炎のトラウマ
「君がミラか。……勇者から話は聞いている。今日も自分が見に来られない事を、随分と悔やしがっていたよ」
穏やかだが、どこか温度を感じさせない声。
シアンの言葉に、ミラの背筋に緊張が走った。
後方にいるフランからの視線が、物理的な痛みを伴って突き刺さる。
(この人、フランがいる前で何を……!)
おそるおそる後ろを振り返ると、フランは口端をニヤリと吊り上げ、「説明、してもらうで?」と言わんばかりの目でこちらを見ていた。
商人の勘が、特大のネタを嗅ぎつけた顔だ。
「そ、そうなんですか?」
ミラは引きつった笑顔をシアンに向け、なんとか言葉を返す。
「ああ。魔族討伐が一段落つき次第、『必ず会いに行く』と伝言を頼まれた」
(会いに来る?)
心臓が早鐘を打つ。
来るとしたらどこへ? まさか学園に乗り込んでくるつもりなのか?
『秘密にしてくれ』と言ったのはアルの方なのに、彼自身がその設定をぶち壊そうとしている。
手紙を書いて止めさせなければ。自分がどんなとばっちりを受けるかわからない。
「私は元気でやっておりますので、どうぞお構いなく……と、お伝えください」
「そうか? あれほど勇者は君に執心しているというのに」
シアンは灰色の瞳を細め、値踏みするようにミラを見つめた。
その視線は、単なる好奇心というよりは、分析するような鋭さを帯びている。
「……君のことが、生きる糧だと言っていたよ。世界を救う理由は、すべて君にあると」
さあっと顔から血の気が引くのがわかった。
頭を鈍器で殴られたような衝撃。
「……嘘、でしょ?」
「嘘をつく理由が俺にはない。……『僕のミラ』と、耳にタコができるほど聞かされたからな」
シアンは小さく溜息をついた。
どうやら、アルの重すぎる愛を聞かされる被害者の一人らしい。
「勇者がそこまで想う君に、興味が湧いてね。ただの村娘かと思えば、その金髪碧眼。……君もラダー村の出身か?」
「そうですが……」
「……なるほど」
シアンが一歩近づき、独り言のように呟く。
「あの村の生き残り……。なら、可能性はあるな」
(……可能性?)
ミラは首をかしげた。
シアンの瞳に、一瞬だけ昏い光が宿った気がした。
「へえ、そないなことになっとるん? めっちゃ面白そうやんか」
後ろからフランの弾んだ声が聞こえる。
もう駄目だ。完全に誤解されたし、ネタにされた。
ミラはどう弁解していいかわからず狼狽えたが、ふとここが試験会場であることを思い出し、話題を逸らすことにした。
「い、今は試験中ですよね!? 雑談は終わりにして、早く始めましょう!」
その必死な問いに、シアンはフッと小さく笑った。
「そうだな。……では、実力を見せてもらおうか」
シアンが指を鳴らした瞬間。
何の前触れもなく、一陣の暴風が巻き起こった。
(えっ、予備動作も詠唱もなしに!?)
さすがは次期魔術師長候補。
ミラは素早く後ろに飛び退き、フランと肩を並べた。
「制限時間は五分。その間に俺に魔術を当てるか、もしくは制限時間いっぱい耐え抜けば合格とする」
試験の作戦は、フランと事前に打ち合わせ済みだ。
フランの得意属性は【地】、対してミラは【氷】。
試験官のシアンは【風】が得意だと聞いていたので、フランが守りを固め、ミラが攻撃をする算段だ。
「いくよ!」
シアンが軽く手を振ると、風がかまいたちとなって二人を襲う。
フランが即座に反応し、足元の石畳を隆起させて【土の盾】を作り、鋭い風の刃を防いだ。
「ナイス、フラン!」
その間にミラは魔力を右手に込め、氷のつぶてを空中に生成する。
鋭く尖った氷弾を、シアンめがけて一斉に射出した。
「地と氷か。……悪くない連携だ」
シアンは一歩も動かず、風の結界で氷弾を弾き飛ばした。
ミラは休む暇もなく次弾を生成し、放つ。
しかし、シアンはそれを表情一つ変えず、淡々と防いでいく。
「だが、決定打に欠けるな」
シアンは冷徹に告げ、自らの前に片手を伸ばした。
「勇者の想い人なら、もう少し期待してもいいだろう?」
掌の前に、小さな火種が生まれた。
それは瞬く間に膨れ上がり、轟音と共に巨大な炎の球体へと変貌していく。
周囲の空気が熱で揺らぎ、ミラが作り出した氷のつぶては一瞬で蒸発して消え去った。
「そないな魔術も使えるん!?」
フランが悲鳴を上げる。
風使いだと聞いていたのに、これほどの火属性魔術も使えるなんて聞いていない。
「さすがはシアン様ってところやなぁ、ミラはん! ……って、ミラはん?」
しかし、ミラはフランの呼びかけに答えることなく、立ち尽くしていた。
碧い瞳が、揺らめく炎に釘付けになっている。
(あの炎は……)
脳裏に、焼き付いて離れない光景が蘇る。
燃え落ちるラダー村。
逃げ惑う人々。
そして、黒いローブを纏った魔族が放った、全てを焼き尽くす地獄の業火。
「み、ミラはん? あかん、あんなどえらい炎はうちの盾じゃ熱までは防ぎきれへん! どないする!?」
フランの声が遠く聞こえる。
恐怖で手が震え、足がすくむ。
心臓が早鐘を打ち、呼吸ができなくなる。
(嫌だ……怖い、熱い……!)
