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 すっかり夜の山となった道を行く。車のライトだけが頼りの道を無言で見つめていた。ちらちらと灯りが見えるようになったので結衣子に着いたよと言った。

「七時か。もう、暗くて何も分かんないわね」

「探険は明日だな」

 駒井は笑って結衣子に言う。

「駒井さん、車、中に入れちゃってください」

「はいよ」

 結衣子にも凛にも分からない闇夜を駒井に指示する。駒井は迷うこともなく、集落を抜けて狐島の敷地に車を入れた。ぬかるみが酷いことを結衣子に言ってから車を降りた。

「ちょっと待ってて。玄関、開けたら、少しは明るいから」

 そう言いながらも違和感を覚えていた。

「真っ暗ね」

 背中に結衣子の呟き。目を凝らして見ると車のライトが反射している。まだ雨戸を閉めていないのだ。


 暗くなってからでは遅いのよ。


 記憶の中の母の声。

 


 玄関の鍵はかかっていない。昔からかける習慣はなかった。


「母さん、ただいま」

 暗闇、静けさ、無。


 中に入り、正面の障子を開けた。真ん中まで行き、電気をつける。空の食膳が並んでいた。四人分ある。自分らが来ることはちゃんと伝わっている。なのにいない。


「玄関、外、つかないの?」

 凛がきた。

「ああ、中しか、あ、そこ、右、右」

 ちゃんと箱を抱えていた。右膝を上げて箱をのせ、空いた浅焼けの凛の左手が電気を探す。電気がつくと、駒井は車のライトを消した。

「うわ、ごめん、泥だらけ」

「俺だって。あがって」

 結衣子はパンプスだった。玄関にあった母の長靴を持っていく。

「結衣子、長靴。足ごと埋まるかも」

「えー」

 素直に履き替えて車から降りると、すっと深呼吸した。

「気合い、いれなくても」

「や、やあね、もう」

 疲れと緊張と。結衣子の戦いはこれからだ。結衣子の不戦勝が垣間見える。


「結、馗綯さんは? おらんのか」

「さあ。駒井さん、お約束していたんですよね?」

「ああ。だがどこも電気、ついとらんな」

 荷物を下ろして駒井にお礼を言う。駒井にも中に入ってもらった。

「奥、見てきます、こちらで」

 電気をつけた和室でみんなを待たせ、雨戸が開いたままの廊下を奥へ。


 危ないから内側を歩きなさい。


 廊下を障子に沿って歩く。真っ直ぐ奥へ。暗闇の中、突き当たる部屋の扉は大きな赤い扉だった。

「母さん、結です」

 拳でドンドンと叩き、母を呼ぶ。

 中で返事をしたとしても聞こえるとは限らない。


 この家は十字に造られている。部屋の両側は廊下になっていて部屋は障子で仕切られている。交差する真ん中を自分の部屋として使っていた。この部屋は四方全て障子であり、窓はなかった。

 赤い扉を背にして右に曲がると台所や風呂がある。母と二人になってからは食事も台所で食べた。台所のテーブルには食材が山積みにされていた。ガスコンロには土鍋がかかっていて、中を見るとご飯を炊く前の状態だった。火をつけてから和室に戻ろうとした時、向こう側を赤い扉に向かって歩く白い着物が見えた。

