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「椎崎さん、何で、ここに?」

「さ、五月ぃ、う、ああ」


 斗四季の喉から吹き出した血にまみれて斗四季と共に床に倒れ込んだ。


 斗四季の後ろ側に座っていたサラリーマンの手からナイフが落ちた。小さなフルーツナイフ。覆い被さった斗四季の下から身体を抜き、斗四季の脈を探す。分かってはいる、斗四季はもう生きてはいない。転がったナイフ。刺した部分は血に染まり、光る部分には。




 柚井姫が映っていた。柚井姫はナイフから這い出るようにして動かない斗四季に食らいついた。




「何で、俺があなたに手錠かけないとならないんですか」

 海岸寺はひどく疲れた顔でサラリーマンに手錠をかける。サラリーマンは泣き出した。

「さつきぃ、五月、あ、うあ」

「椎崎 守さん、あなたを殺人の現行犯で逮捕します」

 時間を確認して椎崎を近くの椅子に座らせ、動かないよう伝えると、椎崎はすいません、すいませんと繰り返した。椎崎 五月の父親である。海岸寺はこちらに向きを変え、小声で言ってきた。


「石田 京一郎が今から警察に行くことを連絡したらしい。斗四季をつけてたのかもしれないな。アヤは椎崎の顔知らないし」

 一度言葉を切ってから続けた。

「外も大変だ。アヤが血まみれになってる。ここに向かってきたキイを学人がめった刺しにした。電車できたんだな、車の俺らより早く着くよな」

 霧沙署の機捜に諸々を引き渡して、パトカーに綾羅木と乗った。海岸寺はバイクで来たようだ。


 季伊那が刺されたであろう場所に花びらがこんもりとしていた。流れる空気には散らない花びら。むくむくと動く。柚井姫が来るのを待っているように見えた。



 霧沙署に着くと、先に着いていた海岸寺が、初めて会う霧沙署署長にものすごい勢いで怒鳴られていた。本庁の管轄である人間が所轄に怒鳴られている、よく考えると面白い光景だった。確かに近くにいる池月は笑いを堪えているし、綾羅木も、ほっておけと笑っていた。着替えは? と聞かれた。多分、段ボールに入っている。スーツはないが、ワイシャツとネクタイはある。地下に行き、範子と黒井にひかれながら顔と手を洗い、シャツを替えてから上に上がった。

 凛がいた。すぐに近づいてきた。落ち着いている。


「結」

「凛、悪かったな、結局、嫌な思いをさせた」

「大丈夫、それはいいんだ。ちょっと覚悟してたし。なんかあの服出してスケッチ見せて喋ってたら、楽になったし。池月さん、いい人だね」

「そうか、良かった」


「結、ごめんね」

「何が?」

「うちに来てれば? 結、謹慎処分らしいよ」

 今日、異動したばかりなのに。きっと給与もカットされる。生きていけるだろうか。凛の後ろで黒い塊が動いた。



 ビクッとしてしまった。凛の後ろに柚井姫がいると思ってしまった。実体化したのかと。


「葎、か?」

「嫌い」

「え?」

 話をはしょるのは凛と似ている。顔もそっくりだ。長い髪の毛、整った顔、痩せた体躯にピッタリしたカッターシャツとデニム。


 葎は凛と自分を突飛ばして玄関から走り出した。慌てて追いかけると、本気で車に突っ込むところだった。

 後ろに引かれた肘を掴み、抱き抱えるようにして、どうにか車との接触を阻んだ。何かに引っ掛かったのか、手首にぶら下がっていたはずの人工声帯が飛んで転がった。


「アタシ、昔からあんたのこと、嫌いだった」

 卒業以来、久しぶりに会った最初がそれか。何なんだ。

「アタシは、だって、ずっと凛と」

 下を向いて泣き出した。小さな拳が胸を叩く。三回は我慢したが、四回目は本気な気がして拳を掴む。


「ずっと凛と一緒にいたのに。一番分かると思ってたのに。アタシにしか救えないって思ってたのに」

 どうせ喋ることは出来ないのだが、言葉に詰まる。手を離しても葎は動かなかった。

「アタシにはそれしかしてあげられないのに。やっと決心して、央に話したのよ、きっと、どうにかしてくれるって思ったの。それなのに、何であんたなのよっ」


 ワイシャツをギュッと握りしめて泣き出した。八つ当たりに近いが仕方ないので受け止める。そもそも柚井姫のことでだが、央が自分と凛を引き合わせた。その流れで今に至る。こういう感覚を何と言ったか。


