乗り越えられたわけじゃない、それでも俺は前へ進む
レビューをいただきました、ありがとうございます。
俺の心を表すように、晴れた空。
太陽の光を反射して、眩しさすら覚える服の金糸。
そして、同じく太陽の光を一身に受けて、今までとは全く違う高級感を漂わせる黒鳶色のローブ。
俺、【聖者】ラセルが【宵闇の魔卿】の力を持っての、初めての朝。
この半年近くずっと濁った泥が心臓に詰まっていたかのように塞ぎ込んでいたのが遠い昔に感じるほどの、心の中に爽やかな風が流れ込むような感覚。
この職業をもらった日以来の、世界に祝福されているかのような高揚感。
俺の新たなる始まりの一日。
【黒鳶の聖者】ラセルとして初めての探索。
共にするは、精霊竜の血を吸った金糸のローブ。
腰には、俺の鍛錬の日々を肯定する片手剣。
そして——。
——隣には、もっちゅもっちゅと骨付き肉を食べながら頭をぼりぼり掻く、『女神』という事実から目を逸らしたくなる絶世の銀髪残念美女。
シビラは肉を食べ終えると、勢いよく振りかぶって山の上に骨を投擲する。
……滅茶苦茶いいフォームで投げたなおい。あまりに高く飛んで、木の上で休んでいた鳥が空飛んだぞ。
「みっともないので止めてほしいんだが」
「この歩きながら食べる背徳感がいいのよ。女性にお淑やかさを強要するような時代は終わるの。アタシは女性の自由の象徴となるってわけ」
「自由すぎるし、シビラの場合はそれ以前の問題だと思うぞ……大体昨日あれだけ男どもの信者を増やしただろ、今のお前を見ると百年の恋すら冷めるんじゃないのか」
「男は美女と巨乳には逆らえない生き物なのよ、このぐらいじゃまだ鼻の下伸ばしてる段階ね」
「……」
否定できないのが同じ男として悲しい。
しかし言ったら負けな気がするので言わない。
そして……反論しないということが肯定の意味であることを、シビラなら理解できるであろうことは容易に想像つくあたりもなんとも情けない。
……まあ、それぐらいこいつの頭の出来は信頼しているとも言える。
でも、それはそれ。
何か言い返さないと、俺としては気が済まない。
「胸は大してないだろ、ジャネットの方が大きかったし」
「ジャネット? あんたアタシに惚れないと思ったら、本命の子がいるわけ? おっきいほど好き?」
「やめろ、ジャネットはそういう相手じゃない。あとそんな露骨なことを外で喋るな」
「またまたぁ〜、あんたも意外とウブで可愛いのね。その子のことを考えて、夜な夜な——グェッ!?」
今回は、今までで一番の力でチョップ。
なんつー下品で恥ずかしい女だ……! 晴れ渡った空が曇ってきだした錯覚さえあるぞおい。
都会の女ってのはこうなのか? いやシビラをそういう枠に収めていいのかどうかわからんが……とにかく外でする話題じゃない。
「ジャネットとは、本当に何もない」
「いってて……。……ふ〜ん? じゃあ他に親しい女の子でもいた?」
「親しい、か。……エミー、という幼なじみの方が、よく喋ったな」
「おっ! なになに、本命の子?」
いい加減この話を掘り返されるのも鬱陶しくなってきたところで、ふと気がついた。
シビラは俺のことをずっと観察していた。
しかし俺が【聖者】であることは知らなかった。つまり、ジャネットと言ってもそれが誰のことかまでは知らないのだろう。
俺は、調子に乗り出したシビラをじろりと睨む。
「シビラ」
「え……あっ、はい」
思いのほか、自分でも硬い声が出た。
いくら新しい自分を始められたからといって、あの過去を簡単に乗り越えられたわけではないらしい。
さすがにシビラも、これが踏み込んではいけない話題と分かったのか、緊張した顔で一歩引く。
「俺は、孤児院ではジェマ婆さんのもと、幼なじみ四人組で育ってきた。一人が【聖者】のラセル、一人が【賢者】ジャネット、一人が【聖騎士】エミー、そして最後の一人が【勇者】ヴィンスだ」
「あ……」
「ジャネットとエミーは、今はヴィンスのところにいる。エミーは偶発的だろうが俺を気絶させて、俺が起きる頃には三人とも、姿も荷物もなかった。だから今の俺とは何の縁もない」
シビラから、視線を逸らす。
「……そう。もう俺にとって、何の縁もないんだ」
自分で再確認するように、絞り出すように呟く。
はっきり伝えると、ダンジョン方面へとさっさと進んだ。
「……わ、悪かったわよ……その、ごめん、なさい……」
シビラはよほど悪いと思って反省したのか、とても弱々しい声色で謝った。
さっきまでのシビラとはまるで違うその声を聞いて、俺も少し冷静になる。
……シビラはお調子者だが、決して他人を蔑ろにする女ではない。
特に、子供を助けるためには自分の目的すら投げ出すような、誰にアピールするでもないところで誇り高い行動を選べる女だ。
恋愛与太話をしたかっただけで、俺の追放の傷をほじくり返したくてしたわけではない。
恐らく、今はかなり後ろめたい気持ちになっているはずだろう。
そもそも冷静に思い直してみれば、俺がジャネットの話を振ったのが悪いし。
「……いや、俺も事情を説明していなかったからな。これから俺の事情も話していこう。その代わり」
「な、なになに?」
俺はシビラのおでこに、指を軽く乗せる。
