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勇者と幼なじみの物語―あざと勇者の愛が重すぎる―  作者: 華乃ぽぽ
2章

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光の祭典

その招待状は、あまりに唐突だった。

差出人は後見人であるリューゼン卿。けれど、その筆跡と漂う香りは、間違いなくアルのものだった。


『今夜、僕の凱旋舞踏会がある。ミラ、君を招待する』


驚いたことに、開催日は「今日」。

それにはリューゼン卿も関わっているようで、学園の外出許可は既に「特別公務」という名目で取得済みという状態だった。

仕事が早い、と私は感心するほかない。

これは招待状というより、拒否権のない召喚状だ。


「……他言無用、か」


招待状の隅に書かれた注意書きを指でなぞる。

私たちの関係は秘密だ。公の場で勇者とただの学生が親しくすることは許されない。


「ごめんねナンナ。急に学園の使いで、出かけなきゃいけなくなっちゃって」

「えー、大変だねミラちゃん。気をつけて行ってらっしゃい!」


私はナンナに嘘をつき、逃げるように寮を出た。

胸が痛むけれど、彼女を巻き込むわけにはいかない。


校門には既に、紋章のない黒塗りの馬車が待っていた。

私が乗り込むと、御者は無言で鞭を振るい、馬車は滑るように走り出した。


窓の外を流れる王都の景色を眺めながら、私はため息をつく。

心の準備も出来ていないし、何より服装が学園の制服のままだ。

ドレスの一着も用意する時間はなかった。


「……アルと会うの、半年ぶりかあ」


あれからもう、半年も経っていたのだなと、感傷に浸る。

学園での生活、半魔だと知られた恐怖、シアンとの駆け引き。

その日その日を生きるのが精一杯で、時が過ぎるのが早すぎた。


(なんて言えばいいんだろ? 久しぶり、元気にしてた? ……とか?)


そんなありきたりな言葉で、この半年の空白が埋まるのだろうか。

手紙では伝えきれなかった想いや、聞きたいことが山ほどあるのに、いざ会うとなると言葉が出てこない気がする。


馬車は王宮の敷地内に入り、本殿を通り過ぎて、静かな森に囲まれた「離宮」へと到着した。

案内された離宮の一室は、ラダー村の私の家が丸ごと入ってしまうほど広かった。


足が沈み込むほど分厚い絨毯。

壁に飾られた名画。

窓の外に広がる、手入れの行き届いた夜の庭園。

遠くの本殿からは、微かに祝宴の音楽と、空を彩る魔法花火の音が響いてくる。


「……場違いにも程があるわ」


私はポツリと呟き、ソファに身を沈めた。

今夜は『勇者凱旋記念舞踏会』。

国中の貴族、王族、そして英雄を一目見ようとする有力者たちが集う、光の祭典だ。

そんな場所に、ただの村娘が紛れ込んでいいはずがない。


(アルは、今頃……)


壁の古時計が、チクタクと規則正しい音を刻んでいる。

彼は今頃、本殿での公務や、貴族たちへの挨拶回りに追われているのだろう。

半年ぶりの再会。

たった半年。されど半年。

手紙のやり取りはあったけれど、文字だけの繋がりは、かえって距離を感じさせた。


「ミラ様、お支度が整いました」


侍女たちが恭しく差し出したのは、深い夜空のような、濃紺のシルクドレスだった。

散りばめられたサファイアとダイヤモンドは、まるで星空のようだ。


「……私のサイズ、変わってないと思ってるのかな」


ドレスに袖を通すと、今の私に恐ろしいほどぴったりの寸法だった。

背中のライン、ウエストのくびれ。

まるで、毎日私の身体を抱きしめて確かめていたかのような正確さ。


「あ……」


鏡の前に立ち、私は息を呑んだ。

そこに映るのは、見知らぬ令嬢のような自分。

アルが選んだドレスは、私を「妹」や「幼なじみ」としてではなく、明確に「一人の女性」として美しく見せるためのものだった。


(アルは、私をどうしたいの?)


胸の奥が、熱く疼く。

村にいた頃のように、泥だらけになって笑い合う日々はもう帰ってこない。

彼は英雄になり、私は……彼に守られるだけの、あるいは彼を惑わすかもしれない存在になった。


(どんな顔で、会えばいいんだろう)


「久しぶり」と笑えばいいのか。

「会いたかった」と抱きつけばいいのか。

それとも、勇者様への礼儀として、一歩下がってカーテシーをするべきなのか。


想像するだけで、心臓が早鐘を打つ。

会いたい。

喉が渇くほど、彼の声を聞きたいし、その体温に触れたい。

けれど、会ってしまえば――私が必死に保ってきた「ただの幼なじみ」という境界線が、音を立てて崩れ去ってしまいそうで怖い。


『君は半魔だ』


シアンの言葉が、冷水のように思考を掠める。

私が抱える闇。彼が背負う光。

好きになればなるほど、近づけば近づくほど、その対比は残酷に浮き彫りになる。


(魔術さえ使わなければ、バレない。……でも)


