四話 街
「ルーテシアちゃんとデート!?」
「デートじゃねーって!」
今日の朝食は騒がしい。レオがルーテシアを出かけると言っただけでアイリスと口論になってしまった。
「男女二人が街へ出る。これがデートじゃなくて何なのよ!」
「文句あんのかよ!」
「ありまくりよ!」
なんで、私じゃなくてレオなの!?
拳を握りしめて、悔しそうに呟く。
「ルーテシアくん。昨日はよく眠れたかい?」
隣で騒ぐ二人に目もくれずにリュカは聞いた。
「う、うん」
「それはよかったよ。ところでレオと出かけるんだって?楽しんで来るといいよ」
コーヒーを飲みながら言った。
賑やかだな。
ルーテシアは思う。朝日を浴びて、鳥達の歌声に目を覚ます。コンコンとノックされた扉には、既に支度が済んだレオが立っていた。「おはよう」と笑顔で言われて、「おはよう」と返す。食堂についても同じ笑顔で「おはよう」と言う。何故か心が暖かい。
「ルーテシアちゃーん。こんなかっこつけより、私と行きましょ?色んな事教えてあげるわ」
「アイリスは僕と買出しに行く約束だろ?」
「兄さん」
「諦めなさい」
頬を膨らまして「ふん!」と背を向けると、厨房に篭った。
隣で、レオが新聞を広げている。やけに真剣な表情をしていた。
「レオ、何読んでるの?」
ルーテシアが聞くと、レオは近づいてルーテシアにも見える様に新聞を寄せた。レオが指さした箇所には、大きな見出しで「脱獄者一名」と書いてあった。記事の右端には顔写真が載せてあり、その一点をレオはじっと見つめてた。
「こいつ、どっかで見たことあんだよな」
そう言ったきっり黙り込んで難しい顔をしている。
「やあ諸君、おはよう」
「博士、おはようございます」
「はよー、博士」
博士が席につくと同時に、アイリスは淹れたてのコーヒーを置いた。
「おはよう、博士」
「ありがとさん」
差しだされたコーヒーを「フーフー」と少し冷ましてから傾けた。
「今日も美味しいなぁ」
呟くクリスとルーテシアの目があった。
もじゃもじゃのヒゲを軽く撫でて、シワシワの目尻を落とす。
「おはよう。ルーテシア」
優しい声だった。
「…おはよう…」
ほっほっほと笑い、またコーヒーに口をつける。
「良い天気じゃのう」
しばらく、誰も声を発さなかった。
聞こえてくるのは、鳥のさえずりと、アイリスが朝食を作る音。
ずっと賑やかだったから、ルーテシアはこの静寂が心地よかった。
足をブラブラさせて、窓の外を見る。
大きな窓。
この屋敷は案外高い場所にあるらしい。街が見える。
その向こうには工場が幾つもあるのだろう。煙が登っていく。
「見えるか?ルーテシア。あの街に行くんだぜ」
外の景色をずっと見つめていたルーテシアにレオが話しかけた。
新聞はもう読み終えたのだろうか。
「街は人が沢山いるんだ。物凄く賑やかなんだぜ」
その世界がどんな所なのか、本で読んだことがある。でも、想像なんて出来なかった。ご飯をもってくる人としか関わりがなかったし、「賑やか」なんて状況を感じたことがなかったから。でも今なら少しは想像できる。それが少しくすぐったかった。
「早く、行ってみたいな」
昨日の夜に、初めて知りたいと感じた。あのモヤモヤに「知りたい」という名前を付けた。ベットに入って、あれも知りたい。これも知りたい。たくさんの「知りたい」を見つけた。
昨日より穏やかなルーテシアの顔に、レオは確信した。
こいつはきっと感情豊かな嬢ちゃんなんだ。あの塔に閉じ込められたから、あんな感じになっちまった。笑えばきっと可愛いんだろうな。
なんて、らしくない事を思ったレオは、慌てて話した。
「飯食ったら直ぐにでも行こう!」
「その服で行かせる気?」
ワゴンを押して、アイリスがため息をついた。
そう。ルーテシアが今着ているのはボロボロの服だった。灰色のロングワンピース。きちんと洗われているのだろう。臭いもあまり気にならない。長年着ていて、肘の部分の生地が薄くなっていた。長い金髪も、白い肌も、清潔感溢れてはいるが、服で台無しだ。このまま街に出れば清潔な家無しと思われてしまう。
「それは、まずいな」
「そうだね。その服ではオススメしないかな」
リュカも頷く。
どうするかとみんなで考えていると、レオが何か思いついたらしい。
「そう言えば、アイリスの前の服どこに行った?」
「…!!レオナイス!」
パチンと指を鳴らして、そそくさとワゴンの上にある朝食をテーブルに並べた。
「そうよ!私の服があるじゃない」
楽しみだわ。ぴょんぴょん跳ねながら自分の席につく。
それから朝食をとり、アイリスは自室にあった服をいくつか持ってきた。
「懐かしいものじゃのう」
「もう!博士、お爺さんみたい」
ラウンジに集まって、服を何着か広げる。
一つは赤色のワンピース。黄色のリボンが付いていて、ブーツと合わせると可愛い。
一つは白のブラウスと、緑色のロングスカート。動きやすい一式だ。
最後の一つは藍色のワンピースだった。ゆったりとしたシルエットで、締めつけ感があまりないだろう。
「そうね。ルーテシアちゃんに似合うのは…」
丈はルーテシアを合うものを持ってきたので、心配はないだろう。しかしアイリスは「うーん」と唸ってる。
どれがルーテシアちゃんに似合うかしら?
