自分からは見えなかった親友の側面
平凡で、平和で、喧噪とはかけ離れた片田舎。
そんな村にダンジョンとか、何の冗談だ?
「……どうしたの、ラセル君」
「ああ、いや、何でもない」
俺がダンジョン探索で役に立てずにパーティーをやめさせられて、離れてきたという過去をこの人たちは知る由もない。
適当に話をごまかし、この場は切り上げることにした。
「孤児院にも行ってくる、ブレンダに言われて真っ先にこっちに来たからな」
「あっ、それはそうよね! ごめんなさい、親子共々迷惑をかけて……」
「構わない。ごちそうさま」
一食もらった礼を言って、すぐに席を立った。
二人はそのまま、扉まで見送りにまで来ることになった。
ブレンダが、ローブを指で引っ張りながら、こちらを上目遣いでのぞき込む。
「また会える?」
「まあ、な。一応この辺りに住むつもりだが、まだわからん」
「絶対住んだほうがいいよ!」
ブレンダの頭を無言でぽんぽん軽く撫でると、安心したように笑顔になり手を離した。
さすがにダンジョンがあったからとはいえ、再び別の村に行くわけにもいかない。この村以外で住むあてがない。
それに、今更また街に戻る気にはなれなかった。
家を離れながら、長い間過ごした孤児院を目指す。
辺りは暗くなっているが、まだ子供は遊び盛りのはず。
しかし今は、まだ真っ暗というほどでもないのに、不思議と誰も見かけなかった。
それにしても……ダンジョンか。
せっかく探索から離れる生活をすることになったというのに、因果なものだ。
孤児院に着いた頃には、日が暮れていた。
日が傾くと、暗くなるのが早いな。
俺はノックをして、返事を待たずに遠慮なく開ける。
「ちょっと! 開けるなら返事するまで待ってって決まっただろう!」
「ずいぶんと厳重じゃないか」
「……ラセルかい!?」
「ただいま、ジェマ婆さん」
孤児院で子供の世話を任された二人のうち一人、ジェマが俺の顔を見て驚いた表情をする。
ここでみんなの世話をしている、まだまだ矍鑠とした老婆だ。
「帰って来るのなら、連絡ぐらい入れたらどうだい。フレデリカは今出ているし、食べるものも用意してないよ。ヴィンスや他の子は?」
「食べて帰ってきたから要らんし、帰ってきたのは俺一人だ」
「……なんだか雰囲気、変わったかい?」
「そうかもな」
質問をはぐらかすようにごまかしたが、雰囲気が変わったことぐらい、ジェマ婆さんなら分かるだろう。
……別れの言葉すらなかった、明るい顔などとてもできるものではなかった。
「それよりも、この静けさはなんだ? 誰も子供が遊んでいない。暗くなる前ですら、ほとんど誰もいなかったぞ」
「ああ、それはね。夜になると、魔物が出るんだよ」
「……この村にか?」
「そう。困ったねえ」
話によると、コウモリ型の魔物が村の空で何羽か見つかり、実際に襲われた子供もいたらしい。
街の方では情報が出ていなかったな……。
「時期は? 見た目は分かるか?」
「半月前……ダンジョンが出来た頃かね。一度近くで見たときは、赤色だった。少し大きめで、羽を広げるとあたしの身体ぐらいあるね」
「ダンジョンスカーレットバットか……」
ダンジョン内部にいる魔物のうちの一つで、滅多なことでは外に出てこないタイプだ。
決して強くはないが、討伐経験がないと簡単ではない。
まあ、俺一人でもなんとかなるだろう。
「それにしても、どうして一人なんだい?」
「……まあ、婆さんならいいか。少々長い話になるぞ」
俺は、昨日の出来事を話した。
もちろん、それに至るまでの流れも全て、だ。
ジェマ婆さんは、俺が話す間はずっと黙って聞いてくれた。
話の腰を折られずに済んだので、思ったよりは長い話にならずに済んだ。
「……そして、今日帰ってきた」
一通り聞き終わったジェマ婆さんは、「は〜っ……」と溜息を大きく吐いた。
