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最初から潜んでいた脅威

「ああ、これはおかしい。これはおかしい。おかしい……」


 西門の向こう、魔峡谷正面。

 そこにいたのは、ぶつぶつと独り言を喋る男だった。


 初日、カジノにいた男……あのルーレットで騒動を起こしたヤツだった。


 だが、分かる。

 この雰囲気、この落ち着かないしゃべり方。

 俺は何度も、こいつらを経験している。


「お前、魔王だな」


 俺の問いに対し、男は反応を示さなかった。


「ダンジョン、メイク……パスは繋がった。繋がったが……何だこれは、何だこれは。酒の海。酒の海。酒の海を泳いで……日に日に、酔う……」


 相も変わらず、意味が分からない。

 今までも会話が難しいヤツが多かったが、今日の相手は格別に酷いな。


 だが、確定した。

 ダンジョンのことを『メイク』と言ったが、魔王をダンジョンメーカーと呼ぶのは魔王だけだ。

 この危ない雰囲気のカジノ客、ずっと魔王だったんだな。


「溜まっている。酒の海に脳を冒される、犯される、侵される。侵された」


 何だよこいつは……めんどくせえな、ひと思いに殺すか?

 これ以上まともな会話はできなそうだ。


「待って」


 ところが、何故かシビラは止めてきた。

 この意味不明な魔王の話を、まだまだ聞きたいということか?


 俺の気を余所に、エミーを前に出してシビラは質問をする。


「酔ってるのね」


「酔ってる、酩酊状態。皆、そうなのだと思う」


 おっと、反応が返ってきた。

 酔っているというのは、酒に、という意味で合っていそうだが……。


「あんたも酔ってないと普通に喋れるんじゃない?」


「それはそうだ。普通そうだ。以前は話せた……地上が変わっている?」


「魔神が負けてから、地上は大地の女神によって埋まったわ」


「それか……皆、あまり覚えて、なかったのは……」


 ……覚えている?

 地上ここでの経験を、覚えているのか?


「こっちから質問。魔峡谷から魔物、どうやって連れてきてるわけ?」


「魔峡谷、魔峡谷……ああ、そうか、ウルドリズ様のパスで作った、表層の直路……」


 何のことかと思ったが、魔王にとってはこれは谷ではなく、上側の入口になるということか。

 それに、今の名前は……。


「赤き魔神ウルドリズ、まさかまた聞くことになるとはね」


「……ウルドリズ様のことを、呼び捨てにするなど……!」


「酔っててもそこはハッキリしてんのね、しまったわ」


 今の言葉で、どうやら魔王が酔いながらもしっかり激昂したらしい。

 こんな状況でも忠誠心が高いってのは実に厄介だな!


 シビラが一歩引き、エミーが一歩魔王に近づく。


(《ウィンドバリア》、《エンチャント・ダーク》)


