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勇者と幼なじみの物語―あざと勇者の愛が重すぎる―  作者: 華乃ぽぽ
3章

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英雄の沈黙


翌朝、砂嵐は嘘のように去り、リゼリア領には突き抜けるような冬の青空が広がっていた。

窓から差し込む陽光は眩しいほど明るい。けれど、ミラの心には重たい雲が垂れ込めたままだった。


昨夜の喧嘩。泣き腫らした目は冷やしたタオルでなんとか誤魔化せたけれど、胸の奥のズキズキとした痛みは消えない。

廊下ですれ違ったアルヴィンは、まるで他人のように余所余所しかった。

「おはよう、ミラ嬢」という冷たい挨拶と、一瞬だけ向けられた傷ついたような瞳。それが、ミラの罪悪感をより一層深めていた。


「わぁ……! ミラちゃん、すっごく綺麗! やっぱりそのドレス、似合うわ!」


客室で、ナンナが歓声を上げた。

今夜は、子爵家が主催する、勇者一行とミラたちを歓迎する晩餐会が開かれる。

ミラが身に纏っているのは、ナンナが貸してくれた淡い空色のドレスだ。

上質なシルク生地に控えめなレースがあしらわれたその衣装は、ミラの金髪と碧眼を引き立て、清楚な美しさを際立たせていた。


「ほんまやな。素材もええし、仕立てもしっかりしとる。さすが子爵家のお嬢様や」


フランが商人の目つきでドレスの裾や縫製をチェックしながら、感心したように頷いた。

そして、ナンナに聞こえないような小声で、ミラにだけ耳打ちをする。


「(シアンから聞いてた通りやな。こら、あの『勇者様』が手放したくないのも分かるわ)」

「(……っ! フランちゃん、声が大きいよ!)」


フランは以前、共通の友人であるシアンから、ミラとアルヴィンの「特別な関係」についてこっそり聞かされていた。だからこそ、この状況を面白がりつつも、秘密を守ってくれているのだ。


「(ま、精一杯おめかしして、拗ねてる彼氏のご機嫌とったんなはれ)」

「(もう……からかわないでよ)」


フランはニシシと笑い、事情を知らないナンナも「お兄様、頑張って!」と無邪気に同調する。

二人の明るさが、今のミラには少しだけ重荷だった。


「さあ、行きましょう! お父様もお母様も、ミラちゃんに会えるのを楽しみにしてるんだから!」


ナンナに背中を押され、ミラは重い足取りで部屋を出た。



会場となる大広間は、領地の復興を祝うかのように、温かい光と活気に満ちていた。

高い天井からはクリスタルのシャンデリアが煌めき、テーブルには地元の特産品であるジビエ料理や、色鮮やかな冬野菜のテリーヌが所狭しと並んでいる。

楽団が奏でる優雅な弦楽器の音色が、心地よく鼓膜を揺らす。


「ミラ嬢! よく来てくださいましたね」


エスコートに現れたのは、真っ白な礼服に身を包んだファルカだった。

彼はミラを見た瞬間、言葉を失ったように瞬きをし、それから頬を紅潮させて微笑んだ。


「……今夜は、ことさらに美しい。まるで冬の夜空から舞い降りた妖精のようです」

「ありがとうございます、ファルカ様。……少し、恥ずかしいですが」

「さあ、どうぞこちらへ。父も貴女を待っています」


ファルカに手を引かれ、ミラは会場の中心へと進む。

そこには、恰幅の良い優しげな男性――リゼリア子爵が、満面の笑みで待っていた。


「おお、貴女がミラ嬢か! 息子や娘から話は聞いていますぞ。貴女が来てから、我が家に良い風が吹いているとな」

「ご丁寧な挨拶、恐縮です。リゼリア子爵様」


子爵の温かい歓迎を受けながら、ミラはそっと視線を巡らせた。

そして、その瞬間、会場の空気が一変したのを肌で感じた。


主賓席の中央。

そこには、この世の者とは思えない美貌を持つ三人の英雄が座っていた。

聖騎士クリオは、背筋をピンと伸ばし、洗練された動作でナイフとフォークを動かしている。

「うむ、この猪肉のローストは見事だ」と低く呟くその姿は、ストイックで近寄りがたいほど高潔な騎士に見えた。


その隣で、巫女シュナは聖母のような微笑みを浮かべている。

「この土地の恵みに感謝を」と祈るようにグラスを傾ける仕草は、神秘的で、見ているだけで心が洗われるようだ。


(すごい……。これが、世界を救う英雄たち)


