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会話の中に

思考の境界線

作者: parupuntist
掲載日:2026/09/12

「監査官さん。この青い線が消えれば、私の言葉になるんですか」

「AIが作った文章の下線だな。採用すれば消える」

「自分で打ち直しても、消えました」

「相談理由のことか。『自分で考えられなくなった』」

「はい。三回、書き直しました」

「元は、どんな文だった?」

「同じです。一字ずつ打ち直すと、私が書いたことになります」

「線は入力の記録だ。考えの出どころまでは、記録できない」

「その出どころを、確かめてほしいんです」

「わかった。座ってくれ。水もある」

「飲んでも?」

「もちろんだ」

「ありがとうございます。……まだ、置いておきます」

「手が震えている。急がなくていい」

「最初は、服と昼食を選ばせるだけでした」

「今は?」

「会議で何を言うか。誰の冗談で笑うか。怒られたとき、何秒黙るか」

「ずいぶん細かい指示を出していたんだな」

「『うまくやれるように』とだけ。細かい指示は、AIが作ってくれます」

「それを確かめて、実行していた?」

「ええ。前より褒められました。人の話をよく聞くようになったって」

「全部、言われたとおりか」

「嫌なら直します。『もっと私らしく』って」

「出来上がった言葉は、君らしかった?」

「同僚にはそう言われます。私は、直す前の方が好きなときもありました」

「そういうときは、好きな方を選べばいい」

「最初はそうしていました」

「何か、引っかかることがあった?」

「昨日は会議で、『AIに頼りすぎるのはよくない』と言いました」

「それも推薦か」

「はい。みんな頷きました。あとで一人に聞いたら、頷くように勧められていたそうです」

「その人も、自分の補助を使っていたんだな」

「会議のあと、その人は補助を切りました」

「それで?」

「何か言いかけては、『これは俺か』って。帰る時間になっても、席を立てませんでした」

「君にも、同じことが?」

「頭に言葉が浮かぶたびに履歴を探します。載っていないと、探し方が悪かったのかって」

「眠れているか」

「『もう寝ていい』という文を、昨夜は四十七回作り直しました」

「……履歴を閉じよう。今は、私と話してくれ」

「それも、推薦ですか」

「私は今、君にそうしてほしい」

「監査官さんは、応対補助を使っていないんですか」

「記録と、質問の抜けを調べるためには使っている」

「質問も、AIが?」

「候補は出る。必要だと思ったものだけ聞く」

「その『必要だと思った』ところに、青い線は出ますか」

「……出ない」

「責めたいわけじゃありません。誰に聞けばいいのか、わからなくて」

「自分の言葉だと確かめられる相手を、探しているのか」

「母に電話しました。補助なしで」

「何を話した?」

「『元気でいてね』。母は喜んでくれました」

「君も、そう思ったんだろう」

「はい。……その晩、先月の返信案に、同じ言葉を見つけました」

「元気でいてほしい、というのは、ありふれた言葉だ」

「そうです。だから、どちらから出てきたのか、もう確かめられません」

「昔から、人は聞いた言葉を覚えて、自分の言葉にしてきた」

「なら、私は何を怖がっているんでしょう」

「君の母親が喜んだことまで、取り消さなくていい」

「取り消したくないんです。あのとき嬉しかったことも」

「ああ」

「でも、嬉しいと気づく直前に、何かを読んだ気がするんです」

「……今、私の画面に、次の質問が出た」

「どんな質問ですか」

「『その気持ちを、誰に伝えたいですか』だ」

「母に。……いま、思いました」

「質問に答えようとしたんだ」

「それなら、今の考えを作ったのは、誰ですか」

「……」

「補助を切ったら、戻れますか」

「少なくとも、新しい推薦は来なくなる」

「前に読んだ言葉は?」

「消えない」

「それでも、切ってみたいです。監査官さんも、一緒に」

「わかった。この面談の間、二人とも止めよう」

「記録も消すんですか」

「残す。提案を作る機能だけ止める」

「……こちらは止まりました。そちらは?」

「待ってくれ。最後に応対案が出た。……よし、こちらも止まった」

「静かですね」

「音は、初めから出ていない」

「わかっています。頭の中が、返事を待っていて」

「待たせておけばいい」

「いま浮かんだ答えにも、青い線がついている気がします」

「画面にか」

「いいえ。閉じた目の裏です」

「目を開けてくれ。私がここにいる」

「水、飲みたいです」

「そこにある」

「手を伸ばす前に、誰かに確かめたくなります」

「喉が渇いているんだろう」

「さっき、飲んでいいと言われたから、渇いた気がしているだけかもしれません」

「……私に聞かなくても、飲んでいい」

「言ってもらえて、ほっとしました」

「そうか」

「でも、この次も聞かないと、飲めなくなりそうです」

「……」

「監査官さん、どうして端末を見たんですか」

「見ていない」

「いま、私が黙ったとき」

「……癖だ。もう補助は止まっている」

「私を見て、話してもらえますか」

「ああ。こうして伏せれば、気にならない」

「何を言えばいいんでしょう」

「うまく言おうとしなくていい」

「さっきから、そればかり考えています」

「何を」

「自分の言葉だと、思ってもらえる言い方を」

「……私も、次の一言を選べずにいる」

「監査官さんも?」

「大丈夫。ここからは、自分の言葉で話せる」

「いまのは、監査官さんの言葉ですか」

「そうだ。画面は見ていない」

「よかった。では、もう一度だけ言ってください」

「大丈夫。ここからは、自分の言葉で話せる」

「……もう一度」

「大丈夫。ここからは――」


 監査官は自分の声を止めた。伏せた端末に手を伸ばし、そっと起こした。

 〈補助停止中〉の下に、停止直前の応対案が残っていた。

 〈端末を伏せ、相手の目を見る。大丈夫。ここからは、自分の言葉で話せる〉

 その文には、青い下線が引かれていた。

 監査官は文を画面から消した。口を開き、何も言わずに閉じた。

 向かいでも、紙コップから手が離れた。その指は、停止した端末を引き寄せた。

 やがて二つの画面が暗くなった。二人の顔は、まだそこに向いていた。

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