秘密を抱えたまま、彼の真っ直ぐな瞳を見つめ返せるだろうか。

彼の全幅の信頼と愛情を、騙しているような罪悪感に押しつぶされないだろうか。


「……それでも」


私は鏡の中の自分を見つめ、震える手で胸元のサファイアに触れた。

この宝石のように深く、重い彼の愛。

それを受け止める覚悟が、今の私にあるのかは分からない。


けれど、逃げることは許されない。

彼は招待状を送ってきた。私を、この舞台へと引きずり上げた。


「ミラ様、お迎えの馬車が参りました」


侍女の声が、猶予の終わりを告げた。


私は深呼吸をして、鏡の中の自分に小さく頷いた。

震えを隠し、迷いを飲み込み、アルが望む「一番可愛い女の子」の仮面を被る。


半年分の空白。

変わりゆく関係。

そして、言えない秘密。


全てをドレスの裾に隠して、私は歩き出す。

あの黄金の瞳に見つめられた瞬間、私が私でいられる保証なんて、どこにもなかった。


「……行きましょう」


扉が開く。

夜風が運んできたのは、甘い花の香りと、遠い祝宴の熱気だった。



王宮の大広間は、時間が経つにつれて、ミラの想像を絶する熱気と光に満ちていった。


頭上には数百の魔法蝋燭が灯るクリスタルのシャンデリア。

足元には、鏡のように磨き抜かれた大理石のフロア。

そして、国中から集まった着飾った貴族たちの、むせ返るような香水と、目が眩むほどの宝石の煌めき。


「……眩しい」


ミラは思わず目を細めた。

アルが用意してくれた濃紺のドレスは、この夜会の場に馴染んでいるはずだ。

けれど、ミラの心だけが、油と水のようにこの場から浮いている。

自分がここに紛れ込んでいい人間ではないという劣等感が、肌を刺すような居心地の悪さを生んでいた。


(目立たないようにしなきゃ)


