黒髪の道化師
リコにとって道化師は悪夢の象徴だった。
始まりは可愛らしいお願いだったと思う。リコの家は古くから宿屋を営んでいるいわゆる老舗というもので、一人娘として生まれたリコはそれはとても愛されて育った。
少しばかりわがままに育ってしまったのは玉に瑕だがそれも特に問題にするほど酷いものでもない普通の娘だった。
そんなリコは街にサーカス団がやってきたときに両親に連れて行ってくれるよう頼み込んだ。宿に泊まる旅人から話だけは聞いていたのだが実際に見たことが無かったので興味があったのだ。忙しい両親は渋ったが、ちょっと早めの十歳の誕生日プレゼントということでいつも一緒にいる幼馴染の男の子と一緒なら行ってもいいと言ってくれた。
早速幼馴染の男の子を引き連れて見に行ったサーカスはリコを興奮させた。猛獣が火の輪をくぐり大男が怪力で鉄の棒を捻じ曲げ、華麗な空中ブランコを何度もこなす美しい軽業師達。
中でも道化師と呼ばれた男が大のお気に入りになった。白塗りの奇妙で派手な格好をした変な男だったが、鉄球やナイフをまるでなんでもないというように交互に空中に放り投げて続け、うっかり落っことして胸を撫で下ろす。そんな滑稽で愛らしい仕草にリコは心奪われたのだ。そしてどれだけ失敗しても舞台の上で堂々としている姿に惹きつけられていた。
だから両親の言いつけを破って一人で公演が終わった後の道化師を探しに行ってしまったのは今思えばうかつだったが当時は仕方なかったと思う。それだけあの道化師と話をしてみたかったのだ。
「離して!」
道化師を探して迷い込んだ路地裏でいきなり腕を掴まれ袋に押し込められたのは一瞬だった。袋の中でもがいても自由に動くことは出来ず、うるさくすると袋の外から叩かれた。
「おい、あまりやりすぎるなよ。傷がついたら値が下がる」
「まかせろって。そこはプロだからな」
リコを捕まえたのは人攫い達だったのだろう。リコの住む街にも人気の無い場所に潜んでいるから近づかないようにと言われていたのに、道化師のことですっかり忘れてしまっていたのだ。
「しかし、サーカス様様だな。こうやってサーカスを見て興奮したガキが親元から離れてちょろちょろしていることが多いんだからな」
「あまり派手にやり過ぎると目立っちまうがこうやってサーカスの格好をしていれば勝手に一員と勘違いしてくれるしな」
男たちがそう話しているのを聞きながらリコは少し破れた袋の隙間から外を覗いてみた。そこには先ほど見たサーカスの一員のような格好をした男が笑っている。
なんとか逃げ出そうとまた暴れようとしたとき少しだけ袋の口が開いて男が覗き込んできた。
「あんまり手間掛けさせるなよ。少々のキズならつけても売れる先はあるんだ。怪我したくないだろう?」
そう言って笑った男は道化師の格好をしていた。
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リコが連れてこられたのは街の外だということは分かった。かび臭い石造りの古い砦のような場所。そこの地下にある牢屋に入れられてもう何日たったのだろうか。そこには同じような年齢の少女が六人いた。皆可愛らしかったり綺麗な少女ばかりだ。
「あなたも攫われたの? それとも売られたの?」
目に力がない少女が膝を抱えながらリコに聞いてきた。
「……私は攫われたの。うっかり人気の無い場所に行っちゃって」
「そう、それならしょうがないね。私は売られたの。不作で税が払えないからって」
聞けばここにいる少女たちは皆同じような理由だった。ここは人攫い達が攫った少女達を裏のオークションに出品するまで保管しておく場所らしい。すでに何人か売られたらしく次のオークションも近いらしい。
「なんでそんなことが分かるの?」
「あいつらが話しているのを聞いたの。あいつら隠す気もないから。どうせ逃げられないから何を話しても構わないと思っているんだわ」
