嵐のあとの女子会
勇者一行を乗せた馬車が地平線の彼方へ消え、冷たい冬の風だけが残された。
呆然と立ち尽くしていたミラたちを現実に引き戻したのは、リゼリア子爵の咳払いだった。
「……と、とにかく中へ入ろうか。身体が冷えてしまう」
その声には、あまりの衝撃的な光景をどう処理すべきか戸惑う色が滲んでいた。
一行は屋敷の中へと戻ったが、暖炉の効いた部屋に入っても、ミラの顔の熱さは引くどころか増すばかりだった。
「み、ミラちゃん……!」
部屋に入り、人払いが済んだ瞬間、ナンナが堪えきれない様子でミラの肩を掴んだ。
その瞳は、興奮と驚愕でキラキラと輝いている。
「一体どういうこと!? あの勇者様と……えっ、口づけ!? しかも『最愛』って……!」
「あ、あの、それは……その……」
「隠してたのね!? もう、水臭いなぁ! 詳しく聞かせてよぉ!」
ナンナの勢いに、ミラはたじたじと後ずさる。
今まで必死に隠してきた「ただの幼なじみ」という言い訳は、あの衆人環視の口づけで木っ端微塵に粉砕されていた。
「ま、観念しぃや。あんな熱烈なもん見せつけられたら、言い逃れは無理やで」
ソファーに深々と腰掛けたフランが、ニヤニヤと笑いながら助け舟(?)を出した。
「そ、そうですけど……フランちゃんも、笑ってないで助けてよぅ」
「無理やわ。うちも興味津々やもん。……で? いつからなん? やっぱり、昔から?」
フランの目は、商人のそれではなく、完全に恋バナを楽しむ乙女の目だ。
逃げ場はないと悟ったミラは、観念して小さく息を吐いた。
「……幼なじみなの。同じ村で育って、きょうだいみたいに暮らしてて」
「幼なじみ! うわぁ、王道! 素敵!」
「でも、アルが勇者になってからは、迷惑がかかるからって秘密にしてたの。……それだけよ」
「それだけって、あんたなぁ」
フランが呆れたように肩をすくめる。
「あれのどこが『それだけ』なん? 独占欲丸出しやったやんか。……ま、あの様子じゃ、ミラはんが隠そうとしても勇者様の方が我慢できへんかったみたいやけどな」
フランの鋭い指摘に、ミラは顔を真っ赤にして俯くしかない。
昨夜の部屋での出来事も、今朝の強引な口づけも。
アルの行動はすべて、ミラを逃がさないための鎖のようだった。
「でも……シュナ様やクリオ様もいらしたのに。大丈夫なのかしら」
ナンナがふと、心配そうに眉を寄せた。
伝説では、勇者は巫女と結ばれることになっている。その「常識」は、純朴なナンナの心にも根付いている。
「……お二人は、優しかったわ。アルのワガママを、仕方ないなって顔で許してくれて」
ミラは、今朝の三人の様子を思い出した。
完璧な連携でアルを回収していった彼らの姿には、入り込む隙のない信頼関係があった。
それが少しだけ寂しく、そして申し訳なく思う。
「勇者様の『一番』はミラちゃんなのね。……すごいなぁ」
ナンナがうっとりと呟く横で、ふと、部屋の空気が重くなったことに気づいた。
視線の先。
窓辺に佇むファルカが、背を向けたまま動かないでいた。
「……お兄様?」
ナンナがおずおずと声をかける。
ファルカはゆっくりと振り返った。その顔には、精一杯の笑顔が張り付いていたが、目元の赤さまでは隠しきれていなかった。
「……驚いたよ。まさか、私の恋敵が、あの英雄殿だったとはね」
自嘲気味なジョーク。けれど、誰も笑えなかった。
彼は「女神」と崇めるほどミラに想いを寄せていたのだ。
その想い人が、目の前で他の男――それも国一番の英雄に「所有宣言」されたショックは計り知れない。
「ファルカ様……。黙っていて、ごめんなさい」
