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「ジュンさん! 会いたかったああぁぁっ!」
部屋に飛び込んで来たその子は、泣きながらジュンに抱きついた。抱きとめたジュンは勢いに押され、ベッドの上に尻餅をつく。
ふわふわした栗色の髪と、質素な木綿のシャツと半ズボン。見た感じでは十二、三歳ぐらいだろうか。肩幅が小さくて背も低めで、あどけない顔が実に可愛らしい。
が、残念ながら男の子だ。体格と声と顔だけではどちらとも思えたが、抱きつかれた感触ではっきりと判った。
エイユンは閉めたドアに背を預けて立ち、嬉しそうな顔でこちらを見ている。
「ジュン。その子が君に会うために、どれほどの苦難を経てきたと思う? そんな可愛い子にそこまで想われるとは、この果報者め」
「……果報者、ね」
いくら可愛いくても男の子だしなぁと言いかけたジュンだったが、思い直して言葉を飲み込んだ。確かに、この子は髪も服も埃や土で汚れ、剥き出しの腕や脚にはあちこち傷がある。非力な少年一人、ジュンを探して駆けずり回ったのであろうことは察せられる。
他の街から来たとのことだし、それなら山野で魔物や山賊に遭遇する可能性もある。実際に遭遇したのかもしれない。そんな危険を冒しても、ジュンに会いたかった、と?
「そういやエイユン。俺、この子のことまだ何も教えてもらってないんだけど」
「あ、そうだったな。名前はルークスといって……いや、ちょっと待て。君はその子を知らないのか? 私がその子に聞いた話では、以前山の中で山賊に襲われた時に、」
裂帛の気合と共に放たれた魔術が爆炎を呼び、悪しき者たちを吹き飛ばす。
少年は見た。夢の中で憧れるしかなかった存在が、今目の前に立っている。
この人こそ、地上の闇を切り裂き世界中の人々を護る、正義の大魔術師に違いない!
「で、君が名乗った名前と外見の特徴を頼りに、この街まで来たらしいんだが」
ジュンは困った顔で頭を掻く。
「そう言われてもなぁ。そんなのよくあることだから、いちいち覚えてないし」
「よくあること? 山賊を倒して襲われていた人を助けることがか? それは感心」
「で、その後こうやって追いかけて来られるのもよくある。と言っても、残念ながらご覧の通り、女の子じゃないけどな。俺の魔術に憧れての、弟子入り志願の男の子ばかりで」
「何いいいいぃぃっ!?」
いきなり、エイユンがダッシュしてジュンに詰め寄った。鼻息が荒い。
「こ、こういう男の子が弟子入り志願に追いかけてくるのが、よくあることだと?」
ちょっと気圧されたジュンは、エイユンの肩を押し返して宥めながら言った。
「こんなこと嘘ついてどうする。現に今、ここにいるだろ。よくあることだから、いちいち覚えていられないって言ってるんだよ」
「い、いちいち覚えていられないほど……よくあることなのか……」
エイユンの目が血走っているように見えるのは気のせいではない。実際、血走っている。
「で、君はその男の子たちをどうしたのだ。よもや、自分に向けられた憧れを利用して、例えば弟子入り志願の条件になどと言って、良からぬことをしたのではあるまいな?」
熱く拳を振るわせる黒衣の尼さんに、何考えてんだと呆れつつジュンは説明した。
「どうもしてないよ。家族を大事にしろとか、親に心配かけるなとか説得して断ってる」
「そ、そうか。それは良い心がけだな。しかし……」
エイユンは何やらもごもご言ってる。
それは無視することにして、ジュンはまだ抱きついているルークスの背中を叩いた。
「ほら、そういうわけだから。俺は弟子なんか取る気はないし、俺みたいにフラフラしてる奴に着いて来るよりも、家族を安心させ……ん?」
ルークスはジュンに抱きついたまま、その胸に顔を埋めてスヤスヤと寝入っていた。
安心しきったその寝顔は、天使のように愛らしい。エイユンは溜息をついた。
「おお。困り果てて彷徨っている姿があまりにも可愛かったので声をかけたが、こうして眠っている顔もまた何とも」
「って、おい。今何て言った?」
「ん? この子が可愛かったから声をかけたと言ったが。そうしたら、困っているというので手を貸したのだ。僧侶の端くれとして、困っている人の力となるのは当然の行いだ」
「いや、そのセリフ、後半はともかく前半に問題はないのか僧侶の端くれさん?」
ない、とエイユンは言い切る。