事実この牢から逃げることは無理だった。あのサーカスの大男みたいな力はリコにはない。牢の扉は無慈悲にもリコ達を逃がしてはくれそうにない。ただ時間だけが無意味に過ぎていくこととなり、時間と共にリコも諦めと絶望に心が折れてしまった。どうせ売られるなら少しでもいい条件が良いと少女たちは男たちに媚を売るようになっていった。
――サーカスなんて行くんじゃなかった。
リコの心にそんな言葉がよぎるのも無理は無かった。
攫われてから十日程経ったある日の夜のことだった。他の少女たちは皆寝てしまったがリコはどうしても寝付けなかった。窓から差し込む月明かりが暗い部屋を明るく照らす。
だからだろうか、リコが気づくことが出来たのは。部屋の入り口に女性が立っていた。どこにでもいるような街娘の格好をした長い髪の女性だった。月に照らされて女性の姿かたちがはっきりと見えた。
黒い瞳に艶やかな黒い髪。十人中十人が美人と認めるだろう顔つきに柔らかな優しい瞳がリコを写している。少しだけ小柄なその女性はリコに気が付くとしーっと言いながら口元に指を立てる。
「ちょっと待っててください。今開けますから」
小声でそう言うと牢の錠前をカチャカチャといじり始めほんの数秒でカランと音を立てて錠前が床に落ちる。リコがどれだけ泣き叫んでも開くことのなかった扉があっさりと開いていく。
「あなたは? いったい」
リコの呟きにも答えずに女性は他の六人の少女の状態を確かめ始めた。
「良かった。誰も重いケガや病気はなさそうです」
女性は安心したように胸を撫で下ろすとリコを見つめてきた。
「私は根無しの冒険者です。あなたたちの救助とここの始末に来ました」
「冒険者……」
リコの家は宿屋をやっている関係でよく冒険者が宿泊することがあった。冒険者とは金銭と引き換えに危険な仕事や護衛などを請負う何でも屋だと以前父親に教えてもらったことがあった。特に根無しというのは特定の街を拠点にしないタイプの冒険者で根っこが生えない=居つくことが無いこととかけて根無しと呼ばれていた。
「いいですか、これから外が騒がしくなるでしょうからここで大人しく待っていてください。しばらくすれば私の仲間が迎えに来ます」
女性はそう言うと牢の外へと出て行く。他の六人の少女もまだポカンとしているが助けが来たということは理解したようで目に力が戻ってきているのがリコにも分かった。
「あ、危ないから私にはついてこないで下さいね。必ず私の仲間は来ますから。銀髪の女の子だから分かると思います」
リコは去っていく黒髪の女性の背中を見つめながらなぜか心が落ち着かなかった。あの女性のことが気になって仕方が無い。気づくと足は牢の外へと踏み出していた。扉は簡単に開いた。あれだけ絶望を与え続けてきた扉はあっさりとリコの手でも開いたのだ。
「危ないよ!」
牢の中から他の少女の声がするけれどリコは止まるつもりは無かった。どうしても気になってしょうがないのだ。あの黒髪の女性になぜこんなにも興味を引かれるのか。それが分からないならばこのまま大人しく帰れそうにも無い。
黒髪の女性の後を慎重に追いかけていくと人攫いの一人が手足を縛られて気絶していた。ロープでも鉄でもない不透明な何かに縛られている男は身動き一つしなかった。後を追いかけるのは難しくなかった。途中に捕まっている人攫い達を追っていけばいいのだから。それに外からは騒がしい声が聞こえてくる。もう少しで追いつけるそう思うと足は自然と走り出していた。
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しばらく追いかけていくと少し開けた場所に出た。中庭に当たる場所のようで月明かりが中庭を明るく照らしているおかげで人攫い達が集まっていることに気づけた。見つからないように近くの荷物の陰に隠れて様子を伺ってみる。すると砦の角にある尖塔にあの黒髪の女性が人攫い達を見下ろしながら立っているのが見えた。
