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週が空けて久し振りにスーツを着た。アパートがかび臭かったらどうしようとか思っていたが、央が誰かを雇って定期的に掃除をしてくれていたらしい。惣菜も冷蔵庫に入っていたので朝ごはんにした。入院していた間、三食食べていた習慣が続く。コーヒーだけの朝より快適である。
通り過ぎようと思ったが、やっぱり足が向いてしまった。ちょっと後悔した。
「なんか、久し振りじゃないですか? いつもと同じで大丈夫ですか?」
頷くと、いつもと変わらない店員はいつもと変わらないコーヒーを出してくれた。受け取って廿日署へ向かう。
「キツネくん、お帰り」
「なんだ、変わらないじゃない。痩せてもないし太ってもないし」
「相変わらず、かっこいー」
庶務課や少年課にぐるぐるされながら、強行犯係の部屋に入る。がらんとしていた。また事件なんだろう。熊谷係長が片手を挙げた。
「おはよう、どうだ、無理するなよ。みんなは出払ってる。昼にはここに本部ができる」
人工声帯を喉に当てて話す。
「コロシですか?」
「連続らしくてな、警視庁からも人がくる」
「えっと、自分はどうしたら?」
「狐島は署長室だ、行こう」
「はい」
うずうずする気持ちがある。まだ刑事なんだなと思った。地取りであれ聞き込みであれ、捜査に加わりたい気持ちが身体中満たしていく。
「おう、復活か。みんなで賭けてたんだ、太るか痩せるか」
入り口でも言われた。みんな総負けである。自分の一人勝ちだ。
そんな話をしながらソファに座る。体調の話、人工声帯の話。なかなか本題に入らない。係長が切り出した。
「署長、例の件は?」
「ああ、そうだったな。大丈夫だ、受け入れしてくれる」
「自分はどこへ?」
「これだ、辞令を」
ひらりと紙が向けられた。花びらが散ったことは無視する。その辺に柚井姫がいるのだろう。
「霧沙署?」
「霧沙署、未解決事件捜査室。霧沙、神張、桜川、廿日、舞川、っと楽尾川も入るんだったかな。この辺り一体の未解決事件を一ヵ所に集めた捜査室だ。所属は警視庁に切り替わる、警視庁、未解決事件捜査室の狐島ですってな。警視庁の捜査課の別室だ。ある意味、栄転だ。今までは左遷扱いされることもあったが、もうそろそろ、それを返上したい、いい人材はいないかと相談を受けていた。聞き込みも地取りも取り調べも何もかも、今と同じだ。扱う事件が未解決で再捜査だということが違うだけでな」
「逆に難しいですね」
「そうだな、古い事件となると、法律が改正されて、時効も撤廃、殺人じゃなくても時効までが倍になったりもしているし。死人がでているならば、遺族に改めて話を聞く難しさがあるな」
記憶となった事件を他人が掘り起こす。
「犯人も我々も遺族も被害者もみんな人間なんだ。間違いもあれば、漏れた真実もあるだろう。それを一括して捜査に当たる部署だ。行くか?」
行かない選択肢はない。この紙がある以上、まだ刑事の肩書きを持てるのだ。
「行きます、まだまだ刑事でいたいので」
「廿日署から手離すのは惜しいがな。今、考えられる一番理想的な選択だと思っている」
「ありがとうございます」
署長も係長もほっとした顔をしていた。この顔は事後承諾なんだなと思った。
「じゃあ、引っ越しだ。机、まとめないとな」
「今日からなんですね?」
「そうなんだ。考えますと言われたらどうしようかと」
「そんな気はしていました」
バレてたかと署長はでかい声で笑う。
みんなではからっていて、いない間に引っ越しするのが心苦しいが仕方ない。さっさと段ボールに荷物を入れていく。電話番に充てられた同じ班の鵜飼が声をかけてきた。
「よかった。で、よかったか?」
「ええ、多分。みんなによろしくお伝えください。後でなんか買ってきますね」
「そうだな、甘いものだな、それから、腹が膨らむやつ、それと」
吹き出して笑うと鵜飼も笑った。
「鬼島さん、淋しいだろうな」
「どうでしょう、ほっとしてるかも」
「バカ言え、お気に入りだったぞ、お前」
「怒られてばかりですよ」
気に入らなければ、叱りもしないだろう。本当にお世話になった。
「この事件が落ち着いたらみんなで飲もうな」
「はい」
段ボールは一箱で交通課の柳沢が霧沙署まで行ってくれると行った。
「すいません」
「いいの、いいの」
妙に楽しそうでキラキラしている。違う狙いがあるのだろう。央との合コンの話や人工声帯が面白いだの話しながら少し渋滞し始めた大通りを行く。
「そういえば、キツネくん、彼女は?」
「今、アラビアですよ」
「出張?」
「はい」
「ふーん、すごいわね。キツネくん置いてくの心配じゃないかしら」
「まだ、入院してることになってるんで、逆に安心していると思います」
「なるほどね」