「きっかけなどは何でも良い。事実、それによってこの子は、捜し求めていた君に会えたのだから。袖振り合うも多生の縁、という言葉もある。この子の困った顔に私が惹かれたというのも、また一つの縁なのだ」
「そ、そう……なのか?」
何だかムチャクチャ言ってるような、でもそれはそれで間違ってもいないような。
ともあれジュンはルークスを抱き上げ、ベッドに寝かせてやった。
「やれやれ、しょうがない。俺を捜す為に疲れ果てたってことなんだしな」
「そうだ。長い苦難の末にやっと君に会えて、気が緩んだのだろう。よもや、今この子を叩き起こして追い返したりはすまいな?」
確かに、男の子とはいえ子は子だ。もう夜更けだし、家族に連絡する術もない。とりあえず、このまま明日まで寝かせてやるしかないだろう。
とジュンが言うと、エイユンは満足そうに頷いた。
「それを聞いて安心した。では私も宿に戻って、明日の朝また来る。この子のことは、その時に相談しよう。乗りかかった船だ、この子の街まで送り届けるのなら付き合うぞ」
「わかった。そうしてくれ」
エイユンの申し出に頷きながら、ジュンは「明日になったら適当に言い訳して、自分だけ離脱しよう」などと考えていた。
どうやらエイユンはルークスを気に入っているようだし、押し付けても文句は言わないだろう。第一、金にもならず女の子にモテる望みもなさそうなムダ旅はしたくない。
もちろんエイユンだって女の子だ。しかも文句なく美人だ。だが残念ながらエイユン相手だと、自分が強くてカッコいいところなんて、もう見せられそうにない。風呂敷包みを背負って腰を曲げて唸りながら、一緒に歩いてしまった仲なのだから。
そんなジュンの思惑は知らず、エイユンはもう一度ルークスの寝顔を堪能してから、部屋を出ていった。
ルークスは小柄だしジュンも大柄な方ではないので、一つのベッドで二人寝ることは可能だ。が、男の子同士でそれをやるのはあまり嬉しくない。
なので、ジュンは床で寝ることにした。野宿には慣れているので、どうということはない。むしろ雨風の心配もなく、虫や獣などを気にせずに眠れるのだから充分快適だ。
ジュンはランプの明かりを消して床に寝転がると、昼間の荷運びで疲れていたこともあり、すぐに寝息を立てた。
そして。街の酔っ払いたちもねぐらに帰り、眠りに着いたであろう真夜中のこと。
『……む』
迫り来る何者かの気配に、ジュンは目を開けた。まずは動かず、息を潜めて様子を窺う。
感じた気配は窓の外、おそらく二人。一階部分の屋根を歩いて、ここ二階の窓に向かってくる足音が聞こえる。何やら相談しているらしい声も聞こえる。
『おいおい。どんなド素人だよ』
呆れながらジュンは静かに身を起こした。
並の泥棒などが足音を消していても、気配でわかる。並の暗殺者が気配を消していても、こちらに向かってくるのなら、ジュンはその殺気を察知する自信がある。
だが、今向かってきている相手は、そんなレベルではない。誰でも、例えば今はぐっすりと眠っているルークスでも、起きて耳を澄ましさえすれば足音と声が聞こえるであろう。
そんな程度の相手ということは、少なくとも訓練を積んだプロの暗殺者などではない。最初は、もしやルークスが厄介な事件に巻き込まれていて、その追っ手とか? などとも思ったのだが、違うようだ。いくらなんでもレベルが低すぎる。
並以下の、ド素人コソ泥だろう。面倒だがとっ捕まえて、騎士団に突き出すことにする。
「やれやれ……ん? あれ? えっ?」
窓から屋根に出ようとしたジュンだったが、異変に気づき、警戒して動きを止めた。
気配が突然消えたのだ。逃げたのではない。遠ざかっていく様子はなかった。一歩も動かず、その場から気配だけが煙のように、スッと消え失せたのだ。
まるで、遠くから矢か何かで狙撃されて即死したような。だが、そうだとしても矢が刺さった音や、呻き声や悲鳴などが一切聞こえなかった。これはおかしい。
どういうことか。今の二人はド素人だったが、それとは別の何者かがいる?
ジュンはごくりと唾を飲み込んで、手に滲み出た汗をズボンで拭った。そして壁に背をつけ、窓枠の脇の、外からは攻撃を受けない位置に立つ。
音を立てぬよう注意深く少しだけ窓を開け、息を殺して僅かな隙間から外を覗き見……
「おおジュン。起きていたのか」
涼やかに透き通って耳に心地よい、かつ呑気な声にジュンは突っ伏した。
が、すぐに跳ね起き、遠慮なく大きな音を立てて、叩き壊さんばかりの勢いで窓を全開にする。
「んなとこで何やってんだエイユンっ!」