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第2話 教主の失態

 今日も今日とて廃墟のプラネタリウムでぼんやりである。

 天井には何も映らないし、瓦礫だらけのホールの真ん中に投影機があるだけの場所だ。

 けれど私にとっては何よりも重要な静寂を運んでくれる素晴らしいところである。

 お昼休みくらいお昼休みしたい。

 多少遅刻するけれど、それは問題ない。

 学校も何か私に対してやましいと思うところはあるようで、さぼったり遅刻したりしても何も言わない。

 おそらくは、出席簿にも遅刻とかさぼりとか書いてないだろう。

 そこのところは、私に負担をかけすぎて自殺とかされたら困るとか思っているのかもしれなかった。

 そんな配慮をするくらいなら三浦真理亜嬢たちをどうにかしてくれと思うのだが、そこはまた別のお話らしい。

 なぞである。


「……ここは……?」


 そんなことを思っていると、また、どこかから声が聞こえて来た。

 このプラネタリウムの入り口がある方向とは逆側の通路から聞こえてくる。

 そちらも通路があるにはあるし、在りし日は入り口に続いていたのだろうけれど、今そちらに行っても通れないはずの通路だ。

 そこから声が聞こえてくるのは、おかしい。

 これは、ヘイルさんたちかな、と思って待っていると、


「……あれ、子供?」


 十歳前後の少年がそこから姿を現した。

 ただ、普通ではないのはヘイルさんたちと同様である。

 というのも、身に着けているものがコスプレ感満載なのだ。

 真っ白な、ギリシャ神話の神々が身に着けているようなローブを身にまとい、手には巨大な宝石がついている杖を持っている。

 額には精緻な細工の施された銀色の冠をかぶっていて、髪の色は白髪であった。

 顔立ちもどう見たって日本人のそれではなく、外国の美少年という感じだ。

 まつ毛まで真っ白で、アルビノ、という単語が頭の中に浮かんできた。

 ひどく美しい少年で、彼は私の姿を確認すると口を開いた。


「……そこにいるのは、誰じゃ?」


 まさかの、老人口調だった。

 妙な威厳のある少年に私はつい敬語で答える。


「平凡な女子高生ですけど……」


「ジョシコウセイ……? ふむ。それが何なのかはよくわからんが、人間じゃな?」


「そうですね。魔族ではないですね」


 角とか生えてませんし。

 そう言った私に、少年は驚いたように目を見開き、言う。


「ほう、魔族を知っておるのか。ということは、まさかここは異世界ではなく、エンテミールのどこかかの? だとすれば都合がよいのじゃが……」


 見た目と、それに出てくる単語からして、彼はヘイルさんたちと同じ世界の住人なのだろうと思われた。

 自然にそう考えつつ、私は異世界なんてもの信じているらしいと自覚し、なんだかなと思う。

 そんなもの、本当にあるのだろうかという感覚がまだ抜けていないのだ。

 けれど、リュイリーさんの腕力とか、目の前の少年の見た目とか、地球ではどう考えてもあり得ないものなのだ。

 認めるしかないのだろうな、と思い、私は少年に言う。


「いえ、ついこの間まで魔族なんてもの、私は知りませんでしたよ。ここは地球、というところです。おそらく、エンテミールとは別の世界だと」


「そうなのか? しかしお主はエンテミールのことや、異世界の存在を知っているようではないか……もしや、この世界の魔女殿かの?」


 何か、とんでもないものにされかけたので、私は首を振る。


「そんなわけないです。私はただの一般人ですよ。魔法も何も使えません」


「その割には魔の気配が強いが……」


 本当に魔法など使えたことなどない。

 それなのに魔の気配などと言われても……と考えたところで、ついこないだのお昼休みの一件を思い出す。

 そう言えば、魔法っぽいことあったな、と。

 私は首から下げていたペンダントを取り出し、


「もしかして、魔の気配ってこれですか?」


「む……これは……」


 私が示したペンダントを少年は目を細めて見つめ、それから、


「少女よ、それはすごいものじゃが、あまり不用意に人に見せてはならんぞ。特に人間に見せるのは危険じゃ。それこそ魔女狩りに遭うでな……」


「えっ」


 恐ろしいことを言われて、私は慌ててペンダントをしまう。

 少年はそんな私の仕草を見て微笑み、言う。


「わしは大丈夫じゃ。お主が普通の人間であることもわかったからのう。じゃが、人魔問わず、強欲な者というのはいるものじゃ。そういう者にとって、そのペンダントはひどく価値がある……」


