◆第一話 覚醒◆
「お待ちしておりました、勇者様」
は?
それは唐突だった。
私達が神殿の扉を開いたと同時に、頬を紅潮させた美少女が目の前に現れ、私の隣に並ぶ幼なじみのアルヴィンにそう告げた。
「その秘めたる女神の力、わたくしには分かります。さあ、覚醒の儀式を」
少女に満面の笑みを向けられたアルは、満更でもなさそうに頷く。
「うん、わかった」
私は突然の不可解な出来事に眉をひそめたが、すぐにその趣旨を理解した。
勇者様? ああ、これってもしかして。
いつも周囲からいじられたりからかわれたりしているアルのことだ。これも誰かが考えた悪戯だろうと、私は成り行きを見守ることにした。どんな仕掛けを用意してるのか楽しみだったし、こんな美少女が協力してくれているのだ。水をさしてしまっては周りがしらけてしまうだろうと思ったからだ。
アルは少女に手を引かれ、今いる場所から前方にある階段を上っていく。それほど高くない階段で、その先には女神像が祀られている祭壇があった。
コツコツと階段を上る二人の足音が神殿内に響く。
何をする気なのかしら。
期待と不安を胸に、階段を上り終えて祭壇の前で立ち止まった二人を私は見守る。
「ここで、眼を閉じていてください」
「うん、こうかな?」
「はい、そのままで……では、始めます」
言われるがままにアルは瞼を閉じる。
閉じた事を確認した少女は、片手に持っていた自らの身長程もある長い杖の杖先をアルの頭上に構えた。
結構本格的なのね。
私がそう考えていると、突如ぶわりと二人の位置から風が巻き起こる。その風が止んだかと思うと、次の瞬間少女が持つ杖先に眩いばかりの光が集まっていった。
光は球体になり徐々に大きさを増していき、球体がアルの頭の大きさ程になると、少女は持っていた杖を勢いよく降り下ろす。
「はっ!」
「痛っ!」
ゴッという鈍い音と一緒に、アルの苦痛の声が響いた。杖を持った少女も、驚いたように目を開いて少しだけ表情を崩す。
ドッキリの第一段階? 結構な勢いだったわ。あれは痛そう。
私は痛そうに頭をさするアルを見て、これが誰かが企んだいたずらなのかと思うと可笑しくなり、引き締められた口元を綻ばせようとした。
しかし次の瞬間―――目を開けていられない程の強烈な光がアルの身体から放たれ、私は咄嗟に両手で目を覆う。
な、なに!?
突然の出来事に言葉を失い、身を縮めて光が収まるのを待った。目を開けることが出来ず、何故か息苦しくなる眩い光だ。全身に冷や汗が吹き出し、嫌な感じがする。
しかしそれは数秒で収まり、眩しいものの少しずつ小さくなる光に私はうっすらと無理矢理に瞼を開いた。アルの安否をすぐにでも確認したかったからだ。
「アル、大丈夫!?」
目眩ましとしてもやりすぎじゃないかしら!
「アル?」
「ミラ、大丈夫だよ」
いつもと変わらないアルの声を聞いた私は安堵する。次第に巻き起こった風も弱まり、光と共に終息していった。
もう、酷いいたずらね。もう終わりかしら? 今回の首謀者は誰よ?
神殿でこんな美少女まで使ってまでしても、アルをからかいたかったのか?
飽きれ半分で光に慣れた目を開き、ゆっくりと祭壇を見上げアルの姿を確認した。
「え?」
するとそこには、隣に並ぶ美少女の銀糸のようなプラチナブロンドと同様に、栗色の髪からプラチナブロンドに変化した少年の姿があった。黒かった双眸も少女と同じような黄金色に変化している。
「ミラ、すごい。力が溢れてくるんだ」
「誰?」
私は呆気に取られ、その少年に問いかけた。
いや、アルだということはわかる。一般的に見て整った容姿をしているアルの顔だということは。
「え、僕だよ。アルヴィンだよ」
「それはそうだろうけど……」
先程までいた、いつも弱々しく臆病な少年は何処へいってしまったのだろうか?
