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 花びらが、なんて言えるわけはない。胡桃は、すごいですねと笑った。

『友人に医者がいます。今春から心療内科を開くと聞きましたが、紹介しましょうか?』


 胡桃は少し考えてから答えた。

「学人のお母さんも一緒に行ってもいいですか? アタシより、全然、大変ですよね。もうアタシとは会ってくれないかもしれないけど」

『では、直接お母さんに伝えておきます。一緒でもいいし、別々でもいいんですよ。また、何かあったら、話したくなったとかがあったら連絡下さい。名刺渡します』

 名刺の裏にメールアドレスを書いて渡した。

「顔見たらほっとしました、来てくれてありがとうございました」

 胡桃は名刺をしっかりと胸に抱き、頭を下げた。そのあとも少し話していた。しっかり話す口調に安心する。

「アタシ、オムレツ得意なんですよ」

『そういうのは誰に教わるの? 何にも出来ない人がいるんだよ』

「アタシは本ですけど。お母さんに本見て作れるならお料理上手だってことよ、って言われましたけど」

『なるほど』


 結衣子には無理だ。目玉焼きすら、作り方があっても出来ないのだ。絶対無理なんだ。あのフライパンは買わないとダメだろうか。

『フライパンの焦げってとれるかな』

「あ、知ってますよ、お酢いれて煮るんですよ。ってか、今時、フライパン焦がすってすごくないですか?」

『ほんとだよね。フッ素加工はどうしたんだろうか』

 笑いだした胡桃に安心する。大丈夫そうだ。

「彼女ですか?」

『うん。朝、やられた。買って帰ろうかと思ってる』

 高くなくていいのだ。あのフライパンも長く活躍してきた。



 病院から出て結衣子にメールしようとしたらメールが来ていた。くらりとする。眠気じゃなくて目眩なのか?


