事件のあと、あるいは事件の始まり(クリス視点)
朝日の眩しさを感じて、目が覚めた。
まぶたが重い。
体全体に鉛を詰め込まれたように、ずっしりと全身が重かった。
ゆるゆると目を開くと、見慣れた天井が目に入ってきた。豪華さはないけど、よく手入れされた重厚な部屋。クレイモアの自室だ。
「……?」
状況がわからず、思わず顔をしかめてしまう。
私は今朝まで王城の離宮にいたはずだ。同じ王都内に建てられているとはいえ、なぜクレイモアの邸宅にいるのだろう。
身じろぎしようとしたら、ずきん、と右腕に痛みが走った。固定されているのか、そこだけ重くて動かせない。
ああ、そうだ。
思い出してきた。
離宮は火事にあったんだ。
逃げ遅れたタニアを助け出そうとして瓦礫にぶつかり、右腕を怪我したんだった。その後も、脱出しようと王家の抜け道を進んでいたら、毒ナイフで斬りつけられて……。
クレイモアのベッドに寝ている、ということは無事助け出されたんだろうか。
いまいち記憶がはっきりしない。
左腕が下になるよう、ごろりと寝返りを打つ。
と、目の前に他人の寝顔がった。
短くそろえられた銀髪に、男らしい端正な顔。閉じられた瞼の奥の瞳が、自分と同じ深い紫をしていることは知っている。
「ヴァン?」
間違いない、婚約者のヴァンだ。
私が離宮に暮らす間、彼も王都のクレイモア邸で過ごしていたから、屋敷にいるのは当然といえば当然なのだが。
なぜ、私のベッドに。
そして、なぜ添い寝状態なのか。
「ん……?」
私が起きたことに気づいたんだろう、ヴァンの長いまつ毛が揺れた。
何度か瞬きをしたあと、紫水晶のような瞳に光が宿る。
「クリス、目が覚めたか」
ふわりとうれしそうにほほ笑まれて、不覚にもどきんと心臓が飛び跳ねた。寝起きにこの笑顔は刺激が強すぎる。
「な……なんで?」
「なんでって……」
む、とヴァンの顔がしかめっつらになった。
「一昨日の事件のこと、どこまで憶えてる?」
「おととい?」
はて、事件は昨日だった気がするんだが。
「お前、丸一日以上寝てたんだよ。あー……王城から火が出たってのは、わかってるよな?」
「ああ。シュゼットたちを避難させたあと、タニアが取り残されていることに気づいて、リリィと一緒に離宮に戻ったんだ。その後、三人で抜け道を使って逃げていたら、ローゼリアとかいう刺客に襲われて、斬りつけられた」
私は寝転がったまま天井に視線を移す。
「そのあたりから記憶があいまいだ。どうやら、ナイフに毒が仕込まれていたらしい、ってところまでは覚えてるんだが」
はあ、とヴァンは私の顔を見ながらため息をついた。
「相当な猛毒だったらしい。リリィが持っていた緊急解毒薬を飲んでいなかったら、抜け道から出る前に、死んでいたそうだ」
「よくそれで助かったな」
あの時抜け道にいたのは四人。
私、リリィ、気を失ったタニアと、襲撃者ローゼリアだけだ。
侯爵令嬢のリリィたったひとりで、あの場を切り抜けたとはにわかに信じがたい。
「オリヴァーがフランドールを連れて抜け道に乗り込んでって、ローゼリアを捕まえたらしい」
「オリヴァーとフランドール……? どういう状況だ?」
抜け道にオリヴァーが登場したのはまだいい。王族ならば、道の存在を知っていてもおかしくないからだ。しかし、リリィの婚約者である王子が、そのリリィの秘密の恋人と一緒に救助に来た?
