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勇者と幼なじみの物語―あざと勇者の愛が重すぎる―  作者: 華乃ぽぽ
5章

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卒業


暫くして、ガレオン王立高等学院の卒業式は、皮肉なほど晴れやかな青空の下で行われた。

講堂を埋め尽くす生徒たちの歓声、色とりどりのドレスや正装、そして未来への希望に満ちた笑顔。

その華やかな喧騒の中で、ミラはただ一人、胸にぽっかりと空いた穴を感じていた。


隣を見る。そこには誰もいない。

あの銀髪の少年――「アーレン」として共に過ごし、そして「勇者アルヴィン」として旅立っていった幼なじみの姿は、もうどこにもなかった。

まるで、最初から素晴らしい夢だったかのように。


式典が終わり、中庭に出ると、春風と共に懐かしい声が駆け寄ってきた。


「ミラちゃん! 卒業おめでとう!」

「ミラはん、おめっとさん!」


ナンナとフランだ。

二人の屈託のない笑顔を見ると、張り詰めていた心が少しだけ解ける気がした。


「二人とも、おめでとう。……いよいよ、お別れね」


ミラが寂しげに微笑むと、ナンナがぶんぶんと首を振った。


「ううん、お別れじゃないよ! 私は一度、リゼリア領に戻るけど……いつかまた、絶対に会えるって信じてる」

「ナンナは、お兄様のお手伝い?」

「うん。お父様とお兄様を支えて、領地の復興をもっと進めたいの。……ミラちゃんが救ってくれたあの場所を、もっと素敵な場所にしたいから」


ナンナの瞳には、以前のような弱気な色はなく、貴族の娘としての凛とした意志が宿っていた。

借金の形に売られそうになっていた彼女はもういない。自分の足で、家族と共に歩もうとしている。


「それに、手紙も書くし! ミラちゃんが王都で働くなら、特産品を送るね!」

「ふふ、ありがとう。楽しみに待ってる」

「うちは逆やな」


フランがニシシと笑い、商人の目つきで王都の空を見上げた。


「うちはこのまま王都に残って、実家の商会の支店を任されることになったんよ。これからが稼ぎ時やからな」

「支店長? すごいじゃない、フラン」

「せやろ? ミラはんが王宮の薬草園で働くなら、お得意様やな。……珍しい薬草とか仕入れたら、真っ先に教えたる。その代わり、王宮のゴシップネタ、安く流してな?」

「もう、フランったら……」


三人は顔を見合わせ、笑い合った。

道は違えど、それぞれの人生がここから始まる。


「……ミラちゃん」


別れ際、ナンナがそっとミラの指を握った。


「勇者様のこと……待ってるんだよね?」

「……うん」

「大丈夫。ミラちゃんの想い、きっと届いてるよ。だってあんなに……愛されてたもん」


ナンナは頬を染めながら、あのリゼリア領での「熱烈な別れ」を思い出したようだ。

ミラもつられて顔を赤くし、けれど力強く頷いた。


「ありがとう。……二人とも、元気でね」


サヨナラの言葉は、春風にさらわれて空高く消えていった。



ミラの新しい生活の拠点は、王都の西区画――職人街の路地裏にひっそりと佇む、小さな屋敷だった。

「僕が帰る場所を用意しておきたいんだ」

そう言って、アルが卒業前に手配してくれた隠れ家だ。

外観は古びているが、窓には最新の防犯魔導具が施され、家具も一級品が揃えられている。


「……ただいま」


誰もいない部屋に、自分の声だけが虚しく響く。

ミラは荷解きもそこそこに、キッチンへ向かい、買ってきた薬草の束を広げた。

独特の青臭い香りが部屋に満ちると、ようやく心が落ち着いてくる。


(私は、ここから始める)


