9
*
畳のいい薫りで目が覚めた。倒れたみたいだ。
さっきの頭突きのせいで視界がかなり揺れている。
「待って、ユイ」
「エイカ、早くっ」
記憶? 違う、どこだろう。
「ばぁばが来ちゃう、早く脱いで」
「うん、はい、帯」
「じゃあ、こっち」
声がする方に顔を向けた。小学生くらいで、長い髪の毛を揺らしている女の子が二人。さっきの「ユイ」は自分のことではないらしい。一人は華やかな着物を脱ぎ、一人はそれを身につけていく。はだ襦袢になった一人は地味な着物を着た。着物を交換したのだろう。
「柚井さま、永花さま、どちらですか?」
「ばぁば、こっちよ」
二人はちんまりと正座して足音を待った。
「こちらでしたか。まあま、またおいたですか」
華やかな着物を着た女の子の鼻を摘まみ、もう一人の頭を撫でた。
「また、おやりになったら、永花さまのお鼻を真っ赤にするお約束でしたね」
「やだ、やだ」
「ばぁば、なんで分かるの?」
「もう、十年のお付き合いでございます、分かるに決まっております」
身体は動かない。視線だけで景色を追う。広い畳敷きの部屋、障子の向こうは灰色の空だけ。高い建物の上階だろうか。
「柚井、行くね」
「うん、またね。永花。そうだ、今度、見せてね」
片方が小さな手を振り回す。
「内緒だよ」
「うん」
「聞こえてますよ。お止めください、あれはお遊びではありません」
「ばぁば、よく聞こえるのね。お父様みたい」
「まだまだ、殿には負けませんよ。いきますよ、永花さま」
「はあい」
双子か。着物を替えて当てっこをしたのか。ユイ? 柚井姫?
一人残された柚井はこちらを見ている。
「退屈」
ポツンと呟く。
灰色の空がうっすらと赤くなっていく。夕闇ではない、火事だろうか。
「怖い、みんなどこにいったのかしら」
呟く柚井姫は成長していた。どことなく凛に似ていると思った。
「柚井姫」
「お父様、怖いわ、どうなるの?」
「心配ない。さあ、おいで。少しここを離れて収まるのを待つ」
「永花は? 先に行ってるのね?」
「ああ、心配するな」
父親は嫌な間をあけて返事をした。二人がいなくなると入れ替わりに永花と祖母が入ってきた。
「永花さま」
「心配するな、ばぁば。分かっている。昔から柚井に成り済ますのは得意。見破るのはばぁばだけだった。さあ、早く、ばぁばも行って」
一人残された永花。やはりこちらを見ている。
「いいんだ。これで」
たくさんの足音が近づいてくる。
「いたぞ、ここだ」
そぞろに現れたのは煤にまみれた男達だった。
「お前が元凶だ、柚井姫」
「お前がちゃんと祈らないから」
「日照りだ」
「火事が起こっても、井戸が枯れてる」
「なんのための」
「赤ん坊が死んだ。乳が出なくなった」
「米が出来ないから」
「芋すら」
永花は毅然とした姿勢で男達と対峙している。
「死ね」
「首を跳ねろ」
男達は永花を取り囲む。永花の態度にほんの少し負けそうになっている。
「やれ」
どの男かは分からない。一人がたった一言で全てを動かした。着物を掴みあげられ、振り回され、細い手首も露になった太股も痛いくらい真っ白だった。その白さに男達は息を飲む。
止めろ。
身体も動かない、声もでない。止めろ、止めろ、止めろ。
永花は男達のなすがまま、叫びも泣きもせず受け入れた。男達は入れ替わり立ち替わり、永花を凌辱する。誰かの呟きが聞こえた。
「あとは首を跳ねるだけだ」
長い髪の毛を掴まれ、手首や太股同様に真っ白な首筋。そこに刃が当てられた。永花は初めて口を開いた。
「きっと、雨は降ります」
男達は叫び、永花の首を跳ねた。真っ赤な血飛沫。
瞬間の静寂。
誰もいない。
赤から灰色に戻る空。幽かに雨の音が滲みるように聞こえた。
時間が過ぎたのだろう、目の前に転がる永花の首はみるみる腐り、蛆虫が涌いた。
軽やかな足音が聞こえる。
ダメだ、来ては行けない。父親はどうした? 祖母は?
「永花、永花」
タタンと小気味良く止まった足音。崩れる永花だったものを睨むように見下ろしている。
ざわざわと鳥肌が立つ。空気が、景色が凍っていく。
柚井姫は動かない。
*
吐き気で正気に戻る。トイレにかけ込む。
なんだ、今の。
「結、こちらに」
台所で口を濯いで顔を洗った。母はじっとそれを待つ。
「はい」
やっとの思いで返事をすると母は赤い扉に向かった。
ぎしりと音がして母は扉を手前に開いた。この扉が開く所も初めて見たし、中に入るのも勿論初めてだった。中に入ると明かりはロウソクのみで窓がなかった。揺らぐロウソクの焔が天井に窓があることを教えてくれた。
壁は全て本棚になっていて古い背表紙がぎっちり並んでいた。見回すと隅に凛がいた。膝を抱えて丸くなっている。
「凛」
凛は手を伸ばしてずっと持ち歩いていた箱をこちらに滑らせた。その動きがさっきの双子と重なる。




