「30年間ずっと花を贈ってやった」ですって、元婚約者様?花には罪はありませんけど
「会長。今年もまた、例のブツが届きましたよ」
秘書のウォルターが腕いっぱいの薔薇を抱えてやってきたのは、ジュリアの夫の葬儀が終わってしばらく経ったときだった。
毎年、同じ時期に贈られてくる差出人不明の、目に刺さるように派手な花束。
最愛の夫が亡くなった今年も、だなんて不謹慎だ。
―― 誰だか知らないけれど、私の気持ちなんて、絶対に。ほんの少しも、考えていないに違いないわ……
少し苛立った気分を払うように、ジュリアは軽く頭を振った。花には罪はない。
「捨てましょうか?」 とウォルターが聞いてくる。
ウォルターは元は夫のグレアムの秘書だった。学園を卒業後すぐにこのニコルソン商会に雇われた優秀な青年だ。グレアムが病気になりジュリアが会長代行をつとめるようになって以来、ジュリアの秘書として補佐してくれている。
いまウォルターは、黒い瞳に嫌悪を浮かべて花束を眺めていた。
「ジュリア様が結婚されてから、30年ずっと、贈られ続けていると聞いておりますが…… 差出人不明の花など、気持ち悪いだけではありませんか?」
「そうね…… けれど、花屋も仕事ですもの」
ジュリアはためいきをついた。
30年前、新婚だったジュリアに初めて贈られてきたときから、夫のグレアムにも同じように言われ続け、同じように答えてきたのだ。
それに、この花束のおかげで良いこともあった。
対抗意識を燃やしたグレアムが、紫の花が好きなジュリアのために、ラベンダーが一面に咲く丘を手に入れてくれたから。ラベンダーをブレンドした清々しい香水は、いまやニコルソン商会の主要な商品のひとつになっている。
それだけでなく、グレアムは読書をよくするジュリアに使ってほしいと、毎年、自分で摘んだスミレを押し花にして栞を作ってくれていた。それも対抗意識のあらわれであることは間違いがない。
栞をプレゼントしてくれるたび、「薔薇の花束なんかより、よほど好きだろう? 一番美しい花にしたんだ」 と、夫は言っていたのだから。
―― 仕事はすごくできるのに。うんと年上だったのに。とてもかわいい人だった。
何よりも、ジュリアを大切にしてくれていた。
その押し花の栞も、もらえることはもう、ない……
意図せずこぼれてきた涙をまばたきで追いやって、ジュリアはウォルターに指示をする。
「捨てては花がかわいそうだわ。適当にかざっておいてちょうだい」
「では、いつもどおりに」
「それでいいわ」
「ですが、この蔦だけは捨てさせてください」
ウォルターは薔薇の花にまといつくように差し込まれた蔦をつまんで引き抜きゴミ箱に投げ入れると、ハンカチを取り出し丁寧に指先を拭った。
「この蔦には特に、なにか運気を下げるようなものを感じます」
「そうかもしれないわね」
普段は冷静なウォルターにしては、あまり合理的とはいえない発言。それでもジュリアが同意するのは、蔦が元婚約者の家の紋章だったからだ。
『平民の家のおまえにはわからないだろうが、由緒ある伝統的な紋章なんだよ』 と、ことあるごとに元婚約者が自慢していたから覚えている。
なるほど、あれと同じと考えれば、たしかに……
長い蔓をうねらせた蔦は花束のアクセントというよりは、最悪の運をつれてきそうな呪術的ななにかに見えないこともない。
「では、失礼いたします」
花束を持ってウォルターが立ち去るのを見送ったジュリアは、こめかみを押さえ深呼吸した。
うっかり思い出してしまえば、こうして気を落ち着かせなければ仕事が手につかない。
あの男との婚約は、ジュリアにとってはトラウマ級の黒歴史なのだ ――
夫のグレアムと結婚する前、ジュリアには別の婚約者がいた。
名をレナードという。古の時代に “商会王” と呼ばれたマレット子爵の血を継ぐ彼は、金髪碧眼の優男だった。
裕福な貴族の嫡男との婚約。同年代の令嬢は、誰もがジュリアを羨ましがった。
だが実情は、さほど幸せなものではなかった。
レナードには病弱な幼馴染がいた。男爵令嬢であった彼女は常に、ジュリアよりもずっと優先され、大切にされていたのだ。
レナードと婚約していたあいだジュリアは、いったい何度 「メラニーが倒れたんだ。すまないが今日は行けない」 というメッセージを受け取ったことだろう。
楽しみにしていた街歩きの予定も観劇の約束も、全部それで流れてしまった。
それどころか、ジュリアがひどい怪我をしたときも、療養中、レナードは1度も見舞いに来なかった。
きたのは 「会えなくてすまない。メラニーがずっと具合が悪くて、俺がそばにいないと不安がるんだ」 というメッセージを添えた花束だけ。