頭を占めるのはそれだけ。
赤?それともスカートがいいかしら?でも、今までワンピースだったのだからあまり変えない方がいいだろう。
そうすると、絞られるのは赤か、藍色のワンピースだった。
ていうか、そもそもなんであんな泥棒なんかと行くのかしら。私の方がよっぽど良いのに。
確かにレオは街の隅々まで知っているだろう。まだこの街のことを知らない彼女には適任だ。けれど、男では気づけない、女しか気づけない事だってある。
あんな、飄々としてて、子どもっぽくて、自信家を選んだ理由を知りたいわ!
「ワシは藍色がいいと思うがのう」
思考を阻止するようにクリスが述べた。
「ほら、ルーテシアの金髪がよく映える」
どうじゃろ?と同意を求める様に笑う。
「そうね。じゃあ、ルーテシアちゃん。私が着替えさせてあげるわ」
さあさあ行きましょ。
ルーテシアの両肩に手をおいて、自分の部屋へ行く。鼻歌を歌いながら、リズムにのりながら。
「あいつどーにかならねーのか」
「無理だねぇ」
「めんこいのう」
クリスも、ヒゲを撫でながら自室へ戻った。
「んじゃ、俺も洒落込むか」
「デートする気満々だね」
「うるせ」
アイリスにはああ言ったが、少しは楽しみにしている。プランは既に考えた。喜んでくれたら嬉しい。素早く服を着て、ネクタイを締める。姿身に自身を写して最終チェックをする。泥棒をしているが、これでも紳士だ。レディをエスコートする。それが務めだ。
レオは息を吐く。
しかし、本当の目的は『ピジョンブラッド』の動きを見ることだ。ルーテシアを街に出すことで、奴らの動きを見る。向こうからアクションを起こしてくれないと、これからの進路が決められないからだ。前から考えてた作戦なのに、罪悪感が湧く。
「守ればいいか」
そう納得させるが、罪悪感は消えないまま。エントランスへと向かった。
「ルーテシアちゃーん!やっぱり私とデートしましょ?こんな可愛いルーテシアちゃんをあんなろくでなしに渡すのは勿体無いわ!」
そこには人の悪口をスラスラと並べるアイリスと、新しい藍色のワンピースに身を包んだルーテシアがいた。
「でも、ほんとに似合ってるわ。博士った見る目あるのね」
レオはそれに激しく同意する。おしゃべりに夢中なのか、二人はレオに気付かない。
ゆったりした服ではあったが、ルーテシアが着ると、所々にシルエットが見える。頼りなさそうな細い腕とか、小さな肩とか。背中で踊る癖のない金髪とか、ワンピースから覗く白いふくらはぎとか。
「ちょっと、ルーテシアちゃんを不躾に見ないで」
注意されるまで気づかなかった。どうやら見とれていたようだ。
世紀の大泥棒が、お宝ではなく少女に目を奪われていたとは。情けない情けない。
「これはこれは、麗しのレディ。なんとお似合いなのでしょう。この泥棒レオ・ブラック、思わず見とれてしまいました」
ルーテシアの手を取り、跪く。目を合わせると、微笑んで見せた。しかし、ルーテシアは表情一つ変えない。
ざまぁみなさい。アイリスは心の中で毒づいた。レオが優秀なのは知っている。飄々としているのは、その自信によるもの。そして、その自信を支える確かな技術と頭脳を持っている。ルーテシアを街へ連れ出すのはきっと『ピジョンブラッド』をおびき出すためのものだろう。この屋敷にいるものは『ピジョンブラッド』に恨みを持つものだから。ルーテシアは、彼らを脅すためのただの駒。屋敷の皆がそう思っていても、アイリスはそう思えない。
──似ているんだもの…
「んじゃ、行ってくる」
「ルーテシアちゃん。行ってらっしゃい」
──昔の私に。
「…行ってきます…」
そう言ったルーテシアは、少し、楽しそうな顔をしていた気がする。
街へ下りた二人はまず、商店街へと向かった。
何もかも初めてなルーテシアにレオはたくさんの事を教えた。教えたと言っても、実践的なものばかりだが。例えば、お金の使い方。買い物をしたことがないルーテシアだが、どうやって使うかは知っていた。レオが教えたのは、いかに細かいお釣りを貰わない方法だった。商品が十三セルだったとする。普通なら丁度のお金か、二十セルを払うが、敢えて二十三セルを渡す。するとお釣りは十セル。こんな感じに、お釣りの額の大切さを教えた。
次は、デザイン性のあるランプ。初めて見たのだろうか、これがランプだと、ルーテシアは気づかなかった。
その次は、今流行りの帽子。そのまた次は羽根ペン。
初めて見るものに心踊らし、触るものに歓喜した。本の中でしか知らない感覚を、五感を使いこなして覚える。
もうすぐ昼になる。レオはルーテシアを連れて、カフェに入った。案内された席は運良く窓側だった。ルーテシアはその窓から外の景色を見つめる。道行く人をまじまじと見たり、往来を眺めてぼーっとしたり。
「大丈夫か?」
人が多いから、酔っていないか?
