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勇者と幼なじみの物語―あざと勇者の愛が重すぎる―  作者: 華乃ぽぽ
5章

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常夜の離宮


大陸の最北端。

人間が決して足を踏み入れない、万年雪と氷壁に閉ざされたその先に、地図にはない場所がある。

太陽が沈まず、かといって昇りもしない。

常に薄紫色の黄昏と、極彩色のオーロラが空を舞う幻想の地――「常夜とこよの離宮・ノクターン」。


そこは、人間との共存を望む「王道派」の魔族たちが暮らす、最後の楽園だった。


「……ミラ様。お加減はいかがですか?」


控えめなノックと共に、侍女の少女が部屋に入ってきた。

ルルという名の彼女は、艶やかな黒髪とルビーのような赤い瞳を持っている。

けれど、それ以外は人間の少女と何ひとつ変わらない。

この国に住む魔族たちは皆、かつての人間たちと同じ姿をし、同じように笑い、暮らしているのだ。


「ありがとう、ルル。……今日はとても気分がいいわ」


窓際のロッキングチェアに座っていたミラは、編みかけのレースを膝に置き、微笑んだ。

その姿は、一年前とは大きく変わっている。

腰まで伸びた髪は、夜の闇を溶かしたような漆黒。

長い睫毛に縁取られた瞳は、鮮血のように赤い。

けれど、その表情には以前のような怯えはなく、母となる者特有の、慈愛に満ちた穏やかさがあった。


「それは何よりです。……ルワージュ様が、南から届いた果物を持ってきてくださいましたよ」

「おじ様が? ふふ、また甘やかされちゃうわね」


ミラは苦笑した。

この地を治める魔王ルワージュ――シアンの父であり、ミラの伯父にあたる人物は、亡き主君の娘であるミラを、それはもう過保護なまでに大切にしてくれている。

おかげで、ミラはこの一年、誰に脅かされることもなく、静かに命を育むことができた。


「……ねえ、ルル」


ミラは果物の籠を受け取りながら、少しだけ声を落とした。


「南の……戦況はどうなっているの?」


ルルの表情が曇る。

彼女は言い淀んだが、ミラの真剣な眼差しに負けて、ポツリと答えた。


「……覇道派の軍勢は、ほぼ壊滅状態だそうです。勇者様の進撃は止まらず……昨日、ついに『黒の城砦』が落ちたと」


「そう……」


ミラは胸元をギュッと掴んだ。

黒の城砦。それは覇道派の最後の拠点が近いことを意味する。

アルヴィンは勝ったのだ。

けれど、その勝ち方はあまりに凄惨だと聞く。

「氷の死神」。

降伏さえ許さず、敵であれば容赦なく氷漬けにする、冷徹な殺戮者。

それが、今のアルヴィンの異名だった。


(ごめんなさい、アル……)


ミラは窓の外、揺らめくオーロラを見上げた。

彼をそんな修羅に変えてしまったのは、他ならぬ自分だ。

「連れ去られた」という嘘が、彼の心を凍らせ、狂気的なまでの力を与えてしまった。


「でも、これで戦争は終わるわ。……彼も、きっと止まってくれる」


そう信じたかった。

戦争が終われば、彼は英雄として凱旋し、幸せになれるはずだ。

私はこのまま、歴史の闇に消えればいい。


「う、ん……」


その時、部屋の奥にあるベビーベッドから、小さな衣擦れの音が聞こえた。

ミラはハッとして駆け寄る。

レースの天蓋てんがいをそっと開けると、そこには真っ白な産着に包まれた、小さな小さな命が眠っていた。


生後三ヶ月になる男の子。

まだ言葉も話せない、ふにふにとした柔らかい存在。


「……おはよう。いい子にしてた?」


ミラが人差し指を差し出すと、赤ん坊は無意識にその指をギュッと握り返した。

温かい。

そして、力強い。

ミラはその愛おしさに、目頭が熱くなるのを感じた。


この子には、罪はない。

魔族の血を引いていても、勇者の血を引いていても、ただ愛されるために生まれてきた命だ。


赤ん坊がうっすらと目を開ける。

その瞳を見て、ミラはまた胸を締め付けられた。


(……似てる)


赤ん坊の髪は、魔族特有の黒でも、ミラの金でもない、柔らかな栗色。

そして瞳は、森の木漏れ日のような、澄んだ榛色ヘーゼル


それは、まだ魔術で銀髪に変える前の、幼い頃のアルヴィンそのままの色だった。


「……あなたは、パパに似たのね」


ミラは赤ん坊を抱き上げ、頬ずりをした。

この色彩は、彼が「人間」である証だ。

成長すれば、きっとアルのような優しい顔立ちになるだろう。


けれど、それは同時に残酷な事実をも突きつけている。

もしアルヴィンがこの子を見れば、一目で自分の子だと悟るだろう。

そうすれば、全ての嘘がバレてしまう。


(会わせられない……)


ミラは赤ん坊を強く抱きしめた。

アルヴィンには、一生会わせない。

この子は私が守る。

いつか平和になった世界で、こっそりと人間の国を見せてあげよう。

「あなたのパパは、あの国を救った英雄なのよ」と、遠くから指差して教えるだけでいい。


「……ミラ様」


ルルが心配そうに声をかける。


「大丈夫よ。……私は、幸せだもの」


ミラは涙を拭い、笑顔を作った。

嘘ではない。

アルとはもう二度と会えないけれど、彼が残してくれたこの宝物がある限り、私は生きていける。


その時だった。

遠く――離宮の外壁を守る結界の方角から、地響きのような重低音が響いたのは。


ズズズズズ……ン!!


「きゃっ!?」


部屋が大きく揺れ、花瓶が倒れる。

赤ん坊が驚いて「オギャア!」と泣き出した。


「な、何!? 地震?」

「いえ、違います! これは……!」


ルルが青ざめて窓の外を指差した。

常夜の空に輝いていたオーロラが、ガラスのように砕け散っていく。

そして、その裂け目から、見たこともないほどの強大な「金色の光」が降り注いでいた。


「結界が……破られた?」


嘘でしょう。

ここは魔界の最果て。何重もの隠蔽魔術に守られた聖域だ。

それを、たった一撃で?


警報の鐘が鳴り響く中、ミラは赤ん坊を抱きしめ、凍りついたように立ち尽くした。

本能が、全身の毛穴が粟立つほどの恐怖と共に告げている。


――来たのだ、と。

世界を救い、魔王を殺し、それでもなお満たされぬ飢餓を抱えた「死神」が。

愛するものを奪い返すために、地獄の底まで追ってきたのだと。


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