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 堕ちた花びらは溜まって行き、指先は少しずつ手となり、腕となる。「それ」は鮮やかな朱色の着物を着ており、左半分は灰色だった。凛を抱き締めるように腕を回し、真っ暗な闇夜を閉じ込めた眼でこちらを見ている。


「すごいでしょ、こんなのだもん、央くんが来るわけないでしょ」

「なんなの、これ」

「柚井姫だよ。ちょっと厄介なことがあったから、央くんに相談したら、いいやつがいるって。俺は行かないって」


 やけに冷静な凛はまた日本酒を飲み始める。


「車に乗せられたとこで、今度は捨てられた。じゃあなって。痛い身体をやっと動かして、やっと家に帰った。父親がいた。何が起こったのか話せと言われた。母親と葎は親戚の家に行ったって」

 二次被害を防いだのだ。警察もそこここに待機していただろう。

「口なんて聞けなかった、玄関に座り込んだら、痛くて泣いた。父親はすぐに救急車を手配してくれた。でも」

 心配したよ、の声は?

「一緒には乗ってくれなかった」


 ショックだったな、と付け加えた凛の頬を柚井姫が灰色の左手で撫でた。その途端、ぱあっと消えた。花びらもない。

 今の誘拐と柚井姫がどう繋がるのか。繋がらないのか。


「入院したら帰る家がなくなってるんじゃないかって思って、次の日には無理して退院したんだ。自分の部屋に入ってからは出なかった。夕方、トイレに行ってたら、その間に葎が母親と帰ってきた。買い物してたみたい。母親が凛にってケーキを用意してた。その時、葎がこっちを向いた。ごめんねって言った。最初、なんのことか分からなかった」


 大根を口に入れた。程よくしんなりしていた。凛も頬張った。


「その日の朝、さつきが見つかってたんだ。頭を切り落とした状態でごみ捨て場に捨てられてた」

「それ、本当に犯人捕まってないのか? 知らされてないだけなんじゃないのか?」

「捕まったってさつきは還ってこない。違うんだ、葎が謝ったのは」


 日本酒は空になった。本当に捕まっていないのか?


「犯人からかかってきた電話を取ったのは葎だったんだ。葎は、俺はもう帰ってきてたと思った。電話を切ったあと、よく見たら靴もランドセルもなかった。慌てて母親に言った。でももう犯人からは電話がかかってこなかった」


 自分が後から帰ってきたのだから凛だっているはず。そう思っても不思議ではない。葎の心にも深く突き刺さるのが見えた。

 凛はもう口を開かなくなった。日本酒も大根も茄子も全部平らげた。

「よく、話したな」

「馗綯さんが、それは結に話すといいって。あの部屋に入った途端、言われた。馗綯さんは柚井姫を宥めて、大人しくさせてくれた。結がそちらにいるのなら、それで平気だろうって。柚井姫のことか俺のことかは、ちょっと分からなかったけど」

「お前のことかな。母さんの仕事の手伝いとかしたことないから」

「ありがと。ああ、よく呑んだ。喋った、寝る」

 凛はみんなで寝たいと言った。廊下に積んだ布団を凛に敷かせ、自分の部屋に敷いた布団を運んで敷いた。横になった途端に意識が飛んだ。




 起きたのは夕方、雨戸を閉めている音がしたからだ。頭が痛い。胃がムカムカする。


「い、痛」

 結衣子はいなかった。布団は畳んであった。反対を見ると上掛けを剥いで、腹が丸出しの凛が死んだように眠っていた。細く見える肢体だが、軽く腹筋が割れていた。

 風呂に入ろうと立ち上がる。空ビンや皿は片付けてあり、お茶が飲めるようになっていた。台所の奥にある風呂場に向かう。

「あ、結くん、見て、上手でしょう?」

 結衣子のかわいい笑顔で少し頭痛が減った。が、手にしていたお盆には小さめのおにぎりが並んでいるのは見たくなかった。

「待って、結衣子。今、無理」

「何よぅ、誉めてよね、あ、もう」

 とにかく風呂。熱めのお湯を浴びたい。逃げるように風呂場に行き、引き戸を閉める。

「お」

 改装したらしく、洗面所がきれいになっている。すのこを敷いて入っていた薄暗い風呂場も明るいオレンジのユニットバスに変わっていた。そういえばトイレも真新しかった。

 お湯を熱めに設定し直し、さっぱりしてから浸かった。ぐわんぐわんする頭を支える。結衣子も駒井もグラスに一杯しか注いでいなかったと思う。日本酒をほぼ一本呑んだのか。凛はいつ起きるだろう。

