赤き瞳の秘密
目を開くと、見慣れぬ高い天井がぼんやりと映った。
意識が浮上するにつれ、ズキズキとした頭痛が襲ってくる。
何かを考える前に、私は反射的に身体を起こした。
「ここは……」
ぼーっと靄のかかったような頭を整理する。
そういえば、魔術の実践試験をしていて……シアンが放った規格外の炎を見て、それに巻き込まれそうになって……。
「夢?」
「残念ながら、夢じゃない」
その声にハッとして視線を巡らせると、部屋のソファに優雅に脚を組んで座るシアンの姿があった。
王宮魔術師の制服を着崩し、手元の本に目を落としている。
その横顔は絵画のように美しいが、どこか人を寄せ付けない冷たさを纏っている。
「……気がついたか」
シアンは本を閉じ、ゆっくりとこちらを向いた。
その瞳が私を捉えた瞬間、彼の表情が一瞬だけ――本当に瞬きするほどの短さだけ、安堵に歪んだ気がした。
けれど、すぐにいつもの食えない薄い笑みが張り付く。
「おはよう、お姫様。随分と長く寝ていたな」
「あの、ここは?」
「学園の貴賓室だ。……君に話があって、少し借りた」
シアンは立ち上がると、躊躇なくベッドの縁に腰を下ろした。
ベッドが沈む感覚。
近い。
端正な顔立ちが目の前に迫り、心臓が早鐘を打つ。
「え、話?」
「そう、君の『正体』についてだ」
シアンは長い指で私の頬をツツッとなぞり、金の髪を一房掬い上げた。
その手つきは、壊れ物を扱うように繊細で、どこか探るような色を帯びていた。
「君、『半魔』だろう」
「……はい?」
あまりに淡々と、事実確認のように言われたので、意味が頭に入ってこない。
「人族と魔族のハーフ。……自覚はなかったのか?」
「な、何を言ってるんですか? 私は人間です!」
変な言いがかりはやめてほしい。
魔族といえば、黒い髪に赤い瞳だと相場が決まっている。
「まあ、落ち着け。……論より証拠だ」
シアンはポケットから手鏡を取り出し、私の顔の前に突き出した。
「見ろ」
「え……」
鏡の中の私は、確かにいつもの金の髪をしていた。
けれど、その瞳は――鮮血のように赤く、妖しく輝いていた。
「うそ……」
「魔力を使うと一時的に変質するらしい。……綺麗な赤だ」
私は手鏡を取り落としそうになった。
シアンがそれを、私の手に触れるようにして受け止める。
「君は半魔だ。それは変えられない事実らしい」
「そ、そんな……」
「大丈夫だ。……俺を見ろ」
シアンが私の顎をクイッと持ち上げる。
至近距離で絡み合う視線。
私は驚きで目を見開いた。
シアンの瞳もまた、私と同じ「赤色」に染まっていたのだ。
「俺も半魔だ」
「えええ!?」
「しっ、声が大きい」
シアンは人差し指を私の唇に押し当てた。
その指先が微かに震えていることに、私は気づいてしまった。
「俺は幼少期からの訓練で、普段は隠蔽している。だが、君はまだ制御が甘い」
「半魔って……あの、王宮魔術師様ですよね?」
「ああ。……バレれば処刑だ」
シアンは自嘲気味に笑った。
その笑顔は、どこか寂しそうで、孤独の色が滲んでいた。
「で、だ。ここからが本題だ」
シアンの声のトーンが少し下がる。
彼は私の手を取り、包み込むように握った。
冷たい。彼の手は、いつも氷のように冷たい。
「君は、このまま勇者の側にいるつもりか?」
「えっ、それは……」
「もし、光の象徴である勇者の隣に、『半魔』がいると知られたらどうなると思う?」
シアンの赤い瞳が、私を射抜く。
「神殿も国も、君の排除を望むだろう。……その時、勇者はどうする?」
「アルは……きっと私を守ってくれます」
「ああ、そうだろうな。あいつは……君にベタ惚れだからな」
シアンは苦々しげに肯定した。
まるで、その事実を口にするだけで胸が痛むかのように。
「だが、君を守るということは、『世界を敵に回す』ということだ。彼は勇者としての誇りも、地位も、名誉も全て捨てて、君のために汚名を着ることになる」
「っ……」
「君は、彼にそんな残酷な選択をさせるつもりか? 彼を破滅させたいのか?」
言葉が出なかった。
逃げ場のない正論だった。