心配そうにレオが聞く。
「大丈夫…」
そう言うと、また窓の外を眺めた。
初めての外の世界。たくさん人がいる。
「私以外の人が、こんなに沢山いることを実感した」
眺めながらレオに話しかける。
「塔の中では知り得なかった世界は…広い」
レオは飲みかけのコーヒーを置いて聞いた。
「楽しいか?」
「楽しい?」
「そ。楽しい。俺は楽しいぜ!お前は?」
「…。うん。きっと楽しい」
胸に手を当てて、レオに言う。
「楽しい」
「…っ」
「どうしたの?」
「いや…。もったないお言葉でございます。お嬢様さま。まだまだ楽しい時間は続きます。お手を」
ルーテシアはその手を取り、立ち上がった。
「次はどこに行くの?」
「お楽しみです。お嬢様」
唇に指をあてて、悪戯っ子のように笑った。
手を繋いだまま、店を出る。残ったコーヒーは暖かいままだった。
「そういえば、お前いくつなんだ?」
「十七」
「十七!?」
商店街の門を出て、次の目的地へと向かう。
こいつ十七歳かよ!めっちゃ子供扱いしちまったじゃねぇかよ。
ルーテシアの容姿は十二、三歳にしか見えない。
「わ、わるいな。その…お姫様とか、子供扱いして」
「子供扱い…」
「そ、そうだ!ルーテシアはいつからあの塔にいるんだ?」
無理やり話題をそらす。
「…さあ?」
「さあ?ってなぁ」
物心ついた頃には塔にいたから、少なくとも四歳からはあの塔にいた事になる。
「でも、本は全部読んだ」
「あの量を一人ででか?」
「うん」
あの塔の中には本しかなかった。例え十七年間あの塔に居たとしても、あの量を読むことは不可能ではないのか?
「一度見たら覚えてしまうから、すぐに読み終わった」
「どんな本があるんだ?小説とか、神話とかか?」
「ううん」
塔には論文や、科学や、哲学や、歴史の本があるという。さらには、国民の履歴書が置いてあるらしい。レオたちの履歴を知っていたのは、その本のためだった。
「小説とか、神話は読んだことないのか」
「うん」
「んじゃ、博士に頼んでみようぜ。博士の書斎にはお前の読んだことない本が沢山ある」
「そうなの?」
「おう!ラブストリーとかな」
そんなことを話していると、目的地に到着した。
「海…」
そう。目の前には青く、広い海が広がっていた。陽の光を反射して水面がキラキラと光る。爽やかな潮風に吹かれ、金髪が舞う。
「どうですか?お嬢様」
「…綺麗」
ルーテシアは既に海の虜。何を思っているのか、一心に見つめる。
塔の本に書かれていたものとは全く違う。こんなにも綺麗で、こんなにも気持ちがいい。この海を越した土地には、もっとたくさんの人がいるんだろう。
ルーテシアは初めて想像した。この海の向こうの土地は、どんな人がいて、どんな文化があるのだろう。鼓動が高鳴る。
「喜んで頂けて何よりです」
胸に手を当てて、レオは言う。
「しかし、私は海より、あなたの瞳の方が断然美しいと感じますよ」
お得意の紳士口調でルーテシアの反応を見る。しかし、ルーテシアの表情はレオが想像していたものとは全く違っていた。
とても穏やかな、静かな、今までのルーテシアからは想像出来ないほど、優しい笑みだった。潮風で揺れる金髪が、ワンピースが、さらにそれを引き立てる。
「レオは、海が似合う」
そんなことはないだろう。ルーテシアの方が似合う。瞳の色と言い、その静かな笑顔といい。
「ありがとよ。ルーテシア。だが、こーゆーときは、男からの言葉を素直に受け取るべきだ」
どうして?と、首を傾げるルーテシアに顔を逸らしながら答える。
「レディの嗜みだ。十七なら立派なレディだろ?」
「そうなのかな」
二人は、しばらく潮風の音を聞いていた。通りすがる人間など、居ないかのように、海を見つめる。穏やかな時間が流れる。
「ルーテシア。お前の好きなものとかあるか?」
レオはふと気になった。
「…分からない」
海に目を向けたまま言う。
「考えたことなかった」
顔を俯かせた。
「そうか。んじゃ考えてくれよ」
「うん」
好きなこと。私の好きなものはなんだろう。海?アイリスのスープ?
