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桜、散る刻まで










 深夜の病院。

 和樹は早百合の眠るベッドの横に佇んでいた。

 彼女の両親もいるのだが、彼らは疲れのためか寝てしまっている。

 和樹だけが早百合の顔を見つめていた。


「………水木」


 手を握りながら、つぶやいた。

 一応、病状は安定したということで延命装置は外されていた。

 早百合はとても安らかな表情で寝ている。

 だがそれも、今の一時の平静であることは、すでに医者の口から伝えられていた。

 ―――もう長くない。今夜を越えることはもう絶望的だ、と。


「……覚えてるか?」


 早百合は寝ている。

 彼女の両親も寝入っている。

 和樹は、独り言のようにつぶやいた。


「あの桜の下で出会って、写真部に誘われて、水木が好きになって、今こうしてここにいる」


 目頭が熱くなるのを感じたが、構わない。

 どうせ誰も見てやしない。


「あの桜が無かったら、俺たちは出会ってなかったかも」


 早百合の寝顔は変わらない。

 規則的な呼吸音が響く。


「本当に水木の言うとおりだ。水木は、桜みたいだ」


 涙が頬を伝っていくのを感じた。

 それでも和樹はそれを拭おうとはしなかった。


「桜みたいに、優しくて、綺麗で……、儚くて。本当に一瞬だけ輝く桜みたいだ」


 桜はたしかに、春の季節にしか咲かない。

 だけどそれでも、次の年の春には、同じように美しい桜桃色の花びらを実らせる。

 早百合が桜のようならば――――また、会えるんだろうか? 来年の春に、またあの場所で、初々しい二人のままで。


 そんなことは在りえないと、和樹だって知っていた。

 だが、奇跡を信じたかった。神様でも仏様でも閻魔様でもいい。早百合を助けて欲しい。

 和樹は、ただ切にそう願った。


「………和樹君が泣いてるの、初めて見た」


 和樹が涙を流しながら、祈るようにしているその時。

 早百合がゆっくりと目を開けた。

 弱々しく、微かにだが、確かに開いた。


「……起きてたのかよ?」

「……うん、ちょっと前にね」


 早百合は和樹を見つめた。

 泣いている和樹を早百合は嬉しそうに眺めた。


「……なんだよ?」

「だって、あたしの為に泣いてくれたの、初めてでしょ?」


 前にも何度か泣いたことがあるよ、と言うと早百合は、嬉しいなと答えた。


「………もう、あたし、死んじゃうね」

「……そんなこと、言うなよ。頼むから」


 和樹を見て微笑む早百合。

 和樹は早百合を愛しく感じた。

 早百合の笑顔が、和樹は大好きだった。

 この笑顔を守るためなら何でもやってやれる。彼女を想う強い気持ちが、和樹の胸中にざわめいていた。


「もっと、色んな写真を撮りたかったな」

「え?」

「もっと色んなものを見て、感動したかった。あたしの心を――――生きてきた証拠を残したかった」


 和樹の中で、何かが生まれた。

 早百合の言葉を聞いて、早百合の為に出来る事をしたいと思った。

 そして、それはすぐに実行された。


 和樹は早百合の体を両手で持ち上げた。

 彼女を車椅子に乗せ、早百合の両親に気付かれないよう病室を出て行く。


「ど、どうしたの、和樹君?」


 弱々しい声。

 和樹は歩く速度を速めて、進んでいった。

 病院の非常口から外へ出る。

 そして駐輪場に着くと、和樹の自転車の後ろに早百合を乗せた。


「行こう、水木。最後の思い出作りだ」


 和樹は自転車の速度を上げて、発進した。











 到着したのは、あの小高い丘の場所。

 今夜は雲もなく満天の星空だった。


「うわぁ、綺麗だなぁ」


 早百合は視線を空に向けて言った。

 和樹もそれに同意して、自転車を止める。

 早百合をゆっくりと降ろしてあげた。


「ねぇ、和樹君」

「なに?」

「きみが、あたしの事を好きになったのって、いつ頃?」


 答えにくい質問だが、残された時間は少ないのだ。

 和樹は正直に答えた。


「写真部に誘われて、写真は心で撮るものだって言われた時、かな」

「……そっかぁ。じゃ、あたしの勝ちだね?」

「え?」

「あたしは、君に出会った入学式の時から、君が好きだった。一目惚れってやつ」


 早百合は屈託のない笑顔で言った。

 顔は青ざめているが、微かに紅潮したのが和樹には分かった。


「なぁ、水木」

「ん?」

「目、閉じて」


 素直に早百合は目を閉じた。

 そして早百合が、「何するの?」と問いかけようとした瞬間だった。


 お互いの唇が触れ合った。

 軽く触れて、離れた。和樹は早百合を、早百合は和樹を見つめていた。

 そして再び口付けをした。

 今度は長い、長い口付けだった。


 そしてしばらくの時が経った。

 やっとのことで、お互い離れた。


「和樹君の、ばかぁ」


 早百合は、はぁはぁと息を切らせている。

 それに、涙で顔がぐしゃぐしゃだった。


「こんなにドキドキさせて…。あたし、死んじゃうかと思った」


 早百合は和樹を見つめながら言った。

 彼女の左手が、胸を抑えていた。


「……あたしを殺そうとした、お返しだよ」


 そう言って、早百合は和樹に口付けをした。

 再び、長い時がそのまま過ぎ去っていった。


 そして口付けを終えようとした時には、彼女の体はぐったりとしていた。

 和樹は慌てて早百合を支える。彼女は相変わらずの笑顔だった。

 和樹は早百合の手を触れた。冷たさを、和樹は手の平に感じた。

 お互いが、手と手を強く握り締めた。
















―――――和樹君。


―――――なんだよ、水木。


―――――……最後くらい、早百合って呼んでよ。


―――――うん。わかった。


―――――大好きだった。きみの事が。


―――――俺も、早百合が大好きだった。


―――――二つだけ、お願い事、してもいいかな?


―――――ああ、いいよ。


――――― 一つ目。写真、撮り続けて。きみが生きた証を、撮り続けて。


―――――ああ、わかった。


―――――じゃ、最後の願い事。あたしが死んだら、あたしの事、忘れて。


―――――……早百合。


―――――死んじゃうあたしが、きみを縛り続けるわけには、いかないから。


―――――わかった。努力……してみる。


―――――うん。ありがとう。本当に、今まで、ありがとう。


―――――……早百合…。


―――――じゃあね、和樹君。あたしの大好きな人。


―――――……早百合、そんなこと言うなよ、なぁ?


―――――…………――――――――――。


―――――早百合、早百合ぃ!! ………早百合――――――っ!!











 それ以降、早百合が目を開けることはなかった。

 和樹は、満天の星空の中、早百合を抱いて、涙を流した。

 早百合は、安らかな、優しい顔で、笑っていた。










……早百合。


最後の願い事は、守れないよ。


俺は早百合を忘れない。絶対に。


俺が早百合の意思を継いで、早百合が撮り続けていきたかったものを、撮るから…。


最後の約束だけは、破らせてくれ。












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