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報告書を書くが、なかなか進まない。パソコンに向かってため息を吐く。帰りたいが、椎崎の取り調べも気になる。椎崎に連絡を取っていたのは京一郎だけではなかった。海岸寺も連絡しており、何度も線香をあげに行っていたと言う。椎崎は海岸寺でなければ話をしたくないと言い出し、署長は仕方なく海岸寺の謹慎を一日ずらした。
「キツネくん、あらかた書いたらいいですよ、まとめときます」
範子がニコッと笑った。助かった。お礼を伝えて帰り支度をしていると綾羅木が来た。
「結、病院だ。検査」
念のためだという。斗四季の血を正面から浴びた自分、やはり季伊那の血を正面から浴びてしまった綾羅木。綾羅木は入口に並ぶロッカーから海岸寺の着替えを取り出した。中を見てこちらに出した。
「借りておけ。服は病院で始末してもらうから」
綾羅木がパトカーを借りて病院に向かった。
「終わったら送ってやるから」
綾羅木の運転は海岸寺と違って荒く、助手席にいるにも関わらず車酔いしそうだった。病院で身体中の洗浄を受け、血液検査にかけられ、抗生剤を打たれてから解放された。海岸寺の着替えをありがたく借りる。
アパートまで送ってもらって綾羅木に頭を下げた。
「また、来週な」
はい。
一気に疲れがきた身体を引きずるようにアパートの階段を上がる。既に九時を回っていて、結衣子はいないかもしれない。
電気はついている。少し安心した。鍵を開けて中に入る。
ソファーで丸くなって眠っている結衣子。泣き腫らした顔はメイクも崩れていた。そっと触れると結衣子は手を伸ばして抱きついてきた。
「結くん、お帰りなさい」
頷いて抱きしめると結衣子の腹の虫が小さく泣いた。
「お腹、空いた」
そういえば、昼も食べていなかった。冷蔵庫を開けて重なっていたタッパを出す。冷凍庫で凍っていたご飯をレンジに入れ、卵スープを作ってやった。
「あのね、結くん」
結衣子の真っ赤な目がかわいい。
「凛くんに怒られちゃった」
凛が怒るのか。
「結が刑事を辞めるわけないだろって」
「アタシ、あんなに側にいたのに、何も出来なかったでしょ? おろおろしちゃって、救急車呼ぶのにも手間取って。みんなてきぱきしてて怖かったし」
ノートを探して書いて応える。
『ごめんな、怖かったな』
「なんで謝るの?」
何でだろうか。
「いいのよ、だって、何にも出来なかったのはアタシだもの。だから、お料理やお掃除って思って、家でやるんだけど、それも出来ないの」
いつだったか家に言ったとき、お母さんにも謝られたことがある。
「アタシには何が出来るかな?」
いてくれればいいのだ。何かして欲しいわけではない。でも何もしなくていいとも言うわけにいかない。
パクンと鮭を口に入れる結衣子。何でもおいしそうに食べる。
『今週は仕事ないから、一緒に住むとこ探そうか』
そう書くとみるみる涙を浮かべて、それでもご飯を口に入れるのがかわいい。モグモグと一所懸命食べている。
「今日、泊まっていい? 明日と明後日、お休みなの」
『いいよ、もちろん』
結衣子は泣きながら、ありがとうと言い、筑前煮に箸を伸ばした。
つぎはぎの夢を見る。
柚井姫や永花が楽しそうに笑っている。
見たこともない椎崎 五月が父親と歩いている。
血だらけの斗四季、季伊那。
笑っている池月。
海岸寺は夢の中でも機嫌が悪い。
自分の手が血だらけで、白い結衣子に触れない。
永花は花びらに。
柚井姫は死体を食らう。
守りたいと願う永花。
永花は恨んでいると信じている柚井姫。
柚井姫と呼ばれているあれは、永花と柚井の融合したものじゃないだろうか。導く永花、恨みを晴らす柚井。大事な永花を失った悲しみや怒りが渦を巻く。
死に近い自分があれを呼んだのかもしれない。