『結くん、そこにいてって凛くんが言ってた』




「結」

 呼ばれて顔を上げると凛がいた。


 視界がぶれる。走って近づいてくる凛がだぶって見えた。

「結、大丈夫? 央くんが行ってくれるから」

 腕を取られ、支えられて歩くと央の黒いバンがあった。後部座席に乗り横になる。


「央くん、車、出して」

「お前が運転しろよ」

「免許ない」

「行きたくないんだよ」

「でも、このまま行くのが一番早いじゃん」

「結衣子呼べよ、運転出来るから」

「どこにいるのか場所聞いたけどよく分かんなかったから神張駅で拾って」

「俺、仕事あんだけど」

「行きたくない口実でしょ。帰ったら葎と寝ていいから」

「何で凛に許可を貰わないとなんないんだよ」



 リズミカルな会話が頭に浸透する頃、意識が飛んだ。結衣子はどこだろう。怒るならまだしも、泣いていたらかわいそうだ。




「結、大丈夫? ちょっと歩けない?」

 椅子から剥がすように身体を起こす。鉛を背負ったか飲み込んだかのように重い。隣に結衣子がいることにも気づかなかった。結衣子は自分の手を掴んで泣いていた。

「結、降りて」

 凛に車から降ろされた。

「凛、先に行くからな」

「うん、結衣子も行って」


 竹林の中だった。ざわざわする音と、破竹する音が響いていた。央は結衣子を乗せていなくなった。凛は両手で箱を抱えていた。この箱は。

「こっち。見える? 鳥居」

 少し先に赤い鳥居がある。見えると頷いて凛の肩を借りて歩き出す。小石が敷き詰められた道を行く。


「ここが柚井姫神社。柚井姫を封印した場所」

 鳥居をくぐり境内に入ると、空気が変わるのを感じた。


 そう感じた瞬間から更に身体が重くなった。立っていられない。


 踞る視野の端に下駄が見えた。


「凛、また変なの連れてきたな」

「そう言わないでよ、柚井姫を封じてくれるんだから」


「お前、よくそう言っては失敗するじゃないか」

「失敗じゃないよ、仕方なかったの」

「それを失敗って言うのだ、おや、キツネか、テンキュウか」

「両方らしいよ」

「ほう、初めて見るね、『神の手』か。ん? 『神の手』は女じゃなかったか?」

 頭も上げられない。磁石が働いているみたいに地面に吸い付けられる。

「もう結しかいないの。で、先代が力を貸してくれるから」

「貸してくれるなんて簡単にいいやがって、偉くなりやがって」


 下駄の男に頭を掴まれた。

「重いだろう。今、軽くしてやるからな。いいか、お前は決して人を憎んではならない。『神の手』のお前が望んだことを神は忘れない。お前は平凡に幸せになるのだ」


「平凡に、は無理だよ、刑事だし、央くんと仲いいし」

「なんだよ、チャチャいれんなよ、かっこつけてんのによ。いいから、凛、皿出せ」


 手が離れるのと同時に何か、抜かれるような感覚があった。中なのか、外なのか、気持ち悪い。


「やあ、先代さん、美人だな。頼んだよ」


 軽くなった。身体を起こす。


 見ると下駄の男は神主のようだった。白い袷に水色の袴。彫りの深い顔立ち。周りを見ると小石が敷き詰められた広い境内の真ん中にいた。ぐるりと何か線が引かれている。凛を見ると、凛から剥がれるように柚井姫が現れた。変わらず、真っ黒な眼でなにかを見ている。


 下駄を脱いだ神主が手にしているのは。



 母だった。

 馗綯はこちらを向いて何かを言った。



「止せ、お前の言葉は毒だ。呪いを含んでいる。もう何も言うな」

 馗綯は神主の言葉に目を伏せ、涙を流す。涙は花びらに変わり、柚井姫へと流れていく。


「オン シベイティシベイティ ハンダラ バシニ ソワカ

 オン シベイティシベイティ ハンダラ バシニ ソワカ」


 神主は何度も同じ言葉を繰り返し唱える。馗綯が流した花びらは柚井姫に注がれ、柚井姫のあの真っ黒な眼が静かに閉じていく。灰色の左手が皿に触れた。


 皿に吸い込まれるように、柚井姫と馗綯はいなくなった。


 しんとした境内。風もない。




「オン シベイティシベイティ ハンダラ バシニ ソワカ」



 神主は声色を抑えて静かに言い切ると、竹林のざわざわした音が戻ってきた。



 神主がこちらを睨んでいる。

「お前、随分、レアなやつなんだな。本当に狐島と天久のダブルじゃないか」


「そうだって言ってんじゃん、聞けよ、話、痛っ」


 下駄で頭を殴る神主なのか。凛は頭を抱える。神主がこちらに向かってきたので立ち上がる。下駄で殴られてはたまらない。


「お前は今一度、戻れ。全てを引き継いでこい、ここで処理すれば」

「馗綯さんは戻らなくていいって言ってたよ」

「何でだ」

「さあ」

「さあじゃねえよ、葬列組むのに引き手がいなくてどうすんだ、だいたい使い方も知らない『神の手』を野放しか? 知らねえぞ、楽尾川から鬼が上がってくるぞ」

「それこそ知らないよ、使わなきゃいいんじゃないの?」

「だから、資料ならなんやらなかったか? みんな持ってこいよ、帰る気がないならな。お前、バッカだな、相変わらず、おっと、残念」

 凛の蹴りは神主には届かなかった。


「凛よ、ちゃんと手助けしてやれ。お前なら資料を頭に入れるくらいなんてことねえだろ。こいつはな、使えなくても『神の手』だ、お前みたいな小者の願いくらい、朝飯前だぞ」



 神主は下駄を履き、社屋に戻っていった。凛は皿を包みながら小さな声で、知ってると言った。



 鳥居を潜り、竹林を行くと左手に家が見えた。


「ここ、うち。あっち、葎んち。真ん中が仕事場、んで、裏が焼き窯」


 似た形の家に挟まれた平屋の中に入る。手前に机、ベット。正面に作業台、奥は長細い棚が整然としていた。

 凛は作業台で箱から皿を出して、壁にある硝子戸の中にしまった。ひらりと落ちた花びら。永花なのか、柚井なのか。


 馗綯だろうか。



 死んだのか。



「馗綯さん、死んだら魂をくれるって言ってくれて。柚井姫は任せておけって言ってくれた。もうすぐ死ぬことも分かってたみたいだった」

 自分の意思ではないにせよ、人の死を願って生きてきた。早死にしても仕方ないかもしれない。五十年、母は幸せだっただろうか。死ぬために足掻いているような言い方をしていた。


 涙が流れてくる。


「ここにいていいから。落ち着いたら葎んちに来て。結衣子もいるから」

 凛はそう言うと、仕事場から出ていき、一人にしてくれた。




 
















 

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