―― ジュリアの怪我がメラニーの家の使用人が雇ったならず者に襲われたせいであることを、レナードは知っていたのだろうか。護衛が必死で守ってくれなければ、ジュリアは誘拐され貞操を汚されていたかもしれないのに。
だが当時のジュリアにはもはや、そんなことはどうでも良くなっていた。
疲れた。
思っていたのは、ただそれだけ。
ジュリアは婚約解消を望み、あまりの事態に激怒していたジュリアの両親も同意した。ことは愛娘の死活問題だ。相手がお貴族様でも、もう遠慮などしていられない。
そしてレナードとの縁は、それきりになった。
もともとジュリアとレナードの縁談は、レナードの実家であるマレット子爵家から願い出たもの。教養のある裕福な平民の娘との結婚は、さらなる勢力拡大を狙う下級貴族に人気があったのだ。彼女らは貴族の家に財産をもたらし、気取らずよく働いて新しい風を起こす。そうした結婚により事業が上向きになった例はたくさんあった。
ジュリアの場合は、父が髪結いの、母がドレス職人のギルド幹部だった。マレット子爵家は婚姻を通して両ギルドとの連携を強め、王族向けの事業に役立てるつもりだったのだ。
しかし結局のところ、その連携は、ジュリアとレナードが婚約解消したため成立しなかった。
重要な取引を台無しにされて怒った現マレット子爵によりレナードは廃嫡され、メラニーの男爵家に養子として転がり込んだそうだ。まあ、メラニーがもともとレナードを狙っていたことは明白なので、本人たちとしても嬉しい結果になったのではないだろうか。
ジュリアは結婚しない代わりに両親が懇意にしていたニコルソン商会に勤めることになった。まもなくしてその仕事ぶりを認められ、商会長だったグレアムの片腕として働くようになり、やがて、それまで事業一筋でやってきた彼にいつのまにか恋をして結婚。今に至る。
グレアムとの30年の結婚生活、最後の5年間は、病気で徐々に弱っていくのに元気に振る舞おうとする夫の姿を見るのが悲しく、辛かったけれど…… その間にジュリアは夫の代理として商会をいっそう盛り立て、娘のサラは結婚し、孫のアイリスも生まれた。
「あなたのおかげで、幸せな30年だった…… いいえ、今も幸せよ。無神経な花束なんて、なんでもないわよね」
仕事を進めつつなんとか気分を立て直したジュリアが、机の上に飾った小さな額のなかで微笑む夫に向かって語りかけたとき。
不意に、表が騒がしくなった。
ウォルターの声が切れ切れに聞こえる。どうやら、急な来客を断っているようだ。
来客はかなり強引であるらしい。押し問答の声が、どんどん大きくなってきている。
「俺だと言ってもらえれば、わかる。レナード・ハーパー、いや、レナード・マレットだと聞けば、彼女は絶対に会ってくれるはずだ……!」
まさか。
ジュリアは顔をしかめた。
たまたま、蔦のせいで思い出してしまったのが悪かったのだろうか。
ジュリアがグレアムと結婚して以来30年以上会っていなかった元婚約者が…… 急に、押しかけてきたのだ。
―― まあ、元婚約者として、というより商会関連でしょうけど。
と、ジュリアは考えた。
ジュリアのニコルソン商会の香水やドレスが市場での人気を独占していくにつれ、元婚約者のレナードが養子として後を継いだハーパー商会は押し負けてジリ貧になっていっているからだ。
困ったレナードが頼りにするとすれば、まずは実家のマレット子爵家のはず。が、こちらに来たということはレナードは実家からも完全に見放されているのだろう。
―― どうしようかしら。
ジュリアは、迷った。
30年間、夫のグレアムと幸せな結婚生活を送ってきたとはいえ。婚約中にレナードから蔑ろにされた屈辱と孤独とを思い出せば、まだ、どうしようもない疲労感が襲ってきて心臓を冷たい手で掴まれたようになってしまう。そして腹が立つ。
あんな男とは2度と会いたくない。
だからといって会わないでいるのも、レナードとの婚約解消の傷からまだ立ち直れないでいる、などと勘違いされそうで嫌である。
ここは、完全なる赤の他人として会い、レナードのことなど飼い猫の伸びた爪ほどにも気にしてはいないのだと、思い知らせてやろう ――
そう決意したのを狙いすましたかのように。
レナードの暴力的な発言が、ジュリアの耳に飛び込んできた。
「ジュリアは可哀想に、俺に婚約解消されて、傷心のまま年上のジジイに無理やり嫁がされて…… けれど俺にはわかる! ずっと、ジュリアは俺のことを愛しているはずなんだ!」
―― なんですって!?
