第3話 聖なる獣の提案
あまり気は晴れなかった。
今日も色々なものに負けないで、学校に行った私であるが、三浦真理亜のいじめはなくなった。
少なくとも、彼女自身が私に絡んでくることはなかった。
幸い、というべきか、今日の朝のニュースや朝刊には、三浦家の誰かが死亡したとかそういう記事は特になく、本人もしっかりと登校してきた。
どうやら命は無事だったらしい。
命は。
ただ女の命に関してはあまり無事ではなかったようだ。
真理亜、彼女は結構整った容姿をしていて、髪は長い黒髪だったのだが、今日の朝見た彼女のそれはぶっつりと切られていた。
普通に切られていたのなら、イメチェンかな、となるのだろうけれど、彼女のそれはどう見てもそんなものではなかった。
無造作に、髪をひっつかんで切ったらああなるのだろうな、という酷い切り方だった。
さらに、顔には怪我を負っていて、右目に眼帯を身に着けていた。
体育の時間に着替える時、彼女は最後まで残っていたが、服を脱ぐと青あざがいくつもあった。
彼女は観察する私を睨んで、言った。
「……わ」
「笑わないけど」
どうせ笑えばいいでしょ、とか言う気なのだろうと思って先手を打ったら、バツの悪い顔をされた。
私が悪いのだろうか?
なぞだ。
「それ、どっちかに?」
「……お父さんが」
「そう」
それでだいたいの事情を理解した私は、さっさと着替えて授業に向かった。
真理亜は私に何か言いたそうだったが、無視した。
それから授業が始まったが、二人組を組めととの体育教師のお達しに、私は目の前が真っ暗になった。
いつも、これを言われると私は誰とも組めずに終わる。
体育教師も余った私と組んでくれてもよさそうなのに、いないものといて扱ってくれるのだ。
ありがたくて涙が出てくる所業である。
しかし、その日は違った。
もう体育館の端でぼんやりしてるしかないかぁと思っていたら、
「……ほら、あんた」
と言って真理亜が手を差し伸べたのである。
どうやら、私と組んでくれるつもりらしかったが、今までの彼女の所業を考えると正直なに企んでるんだこいつ、となった。
それは彼女本人もよくわかっているようで、言い訳のように、
「もう、いじめはやめるって話だったでしょ」
「……まぁ、そうだけど」
実際、やめているのだし、もう義務は果たしてるんじゃないのかと思ったが、この二人組ハブも一種のいじめという解釈だったのかもしれない。
それなら彼女と組んでもいい。
そもそも、真理亜は基本的に私に逆らえないはずだ。
なにせ、あんな家庭環境を言いたくなくていじめをやめることに同意したのだから。
結局、私は彼女と組んで、体育教師に支持されたノルマをこなした。
その日、私は非常に快適だった。
別に何か嬉しいことがあったわけではないのだが、何かに煩わされる、ということがなかったからだ。
いつもなら、真理亜の嫌がらせとかクラスメイトのおかしな視線とか教師の無関心とかに気疲れするのだけど、その日はなかった。
けど、ふとなんでなのか、と改めて教室を観察してみると、いつもは私に向けられている視線が、真理亜に向かっていた。
なんでだろう、と一瞬思ったが、今の真理亜を考えてみるとその理由は理解できる。
髪はひどいことになっているし、大きな眼帯を身に着けていて、腕や足に酷いあざがあり、本人の様子もひどく陰気、となればさもありなんという感じだ。
いつも一緒にいる取り巻き連中も話しかけられないようで、困っている様子だった。
さらに、真理亜がたまに私の方を見て、びくり、とするので、そのたびにクラスメイト達は私の方をちらりと見る。
これは……と、ふと直感する。
あの真理亜の怪我とか諸々について、私がやったことだと思われている?