私がアルを大切に思えば思うほど、私が彼の「汚点」になってはいけない。
「だから、俺を頼れ」
「はい?」
「俺なら君と同じ『闇』側の住人だ。君の苦悩も理解できるし、力の隠し方も教えられる。……勇者を破滅させずに済む」
シアンは顔を寄せ、選択肢を突きつけるように囁く。
「俺と組もう。お互いの秘密を守り合う『パートナー』として」
「パ、パートナー……」
「そう。君には俺が必要で……俺には君が必要だ」
とんでもない提案だ。
でも、その声には必死さが混じっていた。
まるで、私が頷かなければ、彼自身が壊れてしまいそうなほどの切実さが。
「お、お断りします! なにを急に……」
「ほう、断るか」
「そういう問題じゃなくて!」
「じゃあ、勇者に半魔が露見して、二人して地獄に落ちるのが望みか?」
コンコン。
その時、タイミング悪くノックの音が響いた。
「失礼します! 学園長が今回の試験の件で……」
ガチャリ。
扉が開く音がする。
シアンは舌打ちを一つつくと、強引に私の肩を引き寄せた。
「っ!?」
「隠せ」
彼の腕が私の首に回され、視界が彼の胸板で塞がれた。
抱きしめられたのだ。
それも、愛情表現のためではない。
(あ……!)
私はハッとした。
今の私の瞳は、まだ「赤色」のままだ。
もし、入ってきた人間にこの顔を見られたら、その瞬間に私の人生は終わる。
シアンは、私の顔を――禁忌の証である瞳を、自分の身体で隠したのだ。
「え、あ……」
顔を上げようとする私を、彼の手が強く後頭部を押さえつける。
彼の心臓の音が、痛いほど速く脈打っているのが聞こえる。
それは、これから訪れるスキャンダルへの興奮か、それともバレるかもしれないという緊張か。
「あ, えと、その……!」
入ってきた女子生徒は、ベッドの上で密着する私たちを見て絶句した。
私の顔はシアンの胸に埋もれていて見えない。
彼女の目には、単なる「情事の最中」にしか映らないだろう。
「み、見なかったことにします! 失礼しましたーーッ!」
パタン!
扉が閉まり、廊下を猛ダッシュで逃げる足音が遠ざかる。
静寂が戻っても、シアンはしばらく私を離さなかった。
廊下から完全に気配が消えるのを確認するように。
「……シアンさん?」
「……ああ。行ったな」
シアンはようやく腕の力を緩めた。
私が顔を上げると、彼は安堵のため息をついていた。
その瞳は、いつの間にか元の「灰色」に戻っていた。
「危なかった……。あの記者は勘が鋭い」
「今のは……」
「君の目が赤いままだからだ。……見られたら終わりだったぞ」
シアンは、乱れた私の髪を整えながら言った。
彼は咄嗟の機転で、本当に私を守ったのだ。
「……ありがとうございます」
「礼には及ばない。……まあ、その代償は払ったがな」
シアンは眉をひそめ、困ったように肩をすくめた。
「盛大に誤解された」
「あっ!」
「明日の朝には学園中に広まっているだろうな。『王宮魔術師シアン、女子生徒とベッドで熱愛』とな」
「最悪です……!」
「あ、そうそう。言い忘れていたが」
シアンは私の髪を指で弄びながら、淡々と、しかし重要な事実を告げた。
「俺に言い寄ってくる女性陣は、少々厄介でね。特にエリーゼ姫が」
「……はい?」
「俺は、姫からの誘いをずっと断り続けている最中だ。……『俺を落とした女』として君の名前が広まったら、姫はどう思うかな?」
「まさか……」
「ああ。君は、完全に標的される」
「ええええええ!」
私が叫ぶと、シアンは「不憫だな」とでも言うように目を細めた。
でも、その目は笑っていなかった。
「……まあ、手遅れになる前に、宰相のリューゼンにでも話を通しておこう」
シアンは逃げるように颯爽と部屋を出て行った。
残された私は、呆然と天井を見上げる。
半魔という秘密。
学園新聞のスクープ。
そして、彼が抱きしめた時の、あの必死なまでの鼓動。
「……どうしよう」
アルが守ってくれていたはずのこの学園は、とんでもない猛獣の巣穴だったのかもしれない。
そしてその猛獣は、思ったよりもずっと、私のことを考えてくれているのかもしれない。