レナード側から婚約解消したことになっているのもびっくりだが、ジュリアがまだレナードを慕っている設定なんて、ありえない。
それに、 『ジジイ』 ですって!?
許せないわ ――
ジュリアは勢いよく椅子から立ち上がると、そのまま会長室をあとにした。
レナードは勝手に受付を突破し、会長室の近くまできていた。なぜかメラニーまで一緒だ。病弱なのによく30年生き延びたものである。
ふたりとも、まるで長旅のあとででもあるかのようだ。型の古いよれた服と、疲れきった表情。
いったい、なにがあったのだろうか。
レナードたちの前には、秘書のウォルターが立ちふさがっていた。
「会長は、アポイントメントのないお客様とはお会いになりません」
「ジジイの腰巾着が、死んだあとまでジュリアを縛り付ける気か?」
「前会長を貶めるような方とは、ジュリア様は決してお会いになりません」
「うるさいな。どけよ」
レナードはウォルターをにらみつける。
が、明らかに格で負けていた。30年の歳月は、かつての美貌の上に底の浅さや軽薄さをくっきりと押し出すようになっていたのだ。
これと結婚しなくて本当に良かった ――
ジュリアは、婚約解消を決意した昔の自分に内心で拍手を贈りつつ、ウォルターの隣に立った。
「何の用です?」
「この方々が、妄言を吐かれながら、ジュリア様に会わせろと 「ジュリア!」 「ジュリアさん!」
ウォルターを遮り、レナードとメラニーがジュリアに近寄った。
メラニーがわざとらしくうつむき、鼻をすすりあげる。
「ジュリアさん…… わたくしのせいで、かわいそうな目に遭わせてしまって…… ほんとうに、ごめんなさい……!」
―― は?
ジュリアは思わずメラニーを凝視した。
メラニーは桃色の瞳を潤ませ 「ごめんなさい」 と繰り返す。
今さら犯行を謝罪されても、とジュリアは考えた。
時効だからって許されると思ってるのなら、相当おめでたいわね ――
だがメラニーは、ジュリアが考えているよりもうちょい、おめでたかった。
両手で顔を覆いながら、切れ切れに彼女が言ってみせることには。
「レナードが、わたくしを、あい…… どっ、同情しすぎて、わたくしを、選んでしまったばかりに……! ジュリアさん、婚約解消されてしまって……! ほんとうに、どう、お詫びしたら、いいの……!」
ジュリアの口からふっと息が漏れる。失笑だ。
―― 違うわ。私が私を不幸にする男を捨てただけのことよ。
しかしその意図は、この場ではウォルターにしか伝わっていなかった。
ジュリアの沈黙を肯定ととったのか、レナードが勢いよくしゃべりだす。
「ジュリア。俺はメラニーと離婚したんだ! おまえもジジイがやっと死んだんだろ? お互い、邪魔者がいなくなった今こそ、再び、俺たちの愛をあたためあおうじゃないか!」
レナードは満面に笑みを浮かべて宣言した。
「結婚しよう、ジュリア!」
―― は?
「“商会王マレット子爵” の看板が加われば、平民のニコルソン商会も、格が上がるというものだろ? メラニーは愛人でもいいと言ってるから、大丈夫だ! 離れにでも住まわせてやってくれ。大丈夫、俺たちの愛を邪魔なんて、決してさせないよ……!」
―― はあ!?