ミラ自身も、アルヴィン以外の二人とはまともに話したことがない。その圧倒的なオーラと、完璧さに気圧されそうになる。


そして、その中心にいる勇者アルヴィン。

純白の軍服に身を包み、銀髪を完璧に整えた彼は、恐ろしいほど美しかった。

けれど、その黄金の瞳は、楽しげな喧騒の中にあって、そこだけ絶対零度の静寂を湛えていた。


ファルカにエスコートされるミラを、彼は無言で見つめている。

グラスを持つ長い指が、白くなるほど強く握られていることに、周囲の人々は気づいていない。


「勇者様、こちらが私の……幸運の女神、ミラ嬢です。席は私の隣に用意させました」


ファルカが誇らしげに告げると、アルヴィンはゆっくりと口角だけを上げた。


「……そうか。仲が良さそうで、何よりだ」


その声は、完璧な「祝福」の響きを持っていた。

けれど、ミラにだけは聞こえた気がした。

『僕の手が届かない場所で、見せつけてくれるね』という、嫉妬に狂った本音が。


ミラは針の筵に座るような心地で席に着いた。

晩餐会は和やかに進んだ。

ファルカは甲斐甲斐しくミラの皿に料理を取り分け、ワインが空けばすぐに注ぎ足す。


「見てください、ミラ嬢。あちらのテーブルの賑わいを」


ファルカが嬉しそうに視線を向けた先では、フランが地元の商人たちと車座になり、身を乗り出して話し込んでいた。

物怖じしない彼女は、すでにこの場の空気を掌握しているようだ。


「フラン嬢を紹介してくださったことに、感謝します。彼女は早速、我が領の特産品について鋭い意見をくれました。王都への新しい販路が開拓できそうだ」

「ええ、フランは商才がありますから……。きっとお役に立てると思います」

「貴女は、有能な友人まで私たちに引き合わせてくれた。……やはり貴女は、リゼリアにとって幸運の女神だ」


ファルカの瞳が、熱を帯びてミラを見つめる。

そして、彼は声を優しくし、隣で楽しそうにデザートを頬張るナンナに視線を移した。


「それに、何より……妹の笑顔です。学園に行く前は、あんなに自信がなくて怯えていたナンナが、今はあんなに明るく笑っている。貴女がそばにいて、守ってくださったおかげだ」

