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勇者と幼なじみの物語―あざと勇者の愛が重すぎる―  作者: 華乃ぽぽ
6章

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エピローグ


 それから数年の月日が流れた。

 人間界と魔界の境界に位置する中立都市「アーク・ノア」は、かつてない発展を遂げていた。

 かつては血で洗われた戦場だった荒野には、今や色とりどりの花が咲き乱れ、人間と魔族が行き交う交易路には活気ある市場が立ち並んでいる。

 その郊外、喧騒から離れた静かな湖畔に佇む一軒の屋敷に、その家族は住んでいた。


「パパー! はやくー! おいてっちゃうよー!」


 春の陽光を弾いて、元気な男の子の声が響き渡る。

 屋敷の庭を駆け回っているのは、五歳になったシエルだ。

 父親譲りの栗色チェスナットの髪が風になびき、母親譲りの整った顔立ちは、将来どれほどの女性を泣かせることになるか分からないほどの美少年の片鱗を見せている。

 その背中には、興奮に合わせて小さな魔力の翼が薄っすらと浮かび上がっていた。


「こら、シエル。そんなに走ると転ぶよ」


 屋敷のテラスから、ゆったりと歩いてくる青年――アルヴィンが優しく声をかけた。

 かつての純白の軍服ではなく、柔らかなリネンシャツにエプロン姿。

 手には焼きたてのクッキーが山盛りに乗ったバスケットを持っている。

 世界最強の勇者は今、世界最高の子煩悩パパになっていた。


「だって、きょうはピクニックでしょ? ママがおべんとうつくったって!」

「はいはい。ママの料理が楽しみなのは分かるけど、慌てないの」


 アルヴィンはひょいとシエルを抱き上げると、その柔らかな頬にスリスリと頬ずりをした。


「うわ、パパやめてよー! くすぐったい!」

「ん? くすぐったい? パパの肌は今日も完璧にスベスベなはずだけどなぁ」


 アルヴィンは不思議そうに首を傾げ、自分の頬を撫でた。

 そこには無精髭一本、傷一つない。透き通るような白磁の肌は、現役時代よりもさらに磨きがかかり、神々しいほどの美しさを放っている。

 彼はミラに触れる際、少しでも不快な思いをさせないよう、自身の身だしなみには病的なほど気を使っているのだ。


「違うよ、パパがギュッてしすぎなの! くるしいー!」

「ああ、ごめんごめん。シエルが可愛すぎて、つい力が入っちゃった」


 アルヴィンは悪びれもせず笑うと、シエルを抱き直した。

 その腕の筋肉は、リラックスしているように見えて、いつでも愛する者を守れるようしなやかに張り詰めている。


「……ふふ。朝から賑やかね」


 テラスの奥から、ミラが姿を現した。

 漆黒の髪を緩く編み込み、淡い若草色のワンピースに身を包んだ彼女は、かつての儚げな少女から、落ち着きのある美しい大人の女性へと成長していた。

 その手には、水筒や果物が入った大きなトートバッグが握られている。


「ママ!」

「おはよう、シエル。いいお天気でよかったわね」

「うん! お空まっさおだよ!」


 ミラが微笑むと、アルヴィンの視線が吸い寄せられるように彼女に固定された。

 その瞳の色が変わる。

 息子に向ける慈愛の眼差しから、一人の「男」としての熱を帯びた、粘着質な黄金色へ。


「……ミラ」


 アルヴィンはシエルを抱いたままミラに近づくと、彼女の腰に空いた手を回し、当たり前のように引き寄せた。


「今日の服、すごく似合ってる。……森の妖精みたいだ」

「あら、ありがとう。アルのエプロン姿も素敵よ」

「君のために焼いたクッキーだよ。……味見してくれる?」


 アルヴィンは顔を近づけ、返事を待たずにミラの唇をついばんだ。

 チュッ、という甘い音が、静かな庭に響く。


「……もう、アルったら。シエルが見てるでしょう?」

「いいんだよ。パパとママは世界一愛し合ってるって、英才教育しておかないと」

「教育方針が偏りすぎよ……」


 ミラが呆れて頬を染めると、アルヴィンは満足げに目を細め、今度はミラの首筋に顔を埋めて深呼吸をした。

 スーッ、と息を吸い込む音が聞こえるほど深く、長く。