「ゆっくりでいいぞ。すぐに見つかるもんでもないからな」
レオはそう言うが、ルーテシアの考えは止まらなかった。
本は、好きではない。そもそも好きというのはどういうことだろう。
「レオは、好きなものあるの?」
不意の質問に目を見開く。
「俺か?そうだな…。まずはお宝だ」
特に汚い金で塗れてるお宝はいいねぇ。盗みがいがある。
拳を握りしめ、熱心に語る。
「あとは…、俺だな」
「レオ?」
「そうだ。自分自身を好きになれないと、泥棒なんて出来ないからな」
自慢げに言うレオは、とても輝いて見えた。これが、好きと言うことだろう。密かにルーテシアは思った。
「好きなもの…」
「好きなもの出来たら俺に教えろよ。一番にお前にくれてやる」
「…」
「そんな目をなさらないで下さい、お嬢様。大泥棒、レオ・ブラック、必ずやその品物を盗んで見せましょう」
人目に付くので、静かに、しかし大袈裟に宣言した。
「うん。ちゃんと言う。でも、盗むのはやめてね」
どうやらルーテシアは予想の斜め上を行くらしい。レオは少しおかしく思った。
「それもそうだな」
そして、無言で手を差し出す。
「…エスコート?」
「よく覚えてるな」
「一度見たものは忘れないから」
言いながら、手を乗せた。昨日よりもスムーズな動きで。
きっとそれなりに心を開いているのだろう。手を握れば、手を握り返してくれる。
嬉しいものだな。
「ルーテシアはどこか行きたいところはあるか?」
最後の場所はルーテシアに決めてもらおうと考えていた。商店街はひと通り見たし、危ないところもいくつか教えた。海を眺め、船の数を数えたりした。今のところ組織の人らしい人物は見あたらない。少しの罪悪感を除けば、楽しいデートだ。このまま何も起こらなければいいのだが。
「シャルル・ジャエノンの家に行きたい」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
「あ、ああ。あのレディか」
「住所はわかるから」
ルーテシアが袖を引っ張る。
あの女性に、余程の思い入れがあるらしい。
正直、レオはあまり気が進まなかった。てっきり塔に行きたいと言うた思っていたからだ。それともう一つ。出来ればルーテシアへの手がかりを無くしたいと思っている。シャルル・ジャエノンに会うことは、部外者にルーテシアの居場所を教えることになる。その事は、出来るだけ避けたいと思っていた。
「会わなくていいの。家を見るだけ」
レオの考えを知っているのか、いないのか。ルーテシアは付け加えた。
「わぁーったよ。俺の負けだ」
ルーテシアから住所を聞き出すと、すぐさま歩き出す。どうやらシャルル・ジャエノンの家は路地裏にあるらしい。
レオは知り尽くしたこの街を、迷うこと無く進む。危ない道を避け、尚且つ追手がいるか気にしながら。
「着いたぞ」
目の前には、小さな家があった。
ここがシャルル・ジャエノンの家。ボロボロの外壁に、崩れかけのレンガ。それに対抗するかのように、玄関先には緑が生い茂っていた。蔓は壁を這い、色とりどりの花を咲かせている。一生懸命育てているのだろう。家の中からは、小さな子供がはしゃぐ声がする。宥めている声がシャルル・ジャエノンだろう。
「あのレディには兄弟がいるんだな」
「…良かった」
無事で。あの小さな子供たちを置いていかないで。レオ達に会ってからそう思えるようになった。
きっともう二度と会うことはないだろう。ここに来ることもないだろう。それでも、聞こえるはずのない声を──。
「…ありがとう」