と。
だとするなら、この態度も理解できる。
今まで真理亜が中心になって私のことをいじめていたのは周知の事実だ。
そんな彼女が、ある日、ぼろぼろになってやってきて、どうも私に対して憚るところがあるらしい態度をとっている。
となれば、おのずと何があったのか想像がつくというものだろう。
つまり、私が反旗を翻して真理亜をぼこぼこにした、というわけだ。
いじめっこだって、馬鹿ではない。
自分がいじめている相手がいずれ、反撃してくる可能性が全くないなどとは思ってはいない。
むしろ、そうなる可能性をおそれて手を止めることは身の危険だとやめられなくなる場合もあるだろう。
いじめられっこに失うものはなく、したがって反撃が始まった場合はひどいことになる。
しかも、いじめには大義名分は何もないが、いじめられっこの反撃にはそれがあるので、どこまでやってもいじめっこ本人が悪いという話になる。
じめられっこはまだ他人に助けを求めるという手段が残っているが、いじめっこにはそれはない。
したとしても、ただ冷たい目で見られて自業自得、と言われるだけだ。
だから、反撃などされると、いじめられっこはひどく困る。
そして、この教室においてその危惧は現実化してしまった。
そう、クラスメイト達は考えているのだろう。
そして、真理亜に対する反撃が行われたのなら、次はだれが標的になるのか、考えればわかる。
クラスメイト達も気づいているようで、あからさまに真理亜の取り巻きたちから距離が離れていた。
彼女たちは、私に対してひどく警戒しているようで、私の方に近づいてこない。
それは、私の席がある方向の教室入り口からは絶対出はいりしないという徹底ぶりであった。
まぁ、怖いというのはよくわかる。
真理亜のようには誰もなりたくないだろう。
しかし、クラスメイトのみなさんが考えていることは、すべて勘違いなのだ。
私は真理亜に反撃などしていないし、出来なかったし、これからもする気はない。
あの怪我はすべて、彼女のご家庭の問題に起因するのであり、私は直接には何の関係もないのだ。
よっぽどそう、説明してやりたかったが、私は真理亜と彼女の家庭環境についてばらさないと約束してしまっている。
いじめっことの約束などさっさと破って問題ない、という人も世の中にはいるだろうが、私はそれをやってしまうと彼女と同じレベルに立ってしまいそうでなんとなく嫌だった。
だから、言いはしない。
結果として、このクラスの微妙な空気だ。
まぁ、いつも私が入って来ただけでおかしな空気になっていたところだ。
今更この程度、何とも思わないのだけれど。
その空気は学校が終わるまで続き、そして掃除の時間も続いた。
面白いことに、と言ったら不謹慎かもしれないが、真理亜は掃除を手伝ってくれた。
相変わらず私は押し付けられていたわけだが、人手が一人増えたのでちょっと楽になった。
お掃除万歳。
◇◆◇◆◇
では、なぜ気が晴れないのか。
それは、また次の日登校したときにわかった。
朝早く来て、自分の席でぬぼっと前方を見ていたら、がしゃーん、と教室の外から音が聞こえた。
不思議に思って見に行ってみると、窓の外、学校駐輪場のあたりで、真理亜が乗っていたらしい自転車が倒れているのが見えた。
真理亜自身も倒れており、それを見下ろす数人の生徒がいた。
真理亜を助け起こす気なのかな、と思ってみていると、彼らは真理亜を蹴り出した。
そして一通り済むと気が済んだかのようにそこを去って昇降口に向かっていった。
真理亜はしばらくそこで茫然としていたが、しばらくしてのろのろと立ち上がり、自転車を駐輪場に置いて昇降口の方に向かった。
真理亜は、どうやら権力を失って、私の方にやってきたらしい。
そう、思った。
しかしいじめなんてやめればいいのに、なぜ標的を変えて、もしくは増やしてまたやろうとするのか。
なぞだ。
私はそう考えながら、廃墟のプラネタリウムの天井を見つめた。
ここはいつも静かで、考え事をするのに向いている。
私は、真理亜にいじめはやめてほしかったが、真理亜にいじめられて欲しかったわけではない。
なんだか妙なことになっちゃったな、と思わずにはいられなかった。