 気がついたら全てが変わっていた。さて、変わったのはどこだと思う? 昨日の晩か、今日の朝焼けを見たときか。本当にその一瞬で変わったのか? 少しずつ変わっていることに気づかず、はて、今は? と振り返るとあれは過去となっていた。今は。柚井姫は。凛は。葎は。五月は。繋がる昨日、今日。朝と夜。

 五月と約束したという葎の長い髪の毛が風に靡く。結ばない約束。結ぶ約束。誰にも咎められない過去。


 車が動いた。バックして切り返す時に嫌な音がした。人工声帯が牽かれた。粉々である。


 その車から降りてきたのは央だった。てめえ、と言いたい。

「葎、どうした?」

 央の焦った声がした途端、パッと葎は離れた。


「央、送ってくれる?」

「ああ」

 泣き顔を下に向けたままの葎。海外焼けした央はこちらを睨む。何にもしてませんとジェスチャーで返事する。


 葎と入れ違いに車から現れたのは結衣子だった。


 泣いている。


「血だらけじゃない。なんで? どこ怪我したの?」

 大丈夫、大丈夫、落ち着いてとジェスチャーするが、多分、仕事の疲れが重なって余計に涙が落ちている。央を見ると運転席からこちらを睨みながら車を発進させていなくなった。

「やっぱりさ、刑事さんは辞めたらいいんじゃないかな、お料理してくれれば、ほら、アタシ、働くから、ね、そうしない?」

 しない。したくない。料理するのは構わない、寧ろ、結衣子にはやらせられない。携帯電話を出してメール画面で返事をする。


『大丈夫だから。怪我もしていない、犯人捕まえただけだよ。先にアパート行ってて。報告書書いたら帰るから』

「でも、だって」


 宥めている間にもボロボロと零れる涙。大抵はワンピースだが仕事だったからかグレーのスーツで、あまりお目にかかれない姿でかわいくて仕方ない、抱き締めたいが職場である。


「結、俺、送ってくよ」

 凛が申し出てくれたのでお願いする。だって、だって、と繰り返す結衣子を凛は上手にあやしながら歩き出した。あんなにぐだぐたしていた凛は少し大人になった気がする。誰かの面倒がみれるとは。


「お前、モテモテだな」

 海岸寺は呆れた顔で言った。違いますと手を振る。


「署長がお呼びだ。悪いな、謹慎だ」

 仕方ない、分かってる。まあ、結衣子とのんびりすればいい。


 署長に会いに行くと池月がいた。

「彼です、狐島 結巡査。次の昇進試験受けるでしょ?」

 頷くと池月に、あれは? と聞かれた。人工声帯が壊れたことをメール画面で伝える。

「あら、大変。署長、給与カットは勘弁してあげてください、人工声帯を買わないとならないんです」


「ふざけるな、勝手に隣県まで行って引っ掻き回して被疑者死亡だぞ、二人もな。その犯人は被害者の身内だというじゃないか。ホシだけしか見ていないからこんなことになるんだ。事件は被害者とホシだけではないんだぞ。俺達は追うだけじゃない、守ることも仕事だ。それに公安からの電話が絶えん、なんかもっと普通の事件を扱えないのか、お前らは。全く、比良のお墨付きだというから判子押してやったのに、狐島は前にも公安を向こう側に回したらしいじゃないか、どういうことだ。面倒な海岸寺が二人に増えただけってことなのか。俺をハゲさせたいのか」



 吹き出すのを我慢するために視線を床にずらす。


 すでにハゲているのを見ない振りをする。


「狐島、バッチを出せ」

 取り上げられるのかと思ったが、新しいバッチと名刺をくれた。今日は一日、廿日署のままだった。



「よし。海岸寺、狐島は一週間の謹慎。池月、綾羅木は向こう三ヶ月、給与五パーカットだ」


「え、アタシ?」

「お前が言ったんじゃないか、給与カットはかわいそうなんだろ?」


 おもわず後退る。この先、このヒールで追いかけられるのも遠くない気がする。



 



 

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