 まるで、彼女の匂いを自身の肺いっぱいに満たさなければ、息ができないとでも言うように。


「ん……アル、くすぐったい……」

「……いい匂い。ずっとこうしていたいけど……」


 アルヴィンは名残惜しそうに顔を上げ、ミラを見つめた。

 その瞳の奥には、数年経っても変わらない、いや、日々重さを増していく執着の炎が揺らめいている。

 魔王ルワージュの補佐として多忙なミラを、彼は「駐在武官」という公的な肩書きを利用し、実質的な専属ボディーガードとして、片時も離れず守り続けている。

 会議中も、視察中も、そして夜の寝室でも。

 彼の「勇者」としての超越的な能力は、今やすべて「ミラとの生活」を守るためだけに使われていた。


「さあ、行こうか。今日は湖の向こう、花の丘まで行ってみよう」


 三人は手をつなぎ、湖畔の小道を歩き出した。

 真ん中にシエル、右にアルヴィン、左にミラ。

 風が運ぶ花の香りと、湖面のきらめき。

 すれ違う人々が、思わず足を止めて見惚れるほど、その家族の姿は絵画のように美しく、幸福に満ちていた。


「ねえパパ、ママ。ぼくね、おおきくなったら勇者になるんだ!」


 シエルが繋いだ手をぶんぶん振りながら、無邪気に夢を語りだした。


「それでね、パパみたいにつよくなって、わるい魔物をやっつけて、ママをまもるの!」


 その頼もしい言葉に、ミラは目を細めて微笑んだ。

 人間と魔族のハーフである彼が「勇者」を目指す。それは、この新しい時代を象徴するような素晴らしい夢だ。


「まあ、素敵ねシエル。頑張ってね」


 しかし、隣の英雄様は――ピタリと足を止めた。


「……シエル」

「なに?」

「その夢は素晴らしいけど、訂正が必要だ」


 アルヴィンが大人気なく、会議の時のような真剣なトーンで言い放った。


「ママを守るのはパパの役目だ。……これだけは、シエルでも譲れない」

「えー! なんでー! ぼくだって守れるもん!」

「ダメだ。ママはパパのものだからね。……シエルには、いつか自分の『お姫様』を見つけなさい」

「むー。パパのケチ!」

「ケチで結構。……この特等席だけは、世界がひっくり返っても誰にも渡す気はないよ」


 アルヴィンはシエルに向けてベッと舌を出したあと、さらに強くミラの指を絡め取った。

 骨が軋むほどの強い力。

 痛いけれど、それ以上に愛おしい痛み。

 それは、「絶対に離さない」という無言の誓いであり、鎖のような安らぎだった。


「……もう。自分の子供相手にムキにならないでよ」

「子供相手だからこそ、だよ。……男の子は母親に似た女性を好きになるって言うし、シエルは将来のライバルかもしれないからね。芽は早めに摘んでおかないと」

「バカなこと言って」


 ミラが呆れて笑うと、アルヴィンもつられて笑った。

 その笑顔は、かつてミラが憧れた「少年」のような無邪気さと、すべてを手に入れ、守り抜いている「男」の余裕が入り混じっていた。

 湖面を渡る風が、三人の髪を揺らす。

 空はどこまでも高く、青い。

 かつては敵対していた二つの種族が暮らす街を見下ろしながら、アルヴィンはふと、足を止めてミラを見つめた。


「……幸せ?」


 もう何千回と繰り返された、確認の儀式。

 けれど、その響きは決して色あせることなく、毎回新鮮な熱を帯びてミラの胸を震わせる。


「ええ。とっても幸せよ」


 ミラが迷いなく答えると、彼は満足げに目を細め、人目も憚らずミラのこめかみにキスをした。

 

「よかった。……これからも一生、僕の側から離れないでね」


 それは、世界を救った英雄の、あまりにも独善的で、甘美な願い。

 かつては逃げ出したいほど重く感じたその愛は、今では世界で一番心地よい、ミラにとっての「帰るべき場所」になっていた。

 物理的な檻などなくても、二人の心は分かちがたく結びつき、互いを捕らえて離さない。


「ええ。……覚悟しておくわ、私の重たい勇者様」


 ミラは彼の腕にぎゅっとしがみつき、シエルを見つめて微笑んだ。

 

 勇者と幼なじみの物語は、ハッピーエンドのその先へ。

 決して解けることのない愛の鎖に繋がれたまま、どこまでも、いつまでも続いていくのだった。



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