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 少し考えてから、ないなと答えた。

「結はさ、ああ、いいなって見える。きっと央くんもだよ」

「からかわれて終わりだけどな」

「そんなことない、央くんはちゃんとご褒美くれる」

 そうなのだ。こき使われてもそれにみあった御礼がある。スーツを買わずに済むことや、次の昇進試験を受けられるのも央の口添えがあったからだ。悔しいを通り越して有難い存在でもある。

「警察じゃ、比良工医学研究所って聞こえるだけで席を外す。トップシークレット次項の中のトップシークレット次項だから。そこの副所長だもんな」

「もうそろそろ所長になるんだよ。今回のこともそれの一環だし」

「そうなの? じゃあ、凛は何しにきたんだよ」


「柚井姫ってさ、神張に君臨した大名の娘でさ。あの旧校舎エリアに柚井城があった。かなり栄えたみたい。そりゃ、安泰ならよかったけど、やっぱり戦は避けられなくて、加えて日照りだとかが重なって」

「その身を天に捧ぐ、ってやつだろ」

 命と引き換えに、雨を、安らぎを。勉強した気がする。この地のために命を捧げた姫がいた。姫を祀った神社もある。


「ほんとは違う」

「ふーん」

 あまり興味がない。死んでるのだから、歴史でしかない。

 日本酒が空いた。

「もうないの? もっと呑もうよ」

「あるよ、開けるか?」

「うん、おいしいね」

 台所に行って日本酒を床下から取りだし、つまみに大根を千切りにして胡麻油と塩で和えて持っていく。

「ちょっとおいて、味が馴染んだら食べ頃」

「明日、煮物にして。煮物食いたい」

「ああ、いいね。作るつもりだったんだ、結衣子が指先切らなかったら」


 新たに開けた日本酒のいい香りが立ち込める。

「ほんとはさ、柚井姫は殺されたんだ」

「だから命と引き換えにだろ、雨とか戦を止めてとか」

「そうじゃない、町の人間が柚井姫を追い詰めて隔離して散々ヤりまくって首をはねたんだよ」

 グラスの中で、たぷんと揺れる日本酒に一瞬だけ見えた花びら。

「みんな、笑ってる。逃げられなくて残念だな。どうせ、お前には何も出来ないんだ」

 静かに話す凛を見る。酔っている雰囲気もない。凛の傷痕が赤く浮き上がる。ブワッと膨れているように見えて気味が悪い。

「凛?」

「柚井姫には秘密があった。誰にも分からないように秘密してある。それでもね、旧校舎エリアとか図書館棟の地下フロアを探しまくって史料をたくさん見つけた。こっそり入れてもらったんだ。央くんは行かないから、(ソウ)くんとかに手伝ってもらってさ。創くんのことも知ってるでしょ。んで、全部央くんに隠してもらった」

「どんな秘密?」

  話したいのかなんなのか、少しもったいつけて、凛はコップを煽るとまた注いで口をつけた。大根をかじって笑った。

「まだだった。もうちょっと待つ」

「なんか、作る? 酒ばかりじゃダメだよな」

「茄子、食べたい」

「焼いてくるよ」





 焼いた茄子を生姜醤油で食べていると凛はまた少しずつ話し出した。

「さつき、って言ってさ、いつもおさげにした女の子で」

「ん?」

「あの日に限って結んでいなかった。俺たちはまだ十歳だった。手を繋いで歩いてた。今日でた宿題や明日の体育、やだねとか話ながら帰った」

 柚井姫の話ではないことは分かる。

「誘拐されたんだ。二人とも」





「え?」

「誘拐。誘拐されたの。黒いワゴンが停まって、中から馬やピエロのフェイスマスク被ったやつらが、ランドセルごと抱えて俺らを車に投げ入れた。何が起こったのか分からなかった。でも、一個だけ、すぐに分かったことがあった」

 日本酒を空けるペースが速くなる。凛は何を話そうとしている?