ジュリアは一瞬、レナードが何を言っているのかわからなかった。いやいきなりの求婚を理解できただけでもすごくないか、これ。
それから、呆れ果てた。
―― 愛人つきで求婚してくる男なんて、小説の 『婚約破棄男』 や 『白い結婚男』 よりも前代未聞だわ……! もはや人外、いえ、それでは人外に失礼ね。
ここでやっと、ジュリアは思い出した。
そういえば数日前、ハーパー商会が不渡りを出したとの噂を耳にしている。関わるつもりも予定もまったくなかったので、そのまま耳を素通りしていったのだが…… あれは、事実だったのだ。
おそらくレナードとメラニーは債権者たちから取り立てを受け、身ぐるみ剥がされて何も残っていないのだろう。
だから、いまやニコルソン商会の会長でかつ未亡人となったジュリアを頼って、なのに上から目線で求婚してきたのだ。
―― ありもしない愛を担保に、このバカ男と仮病女、ふたりぶんの面倒を見させようだなんて。考えていることが、えげつないわ。寄生虫、いえ、それ以下ね。
ジュリアの眉間にうっすらと皺が寄る。
なるべく平常心を心がけつつ、ジュリアは元婚約者に、その婿入り先の家名で呼びかけた。
「ハーパーさん。なぜ、あなたとの再婚が素晴らしいご褒美であるかのような口ぶりなのです?」
「もちろん! おまえが、まだ俺を愛しているからに決まっているよ、ジュリア!」
―― はあ!? バカなのかしら? じゃない、史上最低のバカね。
ジュリアはあっけにとられながらも即座に 「とんでもないことだわ」 と返す。
「ハーパーさん、あなたとの再婚なんて、たとえ王家からの注文つきでも、有り得ません。しかも、注文どころか愛人つき? あなたがたって、マダニの数百倍も厚顔無恥なのね」
「「……っ」」
吸血虫にたとえられるとは、さすがに思っていなかったのだろうか。レナードとメラニーは一瞬、ひるむ。
―― やれやれ、これで撃退かしら……
だがジュリアが内心ほっと息をついたのも、つかのま。レナードはすぐに体勢を立て直してきた。
「たっ……たしかにっ! 俺たちの愛は、あのダニよりも強いものだよな! うん、そうだよ! なにしろ、30年、不滅だったんだから……!」
―― なんの根拠から出てきた妄想なの? 図々しい虫! 背中の手が届かない部分がダニにかまれて、めちゃくちゃ痒くなっちゃえばいいのに……!
呆れかえるジュリアに、がばっと抱きつこうとするレナード。すんでのところでウォルターが間に入り、阻止する。
「会長に対して無礼が過ぎます。お帰りください」
「なんだと! たかが秘書ふぜいが! 俺たちの変わらぬ愛が、わからないのか!?」
レナードの晴れた空のような青い瞳が、情熱的にジュリアを見つめた。きもちわるい。
「30年という長いあいだ! 俺たちは、離れていてもずっと、互いの愛を確かめあってきたんだ……!」
さっきから有り得ないと言っているのに。
ここまで話が通じないだなんて、本当に婚約解消して良かった。先見の明があったわね。
ジュリアは内心で己を激賞しつつ、穏やかに微笑んでみせた。
「そんな事実はありませんわ、ハーパーさん」
―― 夫のグレアムとの結婚生活は、他人に何か言われた程度で揺らぐようなものではない。
グレアムはジュリアを愛していたし、ジュリアはグレアムを愛していた。どちらかが亡くなったからといって、どうでもいい寄生虫では、咬み跡ひとつつけられはしない。
「お帰りになって。猫にたかるノミよりもくだらない妄想などには、用がありませんから」
「会長が、こうおっしゃっていますので」
ウォルターがレナードとメラニーの間に入り、ふたりの背に手を回した。有無を言わせぬ力で、出口に向かって歩き出す。
「いたっ…… おい、待て!」
「ちょっと、なにするのよ……!?」
「出口へご案内しておりますが、なにか」
「待てって! 待て待て!」
レナードは必死の形相で踏みとどまろうとした。ウォルターにじりじりと押されつつ、叫ぶ。
「30年、ずっと! 薔薇の花束を贈ってやっただろう! 俺たちが婚約した日に合わせて! つまり今日だ! 来ただろう? おまえが毎年受け取っていたのは、俺のことをまだ愛しているからだろう、ジュリア!」