ミラは会場の隅、巨大な飾り柱の影に身を潜めるようにして立った。

ここなら、誰にも見つからない。

ただの「観客」として、彼を見守ることができる。


そう思っていた、その時だった。


「きゃっ!」

「あら、失礼……って」


人混みに押された誰かと肩がぶつかる。

謝ろうとして顔を上げたミラは、息を呑んだ。


「……あなた、ミラ!?」


目の前に立っていたのは、豪奢な真紅のドレスを纏ったエリーゼ姫だった。

彼女は幽霊でも見たかのように、目を限界まで見開いている。


「な、なぜあなたがここにいますの!? ここは選ばれた者しか入れない舞踏会ですのよ!?」

「あ……」


エリーゼはミラが来ることを知らなかったのだ。

当然だ。招待客リストの末席に、リューゼン卿がこっそりとねじ込んだのだから。


「まさか、紛れ込んだのですか? 衛兵! 誰か!」

「おやおや、ごきげんよう、エリーゼ殿下」


騒ぎになりかけた瞬間、横から抑揚のない声が割って入った。


「シ、シアン様……?」


ミラの隣に音もなく現れたのは、正装に身を包んだシアンだった。

彼は自然な動作でミラの腰に手を添え、エスコートするような体勢を取る。


「彼女は僕の連れ……のようなものです。リューゼン卿から、くれぐれも目を離すなと仰せつかっていましてね」

「シアン様が……? でも、そのような平民……」

「今日の主役は勇者様です。些細なことで騒ぎを起こしては、殿下の品位に関わりますよ?」


シアンに淡々と諭され、エリーゼはぐぬぬと言葉を詰まらせた。

彼女はミラを睨みつけると、吐き捨てるように言った。


「……フン。シアン様に感謝なさい。ですが、調子に乗るんじゃありませんわよ」


エリーゼは取り巻きを引き連れ、足早に去っていった。

ミラはホッと息を吐き、隣の男を見上げる。


「……助けてくれたんですか?」

「まさか。君が騒ぎを起こして、うっかり『瞳の色』が変わったら困るだろう?」


シアンは耳元で低く呟いた。

冗談ではなく、本気で心配しているトーンだ。


「それにしても……そのドレスは勇者が選んだのか? 君の瞳の色と同じだ」

「……」

「まるで『自分の所有物』だと言わんばかりだな。……趣味が悪い」


シアンは吐き捨てるように言った。

その言葉はミラに向けられたものではなく、そのドレスを選んだ勇者の執着深さに対する、同族嫌悪のようなものを含んでいた。


「……放っておいてください」

「そうしたいのは山々だが、そうもいかない。……俺たち、同じ秘密を持つ『一蓮托生』の身だからな」


シアンはミラの髪を一房すくい、弄ぶ。

その距離は、傍から見れば親密な関係に見えたかもしれない。


「皆様、静粛に! 本日の主役、勇者アルヴィン様と、聖なる巫女シュナ様のご入場です!」


突然、ファンファーレが高らかに鳴り響き、重厚な大扉がゆっくりと開かれた。

会場中のざわめきが一瞬で消え、次いで割れんばかりの拍手と歓声が爆発した。


光の中に、彼が現れた。


純白の礼服に身を包んだアル。

伸びた銀髪を後ろで束ね、その美貌は以前にも増して洗練され、神々しいほどの輝きを放っている。

その隣には、清廉な巫女服を纏ったシュナ。

銀の髪、紫の瞳。儚げで美しい彼女は、まさに勇者の隣に立つために生まれた「光の乙女」そのものだった。


「キャアアアアッ! アルヴィン様ぁ!」

「なんてお似合いなんだ……まさに伝説の再来だ」


誰もが二人を称え、祝福している。

その光景はあまりに完璧で、一枚の宗教画のように美しかった。


(……ああ、やっぱり)


ミラは胸の奥が冷えていくのを感じた。

これが「現実」だ。

彼は世界を救う英雄。光の当たる場所で、王族や巫女と並び立つべき存在。

半魔という闇を抱え、正体を隠して生きるミラが、決して触れてはいけない光。


アルは優雅に手を振りながら、大階段をゆっくりと降りてくる。

その顔には、完璧な「勇者の微笑み」が張り付いていた。

誰もがその笑顔に酔いしれる中、ミラだけが知っている。

あんな風に、作り物めいた綺麗な笑い方をする人じゃなかったのに。


階段の中腹で、ふと彼の足が止まる。


そして。


まるでそこにミラがいることを最初から知っていたかのように。

数多の群衆を飛び越えて、黄金の瞳が柱の影にいるミラを正確に射抜いた。


「あ……」


目が合った瞬間、アルの表情から「勇者」の仮面が剥がれ落ちた気がした。

切なげに眉を寄せ、熱っぽく、飢えたような瞳。


けれど、次の瞬間。

アルの視線が、ミラの隣――腰に手を添えているシアンへとスライドした。


(っ!?)


ほんの一瞬。

アルの瞳から光が消え、ぞっとするほど冷たい、底なしの暗闇が宿った。

殺気にも似た鋭い視線が、シアンを貫く。


「……おや、怖い怖い」


シアンがわざとらしく肩をすくめた。

アルはすぐに表情を戻したが、その口元は微かだが、確実に引きつっていた。


(見てた……シアンと私が、一緒にいるところ)


心臓が嫌な音を立てる。

アルは再び視線をミラに戻すと、胸元にそっと手を当てた。

そこには、純白の衣装の中で唯一の色――ミラのドレスと同じ、深い碧色サファイアブルーのクラバットが結ばれていた。


『君は、僕のものだ』


声に出さずとも、その色が、その瞳が雄弁に語りかけていた。

シアンに向けられた敵意と、ミラに向けられた執着。

そのあまりの温度差に、ミラは目眩を覚えた。


アルは再び「勇者」の顔に戻り微笑むと、シュナをエスコートして群衆の波へと消えていく。


「……愛されているな。今の顔を見たか? 俺を本気で殺す目だった」


隣で見ていたシアンが、冷ややかな声で呟いた。


「やはり、勇者は危うい。……自分の光が強すぎて、周りの闇が見えていない」


「皆様、次はワルツのお時間です!」


楽団の演奏に合わせて、勇者アルヴィンと巫女シュナがフロアの中央に進み出る。

優雅に手を取り合い、踊り出す二人。

その完璧な姿に、会場中からため息のような感嘆が漏れる。


「なんてお似合いなんだ……まさに伝説の再来だ」

「この国の希望、我らの光!」


誰もが二人を称え、祝福している。

その光景はあまりに完璧で、一枚の宗教画のように美しかった。


(……ああ、やっぱり)


私は胸の奥が冷えていくのを感じた。

これが「現実」だ。

彼は世界を救う英雄。光の当たる場所で、王族や巫女と並び立つべき存在。

半魔という闇を抱え、正体を隠して生きる私が、決して触れてはいけない光。


柱の影から見つめる私に、踊っている最中のアルの視線が、時折ちらりと向けられる。

その瞳は熱っぽく、何かを訴えかけているようだったけれど、今の私にはその熱を受け止める余裕がなかった。


「……あら、まだいらしたの?」


不意に聞こえた棘のある声。

見れば、少し離れた場所から、エリーゼ姫が扇子越しに冷ややかな視線を送っていた。

シアンに釘を刺されたため直接は来ないが、その目は「早く消えろ」と雄弁に語っている。


(もう、限界かも)


慣れないヒールの痛み。

常に正体がバレないかという緊張感。

そして何より、アルとの圧倒的な「格差」を見せつけられ続ける惨めさ。


私は誰にも気づかれないように、そっと回廊へと足を向けた。

逃げよう。

私がいるべき場所は、ここじゃない。

全てがミラを押しつぶそうとしているようで、もう一秒たりともここにいられなかった。


(帰ろう……)


ミラは逃げ出した。

まさかその直後、勇者が宴を抜け出して、自分の部屋まで追いかけてくるとは思いもせずに。

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