柚井姫が近くにいなかったら、斗四季と季伊那が死ぬことも、学人と椎崎が罪を犯すこともなかったかもしれない。
柚井姫が声を奪ったのは。
神を導く「神の手」を封印したのではないだろうか。馗綯がそれを望んでいるのではないか。
焦げ臭い。
結衣子か。
ずっしりと重い身体。一日しか働いていないのにすごく疲れている。夢のせいかもしれない。
いや、それより結衣子だ。なにやってんだ。とりあえず下着をつけてキッチンに行くと、泣きそうな結衣子と焦げ付いたフライパンがあった。
「だって、朝ごはんと思って、ちゃんと検索してからやったのよ」
携帯電話を見ると検索項目は目玉焼きだった。お腹を空かせた結衣子をほっておいた自分が悪い。シャワーを浴びている間に出かける準備をさせる。外に出た方がいい。被害はフライパンだけで済む。
仕事場への乗り換えを考えると舞川がいいのではないか、と聞くと結衣子はどこでも平気と言った。朝ごはんにしたファーストフードをぺろりと平らげた結衣子はご機嫌で続ける。
「結くんと一緒に住むの、考えるだけで楽しい。結くんの都合で平気」
都合と言われても異動しろと言われたら従うだろう。とりあえず大手の不動産屋へ入り、間取りをいろいろ見せてもらった。
キッチン、リビング、寝室。お互いの仕事を思うと寝室は二つ欲しい。多分、書棚も必要になる。自分もだが、結衣子も仕事上の書籍や書類が多い。
リビングが広い、2LDKが最低条件だろうか。キッチンやダイニングがあるならリビングに書棚を置ける。
それなら借りるより、買われては? と言われた。それも有りだろうか。
あくびを噛み締めるのを見計らったように携帯電話が震えた。メールを確認すると海岸寺からだった。
『今日は空いてるか? 筒森 胡桃がお前をご指名。建前は見舞いでいいから行って欲しい』
病院は昨日、検査した霧沙市立病院だった。ちょっと考えたが行くことにする。
『ごめん、被害者が入院してるから見舞いに行ってくる。一時間くらい、待ってて』
結衣子はメール画面を睨んでいる。
「分かった、アタシ、お買い物してるから。スーツも欲しいし」
『ありがとう、ごめんな』
不動産屋にお礼を言い、名刺を貰ってから結衣子と別れた。電車で一駅、神張の手前であった。買い物か。人工声帯はどこで売っているのだろう。病院で聞いてみようか。たった一駅の揺れに眠気を感じる。疲れ、ストレス。今日もたくさん寝れば平気だろうか。
こじんまりした外観に夕べは気づかなかった。受付でバッチを見せて通してもらった。
そっと扉を開けて中に入る。
胡桃は起きていた。ペコンと頭を下げた。
『狐島です、体調はどうですか? 声が出せないのでノートですいません』
「口の中は痛いけど。平気です、来てくれてよかった、ありがとうございます」
『嫌な思いをさせました、すいませんでした』
「学人、どうなりますか?」
正直に伝える。こればかりは仕方ない。
『あなたのためでしたから、情状酌量の余地はあります』
「アタシのせいですね」
『それは違いますよ』
胡桃は寂しそうに笑った。
「嬉しかった、こんなことになっても一緒にいてくれて。結婚しようって言ってくれた」
細い手首にぐるぐる巻かれた包帯が痛々しい。
「アタシ、孤児院育ちなんです。だから、刑事さんとよく話しましたよ。万引きだの、傷害だの、大抵は疑われてましたから。こっちが傷つくのは分からないんですよね。でもそれがよかったのかも。アタシ、あの服、隠したんです、学人やお母さんが見つけたらきっと捨てちゃうから。絶対的な証拠だもの」
『同級生にも孤児院から通っている子がいました。彼女もそうでした。やってない、ほら、やってない証拠がある。そんな言い方をよくしてました。守ってもらえるはずの警察が、敵に見えたんだと思います』
栄花が柚井姫に成り変わる瞬間は誰にでも起こる。
「あの時、どうして分かったんですか?」
証拠の服が本棚の裏にあることが。
『勘ですよ』




