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聖女製造マニュアル  作者: みみみみみ
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第四工程:有用な部品との交配

アナスタシアの辺境最適化が安定期に入ると、物語には新たなコンポーネントが追加される。彼らこそ、この物語のもう一つの核である「逆ハーレム」の構成部品たちだ。


シルヴァン:神獣フェンリル。人間という種族に対して接続を拒否していたが、アナスタシアからの純粋な慈愛と、彼女が調合する栄養バランスの取れた食料)というデータを受け取り、接続を許可する。彼女の忠実な保護モジュールとなる。「もふもふ」と記述されるその体毛の触覚情報が、人気の源泉である。


リリエル:エルフ族の王子。人間を劣等種として認識していたが、アナスタシアが持つ高度な知識(特に植物学や魔法理論への応用)と、種族で差別しないフラットなプロトコルに感銘を受け、彼女の思考補助プロセッサとなる。極めて優れた外見データを有する。


イグニス:竜人族の騎士団長。戦闘を是とする思考ルーチンを持つが、アナスタシアが開発した高性能な武具と、彼女が提示する卓越した戦略アルゴリズムに惹かれ、彼女の実行部隊(軍事力)となる。頑丈で信頼性の高いハードウェアである。


この三者三様の魅力的な非人間男性ユニットたちが、アナスタシアというハブを巡って繰り広げる、接続と切断のシミュレーション。これこそが、多くの読者が熱狂的な反応を示す、この物語の最大の「売り」だ。


しかし、私はこの「逆ハーレム」というシステムを、恋愛という名のインターフェースを剥がして、冷徹な権力分析の俎上に載せた。


「このハーレムは、恋愛の形をとった、極めて功利主義的な『外部リソースの獲得』プロセスに他ならないわ」私は断言した。


「リソース獲得?」理奈は眉根を寄せるという、疑問の表情筋運動を行った。


「そうよ。コンポーネントごとに見ていきましょう。まず、神獣シルヴァン。彼は、未開発の自然、すなわち『天然資源』と『生態系(エコロジー)』のパッケージよ。彼を接続可能にすることは、森という広大なストレージ領域のアクセス権と、そこに眠る未知のデータへのアクセス権を得ることを意味する。アナスタシアが彼に与える『愛情』とは、自然を開発するための、最も効率的なAPIキーなの。環境保護というポーズを取りながら、実質的な利用権を確保する。これは、現代のグリーンウォッシュという名の偽装工作そのものでしょう」


「次に、エルフの王子リリエル。彼は、長寿命種族が持つ『知識』と『魔法』、そして『文化資本』という名のライブラリよ。彼との接続は、アナスタシアの近代的な『科学技術』と、エルフの持つ『伝統的知識』の連携(アライアンス)を意味する。それは、知的財産の獲得に他ならない。彼女はリリエルから古代魔法のソースコードを学び、それを自らの現代知識とマージさせて、新たな魔導技術をコンパイルする。これは、先進国が途上国の伝統知を収奪する生物資源の不正利用(バイオパイラシー)の構造と酷似しているわ」


「そして、竜人族の騎士団長イグニス。これは最も分かりやすいわね。彼は、圧倒的な『軍事力(物理演算能力)』の象徴よ。彼を味方につけることは、自領のセキュリティを確立し、他システムに対する攻撃力を飛躍的に高めるための、軍事同盟の締結を意味する。アナスタシアは、彼らに最新のハードウェアと兵站という名のエネルギーを供給し、その見返りに彼らの武力を手に入れる。これは、PMC(民間軍事会社)との業務委託契約と何が違うの?」


私は一息ついて、結論を述べた。「つまり、この逆ハーレムは、恋愛感情のベールに隠された、天然資源、技術、軍事力という、国家運営に不可欠な三つの要素のM&A(戦略的併合)なのよ。アナスタシアは、彼女の『女性性』や『魅力』を最大の武器として、極めて効率的に国力を増強している。これは、ブラウンが言うところの、あらゆる人間的関係性が市場の論理に侵食されていく『新自由主義的理性』の、最もグロテスクな現れ方だわ。愛さえもが、人的資本を投下してリターンを得るための、投資活動になっている」


「愛のポートフォリオ、というわけね」理奈が、皮肉な響きを込めて言った。「自然(もふもふ)文化(エルフ)暴力(竜人)。リスクを分散させた、完璧な資産構成だわ。あなたの分析は、相変わらず生命の温かみがないけれど、論理的整合性があるのは認めざるを得ない」


「でしょう?」


「でもね、楓」理奈は、しかし、そこで終わらせなかった。「あなたはまたしても、最も重要な問いを見過ごしている。『なぜ、読者はこの身も蓋もない功利主義的な関係性を、うっとりするような『ロマンス』として受容できるのか?』。その謎を解く鍵は、ブラウンの統治性論では見えてこない。それは、バーラントの『接続(アタッチメント)』の理論を使わなければ、決して解き明かせないわ」


