伊織、超巨大蛾と出会う
惑星フレンダのシャークランドでアリアが大はしゃぎをしたのは、次の日だった。
私も久しぶりの土の上の感触を楽しんだ。
アリアはカイザーとの休日がよっぽど嬉しかったのだろう、カイザーにまとわりついて離れようとしなかった。
しかもカイザーが私にまとわりつくので、三人でごちゃごちゃしながら遊園地を歩いた。そしてカイザーの部下達が遠巻きに護衛をするので落ち着かないったら!
夕方、疲れきったアリアをアモンが船に連れて帰ると、私はカイザーに夜の街に連れて行かれた。ホテルの一室で豪華なドレスに着替えさせられ、化粧を施された。
「どこに行くの」
「ガイモンに招待されてる」
「ガイモン?」
カイザーの話ではフレンダの有力者でかなりの権力を持つ男らしい。
フレンダで武器や宇宙船を一手に引き受け手広く商売をし、カイザーの取引相手だという事だった。
「ふうん」
「驚くなよ。地球人には馴染みがない」
とカイザーに言われていたものの、いざガイモンという人物に会った瞬間、私はひっと悲鳴を上げた。幸い、小声だったのでガイモンには届かなかったらしいが。
ガイモンははっきり言って、蛾だった。
昆虫型宇宙人らしいが私には蛾にしか見えない。
超巨大な蛾。
大きな目、柔らかそうな触覚、口はとがっていて、鼻はよく分からない。
六本の手と足、堅そうな腹には何本もの線がはいっていて、黒びかりがしている。
洋服らしい物は着ているが、背中には大きなふさふさした茶色い羽。
見るからに鱗粉をまき散らしそうで、私の腕は鳥肌がたった。
ガイモンは私に称賛の言葉を与えた。
「さすが! カイザー様の花嫁、美しいですな。あなたのような女性を射止めたカイザー様がうらやましい!」
巨大蛾が話しかけてくる。
「どうも」
ガイモンが経営するレストランで食事が始まったが、運ばれてくる料理に鱗粉が落ちてそうで、食欲がわかない。
「どうしました? 伊織様! 食事が口に合ませんか?」
「いいえ。いただいてますわ」
私は無理やりに料理を口に詰め込んだ。
「宇宙に出て間がないんだ。だから、疲れてるのさ」
とカイザーが言った。
「なるほど、しかし、カイザー様、あなたが花嫁を連れて歩くのは珍しい事ですね?」
「まあな。伊織は本物の花嫁だからな」
「ほお! ではついに結婚されると?」
「ああ」
「ブラボー!」
と叫んで蛾男は大袈裟に手を広げた。
ちょ、羽を広げたら、鱗粉が飛ぶってば。
「これはおめでたい! 早速お祝いをしなければなりません!」
そう言って、ガイモンは酒をもってこさせた。
「乾杯をしましょう! そうだ、あなた方へとっておきのショーをお見せしましょう!」
広い店内には客は誰もいなかった。カイザーの為に貸し切り状態らしい。
隅っこの方でカイザーの部下達が食事をしていた。
ぎょっとしたのは獣類種の音楽団が出てきて、演奏を始めたからだ。
これは珍しくない。様々な星を流れ歩く楽団や劇団はたくさんある。
けれど、こんな悪人が大手を振って歩くような危ない星でこんな美しい旋律を聴くことが出来るなんてという驚きだ。
久しぶりに地上を歩き、太陽を浴び、美しい音楽を聴くという素晴らしい一日だった。
超巨大蛾男が前に座っていてもね。
やがてガイモンが気をきかしたのか姿を消し、私はお酒の入ったグラスを手に音楽を聴いていた。
そしてカイザーが言った。
「お前、婚約者がいるんだってな」
「え、ええ」
アリアったら、内緒にしとけって自分が言ったくせに!
「どんな男だ?」
「どんなって、二十歳年上で、地球ではお金持ちの方かな。実業家ってやつ」
「ふん、つまらん」
「そうね。あなたみたいに宇宙を又にかけて、冒険するような人生とは縁のない人だわ。最も私もそうだけど」
「その男に惚れてるのか?」
「……うちの父は貧乏な零細企業の社長でね、この結婚には会社の命運がかかってるの。私がその人へ嫁げば無条件で会社は生き返る。従業員も辞めてもらわなくてもいい。それに地球では結婚するのには健康な女性が一番の条件なの。地球の人口は減り続けてる。だから子供をたくさん生める若い女性が求められるの。でも私はこう見えても結構体が弱くてね。そんな女でも結婚してくれる男が、その上、父を助けてくれる人がいればありがたく申し出を受けないと駄目なの」
「まったくもってくだらんな」
「そうね。でも私は地球人だわ。地球でしか生きていけないわ」
「そんなに地球に帰りたいか?」
私は顔を上げてカイザーを見た。
「ええ」
カイザーはしばらく黙ったままだったが、やがてぽつりとつぶやいた。
「……ろしてしまうかもしれない」
「え? 何て言ったの?」
カイザーはにやっと笑って、
「殺してしまうかもしれないな」
と言った。
「私を?」
「いいや」
カイザーがほほ笑んだ。
優しい笑顔だったが、私はぞっとした。
「お前の婚約者とやらを」
「ど……うして?」
「お前がどうしても地球に帰ると、俺から逃げ出すというなら、お前の男も家族も皆、殺してしまう。俺はかっとなると、何をするか自分でも分からない」
「そんな!」
「だから俺の側にいろ」
カイザーは私の方を抱き寄せて頬にキスをした。
「カイザー、あなたが私に飽きたら私を地球に帰してくれるの?」
「俺がお前に飽きる? そんな事はない」
「それは分からないでしょ? 今までの花嫁だってそうだったんだし。あなたが私に飽きたら、地球に帰すと言ってちょうだい。約束してちょうだい」
「帰さない」
「どうして!」
私はカイザーの腕の中でじたばた暴れた。
「どうしてだって? 伊織、愛してるんだ」
カイザーは私の耳から首筋を優しく愛撫した。
「私は……あなたの花嫁にはなれないわ」
「黙れ!」
「私は……」
「いいわけはいらん! 俺が結婚すると言ったらするんだ! 伊織、俺を愛してくれ」
「あなたはまるで……子供ね」
「そうだ。お前の前じゃどうしていいか分からないんだ。どうしてお前はそんなに俺を嫌うんだ? お前の欲しい物は何でも手に入れてやるし、望む事は何でもかなえてやる」
「嘘よ」
私は首を振ってそれを否定した。
「嘘じゃない」
「だって地球に帰るという一番の望みはかなわないじゃない」
「それは……それだけは出来ない。お前を手放すのは嫌だ」
私は必死に冷静になろうと努力した。考えろと自分に言い聞かせた。
ことは案外簡単かもしれない。この男は手に入らないおもちゃを欲しがる子供だ。だからおもちゃが手に入ったら、熱は冷める。
「分かったわ。私はあなたの側にいるわ」
「本当か?」
「ええ。だから、地球にいる家族を殺すなんて言わないで」
「分かった。伊織が俺の側にいるなら、もう言わない」
カイザーの顔がぱっと嬉しそうに輝いた。
だけど、カイザーの指が肩にめり込んで痛い。
「その男を愛してるのか?」
「愛……」
私は婚約者の顔を思いだそうとしたのだけど、なぜだかぼんやりとした顔しか浮かんでこなかった。