そこには堂々として、後光でも射して来そうな……いや、射しているかもしれない少年の姿しかなかった。
「勇者様はお目覚めになられたのです」
期待に満ちた眼差しを向け、少女はアルであろう少年の両手を取り、ぎゅっと握りしめる。
「ずっとずっと、お待ちしておりました」
「う、うん……」
アルは手を握られたまま固まり、石のように動かないでいる。
でもあんな美少女に手を握られて、見つめられたら誰だってそうなりもするか。
自分も村一番の美少女ともてはやされていたが、きっとあの少女と並ぶと見劣りするだろう。
面白くない。
「一度王都にお出で下さい。詳しい話はそこで。すぐに出立の準備をいたします」
「そうだね……」
王都ガレオン。私やアルが住まうラダー村から、馬車で五日走ると辿り着く場所にある大きな都市だ。この神殿からすぐに向かうとしても、同じくらい時間がかかるだろう。
アルったら、何を考えてるの。それにしても王都って……今からいくのかしら? もう日暮れも近いわよね。
「それでは……」
そう言い、少女が次の言葉を口にしようとしたその時。神殿の奥の扉が乱暴に開かれ、奥から青年と老婆が姿を現した。
現れた二人のあの装いは、何度か目にしたことがある。
青年と老婆が身に着ける銀の紋様が刺繍された白いローブ。それは女神フォルトゥナを崇めるフォルトゥナ教徒の証。しかもその高位の神官しか着用が認められていない装束だ。
ローブに刺繍されている銀の紋様は、聖印と呼ばれる女神の法力を施した印。それを一般の者が身に着けることは許されず、勝手に騙ったとなると重い刑が科せられる稀有な印である。
「シュナ様、何事ですか!」
青年と老婆はシュナと呼んだ美少女に急ぎ駆け寄る。
青年の纏う白いローブの中に見え隠れする銀と青の装飾を施した白い鎧。あれは神官の護衛や神殿を守る、神殿騎士の装いだ。
まさか、本物の神官と神殿騎士?
私は現れた青年と老婆をまじまじと見つめる。どこからどう見ても、ローブに刺繍された紋様は紛れもなく聖印だ。
ということは、これは悪戯じゃないの……?
「お婆様、クリオ、勇者様が現れたのです」
「勇者……?」
「ほう?」
シュナが喜々として二人に報告をする中、クリオと呼ばれた青年は二人の前に立つと膝を折った。そして見上げるようにしてアルを一瞥する。
「先程、覚醒の儀式を済ませました」
「……なるほど」
クリオは冷静に答えているものの、どこか驚きを隠せない様子だ。老婆においてはじろじろとアルを見つめ、警戒の念を隠せないでいる。
しかし、この老婆とクリオが本物の神官と神殿騎士だとすると、アルが勇者だという話はいたずらなどではなく真実だということか?
「申し遅れました勇者様。儂はジアナ。こっちがクリオ。共に神殿に仕えております。以後お見知りおきを」
唐突に自己紹介を始め、ジアナとクリオと名乗った二人はアルの前で一礼をする。
「は、はじめまして。アルヴィンです」
アルも何か挨拶をしなければまずいと思ったのか、狼狽えながらも挨拶を返す。
「それにしてもシュナ様、お一人で儀式を行われたのですか?」
「え、ええ。巫女としての役目をちゃんと果たしました」
ふとクリオは静かに立ち上がり、アルへと近寄り、その体を確かめるように触り始めた。
「失礼、勇者様。どこか痛いところやおかしな所はございませんか?」
「え?」
「シュナ様がお一人で儀式を行ったとなれば、何かしら弊害が……」
「クリオ!」
顔面を真っ赤に染め、睨み付けながらシュナと呼ばれた少女は恥ずかしそうに小さく叫ぶ。そんな姿も美少女だと可愛らしい。
「ああ、こんな所にたんこぶが。これは」
「さっきの儀式の途中、思いっきり杖で殴ってたわ」
アルの頭のてっぺんにある大きなたんこぶを見つけたクリオに、私は横から口を挟む。
「それは……そう! 封印を破る為に衝撃を与えたのです」
思いついたように言い訳がましくシュナは言うも、呆れたようにジアナは息を吐く。
「覚醒の儀式に封印を解くなんていう行為は必要なかったはずじゃが……」
