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勇者と幼なじみの物語―あざと勇者の愛が重すぎる―  作者: 華乃ぽぽ
3章

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18/39

拗ねた英雄の独占欲


「……アル、開けて。私よ」


ノックの音は、静まり返った廊下に吸い込まれていくようだった。

返事はない。けれど、扉の向こうに気配があるのは分かる。

意地を張っている子供のような、重苦しい沈黙。


「開けてくれないなら、ドアの前で大声で歌うわよ。『勇者様はヤキモチ焼きだ』って」

「……やめてくれ」


中から呻くような声が聞こえ、すぐにカチャリと鍵が開く音がした。

扉が少しだけ開く。隙間から覗いたアルヴィンは、軍服の上着を脱ぎ、シャツのボタンをだらしなく寛げていた。

その顔は怒っているというより、完全に拗ねていた。


「……何しに来たの」

「誤解を解きに来たの。入れて」

「帰れば? 『婚約者』が待ってるだろう」


その投げやりな言葉に、ミラのこめかみがピクリと動く。

ワインの酔いが、遠慮というタガを外してくれた。ミラは強引にドアを押し開け、部屋の中へと侵入した。


「勝手に決めつけないでよ。……あんなの、ただの成り行きじゃない」


背後で扉を閉め、鍵をかける。

これで、二人きりだ。


アルヴィンは不満げにソファにドカリと座り込むと、テーブルの上の水差しを煽った。

最強の勇者が、今はただの「恋人に愛想を尽かされたと勘違いしている男の子」にしか見えない。


「成り行き? ……でも、その髪飾りは受け取ったよね?」


アルヴィンの視線が、ミラの髪に留まる。

ファルカから贈られた「氷碧石」の輝きが、薄暗い部屋の中で冷たく光っていた。


「あいつの家の、家宝なんだろう? 似合ってるよ。……僕が贈ったものより、ずっとね」

「またそうやって……! これだって、断れる雰囲気じゃなかっただけよ」


ミラは苛立ち交じりに、自分で髪飾りを引き抜いた。

乱暴に外したせいで、金髪が少し乱れる。

彼女はそれをサイドテーブルにカラン、と音を立てて置いた。


「ほら。これで文句ないでしょ?」

「……乱暴だな」

「誰のせいだと思ってるの」


ミラが腰に手を当てて睨みつけると、アルヴィンはバツが悪そうに視線を逸らした。

けれど、すぐにまた恨めしげな目を向けてくる。


「……君が悪いんだよ。あんなに楽しそうに笑って。僕の方なんて一度も見向きもしないで」

「見てたわよ! アルがずっとムスッとしてるから、気になって仕方なかったんだから」

「嘘だ。君はあいつの手を握って……」

「握ってない! 握られたの!」


言い合いをしているうちに、なんだか馬鹿らしくなってきた。

世界を救う勇者と、その幼なじみが、こんな低レベルな痴話喧嘩をしているなんて。


「……はぁ。もう、いい」


ミラは溜息をつき、ソファに座るアルヴィンの隣に腰を下ろした。

そして、拗ねて横を向いている彼の肩に、こつんと頭を預ける。


「私、ファルカ様のことなんて何とも思ってないわ。……いい人だとは思うけど、それだけ」

「……本当に?」

「本当に。私が好きなのは、こんな面倒くさくて、ヤキモチ焼きの幼なじみだけよ」


その言葉を聞いた瞬間、アルヴィンの身体から力が抜けた。