「シビラ、お前の話も詳しく聞かせてくれ。それぐらいは『宵闇の誓約』リーダーの、宵闇の誓約を交わした俺にも知る権利があるだろう?」
シビラは一瞬呆けた顔をしたが、すぐに額にあった俺の手を取って握りしめる。
「当たり前でしょ。不公平にならないように、あたしのこと色々教えてあげるわ。覚悟しなさい」
そう言って、ニーッと不敵に笑った。
そうそう、お前に似合うのは、やはりその表情だ。
今日も頼りにしてるぞ、【魔道士】レベル21の先輩。
とりあえず話は、ダンジョン探索しながらでも出来る。
俺とシビラは、昨日と同様にダンジョンへと足を勧めた。
「《ウィンドバリア》」
(《ウィンドバリア》)
頭の中で、音を重ねながら魔法を発動する。
よし、問題なさそうだな。
「……昨日も思ったけど、あんたの二重詠唱、すごいわね……」
「むしろ何故、俺以外のヤツがこの程度のことを思いつかなかったかの方が驚きなんだが」
こんな便利な方法、誰か思いついただろ。
俺がそう考えたことについて、シビラも少し考えながら歩く。
「そうね、まず考えられるのは三つ、ああ四つ目もあるわね」
「四つ?」
……すごいな、質問したばかりだぞ。
まず、で出てくる数じゃないだろ。
やはりシビラって、宵闇の女神であること以前に、シビラ自身の頭の出来が相当いい辺りがこいつの凄さだよな。
「一つは、無詠唱での発動を知っている人そのものが少ないこと。キャスリーン……ああ、他の魔法に詳しい女の名前ね。アタシとかキャスリーンに教えられた場合ならともかく、二重詠唱に行くまでの無詠唱に辿り着く段階で少ない。無詠唱が二重詠唱の最低条件だから」
「なるほどな」
「二つ目、アンタの魔力が無尽蔵だから発動しているわけだけど、普通は魔法って節約に節約を重ねて、後ほどばんばん使うわけ。だから発動なんて条件に普通はたどり着かないってこと」
「ふむ」
「そして三つ目……は二つ目と近いけど。アンタもピンチになったときに、多分あれ発動しなかった時の保険のつもりで使ったでしょ」
「ああ、そうだな。節約する気などないから、それこそ何度でも使うつもりで発動した」
「それよ。普通の人は、『二重発動してしまったら後がない』から節約するの。だから、ピンチの時ほど二重に発動するようなことは絶対に避ける。あんたとは正反対ってわけね」
……そうか、俺の視点からの魔法発動とは、考え方が違うんだな。
ピンチだから増やすんじゃなく、ピンチだから減らす。
それが普通の術士の魔法の使い方だ。
「ほんと、呆れるしかないわね。無計画すぎて笑っちゃうぐらいあんたって頼りになるわ」
「褒めてるんだよな」
「アタシの女神人生全てで一番の大絶賛と受け取っていいわよ」
シビラはそこまで言うと、片手を上げて大きく太い炎の槍を、唐突に洞窟の奥へと飛ばした。
その瞬間、黒ゴブリンの胴体部分が引き千切れて、天井に跳ね返り床にべちゃっと落ちる。
……無詠唱のファイアジャベリンだな。さすがにこのレベルだと、これほどまでに強くもなるか。
「よく見えたな。そういえば魔物は大体シビラが先に見つけていたよな」
「ふふん。レベルアップするのは、またアタシが先かしらね」
「……なあ」
腕を組んで、シビラの方をじーっと見る。
「ん? 何々? シビラちゃんの凄さに惚れ直したかしら?」
「【宵闇の魔卿】の適性あるヤツを探すのがお前の目的だったんだろ? そのお前が【宵闇の魔卿】である俺の成長ほっぽり出して自分ばかりレベルアップしてていいのか?」
「…………。……。……ああああああーっ!?」
両手を頭で押さえて、ただでさえ白い顔を青白くさせながら全身でショックを表すぽんこつ女神。
……いや、ほんと、頭の出来がいいと思った矢先にこの抜け具合なんだから、そういうところもシビラって感じがするのがどこまでいってもシビラだな……。
「そういえば、最後の一つってなんだ?」
「とほほ……。ああ、二重詠唱ね。それは『聖女伝説』と同じパターン」
「同じって……あっ」
聖女伝説。
それは俺の覚えた【聖者】の魔法が解明した、残酷な真実。
自分が無詠唱で魔法を使ったことを、聖女自らの名誉欲から『女神に祈りが通じた』と嘘を言ったという歴史に書かれなかった事実。
「そう。つまり——」
シビラは不機嫌そうに、腕を組んで溜息を吐いた。
「——歴代の【聖女】でも【宵闇の魔卿】でもいいけど、仮に二重詠唱を発動して認識していたのなら……自分だけの秘密にしていたってことね」
第一層部分の魔物を、大体片付けた。
そして二層部分への階段のフロアへとたどり着いた。
「俺のウィンドバリアから離れるなよ」
「もちろん、分かってるわ」
前回殺されかけた、紫の地面が広がる最下層——別名『魔界』——となっている、アドリアダンジョン第二層。
シビラと一緒に、慎重に階段を降りる。
鬼が出るか、蛇が出るか。
それとも再び魔王が出るか——!
——降りた先は、地面が赤かった。
「あ……あ……!」
明らかに昨日とは全く違う第二層。
シビラが愕然としながら、地団駄を踏む。
「アドリアのダンジョンメーカー! あいつ、昨日の夜のうちに『ダンジョンメイク』しやがったわね!」