まぁ、ことの原因は真理亜自身にあるのだから、私が何もせずとも結局はこうなっていたのだろうけれど、それでもちょっとだけ関わってしまったがために後味はあまりよくない。
もっと、気分よく学校通えないものか……。
そう思っていると、プラネタリウムの奥の方から、また、何者かがやってくる音が聞こえて来た。
エンテミールの誰かだろうか。
ヘイルさんか、それともフェイスさんか。
どちらにしろ、穏やかに会話できそうな相手である。
来てくれるなら喜ばしい話だった。
もうどちらとも会えないかもしれないと思っていたくらいだし。
しかし、私の希望は残念なことに砕かれる。
しばらくしてやってきたのは、そもそも人間ではなかったからだ。
「……ええと、犬……?」
プラネタリウムの奥からやってきたのは、真っ白な色の子犬だった。
足音も思い出してみればなんだかがしゃがしゃとした、人の立てるものとは違ったかもしれない。
まさか動物が来るとは思ってもみなかったので、頭に可能性がのぼりすらしなかった。
「……わふ、わふ」
へっへっ、と息をしながら近づいてくる子犬に、何か母性本能のようなものをくすぐられた私は、少し手を差し伸べてみる。
「おいで、おいで……こわくないよ。お姉ちゃん、いじめられっ子だから、弱い子だから……」
ちょっと情けない台詞なのだが、事実だから仕方がない。
子犬はとことこ近づいてきて、私の手をぺろりと舐めた。
それから、
『……上質な魔力の味がします。もっと頂ける嬉しいのですが』
と言った。
言ったのだ。
私の笑顔は一瞬にしてひきつった。
これは犬ではないのでは?
そう思ったからだ。
子犬らしき物体は、気づけばそうとわかる理知的な瞳を私に向けて、
『聞こえませんか? もっと、魔力がほしいのですが……』
と言っている。
私はどうしたらいいのか一瞬わからなくなったが、話しかけられているのだ。
無言も失礼だろうと口を開いた。
「……聞こえてますよ。聞こえてますけど……あなたは一体……」
『私ですか? 私はエンテミールが四神獣の一柱、アセナです』
やはり、エンテミール関係者だった。
そりゃそうか。
地球に喋る犬はとりあえず存在しないことになっている。
いてもせいぜい、まぐろ頂戴とかおかえりとか言っているように聞こえるレベルだ。
私の目の前にいる犬らしきものは、完全な意思疎通を可能にしている。
これはもうレベルが違うとしか言いようがない。
「……その神獣の一柱が、どうしてこんなところにいらっしゃるのですか?」
神、とつくのだからきっと向こうではやんごとなきお犬様なのだろうといつもより二割増しで丁寧に話しかける私である。
お犬様は言った。
『いえ、どうも最近、世界の境界がよく歪むものですから、一体どうしのかと調査していたのです。そうしたら、エンテミールとこの世界の間に道が出来ているではないですか。私、驚いてしまいまして。どんな世界とつながったのかと気になって、見に来てしまいました』
世界の境界が、とか道が出来てる、とかはあれだろう。
ヘイルさんとフェイスさんが開いた門のことを言っていると思われた。
そしてこのお犬様は、それを調査しに来たというわけだ。
ということは……。
「エンテミールからこの世界に道を作るのはよくないことなのですか?」
『うーん、一概には言えませんが、世界同士に負担のかかることなのは確かです。今のところは問題ありませんから大丈夫ですけどね』
と言った。
問題があるのかと思ったが、大丈夫だったらしい。
ならいいか。
お犬様は続ける。
『ところで、貴女からは強い魔と聖の気配が感じられます。門を開いたのは貴女でしょうか?』
これには私は首を振る。
しかし心当たりはあったので、すぐに説明することにした。
「これと、これですよね」
ヘイルさんのペンダントと、フェイスさんのブレスレットである。
お犬様はそれらを見て、納得したようにうなずき、
『魔具と神具ですか。とてつもないものをお持ちですね』
と言う。
神具の方はフェイスさんの説明で国宝クラスだと分かっているが、ヘイルさんのくれたペンダントの方も結構いいものなのだろうか。
フェイスさんはすごいものと言っていたが具体的にはどんなものなのだろう。
気になって尋ねる。
「このペンダントは……すごいものなのですか?」