彼はゆっくりとこちらを向き、恐る恐るミラの腰に手を回す。


「……ごめん。余裕がなかった」


彼の額が、ミラの肩に押し付けられる。


「君が遠くに行っちゃいそうで。……僕の知らない君が増えていくのが、怖かったんだ」

「バカね。どこにも行かないわよ」


ミラが苦笑して彼の銀髪を撫でると、アルヴィンは顔を上げ、すがるような瞳でミラを見つめた。


「……証明して」

「え?」

「君が僕のものだって、証明してほしい」


言うが早いか、彼はミラの唇を塞いだ。

晩餐会の時の冷たさとは違う、甘えて噛みつくような、必死なキス。

アルヴィンの舌が滑り込み、ミラの口内を確かめるように動く。


「んっ……、あ、アル……っ」


ミラは彼のシャツを掴み、少しだけ抵抗した。

けれど、彼の腕の力は強く、そのままソファへと押し倒される。


「待っ、て……! アル、落ち着いて……!」

「落ち着けない。……上書きさせて」


彼はミラの首筋に顔を埋めると、独占欲を刻み込むように吸い付いた。

チクリとした痛みと、熱い痺れ。


「あいつが触れた手も、あいつに向けた笑顔も……全部、僕が消す」

「っ、痛い……! もう、強引なんだから……!」


ミラは彼の背中を叩いたが、本気で拒絶することはしなかった。

彼の不安が痛いほど伝わってくるからだ。

それに、こうして求められることに、微かな喜びを感じてしまっている自分もいる。


しばらくして、アルヴィンは満足したように顔を上げた。

ミラの首筋には、彼がつけた赤い所有の印がくっきりと残っている。


「……これで、明日は襟の詰まった服しか着られないね」

「……信じられない。最低」


ミラが顔を真っ赤にして睨むと、アルヴィンは憑き物が落ちたように、いつものあどけない笑顔を見せた。


「ごめん。でも、これで安心した」


彼はミラの乱れた髪を指で整え、愛おしげに頬を撫でる。


「……愛してるよ、ミラ。誰にも渡さない」

「はいはい。私も愛してるわよ、手のかかる勇者様」


ミラは呆れ半分、愛情半分で彼を抱きしめ返した。

完全に素直にはなれないけれど、この温もりだけは心地いい。


二人はしばらくの間、静かに寄り添っていた。

嵐のような嫉妬は去り、そこには不器用な恋人たちの、穏やかな時間が流れていた。


「……明日の朝、出発する」

「うん」

「みんなの前で、君に挨拶をするよ。……覚悟しておいてね」

「え? 挨拶って、普通の?」


ミラが怪訝な顔をすると、アルヴィンは意味深に目を細め、悪戯っぽく微笑んだ。


「さあね。……僕のものであることを、あの鈍感な彼にも分からせないとね」


その言葉に、ミラは一抹の不安を覚えた。

けれど、もう止めても無駄だろう。

彼の瞳には、揺るぎない決意と、ほんの少しの意地悪な光が宿っていたからだ。



###



翌朝。

リゼリア領は、昨夜の嵐が嘘のように澄み渡った冬の青空に包まれていた。

放射冷却によって冷え込んだ大気はピンと張り詰め、吐く息が白く染まる。

雪解け水を含んだ土の匂いと、冬の乾いた風が混じり合う、旅立ちの朝の匂いだ。


領主の館の前には、これから「乾きの遺跡」へ向かう勇者一行を見送るため、リゼリア家の人々や使用人たちが勢揃いしていた。

馬車の準備が整い、馬がいななきを上げる中、ミラは少し離れた場所で、襟の詰まった厚手のコートの合わせを、これでもかというほど強く握りしめていた。


(……うう、これで隠れてるかしら)