 静かに戦うための準備を整える。


「エミーちゃん、吹き飛ばしはナシね。逃げられたら困るわ」


「了解です」


 エミーの盾が黒く光り、一歩引こうとした魔王をその場に縫い付ける。

 接触し切らないが、逃げ切れない。この瞬間を狙って、俺は魔法を叩き付けた。


「《アビスネイル》!」


 ここだというタイミングで黒い光が魔王の体に刺さり、ここでようやく今までカジノの客のようにしか見えなかった姿がぶれる。


「おあ……アアアアアア……!」


 体から溢れた黒い霧が膨張し、更に一気に体が盛り上がった。

 召喚状態をやめた、第二形態だな。

 背中から炎が上がり、瞳のない目がどこか怒りを滲ませるように鋭くなる。

 こいつはこいつで、独特だな。


「ああ……少し晴れた。魔素が守ってくれているのだろうか。まだ、頭が痛い……」


「話せるようになったところ悪いが、倒させてもらうぞ」


 気になることはまだあるが、聞いて答えてくれるような相手ではあるまい。

 地上に現れてあそこまで体調崩してるんだから、こいつ自体は強くはないだろうな。


「言うまでも、ない。そもそも質問に答える気などない」


「酔ってる時にペラペラと喋ってくれたけどねー!」


 シビラの煽りに、ますます目の色を怒りに変える魔王。いや煽るな、面倒だろ。


「やってくれる……あんなに赤を冒涜して……この国は許さん……!」


「カジノのレッドブラックだけで全国民滅ぼそうとするの、八つ当たりが過ぎるわね!」


 全くだ、あんなのの結果にいちいち目くじら立ててられるか。

 とはいえ、その結果に目くじら立てて暴きに行ったヤツが隣のこいつなんだけどな。


「赤き魔神は、赤き魔神はァ!」


「しつこい! ウルドリズはもう滅びたのよ!」


「ああああああ!」


 魔王の怒りを体現するかのように、背中の炎が全身に移る。

 その姿は確かに恐ろしくはあるが、俺もジャネットも防御魔法を使っているため、その炎は届かない。


「おおおおオオオオオ!」


 大声を張り上げながら、手に持った槍らしきものをエミーの盾に叩き付ける。

 目にも留まらぬ連打、とは言い難い速度。普通の冒険者なら圧倒されるだろうが、エミーは普通の冒険者ではない。

 我らが聖騎士は、涼しい顔でその攻撃を淡々と弾いてみせた。


「ぐう、力を……力を出し切れない、ダンジョンメーカーは所詮、サモナーも兼用……強化しても術士ということか……」


「喋らないって言った割によく喋るわね。ヘーイどんどん情報提供してくれていいわよー?」


「……」


 さすがにその煽りで喋る魔王はいないよな。

 とはいえ、こちらから聞けそうな情報もなさそうだ。


「もう終わりでいいか?」


「……ああ、終わりでいい」


 俺の問いに対する返事に、何か違和感があった。

 次の瞬間、魔王は今の姿から再び黒い霧を纏ったシルエットに戻り――俺はその直後、手を正面に向けた!


「《アビスネイル》!」


 魔法が相手に刺さったと同時に踏み込み、剣を袈裟に入れる!

 武器を仕舞った魔王は、こちらに反撃することなく俺の剣を受ける。

 体から黒い霧が溢れ、目の前の相手の輪郭を完全に隠した。


「ぐゥッ……! 削、られた……。厄介だ。そうか、お前が……あいつの言っていた……」


 魔王が最後に何か言おうとしていたが、強い風が吹いたと同時に、煙となって消えた。


「俺達の、勝ち……か?」


「いや、待つんだ。今のは……!」


 ジャネットがエミーの前に飛び出し、盾を構えたエミーが「あっ、ええっ待って!?」と叫んですぐ隣に向かう。


「そうか、そういうことか……やってくれたな。《フレアスター》」


 ジャネットは、恐らく五重の詠唱であろう圧倒的に巨大な火球を空中に出すと、魔峡谷の底へと放り込んだ!

 激しい轟音と、何か派手に焼ける音。地震でも起こったかと錯覚するほどの衝撃が、俺達を襲う。


 だが、問題はここからだった。


「間に合ったけど、間に合ってない。来るよ」


 その言葉とともに、谷の底から黒い獣が現れた。

 巨大な体躯の、四足獣。


 だが、何より異様なのは。


「どういう意思決定で、自分の体を制御しているんだろう……」


 この姿にそういう疑問を出すあたり、ジャネットだよなと納得する。


 巨大な狼には、頭が三つあった。

 脚四本で、主導権の取り合いにならないのか?


「地獄の門番、ケルベロス! 氷が弱点よ!」


「さすがに知らないフロアボスは対処を間違えましたね。《コキュートスアイシクル》!」


 その魔法がケルベロスの炎とぶつかり、水蒸気の音が悲鳴のように広がる。

 やれやれ、二回戦開始のようだ。

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