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35 稀代の大魔術師

「ふぅん? じゃあ、僕が貰っちゃってもいいわけだ」

「え……」


 思わせぶりな言葉に、つい顔を横に向けてしまったのが悪かった。真正面にジュールの整った顔があり、至近距離で黄緑と黄色のオッドアイがじっと自分を見つめている。


 部屋に飾ってある姿絵で嫌というほど見てきた顔だが、不思議と記憶の奥底にある何かが引っかかった。


(あれ?……この顔、ずっと前にも何処かで……?)


「……っ、ん!?」


 ほんの一瞬思考を飛ばしていたエリザベートが気づいた時にはもう、唇を塞がれていた。


「………ごちそうさま」


 チュッ、と音を立てて離された唇をそっとなぞられて、エリザベートは顔から火が出るのではないかと思うほど真っ赤になった。


「なっ、なっ、な……っ!」

「もしかして、初めてだった?」

「そうじゃない……ですけど……」


 俯くエリザベートに、ジュールがスッと目を眇めたあと不満げに唇を尖らせた。


「なぁんだ、残念。ファーストキスは王子サマに取られちゃったか」

「え……?」

「いや、こっちの話。……エリザベート」

「はいっ!?」


 思わず声がひっくり返ってしまったエリザベートが、恥ずかしさのあまり顔を赤くする。その様子を、ジュールが愉し気に見つめた。


「今まで頼まれても弟子を取ったことはなかったんだけど……うん、決めた。君を僕の一番弟子にするよ」

「……っ、ありがとうございます!」

「じゃあ、とりあえずは……この前渡した本」

「えーと、これですよね」


 カバンに入れてある革表紙の本を取り出す。そのうち読めるようになると言われた『聖女の日記』は、まだ真っ白なままだった。


「うん。じゃあ次に会う時までに読んでおいて」

「次に会う時……」

「ガザリンドにある聖女教会に行けば、文字が浮かび上がってくるはずだ」

「え……そうなんですか?」

「ああ、おそらく」


 おそらく3日以内にはこの街を離れて、ガザリンドへ移動する。その先は何も決めていないのに、次に会う約束なんて。不安げなエリザベートに、ジュールが口の端を上げた。


「行き先も分からないのに、どうやって探すのかって?……僕を誰だと思っている?」

「……稀代の大魔術師、ジュール・ポワティエ」

「そう。君が何処へ行こうと、僕は君の居場所がわかる」

「それはどんな魔法なんですか?」

「僕が編み出した追跡魔法だよ。ただし、それを使うには相手の体液を摂取する必要がある」

「体液を、摂取……」


(さっきのキスは追跡魔法のためだったのね……)


 憧れの人とのキスに余計な期待をしてしまいそうになったけれど、それもこれも魔法のためなら割り切ることができる。


(……って、そんなわけあるか!)


 さっきのキスを思い出してまた顔が熱くなってきたエリザベートに、ジュールがニヤリとした。


「もっとイイコトしても良かったんだけど、さすがにちょっとハードルが高いと思ってね」

「……っ」


 ジュールがこんな性格だったなんて、知らなかった。目の前でニヤニヤしているジュールに衝撃を受けつつも、エリザベートは何故だか嫌だとは思えなかった。


「あと、これを持ってて」

「……鏡、ですか?」

「そう。これの片割れを僕が持ってる。この鏡で僕といつでも話すことができるから、何かあった時に使うといい」

「この鏡に呼びかければいいんですか?」

「そう。……逆に僕が呼びかけるとどうなるか、見ててごらん」


 ポケットから取り出した鏡をジュールが覗き込んで「エリザベート」と呼びかけた。すると、エリザベートの持っている鏡が、チカチカと点滅し始めた。それに合わせてブーンブーンという振動が伝わってくる。


(なんか、日本で使ってたスマホみたい……)


「応答するには、鏡面を軽く叩くんだ。やってみて」

「はい。……こうですか?」

「そう……ほら、僕の顔が見えただろう?」

「あ、ほんとだ! ちゃんと鏡から声も聞こえます!」


 テレビ電話と同じ機能が魔法で使えるなんて、本当に驚きだ。こんなものはシュタインベルク家でも見たことがない。


「すぐに出られない時は、鏡面を2回叩いてくれ。そうすれば、とりあえず君が無事でいることはわかる」

「わかりました。大切に使わせていただきます」

「うん。世界に二つとないプレミアものだよ?」

「うわ……絶対無くさないようにしなきゃ」


 大事そうにポケットにしまうエリザベートを見ながら満足げに目を細めると、ジュールが再びエリザベートの腰を引き寄せた。


「ジュール……?」

「……僕は、思ったより君のことが気に入ったみたいだ。もう一度キスしたいんだけど……いい?」


 さっきのキスは、追跡魔法のため。そう割り切ったからこそ、平気でいようと決めたのに。


(なんでそういうこと聞くかな……)


 どうせなら、さっきみたいに考える間もなく奪ってくれればいいのに。

 優しいのか優しくないのか分からないジュールの態度に、エリザベートの頭の中はぐちゃぐちゃだ。


(この人を好きになってはいけないのに……)


 相手は、自分よりも年上で謎だらけの大魔術師。魔法の腕だけは確かだが、出自も年齢も本当の名前さえもはっきりしない。さっきは適当に誤魔化されてしまったが、巧みなキスからきっとそういう経験も豊富なんだろうと想像してしまう。


「……エリザベート? 黙ってるとこのままキスしちゃうよ?」

「っ、ダ、ダメです!」

「本当にダメ?」

「ダメです。私、ジュール様……じゃなくて、ジュールのことをまだ何も知りません」

「何も知らなくても、僕に憧れててくれたんでしょ?」

「それはそうです、けど……」


 後ずさりながら距離を取るエリザベートに、ジュールが残念そうな顔をした。


「はぁ……仕方ないな。ここまで待てるなんて、我ながら我慢強すぎるだろ」

「…………?」

「いや、なんでもないよ」


 不思議そうな顔のエリザベートに微笑みかけると、ジュールは素早い動きで彼女の耳元に唇を寄せた。


「じゃあ、続きはまた今度」

「……っ」


 耳にかかる息がくすぐったくてエリザベートが肩を揺らすと、ジュールが徐に店の入口に顔を向けた。


「──さぁて、王子サマのお出ましだ。思ったよりも早かったかな」

「え……」


 その言葉にエリザベートが入口のドアを見たのとほぼ同時に、コンコンとドアノッカーの音がした。


ここまでお読みくださいまして、どうもありがとうございました。

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