「わ、わたしくしが考えたのです。覚醒するとこが大事であって、型にはまる必要はないでしょう?」
「いや、勇者を覚醒させるという儀式がシュナの勝手な行いで失敗したとなると一大事じゃ。大方、杖を振り下ろす際に見誤ってぶつけたのじゃろう。今回はたんこぶで済んだものの、もしも何かあったらどうするんじゃ」
「成功したのだからいいでしょう。説教はうんざりです」
「そういう訳にはいかぬ」
「お婆様はいつも細かいのです」
「当たり前じゃ、巫女としての自覚をもて。この前の結界を張るときだってそうじゃ。綻びをそのままにして強化をして……」
「それも最後にはちゃんと成功したではありませんか! それを毎回毎回ぐちぐちと……」
「反省が足りぬ。儂が気づかねば大変なことになっていたぞ。結界は人々の生活を守る為に必要不可欠なものじゃ、それを……」
二人は言い合いを始め、私とアルはぽかんと口を開く。
クリオが静かに二人の様子を見守っていることから、この言い合いはいつものことなのだろう。
しかし暫くして窓から斜めに射してくる夕日に気が付き、私はアルに視線を送った。ぼちぼち帰らなければ日が暮れてしまう。
「アル、そろそろ帰らないと夕飯の支度に間に合わないわ」
すると、アルの隣にいたシュナは言い合いを止め私の方を向き、にこりと微笑みを浮かべて口を開いた。
「あら、あなた様は? 急ぐのでしたらお先にお帰り頂いて結構ですよ」
は?
そしてシュナはすぐにアルへと向き直る。
「失礼しました勇者様、神殿の奥へご案内致します。王都へ出立する準備が整うまでそこでお待ちくださいまし」
「え? えっと……」
あの子、今私を邪魔者扱いしなかった?
私は苛立ち、盛大にため息をついた後にぎろりをアルを睨み付けた。
私は勇者でも何でもないからさっさと帰れってわけ?
「それでは私はお先に失礼します。じゃあね、ゆ・う・しゃ・さ・ま! お元気で!」
私はそう言い残してくるりと踵を返す。
手を握りあったアルとシュナ、顔をしかめているクリオとジアナを背にその場を離れようと一歩を踏み出した。
「あ、待って。一緒に帰るよ!」
私が動きだすと、アルは慌ててシュナの手を振り払い、急ぎ足で私に追いつこうと階段を降りる。その声に私は歩みを止めて振り返り、アルの到着を待った。
それにしても、アルの変化した銀髪と黄金の瞳は違和感でしかない。村の皆が見たらなんと言うだろう。
「勇者様、お待ちください!」
「ごめん、とりあえず今日は帰るよ。ミラと一緒に帰りたいし、明日また来るね」
シュナはアルのその言葉を聞き、むっと一瞬口ごもった。しかしすぐに気を取り直したかのよう、アルに微笑みかける。
「そうですか、それではわたくしもお供しいたします。勇者と共に在るのが巫女の役目ですから」
「シュナよ、また勝手にそういうことを」
すかさずジアナが、アルに続いて進もうとしたシュナを引き留める。
「勝手にって、巫女の務めを果たしているだけです」
「今村へ行ってどうするのじゃ? じきに日も暮れる。そんな時間に挨拶に向かうなどと、迷惑千万じゃろうて」
「迷惑はかけないつもりです」
「無理に今行く必要はない。明日に致せ」
「何故です、勇者様が現れたのですよ!」
また二人の言い争いが始まり、私は三人を尻目に隣に立つアルの手を引いた。早く帰らないといけないというのに、こんな茶番には付き合いきれない。
「行きましょう」
「あ、ミラ……手……」
頬を赤く染めて俯き気味でぼそりとつぶやくアル。私は訝しげにアルの次の言葉を待った。
手がどうしたのよ手が。
「繋いでくれるなんて久しぶりだね」
「なっ、照れてる場合じゃないでしょ!」
何を言い出すかと思えば!
私は勢いよく繋いでいたアルの手を振り払う。
いつも私に付いてくるばかりのアルが今日は珍しく自分についてきて欲しい場所があると頼んできたので、忙しかったのだが、仕方なく付き合った結果がこれだ。
アルが勇者とか訳わからない。
馬鹿らしくなり、今日起こった出来事の何もかもに憤りを覚えながら、神殿を後にしようとした―――その時のことだった。