだろう。
俺には感知できなかったが、彼女は確信を持っているようだった。
「わかりますよ。『月狩人』ですから」
俺の感嘆が顔に出ていたのを読み取ってかレーネはそういう。
「主様の空腹はお察ししますが、ネズミを速やかに駆除しなくては食事どころではないかと判断しました。私が蹴散らしてきましょう」
「構わんさ。魔物が近くにいては安心して食べられないからな。それに俺はレーネの戦闘を見たいからな。だから一緒に行こう」
「左様でございますか。それでは主様との共同作業ですね。我が家のネズミ退治と参りましょう」
鹿を見つけた冬眠直後の熊のように歓喜するレーネを見て、彼女だけは敵にしたくないなとつくづく思うのだった。
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