理奈は、私とは全く異なる地平から、この奇妙なハーレムの本質に迫ろうとしていた。


「バーラントにとって、『接続(アタッチメント)』とは、私たちが『良き生』という名の正常な状態へのファンタジーを託す対象との結びつきのことよ。そして、現代社会における私たちの接続(アタッチメント)対象は、ことごとく脆弱で、不安定になっている。終身雇用という安定したサーバーはダウンし、家族というユニットの構成は多様化し、地域共同体というローカルネットワークは解体された。私たちは、かつてのように、安定した何かにどっしりと接続(アタッチメント)を維持することが難しくなっているの」


「それが、このハーレムとどう関係が?」


「大ありよ。この三つの男性ユニットは、私たちが失ってしまった、あるいは現実では決して入手できない、理想的な接続の様式を、それぞれが体現しているの。彼らは、現実の男性という不完全な製品の欠点を補うための、完璧な部品(パーツ)なのよ」


理奈は、指を折りながら説明を始めた。


「まず、神獣シルヴァン。彼が提供するのは、『無条件の肯定』と『絶対的な忠誠』という接続(アタッチメント)よ。彼はアナスタシアの過去のログも、彼女の計算高さも問わない。ただ、そこにいる彼女を丸ごと受容し、命をかけて保護する。これは、自己評価のパラメータが低く、常に他者からの評価に怯える現代の個体が、最も渇望するタイプの接続(アタッチメント)じゃないかしら。ペットという愛玩用生体ユニットに癒しを求める心理と、構造は同じよ。彼は言葉でアナスタシアを評価したりしない。ただ、そこに寄り添うだけ。この非言語的な肯定こそが、言葉による評価に疲れ果てた現代人には、何よりの救いなの」


「次に、エルフの王子リリエル。彼が体現するのは、『知的な尊敬』と『対等な共同作業(パートナーシップ)』という接続(アタッチメント)。彼はアナスタシアを、単なる保護対象の雌としてではなく、一人の優れた知性として認識し、尊重する。彼女の計画のバグを冷静に指摘し、より良いアルゴリズムを提示する。これは、性別役割分業という古いプログラムに違和感を抱き、対等な関係を求める現代の女性ユニットにとって、極めて魅力的な接続(アタッチメント)モデルでしょう。彼は彼女を甘やかさない。対等な存在として、共に未来を創造する共同開発者なの」


「そして、竜人族の騎士団長イグニス。彼が象徴するのは、『信頼性の高い保護』と『物理的な安全』という、最も古典的で、しかし根源的な接続(アタッチメント)の様式。経済的な不安や、時には物理的な破壊の脅威に晒される現実の中で、絶対的な力で自分を保護してくれる存在への憧れは、決してなくならないわ。彼は、アナスタシアの知性や理念を完全に理解しているわけではない。でも、『お前が正常だと思うなら、俺は全力でお前を守る』と断言する。この理屈抜きの保護プログラムは、複雑な人間関係に疲弊した精神に、強く作用するのよ」


理奈は、そこで言葉を切った。そして、決定的な一言を放った。


「つまり、このハーレムは、一人の雌が一人の雄と結ばれるという、伝統的な生殖の物語ではないの。これは、一人の個体が、現代社会で断片化し、失われてしまった『理想の接続(アタッチメント)』のすべての要素――無条件の肯定、知的な尊敬、物理的な保護――を、同時に、一人の人間(アナスタシア)が独占するという、究極のファンタジーなのよ。現実のパートナーにこれら全てを求めるのは不可能だと、誰もが薄々気づいている。だからこそ、この分解され、再構成された完璧な栄養パッケージに、人々は夢を見る」


私の分析が、ハーレムを国家理性の冷たい計算として暴いたのに対し、理奈の分析は、それを個人の引き裂かれた心の叫びとして読み解いた。


「そして、ここにこそ『残酷なオプティミズム』の真骨頂があるわ」理奈は続けた。「読者は、このあまりにも都合の良い、完璧な接続(アタッチメント)パッケージに、自らの『良き生』への希望を託す。この物語を読んでいる間は、接続(アタッチメント)の欠如という現実の痛みから逃れられる。でも、そのファンタジーが完璧であればあるほど、現実の人間関係は、不完全で、面倒で、エラーに満ちたものにしか見えなくなる。この物語は、読者に愛の夢を見させると同時に、現実の接続(アタッチメント)を営む能力を、静かに劣化させていく。これ以上に残酷なことがある?」


アナスタシアのハーレムは、彼女の人的資本がもたらした、功利主義的な資産の集合体なのか。それとも、私たちの損傷した魂が求める、決して手に入らない理想の接続(アタッチメント)を寄せ集めた、キメラのような幻影なのか。


ブラウンの視点では、愛は経済に従属する。

バーラントの視点では、愛のファンタジーこそが、私たちを経済の過酷さから一時的に守り、しかし同時に、より深く絶望へと接続(アタッチメント)し続ける。


この二つの視点は、決して交わらない平行線のように見えた。しかし、物語が終盤に差し掛かり、アナスタシアが自分を追放した王国と対峙するに至って、その平行線が、思わぬ形でねじれ、交錯することになる。



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