「お兄様ったら、大げさなんだから! でも……うん。ミラちゃんがいてくれたから、私は頑張れたの」


ナンナが照れくさそうに、けれど真っ直ぐにミラを見て微笑む。

その純粋な感謝が、今のミラには少し眩しく、そして苦しかった。


「私はただの友人として……」

「その『ただの友人』が、私たち家族の心を救ってくれたのです。……私にとって貴女は、リゼリアに舞い降りた希望そのものだ」


ファルカの手が、テーブルの上でミラの手を包み込む。

その手は温かく、優しかった。

昨夜のアルヴィンの、冷たく強引な接触とは対照的な、春の日差しのような温もり。


そして、デザートのシャーベットが運ばれてきた頃。

ファルカは意を決したように、懐から小さな包みを取り出した。


「ミラ嬢。これは、私からの感謝の気持ちです」


箱が開かれると、中には雪の結晶を模した、繊細な銀細工の髪飾りが収められていた。

中央には、ミラの瞳と同じ色をした大粒の碧い宝石が、冷たく、美しく輝いている。


「これは……」

「リゼリア領の鉱山で採れた、希少な『氷碧石』です。……我が家では代々、当主が大切な女性にこれを贈る習わしがありまして」


ファルカの言葉に、隣のナンナが「ああっ! それ、お母様の……!」と口を抑え、子爵も深く頷いた。

それは明らかに、ただの贈り物以上の意味――事実上の求婚に近い意味を持つ家宝だった。

遠くの席で様子を見ていたフランも、その宝石の価値と意味に気づいたのか「うわ、勇者様の目の前で……度胸あるなぁ」とヒヤヒヤした顔をしている。


「受け取っていただけますか? 貴女の髪に、きっと似合う」

「え、あ、あの……こんな高価なものは……」


ミラが戸惑い、視線を泳がせる。

その視線の先で、アルヴィンが氷のような目でこちらを見ていた。


「遠慮なさらないで、ミラちゃん! お兄様の気持ちなんだから!」


ナンナが無邪気に応援する。

断れる雰囲気ではない。ファルカは「失礼」と言って、ミラの金髪にその髪飾りをそっと挿した。

碧い石が金色の髪に映え、周囲から「おおっ」と感嘆の声と拍手が上がる。

ファルカは満足げに微笑み、ミラの髪に触れたままの手を離さない。


その時だった。


カツン。


硬質な音が響き、会場の空気が一瞬にして凍りついた。

アルヴィンが、飲み干したワイングラスをテーブルに置いた音だ。

ただそれだけの動作なのに、まるで剣を抜いたかのような鋭い殺気が放たれていた。


「……勇者様?」


ファルカが怪訝そうに振り返る。

アルヴィンはゆっくりと立ち上がった。その顔には、先ほどまでの作り笑いすらなく、ただただ虚無的な冷たさが張り付いている。


「……美しい髪飾りだ。君によく似合っているよ、ミラ嬢」


称賛の言葉。けれどその黄金の瞳は、ミラの髪を飾る「他の男からの贈り物」を、今すぐにでも粉々に砕き割りたそうに見つめていた。


「え、あ……ありがとうございます……」


震える声で答えるのが精一杯だった。


「あら、アルヴィン様。少しお顔が赤くてよ?」


不穏な空気を察したシュナが、鈴のような澄んだ声で助け舟を出した。

聖女のような慈愛に満ちた眼差しで、アルヴィンを気遣っているように見える。


「連日の激務でお疲れなのでしょう。……勇者殿、明日の出発に備えて、早めにお休みになられては?」


クリオもまた、冷静沈着な騎士として、低い声でアルヴィンを促した。

二人の完璧なまでの配慮に、ミラは(なんて優しい人たちなんだろう)と心を打たれたが、アルヴィンのこめかみには一瞬だけ青筋が浮かんだ気がした。


「……そうだな。少し、酔いが回ったようだ」


アルヴィンは仲間の提案を受け入れつつ、視線はミラから外さない。


「先に失礼させてもらう。……邪魔者は、早々に消えたほうがいいだろうからね」


アルヴィンは自嘲気味に口の端を歪めると、ミラに背を向けた。

その背中は、怒っているというより、どこか深く傷つき、諦めかけたような哀愁を漂わせていた。


「では、私たちもこれにて。素晴らしい晩餐でした、リゼリア卿」

「神のご加護がありますように」


シュナとクリオも優雅に一礼し、足早に去っていくアルヴィンを追いかける。


「勇者様、どうされたんでしょうか……?」


ファルカが心配そうに呟く。

子爵も「旅の疲れが出たのかな」と首を傾げている。


(違う……アル、違うの!)


彼は誤解している。

ミラがこの場所を選び、ファルカの想いを受け入れたのだと。

自分はもう必要ないのだと、そう思い込もうとしている。


勇者たちが去ると、再び音楽が流れ始めた。

けれど、ミラの心はもうここにはなかった。

ファルカの笑顔も、ナンナの祝福も、今のミラには色あせて見える。


(このままじゃ、ダメだわ)


昨夜の喧嘩のまま、こんな形で別れてしまったら、きっと一生後悔する。

「守られるだけの存在になりたくない」と言ったけれど、彼を傷つけたいわけじゃなかった。


ミラは目の前のワインを一気に飲み干した。

喉を焼く熱さが、臆病な心に火をつける。


「……ごめんなさい、ファルカ様」

「え?」

「私、ちょっと……酔いを覚ましに、風に当たってきます」


「あ、夜風は冷えますよ。私が付き添いましょうか?」

「いいえ! ……一人で行きたいんです」


ミラはファルカの制止を振り切り、逃げるように大広間を飛び出した。

遠くでフランが、察したように小さくウインクを送ってくれたのが見えた気がした。


目指すのは、中庭ではない。

客室棟の、一番奥にある部屋。


廊下を走る足音が、静寂に響く。

高鳴る鼓動。

アルヴィンに会いたい。

会って、誤解を解いて、そして――。


息を切らして辿り着いた、重厚な扉の前。

中からは、シュナとクリオの声も聞こえない。静まり返っている。

ミラは震える手で、その扉を叩いた。


「……アル、開けて。私よ」


今度は、ミラから会いに行く番だった。


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