ありえない。
ふたりはリリィをはさんで完全な対立関係にあるはずだ。
そもそも王子は普段からヘルムートを従えていたはずではなかったか。
「俺も知らねえよ。お前が火事で怪我したって連絡うけて王宮にとんでったら、ふたりが助けたって話になってただけだから」
ヴァンはガリガリと頭をかく。
「とにかくお前とタニアを家に連れて帰ってきたけど、毒のせいかとにかく熱が高くてな……。このままじゃやばそうってことで、ハルバード侯爵家から東の賢者を借りてきて、治療させてたんだ」
「え……熱……?」
覚えがない。
クレイモアのベッドに寝かされてからの記憶は、まったく残っていなかった。
しかし、高熱がでていたのだと考えれば、この異常な体のだるさに説明がつく
「やっと容態が安定したのが今朝がただったかな……」
ヴァンはため息をつきながら、頭をなでてくる。
よく見たらヴァンの目の下には濃いクマがあり、全体的にげっそりしていた。
そうか。
彼は考え無しに添い寝していたんじゃない。
生死の境をさまよう婚約者のために寝ずの看病をして、つい隣で寝入ってしまったのだ。
「そばにいてくれて、ありがとう。ヴァン」
「お前は俺の共犯者だからな」
ヴァンが苦笑する。
お互い、すでに共犯者以上の感情を抱いていることは知っている。この物言いは、ただの照れ隠しだ。
わかったからといって、口に出したりはしないけど。
「喉が渇いただろ、水でも飲むか?」
「ん……ほしい」
体を起こそうとして、右腕がまだ動かないことに気が付いた。
よく見ると、何か添え木のようなものをあてられて、包帯でぐるぐるに固定されている。
ヴァンは体を起こすと、私の体をベッドサイドのクッションに寄りかからせてくれた。
「ありがとう」
「寝っ転がって水飲むと、むせるからな」
そんなことを言いながら、口にカップをあててくれた。柑橘で香りづけされた水が喉に心地いい。
「腕が動かないと不便だな」
しかも利き腕である。
しばらく剣どころか、日常生活もおぼつかないだろう。
思うように運動できないのは苦痛だ。
「あんまり動かすなよ」
「賢者殿は何と?」
「毒に加えて、火傷と打撲と骨にヒビ、それから腕の傷は十二針縫ったって」
「そこまで重症だったのか。気が付かなかったな」
「火事場で興奮してて、痛みに気づけなくなってたんだろ。ただ、幸いというかなんというか、骨はすぐにくっつくし、傷も抜糸して薬を塗ってれば痕も残らねえってよ」
ヴァンは陶器の小さな容器をあけて見せてくれた。淡い色の軟膏からは、さわやかな森の香りがする。
「十二針の傷跡が消えるなんて、賢者殿の薬はすさまじいな」
「もともとジェイドがフィーアのために作ったものらしいぜ」
「……訂正。東の賢者師弟はすさまじいな」
ヴァンは苦笑して肩をすくめた。
「傷はそれなりに重いが、私もリリィも生き残ったんだな。襲撃者の思惑は外すことができた、ってことになるのか?」
「いや、そうでもない」
ヴァンはきまずそうに視線を外して首を振った。
「何があった?」
「シュゼットが消えた」
「なに?!」
シュゼットは自分たちと違い、真っ先に離宮から避難していたはずだ。彼女が姿を消すなんて、理屈にあわない。
「王城の騎士たちが、炎に包まれた離宮に注目しているスキをつかれたらしい。救助されたリリィが、シュゼットの避難先を確認しに行ったら、姿がなかったそうだ」
「混乱していたからって、王城から他国の姫を? ありえない」
「リリィが言うには、どうもユラ……邪神の手先が関わっていたらしい」
「……!」
ヴァンは顔をしかめる。
「勇士七家の血をひく俺たちに邪神は直接手出しできない。しかし、シュゼットはキラウェアから来た姫君だ。当然、女神の加護の範囲外だ」
「やつらの本当のねらいは、シュゼットを私やリリィの庇護から引き離すことだったのか……」
ただ思惑に乗せられるまま、怪我をして倒れた自分が口惜しい。
自分が離宮に入ったのは、シュゼットを守るためだったのに。
「お前は、やれるだけのことをやったよ」
ぽん、とヴァンの手が頭におかれた。
「今、宰相派の騎士を中心に、極秘捜索隊が編制されている。シュゼットのことはあいつらにまかせて、お前は回復に専念してくれ」
「わかった……」
ヴァンが心配しているのもわかっているので、私はいますぐ飛び出していきたい気持ちをおさえて、うなずいた。
お待たせしました新章開始です!
前回の続きから、シュゼットを中心とした不穏な話を書いていきたいと思います。
お楽しみください!
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