「あなたと婚約した日? そんなもの、忘れていました」
「なっ、なんだと……!?」
「今さら言われても、ああそうだったのか、とすら思いませんけれど。そのような過去、とっくに、不要なゴミとして焼却済みですもの」
「ゴミだと……」
レナードが手で顔を覆ってよろめき、メラニーが 「あまりにも酷いんじゃありませんの、ジュリアさん!?」 と、非難の声をあげた。
「ああ、そうね。あの謎の花束が、ハーパーさんからだということは、わかりましたわ。呪いじゃなくて良かった」
「の、呪いだと…… 毎年、俺が、どんな思いで! 今年だって、金がなかったのに、あれだけは、と……!」
「知りません。そもそも、どうして差出人不明でハーパーさんだとわかる、だなんて思ったのかしら…… しかも秘書が代筆した受領書が愛の証拠だなんて」
「ぐっ……」
ジュリアの冷ややかな眼差しと言葉に怯えて黙るレナードの代わりに、メラニーが叫んだ。
「でっ、でも、ジュリアさん!」
声が裏返っている。
「ジュリアさんが花束を受け取り続けたのは、うんと年上のジジイとの悲惨な結婚生活で、それが唯一の慰めだったからでしょう?」
「慰め?」
「そうよ! わたくしも、おかわいそうなジュリアさんを慰めてあげたくて! レナードがジュリアさんに花束を贈るのを、許していたんですわ!」
―― ああつまりそうやって、30年間、優越感を味わい続けてきたのね、メラニー。
ジュリアは片手でこめかみを押さえた。あまりのくだらなさに、めまいがしそうだ。
「あいにくですが、その花束から慰めを感じたことはありませんでした。私は夫と、幸せに暮らしてきましたので」
途端にメラニーの顔がゆがむ。
きっとジュリアから首尾よく奪ったはずのレナードとの結婚生活は、メラニーにとってはさほど良いものでもなかったのだろう。
まあ別れた女に未練がましく無名の花束を贈り続けるような男が夫では、お察しである。
かすかな哀れみすらメラニーに感じつつ、ジュリアは続けた。
「差出人不明のまま贈られ続けてくる花束なんて、むしろホラーでしかありませんでしたわ?」
「いや! そんなはずはない!」
不意にレナードが顔をあげた。
その瞳には再び、希望と情熱の炎が宿っている。しぶとさ、ゴキブリなみな虫だ。あくびしたとたんゴキブリが口にとびこんできちゃえばいいのに。
「花束には、俺の、マレット子爵家の紋章の蔦を必ず入れていたんだ! あの蔦を見て、おまえが、俺だとわからないわけがないだろう!? な、ジュリア!」
「ああ、蔦ね……」
もう面倒くさくなってきた。そんなに蔦が好きなら、いますぐ森に行って木に絡みついとけばいいのに。
わずかに肩をすくめるジュリアに代わり、ウォルターが律儀に説明する。
「あれは毎年、真っ先に引き抜いて捨てています。なにか不吉な気配がいたしましたので」
レナードの目と口とが、ぽかんと開いた。そのまましばらく口をはくはくと無駄に動かしていたが、やっと台詞を絞り出す。
「…… ふ、ふきつ…… だって……?」
「はい、さようでございます。ハーパー様」
「お、俺の…… 商会王の、紋章が……
ふき、つ……?」
「僭越ながら、マレット子爵家の紋章を大きな声で私物宣言しないほうがよろしいのでは? ハーパー様は、マレット子爵家には出入り禁止だと承っておりますが」
「もっ、もういい……!」
レナードの頬にさっと血が上った。
実家への出入り禁止については、よほど、つつかれたくなかったのだろう。プライドの高い彼らしい。
「おまえがそんな、冷たい女だとは知らなかったよ、ジュリア!」
捨て台詞を吐き、レナードは大股で出口に向かって歩き出した。
その背中は最初、怒りでふんぞり返っていたが、歩が進むに従い、少しずつしょんぼりと丸くなっていく。ジュリアが追いすがってくれるとでも思っていたのだろうか。そんなわけ、ないのに。
かわりにメラニーがレナードを追いかける。
