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勇者と幼なじみの物語―あざと勇者の愛が重すぎる―  作者: 華乃ぽぽ
4章

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魔法が解ける刻


情熱の嵐が過ぎ去った部屋には、深く、重たい静寂が満ちていた。

窓の外は漆黒の闇。

森の木々がざわめく音だけが、遠い波音のように聞こえてくる。


狭いベッドの上で、ミラはアルの腕の中に包まれていた。

彼のリズミカルな寝息と、トクトクと脈打つ心臓の音が、耳元で心地よい旋律を奏でている。


(……眠ってる)


ミラは身体を起こし、月明かりに照らされた彼の寝顔を覗き込んだ。

その顔は、昼間の「アーレン」とも、新聞に載っている「勇者アルヴィン」とも違う。

ただの、疲れ果てた年相応の少年の顔だった。

長い睫毛が頬に影を落とし、無防備に開いた唇からは、安らかな寝息が漏れている。


そっと、布団をめくる。

月光の下に晒された彼の身体は、やはり痛々しかった。

赤黒いケロイド、白い線状の傷跡、肉が盛り上がった歪な皮膚。

まるで、壊れかけた陶器を継ぎ接ぎして、無理やり形を保っているかのようだ。


(痛かったね。……辛かったね)


ミラは指先で、彼の胸にある大きな古傷をなぞった。

かつては、こんな傷ひとつなかった。

私の知っているアルは、もっと華奢で、肌が白くて、すぐ日焼けして赤くなるような男の子だった。

それが今では、こんなにも硬く、傷だらけの「鋼」になってしまった。


「……ん」


指先の感触に反応したのか、アルが微かに身じろぎをした。

彼は夢の中でも何かを探すように手を伸ばし、ミラの腰をギュッと抱き寄せた。


「……ミラ……いかないで」


寝言。

それは、彼が起きている間は決して口にしない、魂の叫びだった。

世界最強の勇者が、暗闇の中でたった一人、孤独に震えている。


「行かないよ。……ここにいるよ」


ミラは彼の髪を撫で、その額にキスをした。

彼は安心したように表情を緩め、再び深い眠りへと落ちていった。


この一週間。

彼は「ただの学生」として笑っていたけれど、その裏でどれほどの恐怖と戦っていたのだろう。

朝が来れば、またあの地獄へ戻らなければならない。

そのタイムリミットが、刻一刻と迫っている。


(……時間を止めてしまいたい)


ミラは彼に寄り添い、その温もりを肌に刻み込んだ。

この傷だらけの身体こそが、私の愛する人のすべてなのだと、自分に言い聞かせるように。



夜明け前。

世界が青白い薄闇に包まれる頃、ミラは目を覚ました。

寒さが忍び込んでいる。

隣で眠っていたアルも、ほぼ同時に目を覚ましたようだった。


「……朝だね」


掠れた声。

彼は身体を起こし、窓の外を見つめた。

東の空が白み始めている。

それは、「アーレン」としての時間の終わりを告げる残酷な光だった。


「……うん。朝だよ」


ミラは努めて明るく振る舞い、ベッドから降りた。

床に散らばっていた制服を拾い上げる。

シワを伸ばし、彼に手渡す。

それは、彼に「勇者の鎧」を着せる儀式のようで、胸が締め付けられた。


アルは無言でシャツに袖を通した。

ボタンを留めるたびに、あの痛々しい傷跡が隠されていく。

すべて留め終え、上着を羽織った時、そこにはもう「傷だらけの少年」はいなかった。

背筋を伸ばし、どこか達観したような静けさを纏った、一人の青年が立っていた。


「……行こうか」

「うん」


二人は部屋を出た。

人気のない特別寮の廊下を歩き、玄関を出る。

早朝の空気は凛と張り詰めていて、吐く息が白く濁った。


森の入り口まで来た時、アルが足を止めた。

ここから先は、学園のメインストリート。

人目につく場所だ。


「……ここまででいい」


アルが振り返る。

認識阻害の眼鏡は、もう外していた。

黄金の瞳が、朝霧の中で潤んだように揺れている。


「ありがとう、ミラ。……夢みたいな一週間だった」

「夢じゃないわよ。……ちゃんと、現実にあったことよ」


ミラは彼の手を握った。

冷え切ったその手を、自分の体温で温める。


「身体、大事にしてね。……無理しちゃだめよ」

「うん」

「ご飯ちゃんと食べて、しっかり寝てね」

「うん」

「……また、帰ってきてね」


その言葉に、アルは強く唇を噛み締めた。

彼は泣き出しそうな顔を隠すように、ミラを抱きしめた。

強く、骨が軋むほど強く。


「行きたくない……」


耳元で、小さな呟きが聞こえた。


「戦場なんて行きたくない。勇者なんて辞めたい。……ずっと、君のそばにいたい」


子供のような駄々。

それが彼の本音なのだ。

けれど、彼はすぐに身体を離し、涙をこらえて笑った。


「……でも、行かなきゃ。君が笑って暮らせる世界を守るために」


彼は「勇者」の顔に戻っていた。

その悲壮な決意に、ミラは胸が張り裂けそうになるのを必死で堪えた。

ここで泣いてはいけない。

私が泣けば、彼は背中を向けられなくなる。


「いってらっしゃい、アルヴィン」


ミラは最高の笑顔を作って、彼を送り出した。

アルは一度だけ頷くと、踵を返し、霧の中へと歩き出した。


その背中は、一週間前よりも少しだけ大きく、そして孤独に見えた。

彼が角を曲がり、見えなくなるまで、ミラはその場から動けなかった。


(……さよなら、アーレン君)


朝陽が昇る。

まばゆい光が学園を照らし、日常が始まろうとしている。

けれど、ミラの掌には、彼が残していった傷だらけの感触と、冷たい痛みがいつまでも残っていた。


足元を見る。

彼が立ち去った地面には、霜柱が踏み砕かれた跡があった。

それはまるで、彼が押し殺した心の欠片のように、朝日に照らされて儚く光っていた。


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