 見た目に似合わない、深い澱が沈んだような瞳でそういう少年。

 私は一体彼が何者なのか、気になって尋ねる。


「あなたは……一体何者なんですか? どうしてエンテミールからここに……」


「む、まだ自己紹介しておらんかったのう。わしは、フェイス。フェイス・クルクスじゃ。これで聖天教教主をやっておる」


「聖天教……!?」


 それは確か、魔族を迫害する人間の宗教だったはずだ。

 そんな集団のトップを彼がやっているということらしい。

 しかし、それにしては少々、奇妙だった。

 どうも、人間とか魔族とか、そういうものに対して公平に見ているような感じがする。

 もっと、魔族は滅ぼせとかそういう感じでないとおかしいのではないか。


 そんな私の心のうちを読んだわけではないだろうが、フェイスは言う。


「ま、教主と言ってもお飾りじゃがな。それどこか今は他に別の教主がいるかもしれぬ。長い間、外には出れておらぬし。食事以外で他人と接触するのは実に二十年ぶりじゃぞ」


「……二十年? えっと……あれ、おいくつ、ですか?」


 どう見ても、フェイスは十歳前後にしか見えない。

 二十年ぶりに人と接触する、というのはおかしくないか。

 そもそも、食事以外で人と接触するのが二十年ぶり、というのもおかしい。

 彼は教主なのではないか。

 それなら沢山の人と交流を持っているはずなのに……。


 フェイスは少し考えて、言う。


「わしの年は……先月、二百を少し越えたくらいかの。久々に人と話すというのはな、わし、今封印されておるんじゃ。エンテミールに宗教都市ラーンという街があるんじゃが、そこの聖廟に、結託した枢機卿たちが寄ってたかってわしを封印してくれてのう。以来、ずっとそこで生活しておる。食事だけはくれるんじゃが……乾いた麦とかじゃ。わしは家畜か何かか?」


 とんでもない話だった。

 年もそうだが、どこかに閉じ込められているという話もである。

 けれど、そうだとするなら、ここにいるのはどういうことなのだろう。


「そんな状態なのに、どうして異世界に来れているんですか?」


「特殊な魔術を使って“門”を開いたからじゃ。これは、わししか使えぬ秘術じゃからな。枢機卿たちは存在すら知らぬのよ。と言っても、向こうに戻ると聖廟に魂が括り付けられておるから、また同じ場所にしか戻れんのじゃが……口惜しいのう」


 魔王も使えていましたけど。

 とは、とりあえず突っ込まないでおく。

 あれだ、実力者しか使えないとかそういうことなのだろう。

 私は気になったことを尋ねる。


「ここから、向こうに帰るとき、どこか別の場所に出ようとしても無駄ということですかね?」


「そういうことじゃ。聖廟から出るためには、外にある封印を崩さないと駄目じゃのう。いや、我ながら強固すぎる結界を作ったことが悔やまれるて」


「我ながら……?」


「そうじゃ。聖廟の結界の基礎を作ったのは何を隠そうこのわしじゃからな。それを利用して閉じ込められてしまったのじゃ。そもそも……今になって考えれば、唐突に『不遇の聖者たちを怨霊としないため、鎮魂を目的とした聖廟を作りましょう』などと枢機卿たちが言い始めたのがおかしかったのじゃ。わしは感心してしまって、つい、魂をつなぎとめる術式と、閉じ込める術式を強く刻んでしまったわけじゃが……まさか、わしを閉じ込めるためだったとは。これでは自殺してもアンデッドにすらなれん。無念じゃ」