「ああ、母さん」

 母はこちらを少しだけ見てから通り過ぎていく。母は変わらない。歳を取るのを忘れたのかもしれない。そんな母の後ろを凛が箱を抱えてついていった。


 手前の廊下から和室に戻ると不安な表情の結衣子と駒井が立ち尽くしていた。

「結衣子?」

「大変、どうしよ、ご飯、頼みますねって」

「ああ、分かった」

「だって、アタシ、ご飯作れない」

「知ってるし」

 結衣子は何もできない。知っている。味噌汁の出汁を取ることも知らない。

「今から一時間くらいかかります、その間にお願いしますねって」

 結衣子の焦りが面白く映る。かわいそうなので助け船。

「お嫁さんだからとか女だろとか、母さんには関係ないから。そういうことじゃなくて、単に自分は準備出来ないから、やっといてねって意味だから。大丈夫、俺、やるから」

 まさか紹介もないまま台所に立てと言われるなんて。結衣子の顔に書いてある。

「結衣子、大丈夫だから。いいから、あ、食膳で平気? テーブル出そうか。駒井さん、泊まられますか?」

「あ、ああ。今日は無理だと言われた。あの子が持ってきた箱の方が重要らしい」

 ホッとしたよ、と付け加えた。

「駒井さん、手伝ってもらっていいですか? テーブル出しましょう」


 四つの食膳を重ねて隅に置き、畳の一枚の縁を強めに押した。跳ね上がる畳を結衣子が笑った。

「わ、収納なの?」

「この部屋は押し入れないから。ってかこの家はどこもこんなんだよ、部屋に壁がないんだ」

 自分の部屋側だけは壁になっているが、それは後から障子をつぶして壁にしたのだった。母が使う部屋にだけ、押し入れがある。

 駒井に手伝ってもらい、開けた畳の下から長方形のテーブルを出した。

「はい、座布団」

 結衣子に座布団を渡して畳を戻す。結衣子を台所に連れていき、場所を確認してもらった。台布巾を渡して台所から追い出す。

「ごめんね、結くん。どうしよ」

「平気だって。はい、拭いたらこの食器、持っていってね」

 とにかく仕事を作ってやる。不安が抜けないまま、結衣子は自分に従っている。どうしていいか分からなくなっている駒井を、運転して疲れたでしょうと労い、座らせた。


 台所のテーブルに載っている食材は野菜ばかりで冷蔵庫には少しの豚肉しかなかった。卵はたくさんあったので、豚汁と卵焼きを作ることにした。土鍋の火加減を調節してから段取りした。

 結衣子は後ろでうろうろしている。やらないことが一番の手伝いになるのだが、そうもいかない。母は何も言わないだろうが、結衣子は気にするだろう。

「野菜、切って」

「うん」

 洗って皮を剥いてから渡す。この間、大根を煮たのを食べた時の感想が「皮がついてる」だった。普段からもったいない気がして皮なんか剥かない。大根、人参、ごぼうを準備する。里芋はやらせられない。縦に四つに割った大根をトントンと適当に切る。

「はい、見本。同じに切って」

「わかった」


 その時、ドーンと大きな音がした。


「きゃ、痛っ、あ、何でもない」

 漫画みたいに指先を切る結衣子にティッシュを握らせ、食材の間に座らせた。分かりやすくシュンとする結衣子がかわいくて仕方ない。

「結くん」

「ん?」

「ごめんなさい」

「平気だよ。ちゃんと握って。血が止まるまでね」

「はい。ね、さっきの何の音?」

「ああ、何だろう。昔からだよ。母さんだと思うけどね」

 あの赤い扉の向こうは知らない。入った記憶もない。

 ただ、母が赤い扉の向こうに行くといろんなことが起こる。今のような大きな音が何なのか、考えたりもしなかった。


 部屋に行きなさい。


 部屋で退屈しないようにテレビもネットも繋いであった。携帯電話は電話会社の都合で持っていなかったが、困ったことはなかった。


「結くん、お母さんに言われたんだけど、お仏壇は? お婆ちゃんとかお父さんに手を合わせなさいって言われたの」

「仏壇、か。ないな」

「え」

「ないよ。ってか父さんは死んでないし。あ、死んでないはず」

「え、言ったじゃない」

「お婆ちゃんが死んだ話だろ? 父さんは出稼ぎって名の失踪。定期的に送金があるみたいだから、生きてるんだろ」

 顔も覚えていない父親。ふいに強行犯係の先輩方が思い浮かぶ。父親のように君臨する彼らが自分の今の目標である。

 ドーンという音が何度か響いた。地響きのように足元が揺らぐ。


「怖いね」

「大丈夫だよ」

 土鍋の火を止めた。いい香りが鼻と腹をくすぐる。

「いい匂い」

「うん、はい、味見」

 大根の葉を刻み、胡麻油で炒めて醤油を垂らす。

「おいし」

「よかった」

 駒井は酒を飲むだろうか。冷蔵庫にあったビールと、つまみに大根葉を持って和室に行く。

「駒井さんは飲みますか?」

「じゃあ、少しだけ」

 遠慮した返事だったが、目がキラキラしている。コップを二つ出して注ぎ、軽く持ち上げてから口をつけた。

「おー、冷えてるなあ」

「お疲れ様です、ありがとうございました、今日は助かりました」

「いやいや」


 台所に戻ると結衣子が聞いてきた。

「ねえ」

「ん?」

「駒井さんは何にも言わないのね、この音。聞こえてるでしょ」

「だろうね。昔からだから、気にならないんじゃないの?」

「そう?」


 聞こえてるのかを確認しようと思ったこともない。昔からだ。誰かに何の音かと言われたこともない。




 






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