ミラは自分の掌を見つめ、ギュッと握りしめた。


その決意の裏には、卒業間際に交わしたシアンとの、あまりにも重い会話があった。


『……いいか、ミラ。今後一切、魔術は使うな』


人気のない特別実習室で、シアンはいつになく真剣な表情で警告した。


『君のお父上の血……その力が、想定以上に強すぎる』

『お父さんの、血……?』

『ああ。君の父は、魔族の中でも王族に連なる高位の存在だったらしい。その強大な魔力に、君の「人間」としての器が耐えきれていないんだ』


シアンはミラの碧い瞳を覗き込み、冷徹に告げた。


『今はまだ、魔術を使った時だけ瞳が赤くなる程度で済んでいる。だが、これ以上魔力を使い続ければ……その変化は「固定」される』

『固定って……戻らなくなるってこと?』

『そうだ。髪は夜のような漆黒に、瞳は鮮血の赤に染まり……二度と、その色、金髪碧眼には戻れなくなる』


ミラは息を呑んだ。

「黒髪に赤い瞳」という特徴は、この国において「魔族」の象徴として最も忌み嫌われる色だ。


『もしそうなれば、君は人間社会では生きられない。当然、勇者の隣になんていられるはずがない』


シアンの言葉は、呪いのようにミラの心に刻まれている。

アルの隣に立つため。彼が命を削って守ろうとしている世界で、彼の「敵」にならないため。

ミラに残された道は、魔力に頼らず生きることだけだった。



「私は、ただの人間。……薬師のミラとして生きる」


そう誓い、ミラは王宮の薬草園での仕事を選んだ。

泥にまみれ、草木の命と向き合う日々。

それは地味で静かな生活だったが、今のミラにはその穏やかさが救いだった。



王宮の裏手に広がる薬草園は、春の日差しと土の匂いに包まれていた。


「ミラちゃん、こっちのうねの選別、お願いできる?」

「はい、すぐに!」


先輩薬師のマリーに呼ばれ、ミラは小走りで向かう。

土いじりは苦ではない。むしろ、指先に触れる湿った土の感触や、青草の香りが、魔術という危険な力から離れた自分を肯定してくれている気がした。


「あんた、若いのに偉いねぇ。普通、学院出の子なんて、こんな泥仕事嫌がるもんだけど」

「いえ……私、土いじりが好きなんです。それに、魔術より薬の方が、身体に優しくて好きですから」


ミラは汗を拭いながら微笑んだ。

ここでは「魔術を使えない、田舎出身の真面目な娘」という仮面を被っている。

その平凡さが、今は心地よかった。


休憩時間。マリーが興奮気味に新聞を広げた。


「見てよこれ! 勇者様、また北の砦を奪還したんだって!」


一面には、剣を掲げるアルヴィンの勇姿。その背後には聖女シュナと賢者クリオの姿もある。

『勇者一行、破竹の進撃』という見出しが躍る。


けれど、ミラはその写真を見た瞬間、胸の奥がチクリと痛んだ。


(……笑ってない)


写真の中のアルは、完璧な勇者の顔をしている。

けれど、ミラにはわかる。その瞳の奥が、凍りついたように冷え切っていることを。

あの「アーレン」として過ごした一週間で見せた、甘えるような、縋るような表情はどこにもない。


(無理しないで、アル……)


鎧の下にある無惨な傷跡を思い出し、ミラは祈るように胸元を押さえた。

遠い。

新聞の中の彼は、まるで別世界の住人のようだ。

あの最後の夜、互いの痛みを分け合うように抱き合った記憶だけが、彼と自分が繋がっている唯一の証だった。


「あ、そうだミラちゃん。来週、採集任務があるんだけど、一緒に行かない?」


マリーの声で現実に引き戻される。


「採集、ですか?」

「うん。西の山脈で希少な『月光草』が見つかったんだって。王宮魔術師様も護衛につくから安全だよ」


西の山脈。魔族領に近い危険地帯だが、希少な薬草があれば、より多くの人を救える薬が作れる。

それに、仕事に没頭していれば、アルを想って塞ぎ込む時間も減るだろう。


「……はい、行きます。お手伝いさせてください」


ミラは頷いた。

その選択が、自身の運命を大きく変えることになるとも知らずに。



その日の夜。

屋敷に戻り、一人分の夕食を作っていた時のことだった。

不意に、強烈なめまいと吐き気に襲われた。


「……っ、う……」


ガシャン、と皿を落とす。

視界が回り、胃の底から熱いものがこみ上げてくる。

慌てて流し台に駆け寄り、胃液を吐き出した。


(風邪……? ううん、違う)


熱はない。ただ、身体の芯が熱く、下腹部に奇妙な違和感がある。

そして何より、薬師としての知識が、その症状の正体を冷静に告げていた。


「……嘘」


ミラは震える手で、自身の平らな腹部に触れた。

まだ膨らみもないその場所。

けれど、そこには確かに、新たな「命」の灯火がともっていた。


(赤ちゃん……?)


あの夜。アルと重ねた、最初で最後の夜。

避妊なんて頭になかった。ただ互いを求め合うことに必死で、明日が来るのが怖くて、一つになりたかった。


喜びがこみ上げるのと同時に、背筋が凍るような恐怖がミラを襲った。

勇者と、半魔の子。

もし、この子が父の強い血を引いていたら?

教会に見つかれば、異端として母子ともに処刑されるかもしれない。

アルに知られれば、彼の「勇者」としての立場を致命的に傷つけてしまう。


「……どうしよう」


薄暗いキッチンで、ミラは一人、お腹を抱えて蹲った。

アルとの愛の結晶。

それは、決して誰にも知られてはならない、世界で一番重く、愛おしい「秘密」だった。


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