あの時と同じだ。
圧倒的な暴力の前に、自分はただ震えて死を待つだけの無力な存在。
「……終わりか?」
シアンの静かな声が響く。
どうしようもない。ミラの氷魔術では、こんな巨大な炎は防ぎきれない。
また、燃やされるのか。
また、何もできずに失うのか。
(……嫌だ)
ミラはぐっと拳を握りしめた。
私に力があれば、あの時だってアルを助けられた。
みんなを守れたはずなのに。
「降参するか?」
その言葉が引き金だった。
ミラの身体の奥底で、何かが「パチン」と弾ける音がした。
恐怖が怒りへ、そして灼熱の力へと変換されていく。
「……しない」
ミラが顔を上げた瞬間、碧かった瞳が鮮血のような赤色に染まった。
無自覚な魔力の奔流が、彼女の足元から冷気を噴き上げさせる。
「おおっ、ミラはん必殺技!?」
フランが目を丸くする。
必殺技ではない。こんなことは容易い事だと、何故だかそう思えた。
身体は羽のように軽く、無限の力が指先から溢れ出してくる。
ミラが右手を振り上げると、空気が凍りつき、巨大な氷壁が地響きと共にせり上がった。
それはただの氷ではない。
黒に近い濃紺の、禍々しい魔力を帯びた絶対零度の壁。
そんなミラの姿を見て、シアンは僅かに目を見開いたが、すぐに納得したように頷いた。
「……やはり、そうか」
シアンは炎球をさらに巨大化させた。
だが、その表情には先ほどまでの試験官としての余裕はなく、深刻な色が浮かんでいた。
「この炎は脅しで消すつもりだったが……そうはいかないな」
放たれた灼熱の炎塊が、ミラの氷壁と激突する。
ジュウウウウッ!!
凄まじい水蒸気爆発が起き、視界が真っ白に染まった。
フランが悲鳴を上げて防御姿勢を取るが、爆風が彼女の盾を粉砕する。
咄嗟にミラは、無意識のうちにもう一枚の氷壁を展開し、フランと自分を衝撃から守った。
蒸気が晴れていく。
演習室は水浸しになり、壁の一部が凍りついていた。
「驚いたな。……まさか、同類だったとは」
「えっ……? 何のこと?」
気がつくと、先程まで離れた場所にいたシアンが、目の前に立っていた。
その灰色の瞳が、赤く染まったミラの瞳を至近距離で覗き込んでいる。
そこには、同情とも、共感とも取れる複雑な光があった。
「自覚なしか。……その目はまずい」
シアンはミラの額にそっと指を当てた。
その手つきは、不思議なほど優しかった。
「すまないが、少し眠ってもらう」
「な、なにを……」
耳元で低く囁かれた瞬間、強烈な睡魔が襲ってきた。
身体の力が抜け、膝から崩れ落ちる。
「ミラはん!?」
駆け寄ろうとするフランの手より早く、シアンがミラの身体を抱き止めた。
赤い瞳を、誰にも見せないように。
「大丈夫だ、魔力を使いすぎたらしい。俺が責任を持って保健室へ運ぶ」
シアンの声が遠のいていく。
薄れゆく意識の中で、ミラはシアンが呟いた言葉を聞いた気がした。
『……よりによって、この血か。アルも業が深い』
そこでミラの意識は、深い闇へと沈んでいった。