「あの、村の誇りだった四人組が、そんなことになっちまうなんてね。運命ってのはわかんないもんだねえ」
そして、俺の肩に手をかけた。
「あんたが変わった理由も分かった。でもね、言わせとくれ。……よく自暴自棄にならずに戻ってきてくれた。それだけであたしゃ嬉しいよ」
そう言って、少し大変そうに俺の肩を叩いてきた。
……いつの間にか、婆さんも随分と小さくなったな。
「それにしても、ヴィンスはちょいと心配していたが、こうなっちまったかねえ」
「……ヴィンスを、心配していた?」
「ああ、ラセルは純粋な子だったから知らないんだね」
何か含みのある言い方だな。
婆さんは思い出すように視線を中空へ向けながら、腕を組んで唸る。
どうやらジェマ婆さんは、俺の知らないヴィンスを知っているようだ。
「ヴィンスはね、かなり女に目がない子だよ」
「……は?」
意外な方向から話が始まり、思わず間抜けな声を上げてしまう。
「言っての通りさね。ヴィンスはエミーとジャネットはもちろん、それにフレデリカにもしょっちゅう視線を向けていたのよ。顔じゃなくて身体の方さね」
「……」
「その点ラセルは、見そうになったら逸らしてるじゃないの。ああいうの、女の子はすぐに分かんのよ。だからフレデリカはラセルのことをかわいいと気に入っていたし、ヴィンスは幼い頃から男だと警戒していたわ。村の女は大体彼に対してそんな評価をしているよ。上手くやってるのか、男にはあまりばれとらんようだけど」
そう、だったのか。
俺はヴィンスのことをよく知っているようで、そういうところはあまり知らなかったんだな。
「だからって、追い出す理由にはならないんじゃないか?」
「だといいけどね。この辺は、男と女でまるで評価が違うところだから、頭の片隅にでも覚えておいた方がええ。……それに、エミーは一度言い寄ったヴィンスを断ってるからねえ」
「……初耳だ」
「子供の頃だよ。あと断られてすぐ次の日にはジャネットにも言い寄ってたねえ。ここの壁は薄いのにねえヒッヒッ」
「最後のを含めて、どれもあまり知りたくなかった事実だな……」
案外昔の俺が喋っていたこととか、全部婆さんは聞いていたのかもな。
俺達のことをよく見ていたし、勘がいいとは思っていた。なるほど、全部筒抜けだったってわけだ。
それにしてもエミーに断られた翌日にジャネットって、手が早いってレベルじゃないぞ。俺からは、全然想像つかないな。
……いや、待て。
ということは……。
「俺を追い出したのって……」
「本当の理由、エミーとジャネットに近づくのに、ラセルが邪魔に思ったのかもねえ」
婆さんに言われて、ようやく不自然に一人残されたことに納得がいく。
あの時はあまりにもショックが大きくて、おかしいと思う余裕がなかったが……思えばジャネットすら残っていなかったのは、さすがにおかしい。
可能性の一つでしかないが、全く……なんと脳天気なことだ。
やれやれ、自分の間抜けさ加減に呆れるしかないな。
「後、ラセルは最後の方には勝ち越してたじゃないの。だからヴィンスは、ラセルに苦手意識があったのかもね。あの子、一番じゃないと結構かんしゃく起こすから」
「……聞いたことないぞ」
「そりゃあんたにだけしてなかったからね。弱い男には威張るけど、剣で負けていたラセルにはあまり当たらなかったはずだわね。ラセルに当たるとエミーやジャネットに嫌われるだろうし」
俺以外には、威張り散らす。
俺は剣で上を行っていたから、その怒りがぶつからなかった。
そうか、ヴィンス。お前はそういうヤツだったのか。
なんだか知らない話ばかりで、まだ頭が追いつかないが……他のヤツが嘘を言うならともかく、ジェマ婆さんの言うことだからな……。
まあ、それでも……俺があの場にいて役に立てていたかといえば、そうではない。
