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勇者と幼なじみの物語―あざと勇者の愛が重すぎる―  作者: 華乃ぽぽ
2章

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逃避の果て


離宮の客室に戻った頃には、足の感覚がなくなっていた。


「……はぁ」


ミラは扉を背にして、ずるずるとその場に座り込んだ。

誰もいない静寂が、痛いほど心地よい。

脱ぎ捨てたヒールが、無造作に転がっている。


窓の外では、まだ祝宴の余韻が響いていた。

けれど、重厚な扉に閉ざされたこの部屋には、ミラ一人だけの静寂が満ちている。


「バカみたい、私……」


勝手に期待して、勝手に傷ついて。

アルは何も悪くない。彼は勇者としての責務を果たしているだけだ。

彼が身につけていた碧色のクラバット。あのお揃いの色だけで満足すべきだったのに。


「着替えて、もう寝よう」


ドレスの背中の紐に手をかけようとした、その時だった。


ドンドンッ!!


激しく扉が叩かれた。

侍女のノックではない。もっと切羽詰まった、乱暴な音。


「ミラ! いるんだろ!?」

「え……アル?」


聞き間違えるはずもない声。

ミラが返事をするよりも早く、鍵のかかっていなかった扉が勢いよく開かれた。


「アル……!? どうして、舞踏会は……」


そこには、肩で息をするアルの姿があった。

整えられていた銀髪は乱れ、額には汗が滲んでいる。

主役である彼が、宴を抜け出して、ここまで走ってきたのだ。


「……探した」


アルは部屋に入るなり、扉を背手で閉めて鍵をかけた。

そして、座り込んでいたミラの前に跪き、強く抱きしめてきた。


「どうして黙っていなくなるんだ……! 急に君の気配が消えて、怖かった」

「ご、ごめん。ちょっと疲れちゃって……」

「体調が悪いの? それとも誰かに何か言われた? ……さっき、あいつと一緒にいたよね?」


アルの声が低くなる。


「シアン・ベル・アージュ。……なんであいつが、君の腰に触ってたの?」

「そ、それは、たまたま助けてもらっただけで……」

「助けた? あいつが君に何を?」


アルの黄金の瞳が、剣呑な光を帯びてすっと細められた。

嫉妬。明確な嫉妬の炎が、そこには揺らめいている。


「……やっと、二人きりになれた」


アルの声は、熱を帯びていた。

正装である白い軍服は少し乱れ、銀の髪が月光を弾いて輝いている。

数刻前まで大広間の中心で喝采を浴びていた彼が、今はミラの目の前で、切なげに眉を下げている。

その黄金の瞳には、世界を救う英雄の覇気はなく、ただ愛する女に飢えた一人の男の渇望だけが揺らめいていた。


「アル、戻らなくていいの? 主役が抜け出してきちゃ……」

「いいんだ。僕が会いたいのは、あの人たちじゃない」


アルはミラの言葉を遮り、一歩踏み出した。

その動きには、以前にはなかった強引さと、大人の男の色気が滲む。


「君に会いたかった。ずっと、君だけを求めていたんだ」


ドクリ、と心臓が跳ねる。

離れていた時間が、ミラの中にあった「弟のような幼なじみ」という認識を崩していた。

会えない夜の寂しさ。

彼が守ってくれていたはずの平穏な日々の中で、募るばかりだったどうしようもない孤独。

それが、目の前の彼を何よりも愛おしい存在へと変えていたのだ。


「……僕がいない間に、君が誰かと笑い合って、僕の知らない奴の隣に立つなんて、耐えられない」


低い声。

それは懇願のようでいて、明確な独占欲の響きを持っていた。

脳裏に焼き付いているのは、先程の舞踏会での光景だろう。

ミラの腰に手を添え、親しげに囁いていたシアン。その光景を思い出したのか、アルの瞳の奥に昏い闇が走る。

その嫉妬すらも、今のミラには甘い蜜のように感じられた。


「だから約束して。僕が帰って来るまで――誰のものにもならないで」


幼なじみの顔をして、彼は逃げ場のない想いを突きつけてくる。

その真っ直ぐすぎる瞳の前では、反論なんて言葉は出てこない。


「誰のものにもならないでって、アル……」

「嫌? 僕だけじゃ、だめ?」


遮るように、アルがミラの手首を掴んだ。

引き寄せられる身体。

沈み込むソファ。

伝わる体温。

逃がさないとでも言うように、その拘束は優しくも絶対的だった。


「っ……、ち、近い……」

「僕を、幼なじみじゃなく……男として見て」


囁きと共に、アルの手がミラの頬を包み込んだ。

熱い。

火傷しそうなほどの熱量。

けれど、その指先は微かに震えていた。


(アルの手……震えてる)


