聖魔法
私リリエッタ・クラリエンスは転生者である。ついでに乙女ゲームの悪役令嬢でもある。最近ヒロインさんに若干の恐怖を感じ始めているビビリでもある。
周りから見てみると単なるじゃれあい位にしか思われていないのか知れないがやたらと私に引っ付いてくるのだ。確かに、ヒロインさんは私の専属侍女であり、もうすでに侍女として独り立ちしているため私に関わる業務のほとんどを一人でこなしている。そのため仕方ない部分もあるのだが、仕事と関係なく私に抱きついて来る上に、抱き着いたとき若干私の匂いを嗅いでいるような仕草をするときもある。そのため、最近は常に匂いには気を付けている。ヒロインさんに、こいつ臭いな、なんて思われることが無いよう、常に香水の小瓶は持ち歩いている。落として割ったら大惨事にになりかねないが、ヒロインさんに臭いと思われるぐらいなら、そのぐらいのリスクはどうということも無い。
そして、以前はたまにヒロインさんを匿うために一緒に寝たこともあったのだが最近は常に一緒のベッドで寝ている。それについて侍女長に怒られたりしていたみたいだが全く気にしていないようで、侍女として与えられている部屋はほとんど使っていないらしい。正直、慣れてしまったので私としては構わないのだが、普段マナーだなんだと小うるさいお母様が何も言ってこないのは少々不気味に思ってしまう。気にしたところで理由がわかるわけでもないので何も言ってこないのはラッキーだとでも思うようにしておこう。
極めつけは、お花摘みにもついて来ようとする。ほかに関しては特に実害もないし、私が慣れさえしてしまえばヒロインさんともっと親しくなるために有用なため、放置している。それに、拒絶することは簡単だがそれをしてヒロインさんの機嫌を損ねて今まで積み上げた親密さをおじゃんにしてしまうなんてことはしたくない。
ただ、最近気になることがある。ヒロインさんが学園に入学するために必須な聖魔法。その覚醒が起きる事件がなかなか発生しないうえに、それが起きる前兆すら見ることができない。そもそもは、ヒロインさんがこっそり飼っている猫が、悪役令嬢、まあ、つまり私の手によって大怪我を負わされてしまい、もはや治療も手遅れになってしまうとき、聖女として聖魔法に目覚めて猫は一命を取り留める、そんな流れだったはずなのだが…。
私の知っている限りヒロインさんが猫を飼っている様子は見受けられない。あまりにも私にべったりとくっつき過ぎているので猫を飼っている暇など無いのだろう。仮にヒロインさんが猫を飼っていたとしても、私が怪我を負わせることなんてあり得ないし、なんなら一緒になって可愛がるので結局は何かしら違う理由が用意されるのだろうが。
ただ、とにもかくにもヒロインさんが聖魔法に目覚めないことには物語の中核である学園生活が始まりすらしない状況になってしまう。ここまで、どうにか物語の道筋からそれることができないか抗ってきたのにそのことごとくが失敗してしまっていることから、今回もヒロインさんが聖魔法に目覚めないという展開はありえないだろう。
だとするといったいどうして前兆らしきことが起きないのだろうか。さすがに何もなく、体の底から力が湧き上がってくる、のような展開はないと思うのでいい加減何か起きるころだろうとは思っている。…無いよな?
なんてことを考えていたこの頃だったが、その事件はヒロインさんと街中に散策に出た時に起こった。
「ぐっ!?」
すれ違った青年が突然走りだしたかと思うと、突如として太ももに激痛が走る。一体何事かと激痛が走った太ももを見てみると、小ぶりのナイフが突き刺さっており幾ばくか血が流れだしている。あまりの激痛にそのまま立っていられず、思わずその場にしゃがみこんでしまった。
「リリー様!!」
少し横を歩いていたヒロインさんが悲痛な色の叫び声を上げ慌てて近寄ってくる。必死な表情を浮かべヒロインさんの顔が歪む。表情も歪んでいるが、おかしなことに物理的に顔の輪郭が歪んで見えてしまう。
妙な鼓動の速さと刺されただけだというのに歪んでいく世界で、この短剣に毒が塗られていたことに気付く。
「毒か…。」
毒の効果か、刺されたことが理由なのかわからないがとにかく体が熱くなっていき汗が止まらない。とにかくとにかく体が熱くてたまらないのに手足の先は冷えていくように感じる、うまく動かない。額から溢れる汗は尋常ではない量になっているがそれを拭うことすらできない。
まさか、ヒロインさんと仲良くなるよう努力したら、学園生活が始まる前に死ぬことになるとは…。
「しっかり、しっかりしてください!!リリー様!!」
容態は悪くなる一方で、もはやしゃがんでいることも出来ずに私は地面に倒れ伏す。うつ伏せに倒れてしまったせいで幾ばくか砂が口の中へと入り込んでくる。ジャリジャリと口の中に不快感残すそれをを吐き出そうとすると一緒に咳が出て、吐き出したそれには赤が混じっていた。私の血だ。
「は、早く解毒剤を…お医者様を…。」
あちこちから人が集まり心配そうにこちらを見ている様が朧気に目に映る。何人かが慌てて叫びながら走っていくのを見るに、助けを呼びに行ってくれているのだろう。
「やだ…、そんな…、リリー様…。お願いします…、神様…どうかリリー様を!!助けてください!!」
マリーは、もはやなすすべなく両手を組んで神に祈る。
その瞬間、私は自分の体が眩い光に包まれたのを感じた。暖かい光だ。
目を閉じても感じられるその光はおそらく聖魔法なのだろう。ああ、どうやら猫の代役は私が選ばれたようだ。
意識を失う瞬間、私が考えていたのはそんなことだった。