月明かりを背後に何か大きな塊を両手に持っているのが分かる。それが何かはリコには分からなかった。
「おい! アーティファクトを持って来い! 相手もライフルのアーティファクト持ちだ!」
ライフルと人攫いが叫んだことにリコは驚いてしまった。そもそもアーティファクトとは古代の遺跡から見つかる武器や道具のことで現代では再現も出来ない道具のことを言うと教会学校で教えてもらっていた。他にも以前宿泊した冒険者が自慢げに見せてくれたのを覚えている。そのときもライフルとかいう武器のアーティファクトだったことを覚えている。
「へへ、たった一人で来るなんて自分を売ってくれって言いに来たようなもんだぜ。アーティファクト持ちの冒険者だろうと、いくら両手にライフルを持っていても数には勝てねぇだろうよ。覚悟しやがれ!」
一番体の大きな人攫いが黒髪の女性が持っているような武器を突きつけながら叫んだ。
黒髪の女性は両手に持ったライフルと呼ばれた武器を胸の前でクロスさせてお辞儀のような格好をとった。
――クラウンスタイル起動
そんな声が聞こえた気がした瞬間、黒髪の女性の服装が村娘の姿からまるで道化師のような格好に変わっていく。リコの脳裏にあのとき見た舞台の上で堂々としていた道化師が重なって見えた。
「さて、皆様。開演の時間となりました。今宵のサーカスナイプ、心ゆくまでご堪能ください。それでは開演です」
黒髪の道化師はそう宣言すると尖塔から高く飛び上がった。そして同時に両手に持ったライフルの先が光ると共に人攫いが二人崩れ落ちた。
「散れ! 散れぇぇぇ!」
人攫いのリーダーが大きな声で命じるとそれぞれがバラバラになりながら物陰に隠れる。そのまま弓やアーティファクトで反撃をするがまるで軽業師のように身軽に駆けていく黒髪の道化師には当たらない。それどころか屋根をつたい跳びながら次々に人攫い達を無力化していく。倒れた人攫い達をみるとピクピクと動いているので生きてはいるというのがリコにも分かった。
「ふ、ふざけるなぁ! なんであんなに飛び跳ねながらライフルで狙えるんだ!? ライフルは狙撃するものじゃねぇのかよ?」
リーダーの叫びを無視するように黒髪の道化師は物陰に隠れた相手も狙える位置まで身軽に跳びながら無力化していく。気が付けばリーダー以外誰も立っているものはいなくなっていた。
「な、なんなんだ、お前は!?」
「ただの冒険者です」
「んなわけあるか! ちくしょう、こんな化け物相手にしたられるか!」
そう言うとリーダーは砦の中へと逃げ込んでいく。しかし、黒髪の道化師はそれを邪魔することなく見逃した。
(なんで見逃したのかな?)
リコがそう思うと同時に砦が揺れて崩れ始める。慌てて瓦礫が来ない場所に逃げたリコが目にしたのは巨大な鉄の塊が砦から出てくる所だった。大きさは三メートルくらいだろうか、まるでクモのような姿の鉄の塊はゆっくりと中庭へと侵入してきた。
「はっはっはっ! どうだ化け物、お前みたいな化け物の相手は化け物に限るってな。こいつは高かったがこのまま捕まるよりはこいつを使ってでもお前をぶち殺してやる。やれゴーレム、あいつをぶっ殺せ!」
リーダーが命じるとまるで雄たけびを上げるようにクモのゴーレムは音を鳴らした。
(あれがゴーレム……人を殺すためだけの化け物って話の)
リコだって知っている恐ろしい化け物。食べるためでもなくただ殺すためだけに人を襲う鉄の化け物。冒険者がアーティファクトを持ってしても死ぬことだって良くあると言われている恐ろしい化け物だと聞いたことがあった。実際、宿泊していた冒険者がゴーレムにやられて帰ってこないことなど珍しくはなかった。
(あんなのに勝てるわけが無い! 一人でだなんて絶対無理!)
リコは物陰から飛び出して逃げてと叫ぼうとしたときだった。グッと腕をつかまれてそのまま物陰に引きずり込まれる。そしてそのまま口元を手で押さえつけられた。
(まだ、人攫いがいたんだ!?)