 どうやら、権力闘争に敗北したらしい。

 騙し合いが不得意そうにも見えないが、間が悪かったのだろう。

 それか、相手が一枚上手だったか。


「今、外の世がどうなっておるのか……それすらわからん。困ったことじゃ……すまんな、異界の住人であるお主に言っても仕方なき事なのに、愚痴が止まらぬ」


 まぁ、嵌められて、久しぶりに他人と会話できる機会が与えられたら、それくらいは仕方がないことだろう。

 腹が立ってしょうがないと思われた。

 それを聞くのは、別に構わない。

 私はどうせ暇なのだし。

 そういえば、外の様子どうこうについては、私は少しは知っているので、世間話ついでにそれを教えてあげることにした。


「別にいいですよ。私も世間話の相手は嬉しいですし。それと、エンテミールの様子ということであれば……魔族と人間が争っているみたいです。あれ、そう言えばそれって二十年前からとかって話だったような……」


 二十年前から聖天教が魔族を敵視し始めた、フェイスが二十年前から閉じ込められ始めた、これは何か共通しているのではないか。

 言いながらそう思いつく。

 それはフェイスも同じようで、


「二十年前から……となると、それはわしが閉じ込められてからじゃのう? なぜ人間と魔族が戦争など……」


「聖天教の人が、魔族は悪魔の手先だから滅ぼさないと! って言ったって聞きましたよ」


 そう、そう言っていた。

 これを聞いたフェイスの顔は見もので、ひどく恐ろしい表情に変わった。


「魔族が悪魔の手先じゃと!? 馬鹿な! 誰がそんなことを……。む、そうか……じゃから、わしを閉じ込めたのか? それで、教義をゆがませたと……なんて愚かな……」


「何か心当たりが?」


「わしを閉じ込めた枢機卿の一人に、二十年前からそんなことを言っておった奴がいたのを思い出しての。何を馬鹿なことをと思っていたが、わしを閉じ込めて押し切ったのじゃろう。奴はわしに次ぐ魔術の名手じゃからのう。奴に言われれば他の者たちも逆らえんかったのじゃろうて」


「魔術なんて本当にあるんですね……」


 ものすごい権力闘争が行われている世界らしいエンテミールだが、私にとっては魔術があるという事実がまず、すごいなぁとと思ってしまう。

 傀儡魔術とか言うのがあれば、無敵だろうし。

 どんなことが出来るのかわからないけど、名称からして他人とか好きなようにできる感じじゃないだろうか。

 私にも使えるようにならないだろうか。

 三浦真理亜嬢に使えたら速攻、私に対するいじめをやめさせたいところだ。

 気になって私はフェイスに尋ねる。


「フェイスさん、傀儡魔術っていうのは何が出来るんですか? 私にも使えたりします?」


 すると、フェイスさんは深刻な顔で私を見て、呻くように言った。


「お主……その名をどこで」


「え? 知り合いの魔族の人が、聖天教では使いまくりで怖いって、言ってましたけど……死んでも向かってくるって」


「おぉ……なんと罪深いことを……」


 フェイスさんはそのまま神に祈るような姿勢で許しを請い始めた。

 てっきり、普通の魔術なのかと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。

 フェイスさんは言う。


「傀儡魔術は禁術じゃよ。あれは、人の魂をいじり、縛って無理やり指示を聞かせる汚染魔術の一つじゃ。いかなる場合においても使わぬよう、昔から魔導書グリモワールのすべてを封印、焚書してきたはずなのじゃが……誰かが蘇らせたのじゃな……むごいことをする」


「どのあたりがむごいんですか?」


「魂を無理に縛る、というところじゃが、それだけならまだいい。一番は最終的にいじられた魂が崩壊するところじゃな。死しても向かってきたと言うのなら、そういうことじゃ。そして、そうなった魂は二度と輪廻に戻ることが出来ず、消滅するしかなくなってしまうのじゃ。それは救済がなさすぎるじゃろう……じゃから、禁止しておったのに……」


「ひどい人っていうのはどこにでもいるものなんですね……」


 この感じでは教えてくれと言っても教えてくれるわけがない。

 そもそも、私は三浦真理亜嬢の魂まで消滅させたいとまでは思っていない。

 しみじみと私が言えば、フェイスさんは、


「まさか自分の組織の中にここまでの酷いのがいたとは思わなんだがな。お主にも誰かそういう手合いに心当たりが?」


「ええ、まぁ……言いにくいのですけど、私、現在進行形でいじめられてまして。ただ、精神魔術がどうこうとか魂が崩壊とか聞くと、少し自分の置かれている状況がしょぼい気がしてきました……」