意図した流れがあったとはいえ、いずれ俺は出て行っただろう。
「エミーとジャネットの気持ちは分からないけど、残ってなかったってことは、最終的にヴィンスを選んだんだろうね」
「そう、だな。ああ、そのとおりだ。二人とも結局は一言も俺に伝えるよう残らなかったから、俺は宿で起きるまで待ってすらもらえなかった」
裏切った、とまで言い切っていいかどうかはわからないが……。
本当に、自分の愚かさ加減に嫌になってくる。
「……あまり思い詰めるんじゃないよ、あんたは【聖者】で、本来ならあたしやフレデリカみたいなシスターは、地面に膝を突いて有り難がるほど一番凄い人なんだからね」
「おいやめてくれよ、あのガミガミ婆さんが俺に隷属するみたいな真似、背筋が凍るぞ」
冗談のつもりだろうが、冗談じゃない。
世話になった人を地に這わせて悦に浸るほど腐っちゃいないぞ。
……しかし、お陰様で大分気は楽になったかな。
励ましてくれているのだろう。こういうところも、きっちり俺のことを見てくれているっていうことか。
さすが、育ての親代わりの婆さんだ……まだまだ敵わないな。
「——ちょっと、アンタ! ふざけんじゃないわよッ!」
突然孤児院の外から、叫び声が聞こえてきた。直後、壁に何かのぶつかる大きな音。
俺は婆さんの方を向くと「下がってろ!」と叫んで扉の近くに陣取る。
「ラセル! こういう時のために、そこに武器を備えておる!」
見ると、ちょうど子供が手の届かない壁の高めのところに、長い剣がかかっている。近くに出たときに追い払うための武器か。
俺は迷わずその剣を取ると、重さを確かめる。
悪くない。
久々の剣であり、初めての実践での剣。
思えば回復術士だからって、何故杖にこだわっていたんだったかな。
あれは……そうだ。ローブも杖も、ヴィンスが薦めてきたんだ。
なるほど、そういうことか。
ジェマ婆さんの話を聞いた後だと、俺が剣士としてヴィンスより活躍しないように、後衛に遠ざけたんだな。
今考えている場合ではない。
覚悟を決めて、扉を開けて剣を構える。
「クソッ、こいつッ! あ……アンタは?」
驚いたことに、外にいたのは女性だった。
村では見たことのない顔だ。
「話は後だ! ここは孤児院、中へ入れ!」
俺は女性に手短に伝えると、予想通りの魔物であるダンジョンスカーレットバットへと斬りかかる。
しかしその姿は予想とは違った。バットは細かい傷が多く、かなり弱っている様子。
この女性がやったのなら、見た目によらず実力が上回っていたんだろう。
『ギュエェ!』
耳障りな叫び声とともに、腕の付け根をばっさり斬って、返す剣筋で腹を切り裂く。
その際に相手の爪が頬を掠めたが、幸い傷は浅い。
バットが地面に落ちたところで、扉を閉める。
あれだけの流血だ、後は勝手に弱るだろう。
一息ついたところで、孤児院に匿った女性を見る。
短い銀髪が外にはねた、勝ち気な赤い目をしたこの辺りには住んでなさそうなほどの美女。
少なくとも、ヴィンスじゃなくともこんな綺麗な女がいたら知らないはずがない。
女性は俺の方を見て、どこか呆然とした顔をしている。
「恐らく立ち上がってこないだろう。もう大丈夫だ」
俺は女性に手短に伝えるも、女性は表情を変えずにずっと俺の方を見ている。
「……どうした? 大丈夫か?」
女性が、無言のまま熱に浮かされたように、ふらふらと俺の方に近づいてくる。
近くで見ると、本当に綺麗な顔だ。
吸い込まれそうになるほど美しい、緋色の瞳。
仲が良く、綺麗に育った幼なじみの女の子二人が、親友に騙し討ちの如く奪われた翌日。
俺の目の前には、今まで見たことがないほどの美女。
あれだけ女神を信じないと思っていた矢先に、どこか運命じみた出会い。
一体この出会いが、俺に何をもたらすのか。
「……あなた、女神を信じてる?」
宗教勧誘じゃねーか。