◇第八話 魔族討伐◇
「魔族……ですか」
「はい、ここから南西のルギス領にあるフィート砦に魔族の男が現れ、攻撃を繰り返しています。砦の地下には結界石があるので、狙いはそれかと……砦内の兵士や魔術師が必死に押さえていますが、突破されるのは時間の問題です」
勇者がドリス砦で修行を始めて二ヶ月が経過した。勇者は寝る間を惜しんで修行に励み、着実に力をつけている。
勇者の力が覚醒されて身体能力も格段に上がったようだが、まだまだ剣術は上級騎士と互角というレベルのようであった。
今は戦闘技術を身に付けることを中心に修行を行っている。
わたくしはというと、勇者に教える事は既になく、巫女の業務として各地の結界の強化に精を出していた。
王都ガレオンの地下には強大な結界石があり、それを元に初代の巫女が結界の法陣を施術していた。
それがあるからこそ、ガレオン周辺の地域は絶大な力で護られており、安全だとも言える。魔族や魔獣はこの結界内に侵入することが許されず、魔族の王とてこの結界をやすやすと越えることは出来ないだろう。
この結界は首都結界と呼ばれ、このドリス砦も首都結界内にある為に安全なのだ。
ただし、結界外の話は別だ。
首都結界の外では勇者が現れたその日から、狂暴な魔獣が現れ、歴代の巫女が町や村に施した結界を破り、人々を襲うことが日に日に増えてきていた。
各地の戦力で何とか今まで凌いで来ていたのだが、今回の襲撃は魔獣ではなく「魔族」だった。
「ですので、この窮地を勇者様に救っていただきたいのです」
「そうですね……クリオどうしましょう?」
勇者に今、魔族と対峙するだけの力はあるだろうか?
わたくしはクリオに判断を委ねる。クリオの言うことに間違いはないと思っているからだ。
「はい、ここ一月のうち勇者様とは三度、魔獣退治の遠征を行いましたが、勇者様の成長は目覚ましいものでした。そろそろ魔族を相手にしてもいい頃合いでしょう」
クリオはすらすらと答え、その考えにわたくしは相づちを打つ。
「わかりました。明日、勇者様と共にフィート砦に向かいましょう」
「ありがとうございます、巫女様!」
そうしてルギス領からの使者は退室した後、わたくしは考える。
ルギス領のフィート砦。結界の強化が施されていなかった場所であろう。まだわたくしが訪れていない場所だ。
「ここから馬で半日ほど駆けた場所にある砦です。ルギス領を魔獣から守る騎士団と魔術師の駐屯地でもありました」
わたくしの考えが解ったのか、クリオは机に地図を広げ、その位置を示した。
「半日……」
転移という選択肢はない。転移は過去の巫女が残した法陣を残した場所か、自らが行って法陣を残した場所にしか移動することができないからだ。
わたくしの記憶では、ルギス領は法陣がない。
設置をすればいい話なのだが、転移は膨大な法力を消費する。一度使うと一日は法術が使えなくなってしまうほどだ。
過去の巫女達はわたくしより法力を持たなかった故に、馬で行ける距離のルギス領に法陣は不要と考えたのだろう。
だとすると、移動は馬車か馬。馬車は時間がかかりすぎるし、馬で半日も駆けるのは少々辛い。
「宮廷魔術師に風の加護を頼みましょう。今丁度この砦に宮廷魔術師の一団が訪れているはずです。そちらに掛け合ってみます」
そうですね、とわたくしは頷く。
風の加護とは、人体や馬等の移動を助ける魔術の一種だ。身に纏うと風の力で素早く進むことが出来るようになる。これがあれば半日どころか、二~三時間で到着出来るだろう。
しかし、風の加護は上級魔術。長時間使用するにはかなりの魔力が必要となる。扱えるものは早々いない。果たして今ドリス砦に在中する宮廷魔術師で扱うことのできる者はいるのだろうか?