 私のされていることなんて、せいぜいが水をぶっかけられるくらいだ。

 まぁ、蹴られたりもするが、死にはしない。

 魂も消滅しない。

 精神は順調にすり減っているけれど。

 いずれ自殺に結びつかないとも言えないけれど。

 そう思っての台詞だったが、フェイスさんは言う。


「何を……苦しみは、人それぞれじゃ。お主が辛い目に遭っているのなら……誰はばかることなく、苦しいと言えばいい。誰かよりもつらくないからとか、まだ我慢できるとか、そういうのはよすのじゃ。そうしなければ、潰れてしまうぞ。人間は弱いものじゃからのう……ふむ、そういうことなら、まず、わしに話してみるといいのではないか? これで、教主じゃ。相談には多く乗って来たと思うぞ。それにお主の直接の知り合いというわけでもない。何か話したところで掘った穴に叫ぶようなものじゃろうて」


 その語り方は心の中に直接話しかけるような優しいもので、なんだかこの人になら話してみてもいいかもしれない。

 私をそんな気分にさせてくれた。

 おそろしくひねくれていて、意地っ張りな性格をしていると思っている私だけれど、そういう柵が取り払われた感じがしたのだ。

 私は、フェイスさんに自分の置かれた状況を説明した。


 ◇◆◇◆◇


「よく……耐えたのう。お主は我慢強いのじゃな」


 すべて聞き終わったフェイスさんがそう言って私の頭をなでてくれた。

 フェイスさんの容姿は十歳くらいの少年で、私は十七の女子高生なのだから、絵面的にたいへん奇妙である。

 普通、逆じゃないかと思わずにはいられない。


「いえ、あの……そんなことは」


 ないですよ……と言おうとしたところ、フェイスさんが指摘する。


「そんなぼろぼろ泣いて言われても説得力はないぞ。まぁ、今は思う存分泣けばいい。その方がすっきりするじゃろうて」


 言われて、自分が泣いていたことに気づく。

 話しているうち、徐々に涙が出てきてしまったようである。

 あんまりつらくないつらくない、と心の中で思いながら生活してきたが、実際はそうでもなかったらしい。

 というか死ぬほどつらかったらしい。

 つらくない、と思っていたのは、そう思うことによって自分の心を守っていたのかもしれない。

 弱いな自分、と思わずにはいられなかった。


「う、で、でも……」


 ひどい涙声で、何か言おうとしても声にならず、結局、落ち着くまでフェイスさんに「いいのじゃ、いいのじゃ……」と言われながら撫でられ続けた私だった。


 それから。


「しかし、その三浦じゃったか。ひどい奴じゃのう。わしを閉じ込めた奴らと並ぶ鬼畜じゃろうて」


 とフェイスさんがやっと普通にしゃべれるようになった私に言う。

 私は、


「いや、流石に上司監禁して違法行為に手を染めて人の魂を冒涜する輩よりはひどくないんじゃないかと……」


 いくら三浦真理亜嬢がいじめ主犯だとしても、そこまで突き抜けきった悪人という訳ではない。

 庇うつもりはさらさらないが、それこそ、弱い人間だから誰かを攻撃しないといられなかったという程度だと思う。

 フェイスさんは私の言葉を聞き、


「ふむ、そうか? しかし、この世界では人を蹴ったりすることは罪ではないのか?」


「いえ、罪なんですけどね……」


 言われてみるとそうなのだが、いじめで蹴ったり蹴られたりは暴行罪で捕まえたりしないな。

 なんでだろう、未来とか考えてとかのあれだろうか。

 まぁ、それはいいか。


「であれば、官憲に訴えればよかろうに」


「訴えても動いてくれるかどうか分かりませんし……証拠がないと」


「証拠、のう。集めないのか?」


「周りの人たちの証言とか得るのは簡単そうではないですね」


「エンテミールには映像や音を記録する魔道具があるが、この世界では……?」


「あぁ、レコーダー。なるほど、そうすればいいかもしれないですね」


 言われてみると、そういうのを使えば、証拠は集まる。

 流石にカメラ撮影はスマホを使っても本人たちに向けるのは難しいだろうが、録音なら気づかれずに可能だろう。

 やってみようかな、と思った。

 ちょっと前までは、そんなことしたらもっとひどくなるかもしれないからやだなぁ、とか思っていたから、そもそも考えもしなかったのだ。

 今は、どうもあまりそうは思わないようだ。

 ここ数日、変わった人に会いすぎたからだろうか。

 前よりも、前向きになれているような気がする。


「ふむ、その意気じゃ。戦わずして負けるのはよくないからのう。それと……いくさとなれば相手のことをよく知るのが大事じゃからな。調査などしてみるとよいぞ。弱みなど見つかるかもしれん」