昨夜、アルヴィンによって首筋に残された赤い痕。

それを隠すために選んだハイネックの服だったが、あまりに不自然すぎただろうか。


「おやぁ? ミラちゃん、今日はまた随分とガードが堅い服やなぁ」


背後から、ニヤニヤとした笑い声が降ってきた。フランだ。

彼女は冬期休暇を利用して商談に来ており、商人の目ざとさでミラの首元を一瞥すると、楽しげに口の端を吊り上げた。


「(昨日はあんなに可愛いドレスやったのに。……ま、"仲直り"の勲章を隠さなあかんから、しゃーないか)」

「(っ……! フランちゃん、声が大きい!)」


ミラが慌てて小声で諌めると、フランは「へいへい」と肩をすくめる。

シアンから事情を聞いている彼女には、ミラの行動などすべてお見通しのようだ。


「もう、フランちゃんったら! それより見てよ、勇者様一行! やっぱり絵になるわぁ……!」


何も知らないナンナが、うっとりとした声を上げて両手を組んだ。

その視線の先。

朝日に照らされた石畳の上に、遺跡への出発準備を整えた三人の英雄の姿があった。


「あーあ、やっと出発か。……あの方たち、立っているだけで絵画みたい」


ナンナの言葉通りだった。


神殿騎士クリオは、重厚な白銀の鎧を身につけ、彫像のように直立している。

その表情は鉄のように硬く、どこまでもストイックだ。微動だにせず主の背中を守るその姿は、これから向かう遺跡の危険さを微塵も感じさせない、頼もしい騎士の鑑そのものに見える。


その隣で、巫女シュナは朝日に目を細め、慈愛に満ちた聖母のような微笑みを浮かべている。

銀の髪が風に揺れ、金色の瞳は穏やかに群衆を見渡している。時折、隣のアルヴィンと言葉を交わしているが、その所作は優雅で、まさに伝説の巫女にふさわしい気品に満ちていた。


そして、その中心に立つ勇者アルヴィン。

彼は二人の従者を従え、一点の曇りもない爽やかな笑顔で、北の空――遺跡のある方角を眺めている。

三人の間に流れる空気は洗練されており、凡人が立ち入ることのできない「選ばれし者たち」の絆を感じさせた。


(すごい……。やっぱり、遠い存在に見える)