「頼みました、クリオ。わたくしはこの事を勇者様に伝えに参ります」
そうなると、まずは勇者様に報告しなければと、わたくしは席を立つ。
勇者様と会うのは一週間ぶりか。
各地の結界強化を施すためにクリオと共に国の要所を訪れていたからだ。今日この砦に帰還した際、タイミングよくルギス領の使者が到着していたのは運が良かったのだと思う。
「かしこまりました。お一人でも大丈夫ですか?」
「もう、子供ではないのだからそのくらいは出来ます。勇者様は今日、剣術道場ですね」
「いえ、今日は野外訓練所で実践訓練を行っておいでです」
「や、野外ですね。わかりました」
「シュナ様、迷子になっても知らない人に着いていってはなりませんよ。その場でじっとしていてください。自分が探しに向かいますので」
「どういうことですか! 迷子にはなりません。大丈夫です」
「誰かに物を貰っても受け取ってはなりませんよ。食べ物や飲み物もお断りしてください。絶対に口にしてはなりません」
「わかっています!」
「それから……」
「それ以上は結構です! クリオは早く宮廷魔術師団に協力をお願いして来て下さい!」
「そうですか、くれぐれもお気を付けて。それではお先に失礼致します」
そう言いクリオはにこりと微笑んで退室した。過保護なクリオには毎度うんざりしてしまう。
いつまでも子供扱いして。わたくしだって一人で出きます。
短めの黒髪と、黒の瞳を持つクリオがわたくしの婚約者として抜擢されたのは、わたくしとクリオが三歳の時。クリオは神殿の神官を両親に持つ少年だった。
それからクリオは私の側にいて、一緒に育つ幼なじみのようなものだったのだが、いつの間にかクリオは眉目秀麗で文武両道の立派な神殿騎士になっていた。
一方わたくしはというと、勉強が苦手で武術も苦手。おまけに幼い頃に両親を亡くしたことを理由に、神殿の神官におんぶに抱っこの甘えた巫女候補だった。それではいけないと、当時巫女だったジアナからスパルタ教育受け、今に至るのだが。
ずっとクリオはわたくしが何もできないままだと、思っているのでしょう。
わたくしは気持ちを切り替えて、勇者様のいるという野外訓練所へ向かう。
勇者様は勇者様でわたくしを悩ませる。あれから、何事もなく勇者様と接して来たが、勇者様にとってわたくしはの存在はただの巫女であって、人生の伴侶ではない。
今わたくしと共に在ることはただの義務なのだ。どうにかして勇者様の気持ちを自分に向けたい、とわたくしは日々悩んでいた。
「勇者様はいらっしゃいますか?」
野外訓練所に到着し、近くに立っていた騎士に声をかける。
「はい、今ベルクト教官と手合わせ中です」
「そうですか、ありがとうございます」
答えた騎士に一礼をし、わたくしは訓練所で剣を打ち合っている二人に目を向けた。
ドリス砦で鬼教官と言われている。元は王宮で近衛騎士隊の隊長を務めていたが、引退してからはこのドリス砦で騎士達を鍛えているという。
そんなベルクトに戦闘の全てを叩き込まれている勇者様は、二ヶ月前とは比べ物にならないほどに成長していた。身長も伸び、体つきもしっかりしてきている。幼かった顔も、少しだけ大人びたようにわたくしは感じていた。
剣と剣が撃ち合う金属音が響き、砂ぼこりが舞っていた。
勇者様は汗を流しながら対峙するベルクトの隙をつこうと、必死に剣を振り、勝機を窺う。一方ベルクトはまだまだ余裕のある表情で、勇者様の剣を受け流す。
邪魔をしてはいけないのだろうが、緊急の用事だ。わたくしは自分の存在に気づかない二人に声をあげて走り寄る。
「勇者様! お話があります!」
「えっ?」
突然声をかけられたことに驚いたのか、勇者様の持っていた剣が高い金属音をあげ、弾かれて宙を舞う。その剣がわたくしに向かって飛んで来るのだと理解するまでに、わたくしには時間がかかりすぎた。
「危ない!」
勇者様はそう声を発したかと思うと、わたくしはいつの間にか勇者様に抱きかかえられていた。
何が起こっているのか?