 いくさって。

 そんなつもりはないのだが、フェイスさんから見るといくさらしい。

 まぁ、権力闘争のど真ん中で頑張って来た彼からしてみると、人と人との争いというのはなべていくさのようなものなのかもしれなかった。


いくさじゃないですけど……弱みですか?」


「そうじゃ。どんな者にも弱みはあるからのう。わしもブイブイ言わせておった頃には、人の弱みやあらさがしをしまくって、この地位まで上り詰めたものじゃ……」


 と、遠い視線で言う。

 随分と恐ろしいことをやってきたらしい。詳細はあまり聞きたくないところだ。

 けれど、フェイスさんと同じことが私にできる気はしなかった。

 探偵でもあるまいし、フェイスさんのような権力もない。


「面白そうですけど、それもやっぱり簡単なことじゃ……」


「普通なら、そうじゃろうな。そこでこれじゃ!」


 ごそごそと彼は懐に手を突っ込み、そして謎のブレスレットを出してきた。

 基本的には編み込まれた布であり、そこに貴石がいくつかつけられている感じだ。

 色は布地が白で、貴石が海のような青をしていて、美しい品だった。


「きれいですね。これは……?」


「身隠しのブレスレットじゃ。わしの秘蔵の品じゃ。これをお主にやろう」


「えっ……秘蔵なのに、いいのですか? 貴重なんじゃ」


「いいのじゃ、いいのじゃ。わしの長い退屈を紛らわせてくれたからのう。それに、お主には役立つはずじゃぞ。これを使うとな……こうなるのじゃ」


 そう言って、フェイスさんが腕にブレスレットをつけると、すっとその姿が見えなくなってしまった。

 本当に消えるようにである。


「どうじゃ? 面白いじゃろ」


 けれど、声は聞こえた。

 しかしどこから響いているのかわからない。

 ぽん、と肩を叩かれたり、でこをぺしりと叩かれたりもしたが、やはりどこにいるのかはわからなかった。

 しばらくして、フェイスさんがブレスレットを外すと、その姿が再度見えるようになった。

 私は、あまりの効果に驚く。


「……つけると見えなくなっちゃうんですか?」


「そうじゃ。見た通りじゃよ。これで神具じゃから、魔力なぞなくても効果は永続じゃ。存在が知れれば国宝になるほどのものじゃ」


 貴重なんてレベルじゃなかった。

 そんなものもらっていいのか。


「人にあげていいんですか、そんなもの……」


 私が言うと、フェイスさんは手を振って、


「いいんじゃいいんじゃ。わしを閉じ込めるときにも枢機卿どもの誰も気づいておらんかったんじゃからのう。そもそも、これの存在を明かしたことなどない。誰かにやっても誰も気づかん。わしの個人所有の品じゃから、文句を言われる筋合いもない」


 だったら、もらってもいいのだろうか。

 確かに……これがあると、私は非常に助かる。

 身を隠すのが非常に楽になる。

 さっきフェイスさんが提案した弱み探しにも非常に有用だろう。

 しかし、国宝をもらうのは……。


 私がそんな葛藤の渦の中にいると、フェイスさんは、


「とにかく、もらっとけ。老い先短い老人の頼みじゃと思ってな。どうせ、わしは聖廟から出られんのじゃ。遺産の受取主くらいはせめて自分で決めたいわ」


「遺産って……フェイスさん、そもそも寿命とかあるんですか?」


 二百歳越えで少年容姿の人物が寿命とか言っても説得力がないように思えたのだ。

 けれど、フェイスさんは無念そうな顔で言うのだ。


「外にいれば、もう千年は生きられたじゃろうが……あの聖廟の中ではな。もう、もって数年じゃろ。どうも人を衰弱させる術式までかけてくれたようじゃからな。念のいったことじゃ。それでも二十年生きられたのじゃから、僥倖かも知れん」