「まってよ! ジュリアさんの世話になれるから大丈夫、って自信満々だったじゃないの、あなた! これはなんなの!? ちゃんとジュリアさんに、わからせてよ!」
「こっ、こらメラニー! おっ、俺はっ、そんなこと!」
メラニーに手を引っ張られ、レナードは足を止めた。
こんな寄生虫でも、自己都合に満ちた勘違いを曝されるのは恥ずかしいようだ。耳まで赤くなっている。
「もっ、もう行くぞ! ほら、メラニー!」
「そんなっ! ここで引き下がったら、明日からの生活、どうするの……! わたくし、病弱なのよ!? 働いたりなんて、できないのに……!」
「そんなことを大きな声で言うな!」
「じゅうぶん小声ですわ! 今さら、かっこうをつけてどうするの!? すがってでも居座らないとっ……!」
残念ながら全部、聞こえてる。
ともかくもメラニーは、なんとしてもレナードを引き止め、ジュリアを説得させる心づもりらしい。
そんなメラニーに 「奥様」 とウォルターが呼びかける。
ウォルターは財布から金貨を数枚取り出し、嫌味なほどに恭しく差し出した。
「レナード様からいただいた花束は、毎年、使用人のトイレに飾らせておりました。これは、使用人からの感謝の印です」
レナードの膝が崩れ落ちた。
かろうじて壁に手をつき身をささえながら、ぶつぶつと繰り返して言うことには。
「と、といれ……? お、おれの、はな、が……? しし、しよう、にん、の…… といれ……?」
そんな彼には目もくれず、メラニーは金貨の枚数を確認している。
「これっぽち? とても足りないわ……!」
「30年ぶんの花束の代金、相当です。あなたのご夫君は、それっぽちで我が商会長に不滅の愛を語ろうとされたのですよ、奥様」
「だって…… 「メラニー、もういい! 行こう!」
レナードはメラニーの腕をつかみ、逃げるようにして去っていった。
数カ月後 ――
ジュリアは商会から帰宅する馬車のなか、ウォルターの報告でレナードとメラニーの末路を知った。
レナードは貿易船の漕ぎ手となり、囚人たちに混じって船底で眠る生活らしい。そしてメラニーは刺繍工場の低賃金女工として、毎日、朝から晩まで働き続けているという。病弱でも、意外とできるものだ。
少々かわいそうではあるが、ジュリアとしてはほぼ、どうでもいい話題だった。
彼らが30年分の花束をタテに押しかける事件さえなければ、まだ、商会で雇うことを検討する程度の慈悲は残っていたかもしれないが……
あんなものを雇えるわけがない。
「ウォルター。あなたから渡された金貨を元手に、ちょっとした商売を始めることだって、ハーパーさんたちにはできたでしょうにね」
ウォルターがメラニーに渡した金貨は、メラニーは文句を言っていたが相当な額だった。あとでいくらジュリアが支払おうとしても、ウォルターは頑として受け取ってくれなかったから覚えている。
いつか、なんらかの形で返さねば。
「ジュリア様でしたら、たとえ銀貨1枚でも無駄になさらないでしょうが」
ウォルターはスケジュールがびっしり書き込まれた手帳を開きながら、興味なさそうに付け加えた。
「あのかたたちは当面の宿と食事代に、費やしたようですね」
「そう…… まあ、どうでもいいわ。それより仕事の話をしましょう」
明日の予定についてジュリアたちが話し終わったころ、馬車が止まった。家の前だ。
ウォルターにエスコートされて馬車を降り、ジュリアはふと、夕闇にほのかなスミレの匂いが混じっているのに気づいた。
そろそろ庭で満開なのだろう。
夫のグレアムが亡くなったときはまだ冬だったが、いつのまにか季節は巡っていたのだ。
けれどもう、新しいスミレの押し花がジュリアの読む本のページに挟まれることはない……
騒々しいレナードたちの来襲を思い出したせいか、今のジュリアにはそれがいっそう、寂しく感じられた。
夫が毎年そっと差し出してくれていた、慎ましい愛。その尊さは、あの薄っぺらい花束とは比べるべくもない。
―― もう2度と、得られはしないけれど……
ジュリアは、夫を想うたび湿ってしまう目頭を、そっとぬぐった。
夫からもらったものは、すべて大切にとってある。それでいい。それだけで、残りの歳月を生きていけるはずなのだ。