わたくしが状況を理解する間もなく、勇者様はわたくしを抱えたままその場を飛び退く。するとわたくしのいた場所に宙を舞っていた剣がぐさり、と刺さった。
わたくしは目をぱちくりと瞬く。
「勇者よ、魔術も使わずにその早さは人離れしておるな」
「そうですか? 勇者だからですかね」
「自惚れるなよ。お前が油断して手放した剣が巫女様に向かったのだ。気を付けろ」
「すみません」
ベルクトは持っていた剣を腰の鞘に終い、此方へすたすたと歩いてくる。わたくしは勇者様に地面へ降ろされ、ようやく状況を理解した。
わたくしが迂闊でしたのね。
「それで? 巫女様、こんなところになんのご用か?」
壮年にしては逞しい肉体を持つベルクトはわたくしの前に立ち、威圧感を放ちながらわたくしを見下ろす。
「あ、稽古の邪魔をしてしまいましたか? 勇者様にお伝えしたいことがございまして……」
「ああ、これは稽古なんて生易しいものじゃない、剣も真剣を使った実践訓練だよ巫女様。危険な上に状況判断を誤ると大怪我や死に繋がる」
これは、急に声をかけたわたくしに怒っているのだ。わたくしはしょんぼりと眉尻を下げる。
「はい……」
「巫女様は大人しく使いの者に用事を言いつけるんだ。元々こんな砦にいるような御方ではないのに、万が一何かあったらこちらが責を負う。お分かりか?」
「申し訳ございません……」
失敗してしまったのね。
わたくしは頭を下げてベルクトに謝った。ベルクトの言うことは最もだ。もしもわたくしが大怪我をしたり万が一の事があったとしたら、ベルクトやこの場にいた者の首が飛ぶのだ。わたくしの行動が浅はかだった。
クリオが居なくても、上手くやれると意気がってた割りにはこの様だ。やはりわたくしは落ちこぼれで、何をやっても駄目なのかもしれない。
「教官、シュナさんも反省してるしそれくらいに……シュナさん、僕に何か用事だったんじゃ?」
優しい黄金の瞳をわたくしに向け、勇者は慰めるようにわたくしに微笑みかける。
勇者様はお優しいのですね。
向けられた笑みにわたくしは頬を赤く染めながらも、出そうになった涙をこらえ、本来の用事を思い出す。
「そうでした。ルギス領のフィート砦に魔族が現れ、フィート砦を襲っているようです。勇者様、明日は魔族退治に向かいます」
そう、わたくしが告げると微笑んでいた勇者の顔が強ばる。
「魔族、だね。わかった」
「少し待て、勇者よ」
ベルクトはわたくし達の話を遮る。
「はい」
「勇者の今の実力は、もう魔族を討つことも可能だろう。だがな、勇者よ。人を殺めたことがあるか?」
「人を? いえ……」
「勇者よ、魔族の力は人には脅威となるが、身体の作りも姿も人と何ら代わりのない生き物だ。この世界セティスの果て、魔の地で我らと同じように暮らしいてる。当然その魔族には家族がいて生活がある。つまり魔族を討つという事は人を討つ事と同じということだ。勇者よ、その覚悟があるか?」
「僕は魔族の王ゼルディードに住んでいた村を滅ぼされました。魔族を討つことに躊躇はしません」
「そうか……」
何か考えるようにベルクトは押し黙る。ベルクトは何故魔族の肩を持つような発言をするのだろうか?
「人を滅ぼさんとしたのは魔族です。その報いは受けなければななりません」
わたくしがそう言うと、ベルクトはふうと息を吐き、じっと勇者様を見つめる。
「わかった、行くがいい。討伐したら直ぐに戻るのだぞ。まだまだ教える事はある。今日の訓練はここまででいい。明日に備えてゆっくり休むのだ」
「はい、ありがとうございました」
「ああ、それじゃあ失礼するぞ」
ベルクトが去った後、わたくしたちはそれぞれの部屋へと戻る。
魔族は女神フォルトゥナが創りしこの世界に住まうもう一つの種族。わたくし達が魔の地と呼ぶ場で暮らし、人の住まう地を狙い幾度となく侵略を繰り広げて来た。その度に人は惨殺され、犠牲になる。そんな魔族を庇いだてするなど、あり得ないことだとわたくしは思った。