ミラが頭を下げると、ファルカは慌てて手を振った。
「謝らないでください、ミラ嬢。……貴女が悪いわけじゃない。むしろ、光栄に思うべきでしょうね。私が惹かれた女性は、勇者様が選ぶほど素晴らしい方だったという証明なのですから」
彼は強がってみせたが、その声は微かに震えていた。
それでも、彼はリゼリア家の次期当主としての矜持を保ち、優雅にミラの前へ歩み寄ると、その手を取った。
「……ですが、私は諦めが悪いのですよ」
「え?」
「勇者様は旅立たれた。これから過酷な任務に向かわれる。……その間、貴女のそばにいて守れるのは、私だけです」
ファルカの瞳に、真剣な光が宿る。
失恋のショックを乗り越え、それでもなお尽くそうとする彼の誠実さに、ミラの胸が痛んだ。
「ミラ嬢。貴女が誰を想っていても構わない。ただ、この屋敷にいる間だけは……私に、貴女を守らせてください。勇者様が安心して戦えるよう、貴女の『安全な場所』を守り抜くこと。それが、今の私にできる精一杯の愛ですから」
「ファルカ様……」
「お兄様、かっこいい……!」
ナンナが感動して手を組む。フランも「やるなぁ、負け戦でも華を持たせるか」と感心したように呟いた。
アルの激しい独占欲とは違う、穏やかで献身的な愛。
それに包まれている安らぎを感じながらも、ミラの心臓の奥底では、別の不安が小さな棘となって疼いていた。
(……アルは今頃、遺跡に着いた頃かしら)
窓の外を見る。
北の空――「乾きの遺跡」がある方角は、どんよりとした鉛色の雲に覆われていた。
アルがいる場所。
そこには、ただならぬ何かが待ち受けている気がしてならなかった。
†
その頃。
リゼリア領の北端、荒涼とした岩場に広がる「乾きの遺跡」。
吹き荒れる風紋の中を、三つの影が進んでいた。
「……へっくしょん!」
先頭を歩いていたアルヴィンが、豪快なクシャミをした。
「あらあら。噂でもされているのではありませんか? 屋敷に残してきた『愛しい人』に」
背後で、シュナがクスクスと笑う。
アルヴィンは鼻をすすりながら、気まずそうに視線を逸らした。
「……からかわないでくれよ。これでも、必死だったんだから」
「存じておりますとも。おかげで出発が三十分も遅れましたけどね」
「うっ」
痛いところを突かれ、アルヴィンが呻く。
クリオは無言のまま、周囲を警戒して剣の柄に手をかけているが、その肩は小刻みに震えていた。どうやら必死に笑いを堪えているらしい。
「でも、よかったなアル。あんなに堂々と宣言できて」
「……ああ。もう、隠すのはやめたんだ」
アルヴィンは立ち止まり、南の空を振り返った。
その黄金の瞳から、少年のような甘さが消え、鋭い光が宿る。
「僕が魔王を倒して帰るまで、悪い虫がつかないように……楔は打っておかないとね」
その声には、底知れぬ独占欲と、歪んだ執着が滲んでいた。
シュナとクリオは顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめる。
「さあ、参りましょう勇者様。さっさと仕事を終わらせて、愛しの君のもとへ帰還しませんと」
「ああ、そうだね」
アルヴィンは前を向いた。
その視線の先、遺跡の入り口である巨大な石門が、口を開けた怪物のように待ち構えている。
その奥底から漂う、鼻をつくような腐臭と、禍々しい魔力の気配。
「……行くぞ」
アルヴィンの身体から、眩い光が溢れ出す。
ミラに見せていた甘い顔はもうない。
そこにあるのは、愛する者を守るためなら修羅にでもなる、最強の英雄の姿だった。
(待っていて、ミラ。……すぐに終わらせる)
三人は、闇の中へと足を踏み入れた。