それに、寂しがってばかりもいられない。
家では孫のアイリスが、乳母と一緒にジュリアの帰宅を待っている。
娘夫婦は商会の幹部として忙しい日々を送っているため、孫にはどうしても寂しい思いをさせてしまいがちだ。
せめて一緒にいるときくらいは精一杯、慈しんであげたい。
―― 暗い顔をしてちゃ、だめ。
ジュリアは深呼吸して笑顔を作ると、ウォルターに礼を言い、家に足を踏み入れた。
「ただいま、アイリス」
「おばあちゃま!」
もうすぐ4歳になる孫が、両手をのばして駆け寄ってくる。
そのふっくらした小さな手が握っているものに気づき、ジュリアは目を丸くした。
スミレの押し花の栞が、2枚 ――
「こっちは、おかあしゃまから。で、こっちは 『ひみつ』 よ」
今年のスミレで作ったのだろう、新しい栞には娘の字で ❝ 本当はとっても寂しがりやの、お母様へ。 サラより ❞ と書かれている。
そして、やや古い 『ひみつ』 の栞には ――
夫のグレアムの字が、気恥かしげに踊っていた。
❝ 君がこの色の花を、まだ好きでいてくれているなら嬉しい。けれど、そうでなくても ―― 花に罪は、ないんだろう? ❞
夫が亡くなったとき ―― これからはグレアムと送った日々を、彼方の星を眺めるように懐かしく振り返ればいいのだと。それだけでも、じゅうぶんすぎる恩恵なのだと、ジュリアは自身に言い聞かせていた。
けれど、いま。
温かなときめきがジュリアの心臓をゆらしている。
毎年、彼がそっと差し出す押し花を受け取ったときのように。
いや、それよりも、もっと優しく、もっと温かく ―― ジュリアの目からあふれ、頬をぬらしていく。
亡くなっても、愛が失われたわけではない。姿を変えて、ここにあるのだ。
「ひみつのは、ね。まえに、ないしょで、いっしょにつくったのよ。スミレがさいたら、おばあちゃまにあげるの。これから、ずっとよ」
やくそくしたのよ、とアイリスが胸を張る。
「ありがとう」
ジュリアは、アイリスの小さな身体を、2枚の栞とともにしっかりと抱きしめた。
「ずっと、喜んで受け取るわ」
花に罪などあろうはずもないけれど、たとえもし罪があったとしても。
―― 夫の瞳の色に似たその花が、そっと差し出されるときには、いつだって、きっと。
レナードは現実を見ず甘い思い込みや過去の栄光に固執する人間。ジュリアと婚約していたときは、ジュリアの才に気づき心の何処かで嫉妬していたからこそ、メラニーに逃げましたが、その嫉妬心にすら自分では気づいていません。
そしてメラニーと結婚して家業を継いだものの、うまくいかない。そんなときに、ジュリアがかなり年上の人と結婚したと聞き、自分のなかで「ジュリアは俺に捨てられて年上のジジイに売られるようにして結婚したのか…… かわいそうなやつ(フッ」 とストーリーを作ってしまいました。
「花束でも贈って慰めてやるか(ウエメセ) 俺に捨てられた過去を思い出しても気の毒だから無記名で。花は花屋に任せよう。俺が選ぶ必要などない。(ジュリアの好みなど知らんし)どんな花でも、女は花を贈られれば喜ぶものさ…… でもそうだな、俺からだとわかって喜ぶかもしれんから、匂わせにマレットの紋章の蔦は入れてもらおう。これで完璧だな!(どやぁ)」
自身の家業がうまくいかなくて揺らぐプライドを(自分が捨てたと思い込んでる)相手に花束を贈り続けることで維持していたんですね。メラニーもまた然り。
ふたりとも「かわいそう」という綺麗事と「花束を贈る」という一見、善意の行動とでコーティングして、精神的にはジュリアを食い物にしようとしていたのです。
家業が破綻したら今度は、金銭的にも。
そうした自分の醜い一面に気づかず周囲に迷惑を振りまく点では、レナードとメラニーは似たもの夫婦だったのでしょう。
レナード側の事情が不足気味なので後書きで補填してみたら、意外と長かった(笑)
長々と読んでいただきありがとうございます!
普段は長編を書いています。残酷ザマァが好きなかたはぜひ、下のリンクボタンからどうぞ!