「結、開けるよ」

 母だった。ティシャツに巾の広い綿パンツを合わせていた。裾を捲り、入ってきた。

「背中、こっちに」

「はい」

 母はなにか呟きながら細い指先で背中をなぞる。文字なのか図柄なのか考えたことはない。

「結と結衣子が幸せに生きるように。結に出逢った者にも生き甲斐を」


「じゃあ、母さんの生き甲斐は?」

「死ぬこと。いつか死ぬときの為に今、必死で生きている」

 抽象的なのは昔からで、懐かしく感じた。背中から指先が離れた。

「結衣子を大事にしなさい。出逢いも大事に」

「はい」

「ついでに酒が抜けるようにしておいた。今日は豪華に行こう」

「ありがとう。凛にも頼みます」

「起きたら」

 母はそう言って風呂場を出ていく。頭痛も胃のムカムカもなくなった。


 長湯して汗で何もかも流してから台所に行くと結衣子がいた。ピンクのニットにデニムスカート。

「ニット、かわいいじゃん」

「ニットのことはどうでもいいの。ほら、おにぎり、誉めてよ。アタシが握ったんだから」

 小さめなのは結衣子の手が小さいからか。

「え、握った? 結衣子が?」

 結衣子はおにぎりは型に詰めるものだと言ったことがある。

「そうよ。馗綯さんが教えてくれた。簡単だったわ」

 食べてよ、と膨れっ面で言うので一個口に入れた。

「ん、あ」

 形は握られていたが、形だけだった。ぽろんと割れておかかが出てきた。

「あら、あーあ。ダメじゃん、アタシ」

 下から食べて言った。

「いや、形になってるだけで大進歩」

 二人で笑った。寝ている間に母と仲良くなったようだ。

「母さんもこんな感じだよ。昔はお祖母ちゃんがいたからなあ」

 祖母は家事炊事を全般こなしていた。母はいつもいなかった。あの赤い扉の向こうに行ってしまったらいつ出てくるのかも分からない。いつからか、祖母は自分に家事炊事を教えこむようになった。私が死んだら自分でやるんだよと言った。

「今は全部自分でやるんだって。今日は八千代さんっておばあちゃんが手伝ってくれたのよ」

「お、チヨばあさんだ、嬉しい。あ、これ、チヨばあさんでしょ」

 きれいに並べられた煮物。面倒がらずにそれぞれを煮ていく。里芋は絶品である。祖母のよりもおいしい。他にも天ぷらやサラダ、おひたしなんかが出来上がっていた。

「かぼちゃは馗綯さんよ。はい、つまみ食い用」

 崩れてしまったかぼちゃ。食べると自分が煮るのと同じ味がした。

「これ、結くんが煮たのと同じ味がするの」

「よく分かったね。うちのお祖母ちゃんの味だな」


 結衣子とほのぼのしていると、凛の叫び声が聞こえた。こちらに走ってきた。

「うわあああ、やべえっ」

「なんだ、元気だな。二日酔いとかないのか」

 寝過ぎて浮腫んだ顔は漫画のように青ざめている。


「俺、電話してた?」

 分からない。

「さあ」

 結衣子が覚えていた。

「かかってきたのよ。がらがら声で、今、気持ち悪いから無理って言って切っちゃってたわよ」

「ああ、まじ?」

 しゃがんで頭を抱えている。夕べ、話して凛はどれだけ軽くなっただろうか。結局、柚井姫と関係なかったようだし。


「行っちゃったよ。ああ、どうしよ。結、電話してくんない?」

「誰に? あ、おい、かかってんじゃんか」


 相手が分からないまま繋がったのだが、すぐ分かった。


『お前さ、何のために結をやったと思ってんだ。朝五時に電話よこせって言ったのは凛だぞ。それなのに、気持ち悪いとか言いやがって、挙げ句、柚井姫が来るってどういうことだ、マジで帰ってきたら、殴ってやるからな。俺、一人だったんだよ、ほんと、いい加減にしろ。なんでこんな目に遭わなきゃならないんだよ、ふざけんな、窓ガラスは粉々だし、電気はみんな破裂するし、雹は降るし、怖いって言ってんだろ、涙出たぞ、聞いてんのか、凛っ』


「央くんったら、泣いたの? へえ」

 ふざけて君づけで呼んだら切られた。

「切れたぞ、凛」

「大丈夫、気持ち立て直してすぐかかってくる」

 凛は風呂入ると言って風呂場に逃げた。



 


 

 



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