「聖廟の中にいるのがダメなら、こっちにずっといては?」


「言ったじゃろう。魂が縛り付けられおると。ずっとここにいることは出来ん。異世界じゃから強制力も多少弱くなっておるのじゃが、徐々に引っ張られているのを感じておる。しばらくすれば、強制的に戻されるじゃろう……」


「そんな……」


「ま、普通の人間よりずっと長く生きたのじゃ。もう思い残すことはなかろうて。強いて言うなら魔族との戦争は止めたかったが……仕方あるまい。む……」


 話しているうち、徐々にフェイスさんの体が薄くなり始めた。

 これが、強制力という奴なのだろうか。

 フェイスさんは言う。


「そろそろ時間のようじゃ。話せて、嬉しかったぞ。桜花。また来たいものじゃが――さらばじゃ」


「フェイスさん!」


 そうして、フェイスさんは、その場から完全に消滅した。

 跡形も残さずに、消えてしまったのだ。

 無理やり握らされたブレスレットだけが、彼がいたことを示している。

 もう、彼はここには来られないのだろうか。


 それどころか、命が……。


 けれど、私にはどうすることもできない。

 何かできないかと考え続けたけれど、何も思い浮かばず、私はとぼとぼと、プラネタリウムの外に出た。

 太陽の光が世界を照らしている。

 いつもとあまりにも変わらなくて、何か無性に悲しかった。


 ◇◆◇◆◇


 一晩考えても結局なにも浮かばなかった。

 当たり前だ。

 私はよくわからない現象と人に遭遇したけれど、基本的には何の変哲もないただの女子高生に過ぎない。

 それどころか、スクールカーストは絶賛最下位である。

 普通以下と言っていい。

 そんな人間に、異世界のリアルカースト最上位に位置する人々のいざこざの解決など出来るはずがなかった。


 じゃあ、どうするか。

 本当に何もしないのか、と言われるとそれもまた嫌だった。

 と言って、異世界に渡ろう、なんていうのは土台無理な話だ。

 この世界に魔女とか魔法使いがいて、そういう技術を持っているとか言うのなら話は別かもしれないが、仮にいたとしても私に彼らにコンタクトをとる手段などない。

 つまり、無理だ。

 世の中には頑張ってどうにかなることと、どうにもならないことがあるのだ。

 異世界渡りはどうにもならないことに分類される。


 となると、今の私に出来ることは、フェイスさんと話したことをやるくらいである。

 それは何か。

 それは、三浦真理亜嬢の弱み探しであった。


 フェイスさんのくれた身隠しのブレスレットをつけて、ひたすらにストーキングである。

 これの効果は本当にすごい。

 これを身に着けていると、本当に誰からも認識されないのだ。

 裸にならないとダメみたいな危険な制約も存在しない。

 普通に制服を着たまま身に着けてもオーケーである。

 そのため、毎日お昼休みになるとトイレに籠もってつけて、三浦真理亜嬢の周りをうろうろするという試験運用から始めたのだが、これが効果てきめんだった。


 真理亜嬢は私をひたすらに探しているのだが、全く見つからないようでイライラしている様子だった。

 取り巻きにも手分けして探させているのだが見つからない。

 どうやっても見つからない。

 授業になるとしれっとした顔で登場するのでいらつき度はマックスのようだった。

 飛んでくるゴミの大きさは倍ほどになった。

 しかし、さすがに授業中に怪我をするような危険なものは投げるとまずいと理解しているようで、消しゴムのカスとかそんなレベルなので問題はない。


 掃除についてはサボるわけにはいかないから、いかんともしがたかったが、まぁ、それくらいは許容範囲である。

 結果として、久しぶりに平穏な日常をプラネタリウム外で確保できた私だった。

 とはいっても、真理亜嬢がイライラしているのを一通り確認した後、昼休みはプラネタリウムに行くようにしていたが。

 ヘイルさんやフェイスさんがまた来るかもしれないと思って。

 けれど、彼らは来なかった。

 忙しいのかもしれないし、もう永遠に来ないのかもしれなかった。


 異世界の事情を知る方法が切実に欲しかった。

 