視線を落とせば、見慣れた節くれだった指。

世界最強と謳われる勇者になっても、彼はミラの目の前で、こんなにも不器用に震えている。

ミラを失うことを、何よりも恐れているかのように。

そしてミラもまた――彼を失うことを、何より恐れている。

彼が光の住人で、自分が闇を抱える半魔だとしても。この温もりだけは手放したくない。


「……アル」


ミラは、彼の手を拒まなかった。

むしろ、その震えを愛おしいと思い、そっと自分の手を重ねた。

その瞬間、アルの瞳が大きく揺れる。

張り詰めていた糸が切れ、安堵と歓喜が入り混じったような色が浮かぶ。


「ミラ……?」

「……いってらっしゃい、アル。ちゃんと、帰ってきてね」


それは、許しの言葉だった。

アルは泣きそうな顔で微笑むと、静かに、けれど決して引かない意志で、抱き寄せるように距離を詰めた。

互いの吐息が混じり合う距離。


「……明日行く場所には、君を連れていけないから」

「うん」

「せめて、お守りが欲しいんだ。君という、刻印が」


切羽詰まった声。

次の瞬間、世界が反転した。


「ん……っ」


唇が重なる。

触れるだけの口づけではない。

呼吸と鼓動が重なり、ミラの思考を白く染め上げるような、深く、熱い接触。

遠くの歓声が遠のき、世界には二人の鼓動だけが残された。

貪るような、けれど壊れ物を扱うような慎重さで、アルはミラの全てを確かめていく。


拒絶なんて、できなかった。

この熱こそが、ミラが待ち焦がれていたものだと、心が認めてしまったから。


一瞬の出来事だったはずなのに、それが永遠にも思えるほど長く感じられた。


唇が離れたあと、ミラは熱を持った頬で呆然とアルを見上げるしかなかった。

視界が揺れる。

目の前にいるアルの瞳は、潤んでいて、とろけるように甘く――息を呑むほど、優しかった。


「……はぁ、かわいい」


言葉にならないミラを見て、彼は満足げに、あざといほど可憐に微笑む。

先程までの余裕のなさが嘘のように、そこには「自分のもの」であることを確認した捕食者の余裕があった。


「……これで、もう僕のこと、忘れられないね」


その言葉は、呪いのように甘くミラの心に絡みついた。

そしてミラもまた、その甘い呪縛に自ら囚われることを、望んでしまったのだ。



「……名残惜しいけど、行かなくちゃ」


しばらくして、アルがふと我に返ったように身を離した。

外の騒ぎが大きくなっている。主役の不在に、周囲が気づき始めたのだろう。

彼は乱れたミラの髪を優しく撫でつけ、ドレスの襟元を整える。

その手つきは甲斐甲斐しく、まるで大切な宝物を扱うかのようだ。


「アル……」

「泣かないで。すぐに終わらせて、帰ってくる」


アルは立ち上がり、背筋を伸ばした。

その瞬間、彼の纏う空気が変わる。

ミラの前だけの「ただの男」から、世界を背負う「勇者」へ。

けれど、最後に振り返ったその瞳だけは、ミラへの未練で揺れていた。


「愛してるよ、ミラ」


甘い囁きを残し、彼は扉を開けて出て行った。

カチャリ、と鍵が閉まる音が、あまりにも冷たく響く。


部屋には再び静寂が戻った。

けれど、唇に残る熱と、身体に染み付いた彼の残り香だけが、今の出来事が夢ではなかったと告げている。


「……私も」


閉ざされた扉に向かって、誰にも届かない言葉を呟く。


「私も、大好きだよ……アル」


窓の外では、夜空を焦がすような大輪の魔法花火が打ち上がっていた。

世界中の祝福と、ミラの罪悪感を乗せて。


それからしばらくして、迎えの馬車が来た。

ミラは夢遊病者のようにふらふらと馬車に乗り込み、学園へと戻った。

ガタゴトと揺れる馬車の中で、何度も唇に触れる。


(もう、戻れない)


幼なじみという安全な関係には、もう二度と戻れない。

アルは私を「女」として求めた。私もそれに応えた。

それは、世界を欺く共犯関係の始まりでもあった。


寮の部屋に戻ると、ナンナはすやすやと眠っていた。

その平和な寝顔を見て、ミラは少しだけ安堵し、窓辺に歩み寄る。

夜空に浮かぶ月は、先程アルの背中越しに見た月と同じ形をしていた。


「明日、旅立つのね」


彼は魔王を倒す旅へ。

そして私は、半魔の秘密を抱えたまま、この学園に残る。

次に会えるのがいつになるのか、あるいはもう二度と会えないのか。

それは誰にも分からない。


けれど、この夜の口づけが、私をこの世界に繋ぎ止める鎖となったことだけは確かだった。

どんなに辛くても、どんなに恐ろしくても。

あの黄金の瞳にもう一度会うために、私は嘘をつき続ける。


「待ってるから」


ミラは月に向かって誓う。

それは、勇者への祈りであり、自分自身への呪いのような約束だった。

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