空白を埋める熱
「……ルル、お願い。この子を」
祝賀会場の控え室。
ミラは、駆けつけてきた侍女のルルに、疲れて眠ってしまったシエルをそっと預けた。
ルルは、ミラの横に立つアルヴィン――人類最強の勇者が、まるで所有権を主張するかのようにミラの腰を引き寄せ、無言の圧力を放っているのを見て、小刻みに震えながらも頷いた。
「は、はい。……命に代えても」
「ありがとう。……少しだけ、時間を頂戴」
ミラがそう告げると、アルヴィンは「行くよ」と短く囁き、ミラの肩を抱いて、近くの貴賓室へと連れ込んだ。
カチャリ。
重厚な扉が閉ざされ、鍵がかけられる音が、やけに大きく響いた。
世界から切り離された密室。
そこにはもう、勇者も魔王の系譜も関係ない。
「……アル」
ミラが振り返ろうとした瞬間、背後から伸びてきた腕によって、扉に押し付けられた。
逃げ場はない。
背中には硬い扉、目の前にはアルヴィンの広い胸板。
「……やっと、二人きりだ」
アルヴィンの声は低く、そして熱を帯びていた。
彼はミラの顔の横に手をつき、逃がさないように閉じ込める。
その黄金の瞳は、少年のような無邪気な輝きではなく、獲物を追い詰めた捕食者のような、昏く妖艶な光を宿していた。
「ねえ、ミラ。……僕がどれだけ我慢していたか、分かる?」
彼はミラの髪を一房すくい取り、指先で弄ぶ。
「一年間。君がいない地獄のような日々も……。そしてさっき、君が『魔族の男の子だ』なんて残酷な嘘をついた時も」
「っ……そ、それは……」
「理性が焼き切れるかと思ったよ」
アルヴィンはふわりと微笑んだ。
それは、かつてミラが弱かった「天使のような笑顔」の面影を残しつつ、ゾクリとするような色気が加わった、大人の男の笑みだった。
「君は昔から、僕のこの顔に弱いよね?」
彼はわざとらしく顔を近づけ、長い睫毛の奥から、濡れたような瞳でミラを見つめた。
計算高い。
自分がどう見えればミラが拒絶できないか、彼は完全に理解してやっている。
「……アル、ずるい」
「狡くさせたのは君だ。……責任、取ってくれるんでしょ?」
アルヴィンはミラの顎を指で持ち上げ、唇を重ねた。
「ん……ッ」
甘えるような言葉とは裏腹に、その口づけは強引で、深い。
唇を割り、舌が侵入してくる。
ミラの口内を蹂躙し、息継ぎの暇さえ与えず、絡み合う唾液の音だけが部屋に響く。
腰に回された腕が、ギリギリと骨が軋むほど強くミラを締め上げる。痛いほどの愛おしさ。
「は、ぁ……っ! アル、苦し……」
「息なんてしなくていい。……僕で満たされて」
唇が離れると、銀の糸が引いた。
アルヴィンは熱っぽい瞳で、乱れたミラの表情を眺め、満足げに喉を鳴らした。
「……いい顔だ。昔よりずっと、色っぽくなった」
彼はミラの体を抱き上げ、そのままベッドへと運んだ。
抵抗する気力など、最初から奪われている。
ベッドに沈むミラの身体に、彼が覆いかぶさる。
「……見て」
アルヴィンは自らの服のボタンを外し、シャツをはだけさせた。
露わになった鍛え上げられた肉体には、無数の古傷が刻まれている。
それは、彼が「少年」から「英雄」へと無理やり成長させられた証だった。
「痛々しい……。こんなに傷ついて……」
「痛かったよ。すごく」
彼はミラの手に自分の手を重ね、胸の傷跡へと導いた。
「君がいなかったから、傷が開くたびに死にたくなった。……でも、死ねなかった。君を探さなきゃいけなかったから」
彼はミラの指先に、チュッと口づけを落とす。
「……治してよ、ミラ。君のキスで」
甘えたような上目遣い。けれど、その奥にあるのは「絶対に逃がさない」という鋼の意志。
ミラの母性本能と罪悪感、そして女としての情動を同時に刺激する、完璧な手口。
「……分かったわ」
ミラは吸い寄せられるように身を起こし、彼の胸の傷に唇を寄せた。
「……ん……」
傷跡に舌先で触れると、アルヴィンがビクリと背中を震わせ、甘美な吐息を漏らした。
その反応に、ミラの胸の奥が熱くなる。
最強の勇者が、私の前だけでこんなにも無防備な姿を晒している。
「愛してるわ、アル。……もう二度と、あなたを一人にしない」
「約束だよ。……破ったら、鎖で繋いででも離さないから」
アルヴィンはミラのドレスに手をかけた。
黒い生地が滑り落ち、魔族となって白さを増した肌が露わになる。
彼はその変貌を嫌悪するどころか、崇拝するように見つめた。
「黒い髪も、赤い瞳も……。全部、僕のものだ」
「……怖くない?」
「まさか。……ゾクゾクするほど美しいよ」
彼はミラの鎖骨に噛みついた。
チクリとした痛みと、熱い痺れ。
「あッ……!」
「君が魔族なら、僕も堕ちるところまで堕ちよう。……英雄なんて肩書き、君の中で溶かしてしまいたい」
二人の肌が重なり合う。
かつてのような幼い恋の火遊びではない。
互いの欠落を埋め合わせ、魂ごと所有し合うような、重く、深く、そして甘美な儀式。
「ミラ……愛してる……。誰にも渡さない……」
「私も……」
窓の外では、静かに雪が降り積もる。
けれど、密室の熱気は冷めることなく、愛しい人の名前を呼ぶ声と、甘やかな音が、夜明けまで途切れることはなかった。




