第2話 夜行性な彼女の朝
「ふわぁーあ」
朝日を浴びて、ベッドの上で軽く伸びをする。
月曜朝の、いつもの光景だ。
そして-
(まあ、なんとも無防備なことで)
床に敷いた布団ですやすやと眠る八重を見つめる。
年齢よりいくらか幼く見える顔つきに俺より一回り小型な体躯。
その割に出るところは出ている。
もこもこパジャマからブラが少し覗いているのは目の毒だ。
最近、よく見るようになったが、実は異常な光景。
(ほんと、なんでこんなことになるんだか)
内心でつぶやく。昨夜、八重桜を見に行った後のこと。
今日はゆうちゃんの家に泊まる、と八重が言い出したのだ。
「帰って寝ろよ」
俺はいつもそう言う。だがしがし。
「好きな人と一緒に寝たいっていうのは駄目?」
なんて言う八重に、速攻で無効化されるのが常だ。
暖簾に腕押し。糠に釘。豆腐に鎹。
っと。腕時計を見ると、あんまりのんびりしていられない事に気づく。
思考を切り替えて、八重を揺さぶって起こす。
「おーい、八重。朝だぞー」
「うんー?」
半目だけ開けて、ぽーっとした様子の八重。
「朝だよ、朝。そろそろ朝ご飯も出来るし」
「……」
反応がない。これもいつものこと。
しばらく待てば電源が入って起動するだろう。
と思っていたら、
「ゆうちゃーん。好きー」
と抱きつかれてキスをされる。
「ちょ、おま……!」
慌てた俺は、脳天にチョップをかます。
「いたたた……あれ、ゆうちゃん?」
八重の目がぱっちりと開く。
ようやく意識が覚醒したか。
「お目覚めか?お姫様」
ちょっと皮肉を込めて言ってみる。しかし、
「あれ?まだ夢見てるのかな?」
「なんでだよ」
「だって、ゆうちゃんがクサイ台詞吐くなんて……!」
「お前な。昨夜、クサイ台詞要求しといて、言ったら言ったで……」
「冗談、冗談。おはよ、ゆうちゃん」
「はあ。おはよう、八重」
にっこり笑顔の八重に毒気を抜かれてしまう。
お袋が作ってくれた朝ご飯をかき込んで足早に家を出る。
「「いってきまーす」」
なんて挨拶もお馴染みだ。自分の家でもないのに。
「そういえば、今朝、ゆうちゃんにキスされる夢見たんだー」
登校中、何気ない素振りでの話題振り。
「……」
しかし、俺としては今朝の事を覚えているわけで、気まずい。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「ひょっとして、正夢だったり?」
「んなわけないだろ」
「だよねー、ゆうちゃんがそんな大胆なこと」
あははと笑われてしまう。悔しいがその通りだ。
俺達の関係がよくわからないせいなんだけど。
「ふわぁー」
ふと、隣を見ると八重が大あくび。
「耳タコだろうけど、もうちょい早く寝ろ。昨夜寝たのいつだ?」
夜が好きなこいつは、いつも寝る時間をなるべく遅くしよう、遅くしようという癖がある。そのたびに眠そうな顔をしているので、こうやって文句を言うのも常だ。
「午前4:00……」
「そりゃ眠くもなるだろ。せめて、午前2:00くらいにだな」
「だって、貴重な夜の時間だよ!?もう少し浸っていたいのが人情ってものだよ」
「どんな人情だよ!?気持ちは少しわかるけどな」
夜の微睡む時間は確かに、朝では味わえないものがある。
こいつはちょっと極端過ぎるのだが。
こんな風にして、眠そうな八重にお説教をしながら登校するのが俺たちの常。
「ふわぁ。もう限界」
ようやく教室の自席にたどりついた途端、八重はばたんきゅー。
一分としない内に、隣の席から寝息が聞こえてくる。
ほんと、仕方ない奴なんだから。
「お疲れ様ね、裕貴」
「サンキュ、夏美。いやもう、ほんとお疲れだよ」
そんな朝の挨拶を交わした相手は尼崎夏美。
中学からの女友達で、八重経由で仲良くなったという経緯がある。
竹を割ったような性格で、気軽に付き合えるので、男女問わず交友関係が広い。
友達の悩み相談に乗っているのもよく見る。
「でも、こうして寝息立ててる八重ちゃん、可愛いよね」
「そりゃ可愛いんだけど、毎日だと慣れも来るぞ」
「ひょっとして、八重ちゃん、昨夜も裕貴のところにお泊り?」
「お泊り」というキーワードに、一瞬クラスがざわつく。
が、俺達の事だとわかった途端。
「あー、裕貴のとこの話か」
「なんかもう、段々日常風景になってきたよな」
と軽くスルーされてしまう。
「こちとら、好きで日常にしてるわけじゃないんだがな……」
色々、もにょもにょする。
「マイペースな相方を持つと苦労するわね、裕貴も」
「この苦労をわかってくれるのはお前だけだよ、夏美」
って、
「何が相方だよ?あいつとはまだそんなじゃないって」
「お互い好きだってわかってるのに?」
「前も言ったけど、こいつが嫌がるんだよ。「恋人って枠に押し込めるのは違う気がする」とかなんとか言ってさ」
その癖して、過剰な程の愛情表現だ。頭も痛くなろうというもの。
「八重ちゃんってば前から、思考回路が常人離れしてるのよね」
「ほんと、ほんと。俺としては普通に恋人になりたいだけなのに」
話をしている間、時折八重の目がぴくぴくと動くのがわかる。
俺としても、聞こえるの承知で、目の前で話しているんだけどな。
「色々と歪んだ関係よね」
「正直、どうすればいいんだろな……」
最近、繰り返し考える問いだ。
もちろん、俺だって八重のことは好きだ。
キスもしたいし、もっと先のことだってしてみたい。
でも、恋人になれないなら、こちらからするのは気が引ける。
「やっぱり、諦めるしかないと思うわよ。八重ちゃん、そういうとこ頑固だし。別にデート出来ないとか、手を繋ぐのを拒まれるとかいうわけじゃないんでしょ?」
「しかしだな。恋人同士じゃないなら、俺とこいつの関係は何だって話にはなるだろ。友達同士でキスとか普通しないわけだしさ」
「え。もう、キス、してるの?」
目の前の夏美は目を白黒とさせている。
しまった。キスまで(あいつからだけど)されてるのは言ってなかった。
「あー、まあ。あいつから、だけどな」
「いよいよもって歪んだ関係ね。そのまま生涯添い遂げそうな気がしてきたわ」
珍獣を見るような目で見られている気がする。
「生涯添い遂げるのはやぶさかじゃないんだけど、関係をはっきりさせたい」
あえて聞こえるように言う。このくらいで考え変える奴じゃないんだけどな。
「……夫婦、なら、いいよ……」
目を瞑ったまま、小さい声でつぶやく八重。
その返事に、俺と夏美は目を見合わせて苦笑するのだった。