表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/31

 母と凜が戻らないまま、もう九時になろうとしていた。ビールではもの足りなさそうな駒井に日本酒を出し、結衣子には顔を洗うように言った。

「風呂は明日ね。あと寝るだけだし。母さん、出てこないかもしれないから」

 風呂は止めておく。結衣子は入らない方がいい。

「別にいいけど、なんで?」


「……何でだろ?」

 変なの、と言われた。台所の先にある洗面所を教えた。和室には戻らず、真っ直ぐ行った別の和室に入り、畳を上げて布団を出した。

 使える部屋はここと食事している和室しかない。赤い扉の手前は母の部屋。割り振りにちょっと悩んだが、自分の部屋に結衣子を宛がって、ここに駒井。凛はこれから食事になるから、そのまま和室で。自分と凛が一緒で構わないだろう。布団の数を数えて畳をしまう。一組敷いて、一組を自分の部屋に、二組は廊下に積んだ。

「それにしても結はよく動くよなあ」

 したたかに酔いが回り手伝う気はないらしい駒井を、結衣子と入れ違いに洗面所へ案内し、そのまま布団に連れていくと、すぐに寝息を立てた。


「駒井さん、楽しそうだったね。お孫さんのことはアレだけど」

「うん。駒井さん、若くないし、運転させちゃったからさ、寝かせてきた。結衣子は真ん中の部屋ね。布団は敷いてあるから、眠くなったらどうぞ」

「一人?」

「狭いんだ、四畳半しかない」

「怖くない?」

「怖いわけないし。俺たち、ここで寝るから」

「お母さんに会えないの?」

「会ったじゃないか」

「そういうんじゃなくて」

 またドーンの鳴った。不安な顔を隠さない結衣子。

「ギリギリまで起きてればいい」

「わかったぁ」


 結衣子と日本酒を酌み交わす。ほんのり赤い結衣子。

「結くん、お仕事、大変?」

「今はそうでもないよ。事件、起きてないし。落ち着いてるから」

 死体が見つかったら忙しくなる。アパートに帰る暇すら惜しくなる。

「友達のお父さんが刑事なんだって。地方だけど」

「へえ。大先輩だ」

「死体を見た日はお肉食べられなかったって。メニュー、直前でも変わっちゃうんだって」

 気持ちは分かるが、自分は平気だ。

「あたしたちは、そうなる?」

「ああ、ならないよ。平気、レアステーキでも大丈夫」

「あはは、やだぁ」

 結衣子も酔って笑いだした。かわいい。

「あ、終わったみたい」


 結衣子は自分の肩越しを指差した。振り返ると障子が少し開いている。障子に指先がかかっている。

「結衣子、違う、これは違う」

「えぇ? 何がぁ?」

 上手く言えないのだが、この指先は違う。母親でもないし、凛でもない。

「凛くん、お疲れ様ぁ」

 結衣子は立ち上がり、ふらつきながら障子を開けた。

「あら、いない」

「だから違うって」

 結衣子はペタンと座り込んだ。


「結くん」

「うん、こっちおいで。もう夜、遅いから叫ぶとか暴れるとかなしね」


 結衣子は声も出ないようだ。サァーと青ざめた結衣子を抱き寄せて障子を閉めた。

「結くん」

「うん」

「帰りたい」

「そうだね」


 酔いも醒めて真っ青な顔を自分に向けた。頬を撫でて落ち着かせる。叫ばないだけでも凄いかもしれない。



 サッと障子が開いた。


「いやあああっ」


「え、あ、ごめん」

「違うって、いいんだって、入れよ、閉めんな、凛」

「やだああっ」

「え、なに、悪かった、ごめんなさい」

「そうじゃない、結衣子、落ち着け、凛だよ、ほら」

「うわああん」



 凛に布団を敷いてもらい、散々泣きまくってぐずぐすの顔で眠った結衣子を転がした。一気に疲れがくる。そっと布団を掛けてやった。


「凜。飯、食うだろ。待ってて」

「ありがと、この酒、呑んでいい? あ、これ旨そう」

「ああ。ビールは?」

「いらない」

 炊いたご飯は全部握って、もう一度卵焼きを焼いて豚汁と持っていく。凛は旨そうに卵焼きを頬張った。

「結も呑もうよ」

「ん」

 今度は凛と酌み交わす。きれいな顔には疲れが見える。

