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四時のチャイムが鳴ったのを合図に結衣子と凛は一緒に帰ると言ったので見送ってから病室に戻る。タブレットばかり気を使っていたせいで、携帯電話の確認をすっかり怠っていた。ベッドの上に胡座をかいて携帯電話をいじる。廿日署の強行犯係の係長からと相棒の鬼島からメール。内容は同じで、面会に行っても構わないかと言っている。平日ならば、ラウンジも空いているから、週明けにしてもらった。
柚井姫がふらふらと歩いている。凛がいつも踞るとこでいなくなった。柚井姫のこともはっきりさせたいが、はっきりさせたところで、きっと変わりはないと思う。凛の話だと一度、央が調べている。資料もたんまりあるらしい。
そのことより、凛の事件だ。刑事を外され、経理課とかになったら、調べる時間が取れるかどうか。そもそも、凛は神張で生まれ育っている。廿日署の管轄ではないから、資料を取り寄せる手間から大変だ。
葎の旦那が神張署だと言った。なら、そこを経由して。
葎の厳しい顔が浮かぶ。葎に反対されたら、絶対に先に進めないなと思った。なんと言ったら納得するのか。今更、と怒鳴られそうだな。間違ったことが嫌いで真っ直ぐな葎。言いたいことをすぐに飲み込んで、別に、と下を向く凛。
柚井姫と永花はどうだったのだろう。
なぜ、あの夢を見たのか。
ふっと暗くなった。
「っ、っ」
いきなり柚井姫が目の前に立った。長い髪の毛の隙間から闇色の黒い目。目というか、がっぽり空いている眼孔が真っ黒なのだ。ぶわっと汗がでる。灰色の左手がこの首を掴む。
「っ、……が」
動けない。
携帯電話が唸った。
その瞬間、柚井姫は、ぱあんと弾けて居なくなった。
この携帯電話が通り道なのかも知れない。咳き込みながらそう感じた。
鬼島から、分かった、月曜の昼ぐらいに行くという返信メール。
凛に携帯電話に電話して欲しいとメールした。すぐ掛かってくるかと思ったが、返事はメールだった。
『やだ』
月曜日、鬼島は昼飯を買ったからとメールを寄越してから現れた。
「旨いらしいぞ、駅員に聞いたんだ」
多治見屋の唐揚げ弁当であった。係長は明日来ると言った。夕方にしてもらうのも悪くないなと考える。
「ま、元気そうじゃないか」
頷くと鬼島は名前のような鬼の顔を崩して笑った。
『すいません、忙しいのに』
「仕方ねえよ。よかったじゃないか、早期発見で。命には関わらないって聞いたぞ」
一瞬で話を合わせる。
『ええ、よかったです』
央が何と言ったのか、聞いとけばよかった。多分、癌かなと思う。部位がどこなのか後で確認しよう。
「刑事、辞めるのか?」
食べ終わって鬼島がコーヒーを買ってくれた。
『出来ないですよね』
「辞めたくないなら、はっきりそう言わないとダメだ。曖昧なのはよくない」
『喋れないんですよ、ホシに待て! とか叫べないですよ』
「そういうことを言ってるんじゃない。いいか、公務員だ、俺たちは。企業の見本でもある」
はあ、と頷く。
「障害者になりました、はい、お前はクビだ、なんてなるわけがない。いいか、お前がそれでも刑事がいいんですって叫ばないとダメなんだ。上からじゃあ、事務員なと言われる前に、刑事でいたいと言え」
鬼島は真っ直ぐにこちらを見る。このあふれでる威圧感にどれだけ憧れていることか。
「確かに刑事は基本、五体満足だ。雇うときの基本だ。障害者枠っていうわざわざ、ある意味差別化を図っている。お前はすでに刑事までのしあがってきた。来月には昇進試験もある。かなり不利だとは思うが、それは諦めるな。喋れない分は他でカバーするんだ。出来ないと思うな、諦めるな。いいか、これで諦めたら、お前と組んだ時間が無駄になるんだ、いいか、俺の時間が、お前のせいで、無駄になるんだ」
気合いを入れろと言われた。
背筋がピンとなる。まだ刑事でいられるのだろうか。そうだ、このまま事務員になったら鬼島に、みんなに教わったことが全て無駄になる。泣きそうになった。恥ずかしかったので、思いっきり叫んで頭を下げた。ありがとうございました。
「あにがごう、おあにあ、いあっ」
吹き出した鬼島に救われた。
「何言ってんだか、わかんねえじゃんかよ、早く退院して、復活してこい。あ、明日、係長が見舞いにくるぞ」
知ってます、と頷く。
じゃあなと帰っていく鬼島にまた頭を下げた。




