6 もう一人の王子
「ハンス!よくお城から出て───え?シュテファン殿下……?」
王城から逃げる時に置いてきてしまった護衛騎士と共に魔法陣から現れたのは、王太子フランツの腹違いの弟、シュテファン王子。その後ろには、神官服を着た髪の長い男性がいる。
「すみません、エルンスト様、エリザベート様。どうしても一緒に行くと言って離してもらえなくて……」
弱り顔のハンスの大きな図体が、いつもより一回り小さく見える。赤い短髪をポリポリと指で掻きながら言い訳を始める男の隣で、王太子である兄に勝るとも劣らない美少年がこちらへ向かって一歩踏み出そうとする。……が、その前にピタリと動きを止めた。
「……何の真似だい、エルンスト?王族に向かって剣を向けることの意味は分かっているんだろうね?」
「ええ、もちろんですよ。王族に従うことと妹の命とどちらが大事かと言われれば、私は迷わず後者を選びます」
「お兄様……」
腰の剣を抜き自分を庇うように前に立つ兄が、これほど頼もしく見えたことはない。しかし、ハンスがエリザベートの敵となる人物を無傷で引き連れてくるのもおかしな話だ。エリザベートよりも2つ年下であるシュテファンのことは幼い頃から知っているが、フランツとはお世辞にも仲が良いとはいえない。それに何よりも、一緒に来たのがよりによって神官である。
(本当にシュテファンは私を捕まえるために来たのかしら?)
この世界には、治癒者と呼ばれ、怪我や病気を治すことができる存在として人々から尊敬されている者たちが存在する。その中でも特に治癒能力が高く優れた者しか神官にはなれないとされている。犯罪者(別にエリザベートは罪を犯した訳ではないが)を捕まえるために、そんな人物をわざわざ一緒に連れてくるだろうか?
違和感を感じつつ兄の後ろから顔を出したエリザベートとシュテファンの目が合う。夏の日の空のような水色の双眸が嬉しそうに細められたのを見て、エリザベートは自分の勘が間違っていないことを確信した。
「……ふふ、美しい兄妹愛だね。でも、君は大きな勘違いをしているよ。僕はエリーを捕らえるために来たわけじゃない。一緒に逃げるために来たんだ」
「一緒に、逃げる……?」
「そう。兄上はすっかりあの自称聖女にたぶらかされてしまってね。僕は近いうちに兄上にとって危険な存在となり得るから、今のうちに殺しておかなくてはならないんだそうだ」
「………その言葉を信じろと?」
殺気を隠そうともせず絞り出すように低く唸るエルンストを見れば、大抵の者は腰を抜かしてしまうだろう。しかし、シュテファンは軽く肩を竦めただけだった。
「まぁ、警戒するのも無理はないよね。君達から見れば、僕も"あっち側"の人間だ」
「………」
何も言わずにじっと睨みつけるエルンストを一瞥してから、シュテファンはエリザベートへと視線を移した。
「兄上のエリーに対する態度はずっと酷かったけれど、どちらかというとエリーを嫌っているというより興味がないって感じだった。それが突然『警備が厳重な王城で盗みを働いた。そんなことができるのは魔女だからに違いない。魔女はこの世界を滅ぼす邪悪な存在だ。直ちに投獄せよ』だもんね。とうとう頭がおかしくなったかと思ったよ」
「ぷっ……くく……っ!」
両手の掌を肩の横に掲げて首を傾げるシュテファンの言葉に、エリザベートが耐えきれず吹き出す。疲れた様子で「エリー……」と呟いたエルンストに、一歩、二歩と踏み出したシュテファンが声をかけた。
「僕のことが信じられないなら、両手を拘束してもいいよ。シュタインベルク家の者にしか解除できないようにしておけば安心だろう?……ほら」
そう言って両手を差し出したシュテファンを、本当に信じてもいいのだろうか。
迷うようにエルンストの視線がシュテファンの顔と手を行ったり来たりする。ややあって、エルンストは差し出された両手に利き腕である左手を触れさせた。一瞬だけシュテファンの両手首が紫色に光ったかと思うと、それはすぐに消えてなくなった。
「お兄様……そこまでしなくても」
「何を言ってるんだ、エリー。今の話だけで彼を信じるには無理がある。何と言ってもお前の命がかかっているんだよ?これくらいしてもまだ不安なくらいだ」
「エルンスト卿は本当に重度のシスコンだねぇ。エリーが王家に嫁に行ったらどうするつもりだったの?」
「あの馬鹿王子との結婚なんて端から認めるつもりはありませんでしたよ。どうせ我が家の力が欲しいだけでしょうから、側室を作った時点で離縁させる予定でした」
「ええぇ!?」
エリザベートはシスコン丸出しの兄の発言に目を剥いた。フランツのことは嫌いだが、王太子妃ってそんなに簡単に離縁できるものだっただろうか?
ところがエリザベートの困惑をよそに、シュテファンまでがエルンストの言葉に大きく頷いた。
「ああ、側室は完全にアウトだね。まぁ、愛人を作った時点でエリーは僕が奪うつもりだったけど」
「えっ……?」
「だから、すでにもう条件は満たしてるんだよね。君という婚約者がいながら、兄上はあの女……ゾフィーと関係を持ったんだから」
空色の瞳がキラリと光ったかと思うと、シュテファンは拘束された両手で素早くエリザベートの手を取って跪いた。
「……エリザベート・フォン・シュタインベルク嬢。私はこの先決して貴女を裏切ることはないと誓います。ですから、どうか貴女にお供させていただけませんか?」
「え?…ええ?」
(ちょっとこれ、どういう状況……!?)
内心で大パニックに陥りながら、エリザベートは自分を見上げる真摯なスカイブルーの瞳を呆然と見下ろしていたのだった。
ここまでお読みくださいまして、どうもありがとうございました。
この話で、第一章が終了となります。
第二章は現在鋭意執筆中ですので、今しばらくお待ちくださいませ。
書き終えましたら、第一章と同様に連続投稿していきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
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