桜が、咲いた刻に
―――四月。
幼稚園児は小学生へ。
小学生は中学生へ。
そして、中学生は高校生へ。
暖かい日差しを受けて、すくすくと育つ新芽たち。
春の優しい風に吹かれる感触が妙に心地良い。
虫や動物たちの新たな生命がこの季節に目を覚ますのだ。
飯島 和樹は、そんな穏やかな四月五日に高校へと入学した。
入学式が行われた。
お偉い方々の、うんざりするような決まり文句。
在校生たちが新入生を歓迎する言葉を送った。
そして公立高校の統一テスト――つまり高校受験――で最高成績を叩き出した新入生の挨拶。
例に倣った、つまらない入学式だと、和樹は思った。
入学式が終わり、クラス発表の掲示板が張り出される。
和樹は自分の名を懸命に探す。
1組、2組、3組、4組…………あった、5組だ。
特になんとも思うことは無かった。
学区外のため、知り合いなどいない。
それに、一人のほうが気楽だ。そう思いながら、和樹は校舎へと向かう。
ふと、足が止まった。
校庭の脇に咲く、一本の満開の桜。
この季節、桜などは別段珍しくも無い。だが、一本だけというのが和樹の興味を惹いた。
理解不能の好奇心。和樹自身ですら、胸のうちから湧き出る感情を把握できずにいた。
あれはただの桜だ。間違いない。……でも、何か、ありそうな気がして。
――そこへ自然と足が向かっていた。
◇
桜の近くまで歩いてくる。
目線を上にあげながら満開の桜を見た。
素晴らしいだとか、美しいだとか、形容できるような言葉が自然と口からこぼれる。
「綺麗……だなぁ」
しばらく、その場に立ち尽くした。
ピンク色の桜の花びらが風に吹かれて飛んでゆく。
その内の一枚を掴もうとするが、花びらはスルリと掌を抜けていった。
「きみ、桜が好きなの?」
少しだけ驚いた。
桜にだけしか目がいかず、周りを見ていなかった。
隣にいたのは女の子。しかも同じ新入生のようだった。
「あたしは、嫌い」
女の子は視線を桜へと向ける。
その目には、憂いのようなものが見て取れた。
「……え?」
和樹は無意識のうちに訊き返していた。
彼女の言っていることが、いまいち掴めなかったからだ。
すると女の子は和樹と視線を合わせ、言った。
「桜は、あたしと同じ。だから、嫌いなの」
彼女の口調は重苦しいものだった。
女の子はそれだけ言うと、足早に歩き去っていく。
それを和樹は目で追った。
「……誰だぁ、あの子」
つぶやいた。
和樹の目の前を桜の花びらが舞い降りていく。
「こんなに綺麗な桜が嫌い、か。しかも自分と一緒だなんて、どういうこったろ?」
首を傾けながら少女の後ろ姿を見送る。
そして再び視線を桜に戻した。
舞う花びら。
鮮やかなピンク。
たった一本の美しい大樹。
――和樹は、少女の事を頭の隅で考えながらも、その桜から目を離す事は出来なかった。