慌てて逃げようともがこうとしたとき口元を押さえている手が小さいことに気が付いた。おそるおそる見上げてみると、そこにはまるで妖精のような見た目の銀髪の少女がいた。
「落ち着きなさい、私は彼女の仲間よ。……それにしても彼女はあのまま牢で待っておいてくれといったと思うのだけれど何故ここに?」
銀髪の少女が怪訝な顔でリコを見ている。リコは申し訳なさと妖精のような少女の見た目に見ほれてつい顔が赤くなっていくのを感じた。
「聞いているのかしら?」
「あ、はい。実は……」
リコは素直になぜここに来たのかを話すことにした。
「だから早く、あのお姉さんを助けないと!」
リコはそう訴えたが少女は首を振った。
「必要ないわ。見ていなさい、あれが彼女の本当の敵よ」
いまにも巨大な鉄のクモに襲われようとしている黒髪の道化師は笑っていた。まるで欲しい物が見つかったかのように嬉しそうに。
「……え?」
「人攫いのリーダーさん。ありがとうございます、私はこれを探していました。この人を殺すためだけの忌まわしい鉄くずを」
「はぁ!? おまえなに言って……」
――ベーシックスタイル起動
黒髪の道化師がまた村娘の格好に変わっていく。そして両手に持っていたライフルが小さなものに変わっていた。
「最初からそれがお目当てでした。あなたを残しておけば必ず出してくると思っていましたから。捕まっている少女達さえ助けられれば後顧の憂いは何もありませんからね」
「こ……の野……郎」
怒りのあまりか真っ赤になって震えているリーダーを無視するように鉄のクモに向き直ると黒髪の女性は言った。
「さぁ、ゴミはゴミ箱に行く時間です」
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鉄のクモから伸びた筒が回転をしながら火を噴いた。凄まじい轟音と共に黒髪の女性の周りが吹き飛んでいく。しかし一つも当たることは無く黒髪の女性は円を描くようにゴーレムを中心に駆けていく。手に持ったアーティファクトが同じように火を噴くが甲高い音を立てて弾かれていく。
「やはり、重装甲型にアサルトライフルだけでは無理があるわね。クー、グレネードを使って!」
銀髪の少女が叫ぶと黒髪の女性は頷きアサルトライフルと呼ばれたアーティファクトの先に何かをつけた。そして先ほどまでの攻撃と違い放たれた攻撃は放物線を描いて鉄のクモに当たって爆発をした。爆発のせいか少しぐらついた鉄のクモに追い討ちをかけるように次の放物線が直撃する。
「……凄い」
「特製のグレネードよ。特別製だから重装甲といえどもあの程度の大きさなら十分効果があるわ」
黒髪の女性の攻撃は鉄のクモを圧倒していた。次々に遅い来る爆発に翻弄されながらも鉄の筒がまた回転し始める。
「それはもう使わせません」
いつの間にか放り投げられていたグレネードが筒の真下で爆発する。無残にもへし折られ引き裂かれた筒は同じように折れた足と一緒に吹き飛ばされてリーダーのすぐ近くに飛んでいく。
「ば、ばかな、こんな、こんなことがあってたまるか……ゴーレムだぞ? あの化け物の……なんで一人で圧倒できるんだよ……おまえは何なんだ!」
黒髪の女性は足が折れ動けなくなったゴーレムにアーティファクトを突きつける。
「――あなたに私を送ります」
最後に放たれた一撃は鉄のクモを完全に打ち砕いて沈黙させた。
「あの人は何者なんですか?」
リコがそうたずねると銀髪の女性はフッと笑った。
「彼女の名前はクーディグラ。古い言葉で止めの一撃、慈悲の一撃という意味があるわ。そしてゴーレムの天敵よ」
「……クーディグラ」
リコは初めて聞くその名前がこれ以上ないくらいあの黒髪の女性に似合っている気がしてならなかった。
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それからリコ達はそれぞれ帰る場所がある者は帰る場所へ。無い者は適切な場所へと送ってもらうことが出来た。あの人攫い達も全員が捕まりこれから厳しい取調べが待っているらしい。早くあんな連中は全員捕まってしまえばいいのにと思うリコではあったが、それよりも心配と怒りで泣いているのか怒っているのか分からない両親の方が今のリコには大事だった。
幼馴染もあれから過保護になり、リコを守るためと言って剣を習い始めたらしい。ただ、どこに行くにも着いてくるのは困ってはいるが元はといえば自分が悪いのでしばらくは大人しくしておこうと思っている。
それに彼のことは嫌いではないのでいつも一緒にいてくれるのはなんだかんだ言って嬉しいのは間違いない。
そしてあれから何年か経ったが、あれ以来あの二人を見たことはない。風の噂で遠いどこかで活躍しているという話は聞くがきっと元気なのだろうとリコは思っている。
そして何度かサーカスもやってきたが攫われたときの思い出が蘇ることはなかった。それよりもあの黒髪の道化師の身軽に飛び跳ねる姿が焼きついて離れなかった。おかげで他の道化師に少し不満を持ってしまうのは許してほしいと思っている。
もし、また会えるのならそのときはぜひジャグリングをしてもらえないか頼んでみようと思っているの。もっともまた会えるかどうかは分からないからせめてサーカスを見に行くことはやめないでいようと思う。
またあの道化師が来てくれるかもしれないのだから。
連載しようとなんとかあがいているお話の一つの事件になっています。なので主人公の詳細はあえて書いていません。
なんとか連載できるようにしたいなぁ。
なお主人公の名前はあるゲームから来ているので分かる人は突っ込んでください(笑)