昨夜、あんなに熱く求め合ったのが嘘のようだ。ミラは改めて彼我の距離を感じ、少しだけ胸が痛んだ。


別れの挨拶のために、ファルカが進み出た。


「勇者殿。此度の滞在、心より感謝いたします。……どうか、お気をつけて。『乾きの遺跡』の調査、よろしくお願いいたします」

「ああ、任せてくれリゼリア卿。遺跡の異変は、我々が必ず食い止めてみせる」


アルヴィンは完璧な「勇者」の仮面を被り、ファルカと力強い握手を交わした。

ファルカはその言葉に感激し、何度も頷く。そして意を決したように、アルヴィンの背後にいるミラへと視線を移した。


ファルカの瞳が、切なげに、しかし熱を帯びて揺れる。

彼はまだ、昨夜ミラが戻らなかった理由を「体調不良」か何かだと思い込み、好意的に解釈しているようだった。

ミラの髪には、昨日彼が贈った「氷碧石」の髪飾りはない。けれど、彼はそれを責めることなく、ただひたすらに優しい視線を注いでくる。


「おはようございます。体調はいかがですか? せっかくの冬期休暇です。どうか、ここでゆっくりと静養なさってください。……私が、貴女を全力でお守りしますから」


言いかけた言葉は、愛の告白に近いものだっただろう。

周囲の空気が、少しだけロマンチックに色づく。

ナンナが「お兄様、頑張って!」と小声で声援を送り、フランが「おっと、若様も粘るなぁ」と興味津々に身を乗り出す。


だが。

その空気を、他ならぬアルヴィン自身が断ち切った。


「……おっと、そうだ」


アルヴィンは唐突にファルカとの会話を打ち切り、くるりと踵を返した。

そして、迷いのない足取りで一直線にミラの方へと歩み寄ってくる。

砂利を踏む軍靴の音が、静寂の中でやけに大きく響いた。


「ア、アル……?」


突然の接近に、ミラが後ずさる。

アルヴィンはミラの目の前で立ち止まると、大勢の観衆が見守る中で、ごく自然な動作でミラの腰を引き寄せた。


「えっ……!?」


周囲から「きゃっ」という悲鳴にも似た声が上がる。

ファルカが目を丸くし、背後で控えていたシュナとクリオも、一瞬だけ動きを止めたが、すぐに彫像のように表情を戻した。

逃げ場はない。アルヴィンの黄金の瞳が、至近距離でミラを捕らえて離さない。

その瞳には、昨夜の「拗ねた子供」のような色はなく、すべてをねじ伏せる「雄」の色が宿っていた。


「ミラ。……言い忘れていたことがあるんだ」


アルヴィンはミラの耳元に顔を寄せると、誰にも聞こえない吐息のような声で囁いた。


「(昨日の約束……ここで果たすよ)」

「えっ、ちょっ、待っ――」


ミラの抗議は、彼の唇によって塞がれた。


衆人環視の中での、口づけ。

それは挨拶代わりの軽いものではなく、角度を変え、唇を食むような、濃厚で所有欲に満ちたものだった。

ミラの身体から力が抜け、膝が折れそうになるのを、アルヴィンが強く抱きしめて支える。

冬の朝の冷たい空気の中で、二人の間だけ、火花が散るような熱が渦巻いていた。


時が止まったような静寂。

風の音さえ消え失せ、ただ二人の重なるシルエットだけが、朝日に照らし出される。


「んっ……ふ……っ!」


ミラが彼の胸を叩いても、アルヴィンは離さない。

むしろ、見せつけるように深く、長く。

ファルカの目の前で、彼女が誰のものかを、これ以上ないほど残酷な形で刻み込んでいく。


長い数秒間の後。

ようやく唇が離れると、銀の糸がプツリと切れた。

ミラは茹で上がった蛸のように真っ赤になり、腰が抜けてその場にへたり込みそうになる。それをアルヴィンが片腕で支え、満足げに微笑んだ。


「……行ってきます、ミラ」


彼は呆然と立ち尽くすファルカの方を向き、優雅に、そして残酷なまでに勝ち誇った笑みを向けた。


「彼女は、僕の『最愛』なので。……手出しは無用だ」


その一言は、どんな魔術よりも強力に、ファルカの恋心を粉砕した。


「え……あ、えぇ……ッ!?」


ファルカの顔色が、青から赤、そして白へと変わっていく。

ナンナは口をあんぐりと開けて固まり、フランは「ひゅー! 役者が違うわ! さすが勇者様、独占欲も世界レベルやな!」と音のない拍手を送っていた。


しかし、その余韻に浸る間もなく、凛とした声が響いた。


「勇者様。……慈愛の祝福は、お済みになりましたか?」


シュナだった。

彼女は聖女の微笑みを貼り付けたまま近づいてくると、動揺する民衆を安心させるように、鈴のような声で告げた。


「民との別れを惜しむお心、痛み入ります。ですが、世界が貴方様を待っておりますわ」


その言葉は完璧だった。

アルヴィンの常軌を逸した行動を「勇者による慈愛の祝福(という名の挨拶)」として強引に定義し、場の空気を「勇者の奇行」から「伝説のワンシーン」へと塗り替えてしまったのだ。

クリオもまた、無言で馬車の扉を開け、主を待つ姿勢を崩さない。


「……ああ、そうだね。行こうか」


アルヴィンは満足げに頷き、マントを翻した。

三人は完璧な連携でその場を収め、颯爽と馬車へ乗り込んでいく。

その姿には、微塵の隙も、内面の動揺も見えなかった。


馬車が動き出す。

遠ざかる窓から、アルヴィンが手を振っているのが見えた。

その顔は、世界を救う勇者ではなく、ただの「恋する男」の顔だった。


「……信じらんない……」


一人残されたミラは、熱を持った唇を指で押さえ、その場に崩れ落ちた。

周囲からの視線が、針のように痛い。

特に、失恋のショックで石化したファルカと、興奮冷めやらぬナンナとフランの視線が、これからの質問攻めを予感させていた。


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