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火星花嫁  作者: 猫又
第一章 伊織と海賊
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伊織、探索する

 この船から逃げ出せたとしてもパスがないとどこへも行けない。もちろん政府機関に逃げ込めば順当な手続きをしてくれるかもしれない。

 でも……それで助けられたとしても、私は海賊船に何ヶ月も拉致されていた娘のレッテルを貼られる。それは正直好ましくない。それを理由に婚約者は婚約を破棄し、さらに私の父に慰謝料を請求するだろう。理由はなんとでも。野蛮な宇宙海賊に拉致された娘など、と眉をひそめて、そしてさらにその危険性を考慮せずに安易な旅行会社のツアーで出かけた私のうかつさを責めるにはうってつけの案件だから。

 宇宙海賊というのは宇宙に慣れない人間にしたらそれだけ残酷なイメージがある。

 まさか毎日ごちそうを並べられ、高級エステ並にお手入れしてもらい、高級なドレスを着せ替えられ、ふわふわのベッドで眠り、お菓子を食べ、毎日のように宝石を贈られる、なんて嘘みたいな生活をしていたなんて、誰も信じないでしょう。

 一度は死にかけたし、奴隷部屋も経験済みなんだけどね。 



 三層区って言ってたな。行ってみよう。

 こそこそっと階段を降りたり、エレベーターに乗ったり、たどり着いた三層区というのは何だか変な匂いがする場所だった。

 薄暗くて、人影も全然なく私は途方に暮れた。

 銀色の自動路線に乗り運ばれるうちに、もとの部屋へ戻れないんじゃないかという不安になった。

 そのうちに路線があるドアの前で止まった。

 ゴッゴオン、と何だかおかしな音がしてドアが開いた。

 恐る恐る足を踏み入れる。

「うわっ、くさ!」

 もあんと熱気が立ち込め、いやな臭いがした。

 研究室のような部屋だった。

 キャビネットが並び立ち、書類や何かの実験器具があちらこちらに乱雑に置かれている。

 こそこそっとキャビネットの間を歩き、人を探していると声が聞こえてきた。

「次の休暇が惑星フレンダらしいぜ! すげえ、楽しみだよな」

 若い男の声だった。

「久しぶりだからな! 遊んじゃうぜぃ」

 ぎゃははは、と笑う声も数人する。

「報酬の支払い日いつだっけ?」

「明日。お前、ドジって怒られたから報酬ねえんじゃね?」

「ばっかでえ」

「いや、ダンテさんにマジ土下座で何とか」

「よーよー、だからさ、俺らと遊びに行こうぜ。外に出れんだろ?」

「え、でも……」

 小さいおどおどしたような娘の声が聞こえた。

「面白い場所に連れてってやるよ」

「あの、もう戻らないと」

 私はキャビネットの隙間から娘の声のする方を覗いた。

 やっぱり、聞き覚えのある娘の声はティナだった。

 メイドさん服を着ているのだが、なんていうか……危険だわ。

 だって、あんまり可愛らしすぎて、メイドさんっていうか、コスプレみたい。

 そうか食堂の手伝いに雇われたって言ってたっけ。

 よい暮らしさせてもらっているのか、頬がふっくらし血行がよい顔色をしている。

 カイザーは約束を守って奴隷から自由にしてくれた上に、仕事を与えて給金まで支払ってくれてる。確かに、カイザーは約束を守る男であるのは認めるわ。


「いいじゃん、、皆、適当にやってるよ。ねえ、いいだろう?」

 男はティナの肩に手を回して、耳元で何か囁いた。

「す、すみません……私、」

 ティナはいやいや、というふうに首を振った。

 その様子をはやし立てる周囲の男達は床に座り込んだり、デスクの上に立ったり、棚に腰掛けたりしている。そしてピーピーとか下品な口笛とかで爆笑がわき起こる。

 男はデスクに腰をかけている。

 ティナその横に立っている。

 ワゴンには湯気のたつ皿が乗っている。

「あの、どうぞ、早く食べないと冷めてしまいます」

 困惑し、うるっとした瞳で男を見上げるティナ。

 か、可愛い。

 下町の貧乏工場で育った私には百年たっても出来ないわね。

 ころんっと床に落ちたおにぎりも「三秒ルール」って職人さんに食べさせてたもんね。 

 男達はにやにやと嫌な笑いをしてから、ティナの腰をぐいっと引き寄せた。

 再び、ぴいぴいとはやし立てる男達の声。

 いつまでも立ち聞きも品がないわね。

 私は積み上がった書籍の中で分厚い奴をつかんで、ひょいとキャビネットの陰から顔をだした。

「あ?」と男が言ったのと、私の手から分厚い書籍が投げられたのが同時で、次の瞬間に男は「ぎゃっ」と言って、ひっくり返った。その拍子にデスクの上の物やワゴンの上の皿やカップ、ついでにコンピューターにつながれた計器やらが派手な音を立てて倒れた。

「な、なんだてめー!!!」

 鼻を押さえて男が怒鳴った。

 ティナびっくりして両手で頬を押さえたまま固まっている。

 その周囲にいた男達も巻き込まれて床に落ちたり、慌てて立ち上がったり、腰にぶら下げている銃に手をやる者もいた。

「ティナ、むやみに女性の体に触る男は殴ってもいいのよ」

「い、伊織様!」

 ティナは驚いて、それから同時にほっとしたような顔になった。

「久しぶりね、元気?」

「は、はい」

「仕事はどう? つらくない?」

「い、いいえ、よくしてもらってます! あのご飯をいっぱい食べさせてもらって……あの、ありがとうございます!」

「ティンはどうしてるの?」

「ティンも元気です! 伊織様に会いたいって……」

「何だ、このくそ女!」

 男が怒鳴りながら立ち上がったがすぐににやっと笑った。

「へえ、こんな美人がこの船に乗ってたなんて知らなかったな」

 落っこちたり慌てたりしていた男の仲間達も私を取り囲むようにして立った。

「へえ、まじ、びっじーん。てか、君、どこの部署?」

「名前は?」

「下々の者に名乗る名前はないわ」

 と私は言った。

「はあ?……なんだクソアマぁ、舐めてんのか!! やっちまうぞ!」

 さすがに海賊、短気だ。でもそうね、カイザーほどの威力はない。

 カイザーと怒鳴りあった時の怖さなんか全然ない。

 子犬がきゃいんきゃいんと吠えてるみたい。

 男は私の胸ぐらをつかんだ。

 

 桜と桃は私に薄い薄い、しかも露出の高いドレスを着せたがる。

 本日も薄い布のキャミドレスを着ていたのだけど、男が胸ぐらをつかんだ瞬間に肩紐がぶちっと切れてしまった。とっさに左手で胸を押さえる。

 男達はまた下品な声で「ひゃっひゃっひゃ」と笑った。

「あの……やめて、やめてください!」

 と言ったのはティナだった。

「知らないんですか? この方はカイザー様の伊織様なんですよ!!」

 焦ったかすれたティナの声ですべての時間が止まった。

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