「凜の用事は済んだの?」

「まあね。馗綯さん、すごい人だね。すごかった」

「母さんの仕事してるとこは見たことないから。何、やるの?」

「ああ、えっとね。ああ、柚井姫、知ってる?」

「ゆいひめ?」

「うん。えっと、神張市の命名由来に出てくる、あ、知ってるでしょ、央くんと同級生じゃん。東城(トウジョウ)学園のさ」


「あ、旧校舎」

「そうそう」



 出身校である東城学園の旧校舎エリア。高等部の校舎の北側にあり、ぐるりとフェンスに囲まれて上には有刺鉄線が巻かれている。入り口はない。誰も入れないはずなのだが、たまに生徒が「助けてくれ」と旧校舎側から叫んでいた。そういえば見たことがあった。近づくことはしなかったが、同じクラスの奴が叫んでいて、凛の姉、葎がフェンスの側にいた。

「学園七不思議ってやつだ。一個しかないけど」

「一個で十分だよ、あんなの」

 あの時、葎がいたなら央もいたはずだが。


「あ」

「ん?」

「旧校舎にいた奴を助けてる時に、央、走って逃げてったんだよ」

 そう言うと凛が笑いだした。

「だって、央くん、怖がりだから。はは、ほんと、ああいうときの逃げ足速いんだよね」

「そうそう、一気に走ってったな」

「央くんが葎に手、出さないのは多分怖いからだよ。葎、依童(ヨリワラ)体質だから」

「え、でも、付き合ってただろ?」

「まさか。葎、すぐ憑かれるからね。それでも、央くん、二、三回は寝たんじゃない?」

「ベタ惚れだったろ?」

「お互いね」


 そうだ、お互いベタ惚れだった。見ていて分かるくらいだ。日本酒を注いでやると凛は、くいっと飲みほす。爪が土に汚れていた。陶芸師とはどんな仕事なのか。陶芸だけなら母親に用事などないはずだ。


「央くんも葎も今でも好きだと思うよ。まあ、葎は結婚したけどね。あ、神張署の人だよ、加賀谷(カガヤ)って人。知ってる?」

 央と葎の関係があやふやになったところに、葎は結婚していて、しかも旦那は刑事だと言う。

「知らない。神張署、行ったこともない」

「そっか。いい人だよ。央くんと浮気しても怒らないし」

「なんだ、それ」

「央くんにも言わないでよ。今でもたまに葎と寝てるんだ。それを見ない振りしてくれてる」

「え? な、え、分からない」

「央くんに惚れてるとこも好きなんじゃない? 子供もいるよ、男の子二人。あ、心配しないで、ちゃんと加賀谷ファミリーだから。父親、央くんじゃないから」

 呑みすぎたのか、呑みが足りないのか。理解できない。央が父親じゃないなんて、葎にしか分からないだろうに。

「央くんは安心したと思うよ。自分に振り回されないで、ちゃんと幸せになってるから」

「でも、寝てんだろ? 旦那がいない時に。普通にあり得ないだろ。ってか、ええ?」

「はは、そうだろうね。結は分からないんだよ。分かんなくていいんじゃないかな。結も結衣子ちゃんもお互いだけなんでしょ?」

「当たり前じゃないか、普通だろ」

「うんうん、当たり前だね。そうだね」

「バカにしてんのか?」

「してないよ。羨ましいだけ。きっと央くんも羨ましいんだよ。だから、ちょっかい出してくる。そんな感じだよ」


 結衣子が寝返りを打ったのを見て、我に返る。

「あー、なんか、ごめんな。長旅で、疲れただろ」

「全然。俺、なんか楽しい。久々にちゃんと喋ってる。いつも土塊(ツチクレ)と話してばかりだからさ」

 ふんわりと笑う凛は真新しいカッターシャツの袖を捲っていた。さっきから気になることを聞いてみる。

「それ、いつの?」


 凛の手首にはたくさんの古い傷痕があった。左右とも数えきれない。日本酒のせいで赤く浮き上がっている。不謹慎ながら綺麗だと思ってしまった。

 凛はその綺麗な傷を撫でながら言った。

「今は切ってない。もう平気、かな」

 続けて聞いてきた。


「結はないでしょ? 死にたいって思ったこと。殺して欲しいって思うこと」



 






 





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