『こちらの神具は神が手ずから作り出した品物で、人には再現不可能な代物ですが、こちらの魔具も似たようなものです。こちらについては神が作り出したのではなく、自然発生的に出来るもので……世界に漂う魔力が生き物の意思に従い、凝って出来るものですね。これは神にすら作ることは出来ないでしょう』
国宝より国宝していたらしい。
ずいぶんとおそろしいものをぽん、とくれたものだった。
しかしそれほどのものならば、返してもらいにまたやってきてくれるのではないだろうか。
それで、再会の証だったのかもしれない。
それなら嬉しいな、と思った私である。
「説明していただき、ありがとうございます」
礼を言うと、お犬様は、
『いえいえ』
とお座りした状態で器用に片足を上げて人間のように振りながら言った。
それから、
『そのようなものをお持ちということは、やはり門を開いたのは……?』
そういえば、それについて説明していなかったか、と私は思い出して言う。
「いや、違います。私ではないです。ヘイルさんとフェイスさんという方々がご自分で開いたとのことでした」
本人の申告を信じるなら、フェイスさんはともかくヘイルさんは魔王であり、神獣とは敵対しそうな存在であるところ、肩書は言っていいのかどうかと悩んで、結果として名前だけ言うことにした。
しかし、その配慮は無駄だった。
お犬様は、
『ほほう。宿業の天魔と無窮の聖者が……確かに、あの二人であればこの世界とエンテミールをつなぐことは造作もないでしょうね。しかし、無窮の聖者は最近見ませんが。戦争で死んだとも聞きませんけれど』
「無窮の聖者って、フェイスさんのことですか?」
『ええ。人の世では教主と呼ばれているようですが、我々神獣には過去と未来の運命が少し、見えるものですから、そこからつけているあだ名のようなものです。宿業の天魔は、魔王でしたね』
何かよくわからない理屈があるらしいが、まぁ、それはいいか。
そうそう、フェイスさんのことだった。
「フェイスさんは今、ラーンの聖廟に閉じ込められてますよ」
『それは、初耳ですね。なるほど、だからここ二十年ほど、聖山に来なかったということですか』
とお犬様は納得したようにうなずいた。
私は尋ねる。
「聖山とは……?」
『私の住処です。聖天教の教主は代々、毎年一度登って、我々と語らいます。そしてその代わりに、聖石を渡しているのですが、二十年前から誰も来なくなりました。てっきり、聖石が不要になったのかと思いましたが、そういうわけではなさそうですね。人と魔の戦争も、彼がいなくなったから起こったというわけですか。困りましたね……』
「戦争は止められないのですか?」
『我々神獣は人と魔に干渉し過ぎることを神から禁じられているのです。会話したりするくらいは問題ないのですが、戦争を止めるほどとなると制約が働き、消滅する可能性が高いです。ですから、直接的に止めることは難しいでしょう』
どうにか、うまいことお犬様になんとかしてもらいたいと思ったのだが、無理らしい。
では、せめて……。
「フェイスさんの封印を解いていただくのは無理でしょうか。かなり弱っているらしくて、命が危ないみたいなんです」
『それは……私もお助けしたいところですが、制約に引っかかりますね』
「……そうですか……」
がっくりとくる。
では、やはりフェイスさんは死ぬしかないのだ。
そう思って、
けれどお犬様は言う。
『いえ、絶対に無理とは言っていません。直接的には難しい、という話です。間接的な方法なら……出来るかもしれません。そのためには貴女の協力が必要になりますが、どうでしょう?』
尋ねられて、鋭い目で見つめられる。
しかし、答えは決まっていた。
なにせ、私はフェイスさんのお蔭でいじめられっ子をやめられたのだから。
「私にできることなら、なんでも」
『ならば……そのブレスレットをお貸し頂けますか?』
「これですか? ええと、はい」
フェイスさんにもらったものだから、どうしようか悩んだが、彼を助けるために必要だというのなら別に構わない。
フェイスさんも好きに使えと言っていたのだし、こういう用途でもいいだろう。
これを使わなければならなかった機会はもう、消滅したし。