「なあ、凛。話さなくてもいいことってあると思うよ」

「分かってる。この話、聞く人が嫌な思いをする、だから話したことない。でもさ、車で駒井さんが、ホッとしてたじゃない? 俺、話さないでって言ったでしょ? ほんとに触りだけだったじゃない? でもさ、駒井さん、いい顔になったよね。いくら孫の為だって言っても、人を呪うんだよ? しかも確実に死ぬんだよ。そんなこと望む人なんていないよ、今日は出来ないって言われてホッとしたって言ったじゃん」


 その誘拐事件は凛の心に突き刺さっているのだ。きっと担当した刑事も言ったに違いない。話せば少しは楽になるよ。犯人を捕まえたいだろう。さあ、話してごらん。


「誰にも言わなかった。言えなかったんだ」


 それでいいと思う。それで生きてこられたなら言わなくてよかったのだ。


「あいつら、間違えたんだ。いつも結んでた髪をほどいて歩いてたさつきを」

「葎と、か?」

「そう。葎は長い髪を束ねなかった。多分、さつきと示し合わせてた。長さも同じくらいだし。今でも結ばないよ、葎なりの償いなんだ」

 記憶の中の高校生だった葎も結ぶのは体育や化学実験なんかのときくらいだったと思う。前髪ぱっつんでストレートの黒髪。ふわりとサイドミラーに映ったアレを思い出した。


 さつきと葎を間違えたと犯人が思ったということは、行き当たりばったりの犯行ではない。初めから石田家の双子を狙っていた。

「葎は放送クラブで遅かった。だからさつきと帰った。昇降口で髪ゴムが切れて。りっちゃんいないからほどいて帰るって笑った。本当はたまにほどきたいって。でも、りっちゃんと約束しちゃったからって」

 手酌で飲み始める凛。駒井のように軽くはならないらしい。十歳、小学四年。自分は何をしていただろうか。


 この家で。


「目隠しされて、手足縛られて。怖くて怖くて。あれは多分、マンションだと思うんだ。部屋に転がされて、暗くなるのを待ってたみたいだった。真っ暗になってから目隠しを外された。馬面がこっちを見てた」


 マンションではリスクが高くないか? 狙いはなんだろうか。


「お前ら、見棄てられたな」

「え?」

「そう言われた。誘拐したぞって電話したら、もう、帰ってますから、いたずらですか、って言われて切られたって言った」


 

「父親はさ、証券会社で働いてんだけど、父親の一声で何もかも変わるって言われる人なんだ。政界にも顔が利く。誘拐の理由はそこにあると思うよ。犯人、捕まってないから、分かんないけど」

「捕まってない?」

「うん、だって俺、何も話さなかったし」

 証言がなくとも、追い詰められないか? さつきは?

「さつきちゃんも、話さなかったのか?」


 凛は頭を横に振る。口をぎゅっと結んだ。

 


「犯人は四人。ピエロが二人、豚と馬。ピエロ二人と豚はさつきを裸にした。馬面は俺の頭を掴んで、ちゃんと見ろって言った」


 鳥肌が立つ。


「豚が痛がるさつきを殴った。ピエロがさつきに馬乗りになった。馬が、俺はお前がいいと言った」


 冷や汗が背中を流れた。慌てて日本酒を注いで煽る。部屋の空気が凍るように冷たい。凜は空になったコップを視線で割るかように睨んでいる。


「何をされているのかも分からない、痛い、怖い」


「時間も分からない。馬面が急に言った。そうだ、お前は帰してやるよって」

「お前は? 凜だけを?」

「俺、そいつは葎じゃないって言えなかった。言ったらきっと、俺が残される」


 それは罪ではない。


「凛」

「初めから分かってたのに。あいつらが間違ってること。さつきなのに。葎じゃないのに」

「凛、そうするしかなかったんだよ」

「もしかしたら。もしかしたら、さつきは逃げられたかもしれない。あんな目に遭わなかったかもしれない。俺が叫んでいたら」



 静かに語る凛の肩に花びらが堕ちた。はらはら、堕ちてくる花びらはゆっくりと指先に変わっていく。



 



 



 

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