 ◇◆◇◆◇


 その日も、私はストーキングをしていた。

 時間帯は夜も半ば、21時くらいである。

 家でご飯を食べたあと、自室に戻って、それからブレスレットを嵌めて家族に黙って外出したのだった。

 どこに向かったかと言えば、それは真理亜嬢のご自宅である。

 もうすでにご飯は済ませて来たので、突撃して三浦家の晩御飯をもらいに行く気はさらさらない。

 ただ、なんか面白いネタはないかなと観察しに来ただけだ。

 家に押し込むのは流石にあれかなぁと思っているので、庭に侵入して、窓に張り付き、カーテンの隙間から覗いている感じである。

 家に入ってないからと言い訳の立たない、立派な犯罪者だ。

 しかし見つからなければいいのである。

 そもそも私をいじめなければこんなことしないのだから……。


 と、自分を正当化していたところ、リビング内に変化があった。

 三浦一家は今までそこで遅めの晩御飯をとっていたのだが、父親らしき男性が立ち上がったのだ。

 そして、彼は妻と思しき女性に向かってブチ切れた様子で怒鳴り始めた。


 うわぁ、夫婦喧嘩だぁ。


 と、のんきに見ていると、真理亜嬢は死んだ顔でご飯を食べていた。

 なるほど、こんな家庭環境だから私のいじめに走ったってこと?

 でも許さないけどね。


 とか考えながら、若干ざまぁみろ的な気分に浸っていた私である。

 しかし、徐々に三浦家はそれどころではない状況に陥り始めた。

 三浦家のご主人が、奥様に手を上げたのだ。

 きれいな拳が奥様の頬に突き刺さってふっとんだ。

 それだけならまだ、よかったのかもしれない。よくないけど。

 奥様は壁にぶつかったあと、即座に立ち上がり、そしてキッチンに走った。

 そして戻ってきたときには、その手に銀色に光る包丁を把持して、ものすごい形相でご主人を睨んでいたのだ。


 未だ死んだ顔でもくもくと箸を動かしている真理亜嬢がいっそシュールである。

 この状況でまだご飯を食べている。

 見上げた根性というべきなのだろうか。

 しかし、そんな彼女の我関せずな態度は三浦家のご主人の勘に障ったらしい。

 ご主人は自らの娘の首根っこを掴み、それから思い切りぶん投げたのだ。

 どこに?

 こっちに。

 つまり、庭につながる窓に向かって。


 バリーン!


 という音と共に、窓ガラスを突き破って真理亜嬢がふっとんできた。

 避けてもよかったのだけど、避けたら真理亜嬢は死ぬんじゃないかと思ってしまった。

 私は確かに真理亜嬢が嫌いだし、あわよくばこの世界から消えてくれればたいへん都合がよろしいなと思っていないわけではなかったけれど、別にその片棒を担ぎたいわけではないのだ。

 しかもこの家庭環境を見て、自業自得ぷぷとか言えるほど薄情でもないようだった。


 どうにか足を踏ん張り、吹っ飛んできた真理亜嬢を抱き留める。

 真理亜嬢は、驚いたような顔をして振り返りかけたので、私はその耳元に、


「……とりあえず逃げよう」


 と言って手を掴んで、庭から引っ張っていった。

 真理亜嬢は抵抗する気力もないようで、のろのろと子供のように引かれた。

 それからしばらく走り、三浦家から遠ざかると、私はブレスレットを外した。

 真理亜嬢はそれでもうつむいていたが、やっと落ち着いてきたのか幽鬼のような色をした顔を上げた。

 そして私の顔を確認したらしく、彼女はそこで血の気が戻って来たような表情で、


「……あんた……桜花?」


 と、目を見開いた。

 先ほどまで私の姿が透明であったことにはどうやら気づいてないようだった。

 暗かったし、それ以上にほとんど放心状態に近かったから当然なのかもしれない。

 ここで、そうです桜花ちゃんでーす、とか言えるユーモアと度胸があればもしかしたら私は学校でいじめられないで済んだのかもしれないな、と考えつつ、普通に返答する私。


「そうだよ。そしてあなたは三浦真理亜」


「知ってるわよ」


 イライラした顔で私を見つめる彼女。

 これは見たことがある表情だ。


「いつもの調子が戻って来たね」


 肩をすくめていえば、馬鹿にされるかなと思ったのだが、彼女は意外なことにふてくされたような声で、


「……笑えばいいでしょ」


 と言ってきた。


「笑えって何をよ? あんたの家庭環境?」


 確かに、ある意味笑えるが、それ以上に笑えない状況であった。

 笑えと言われて笑えるような題材でもない。

 三浦家は相当ひどい。

 真理亜は私の返答に怒ったように、


「そうよ! 見たでしょ! あんな……あんな家だから……」


「だからストレス解消に私をいじめたの?」


 だからって許さないよ?