『ありがとうございます……では、私はこれで失礼しますが、また来てもよろしいでしょうか?』
「それは、もちろん。フェイスさんがどうなったのか、知りたいですし」
『必ずや、お伝えしましょう……おっと、この建物は少しばかり危険ですね。補強しておきましょう。それと、人払いの魔術もかけておきましょうか……』
とことこと歩きながらそんなことを呟いたお犬様は少し発光し、そしてその光はプラネタリウムを包んだ。
見た目は何も変わった感じはしないが、何か魔法がかけられたのだろう。
そして、お犬様は消えていった。
はたして、私が渡したブレスレットが役に立つのかどうかわからないが、私にできることは何もないのだ。
あとは、結果を待つくらいしかできない。
どうにか、助かってと願わずにはいられなかった。
◇◆◇◆◇
プラネタリウムを後にし、教室に戻ると、クラスメイトの怯えたような視線が私に向いた。
この間までは蔑みの視線だったのに、変われば変わるものだ。
さて、その中心人物だった彼女はどうかしら……と思って真理亜の席を見てみると、そこには誰もいなかった。
お昼休みの前まではいたはずなのだが、これは一体どういうことなのか。
首を傾げる私。
しかし、いないものはどうしようもない。
そもそも、探そうとかあまり思わないし。
まぁいいかと思って放っておくことにした。
授業は真理亜の不在など気づいてもいないかのように滞りなく進み、そして授業はすべて終わり、掃除の時間になった。
今日も我が班は私に掃除丸投げである。
殺されるぅ、みたいな視線を向けてくるくせに掃除丸投げをする度胸はあるらしい。
意味が分からない。
けれど、こんなことも慣れてしまっている。
別にいいかと今日の担当区画である四階の視聴覚室に向かった。
当然ながら、そこは無人であり、ほこりがぼんやりと漂っているだけのところだった。
私はハウスダストに多少のアレルギーがあるのでちょっときつい。
が、ちょっと充血してくしゃみが出るくらいだ。
鼻水だらだらの母よりはマシだろう。
それから、では早速……と掃除に移行しようと掃除用具ロッカーに近づいたところ、二つ並んだうちの錆びて使われていない方から、ガンっ!と言う音がした。
私はびくり、と肩をすくませて驚いたが、その音は一度ではなく、二度三度と続いた。
もしかして、このロッカー生きてるの?
などと馬鹿なことを考えるわけもなく、明らかに中に人がいるのだろうと分かって、話しかける。
「怖いんで静かにしてもらえませんか。私は一通り驚いたんで、どっきりは別の人にお願いします」
たまにそういう奴はいる
わざわざ見えないところに隠れて人を驚かせて楽しむ輩である。
私はそんなのは勘弁だったので、そう話しかけたのだが、ロッカーは意外なことを言った。
「……閉じ込められてんのよ! 出しなさいよ!」
……なるほど。
そのロッカーは錆び錆びだし、扉はひどく開きにくくなっているために使われていないのだった。
この中に入って人を脅かそう、などというのは閉じ込められる危険を考えていないと言える。
おそらくは、誰かに押し込められて、出れなくなったのだろうと思われた。
なにせ、その声には聞き覚えがあったし。
「真理亜。あんた、何やってるの?」
「……桜花。だから、閉じ込められたのよ!」
「だからなんで」
「それは……」
分かっていて聞いた私である。
真理亜からしてみれば、いじめの標的が移ったからよとは言えないらしい。
プライドの高いことで。
だからあえて抉ることにした。
「朝、蹴られてたもんね」
「……ッ!?」
「私の気持ちわかった?」
超、嫌味であった。
けれど、真理亜はこれの強烈な皮肉に対して予想外の台詞を返してきた。
「……蹴られる気持ちなら、もとから分かってたわよ。いないものとして扱われる気持ちも」
「……あー……そうね。そうよね……」
言われてみると、真理亜はお家で絶賛いじめられっこ的立場である。
わからないはずはなかった。
それで許す理由にはならないが、私よりもずっとハードモードだし。
なんだか空しくなって、私は扉を開けてやることにした。
もちろん、ただでは開けない。
「代わりに掃除、手伝ってね」
「……わかったわよ」
真理亜はひどく不服そうに、しかし素直に同意したのだった。