 そう言外に言い切っている私の質問に、真理亜は、


「……そうよ。別に許してくれなんて言う気はないわよ。私を殺したいなら殺せば? どうせそのうち殺されて死ぬわよ、私……」


 ものすごい捨て鉢な態度であるが、確かにあの状況ならあと一年、高校卒業までこの娘の命が持つかどうかは甚だ怪しかった。

 壁もよく見ると傷だらけだったし、包丁の切り傷らしきものもいたるところにあったし。

 そもそも、真理亜の両親は今もご存命なのだろうか?

 殺し合いが不幸に決着していないことを祈る。


「分かった、分かった。でも別に殺さないけどね。そんなことして捕まりたくないし……だいたい本当に放っておけば死にそうだし」


 事実の指摘だったのだが、自分で言うならともかく、人に言われるとひどく腹が立つらしい。

 真理亜は怒鳴る様に、


「……だったら……だったら、さっきだって放っておけばよかったでしょ! なんで引っ張ってきたのよ……なんで……こんなことなら、死んだ方がよかった……」


 と言う。

 今までいじめていた相手に命を救われるというのはひどく彼女のプライドを傷つけるらしかった。

 まぁ、わからないでもなかった。

 そもそも、彼女の言うように、私はなんで助けたのか。

 弱みを探しに来たのに。

 放置しておけば、明日の新聞には三浦家三人の死亡記事が載ったのかもしれなかったのに。

 愚かなことをしたかも、と思う反面、やっぱり死んで欲しいというわけでもないからなと思ってしまう。

 それはなぜかと言えば、つい先日、今にも死にそうな人に会ったからだ。

 不本意な環境に置かれて、死まであと何日か数える日々を送る人に。

 真理亜の置かれている状況も抽象化すれば似ていると言える。

 そんな真理亜にさっくり死なれるのは彼を連想して寝覚めが悪かった。

 まぁ、内面的に同じに扱うのはあの人に失礼な気がするが。


「別に……死にたいなら戻れば?」


 正直に思ったことを言う。

 死んで欲しいとまでは思ってないが、勝手に死ぬ分には好きにすればいいとは思う。

 ただ、あのときはとっさに体が動いてしまっただけで、積極的に命を助けてやろうとかはさらさら思っていないのだ。

 けれど真理亜は間髪入れずに、


「死にたくはないわよ!」


 という。

 じゃあどうすればいいのだ。

 私は途方に暮れる。

 人の心は矛盾の塊だらけである。


「ふーん……なら、しばらくこの辺をうろうろして、ご両親が落ち着いたかなってころになったら帰れば? 警察連れてくといいかもしれないよ」


 止めてくれるかもしれないしね。

 そのあとブチ切れるのかもしれないけどまぁ、それは自分でなんとかしてほしい。


「あんたはなんでそんな他人事なの……」


 そりゃあ。


「他人事だもの。私、帰る。明日からいじめとかやめてね」


 そう言って歩き出す私。

 真理亜が、


「やめなかったらどうするの」


 と尋ねて来たので、私は振り返って言う。


「今日見たこと聞いたことを言い触らすだけだよ」


 そのために来たのだから、当然の話だ。

 真理亜はそれにうつむいてしまって、


「……分かった」


 と不本意そうに言った。

 何に対して不本意なのかはわからない。

 私をもう、いじめられないことに対してなのか、自分の家庭環境を私に知られてしまったことについてなのか、これからあの家に帰らなければならない現実に関してのことなのか。

 どれをとっても、彼女の立場に立つと楽しくなさそうなのは間違いないけれど。


 ともかく、これで私の問題は解決した。

 フェイスさんにも顔向けができるだろう。


 次に会えたら、この話をしよう。


 そう、思った。


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