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異世界系短編集

夜会で泣いていた騎士様を励ましたら、「推しです」と貢がれるようになりまして。

作者: 槙村まき


 この日、侯爵令嬢ビビアナ・コルサにとって最悪な日になった。


「ビビアナ。悪いんだけど、僕との婚約を解消してほしいんだ」

「え?」


 騎士団の帰還パーティとして、王宮で開かれた夜会。

 婚約者のヘラルドにテラスに誘われたときまではそうでもなかった。なぜか男爵令嬢のアマラがついてきたときに、なにかおかしいぞとは思った。


 そうしたら突然ヘラルドが婚約解消を告げてきて、そんなヘラルドの腕にアマラが手を絡めている。その自然な光景に、ビビアナは嫌でも気づいてしまった。

 目の前が真っ暗になりそうだ。ふらっとする足取りを気取られないように、ビビアナは足に力を入れる。


「どうして、と聞くまでもないわね」


 二人の姿は仲の良い恋人そのものだ。

 その姿をみて、普通の令嬢なら怒ったり泣いたりするのかもしれない。

 だけどビビアナは、怒ることも泣くこともできない。

 常に笑顔でいる。それが、コルサ侯爵家の家訓だからだ。


 だからいつもどおりの満面の笑顔で、ビビアナはヘラルドの婚約解消を受け入れることにした。


「わかったわ。二人が幸せなら、私も嬉しいもの」


 ビビアナの精いっぱいの言葉に、ヘラルドが安堵した表情になる。


「ビビアナならわかってくれると思っていたよ。ビビアナは素敵な笑顔の持ち主だから、きっと次もいい縁談が待っているはずさ」


 続いて、アマラも幸せそうに頬を緩める。


「ビビアナ様、ありがとうございます。ビビアナ様なら私たち二人のことを受け入れてくださると信じていましたわ」


 じくりと、胸が痛む。

 口々にビビアナを褒める二人を見て、当のビビアナはギュッと手を握りしめることしかできなかった。


(ここにいたくないわ)


 仲睦まじい二人の間に、ビビアナの入る余地はない。ただの邪魔者だ。

 適当ないいわけを取り繕い、ビビアナは笑顔でその場を後にした。





(ああ、もう最悪)


 二十を目前として、しかもパーティの日に婚約を解消されるとは、さすがに思っていなかった。いままでも二人の距離が少し近いと感じたことはある。だけど、まさかこんなことになるなんて。


 ヘラルドとは婚約していたけど、恋人のような甘い関係があったわけではない。それでも婚約者として、必要な信頼関係は築けていると思っていた。

 それなのに婚約解消されて――。しかも、相手はいつもビビアナの近くを付いて回っていた、アマラだなんて。


 アマラは男爵家の令嬢で、数年前に他の令嬢たちからやっかまれていたのを助けたことがある。ただ揉めているのを見ていられなくて助けただけだったのだけれどそれ以来、アマラは何かとビビアナのそばを付いて回るようになった。


 ビビアナの身に着けていたアクセサリーやドレスのデザインを真似るだけならまだかわいいものだ。

 だけどアマラはビビアナがよく行く店や、夜会やお茶会にまでなぜかついてくることがあった。


 そのときから違和感はあったのだ。まさか、婚約者まで真似られるとは思わなかったけれど。


「ビビアナ様は私の憧れなんです。あのときにビビアナ様が助けてくれて、それがとても嬉しかったんです。ビビアナ様がいなかったら、私に社交会の居場所はたぶんなかったと思いますから……。私、ビビアナ様みたいになりたいんです」


 その結果が、これなのか。

 小柄なアマラは庇護欲のそそる、ふんわりとしたかわいらしい令嬢だ。

 対してビビアナは、背が高めですらりとしている。

 ヘラルドが異性としてアマラに惹かれるのもわからなくはない。


(はあ、お父様になんといえば……)


 父は家族思いの人だ。きっとヘラルドの所業を知れば、黙っていないだろう。顔を怒りで赤くしながらも笑顔を崩すことなく、ヘラルド家に突撃していくかもしれない。

 それに兄も、きっとヘラルドを許さないだろう。できればことを大きくしないで、穏便に解決したいものだけれど――。


 そんなことを考えながら歩いていたからだろうか。


「あなたはサイテーな人ですわ!」


 突如響いた女性の声で我に返ったビビアナは、さっと近くの木の影に隠れる。いつの間にかビビアナは庭園に出ていたようだ。 

 王宮の庭園は季節の花で敷き詰められていて、眺めているだけでも楽しくてビビアナは好きだった。夜だからいまの時間は花がよく見えないのは残念だけれど。


 そんな庭園の空気を引裂く女性の声が聞こえたかと思うと、パタパタと走り去る足音が遠ざかっていく。

 足音が完全に聞こえなくなるのを見計らい、そっと木陰からのぞく。

 

 庭園の中心――大きな噴水のあるところに、人影がひとつあった。

 雲の影に隠れていた月が顔を出し、暗闇の中にひっそりと美しい令嬢(・・)の姿が浮かびあがる。

 空色の長い髪がはらりと地面に広がっていて全身は把握できないけれど、髪の隙間から見えた表情はどこか物憂げだった。


(さっきの声は、あの人なのかな?)


 幻想的な雰囲気すら感じる令嬢からは、先ほどの甲高い声のイメージが湧かない。


(……あ)


 ほろりと、令嬢が涙を流した。目尻に溜まった涙を長い指先で拭うと、令嬢はそっと悲しげな顔のままとある一点を見つめる。その頬をまた涙が流れていく。


 涙を流す姿をみて、なぜかビビアナの胸が苦しくなった。もしかしたら自分の状況と重ね合わせてしまったからかもしれない。


 どうして彼女が泣いているのかはわからない。

 だけど、いますぐその涙を拭ってあげたい。


 そう思い立ったときには、ビビアナの身体は動いていた。


「あのっ!」


 驚いて目を丸くした令嬢に向かって、ハンカチを差し出す。


「これ、よかったらお使いください」

「……これは?」

「何か、悲しいことがあったんでしょう。実は、私もなんです。さっき婚約者にフラれてしまって……て、関係ないか」


 口に出すと、さらに泣きそうになるが、それをぐっと堪えてビビアナは満面の笑みを浮かべる。


「なにがあったのかはわかりませんが、最悪な今日よりは、明日の方がいい日になりますよ。いっぱい泣いて、それから笑えばいいのですから!」


「……笑う。そうですね。あなたの笑顔を見ていると、明日はいい日になるような気がしてきました」


 令嬢の声はハスキーがかっているようで、少し低い。

 受け取ったハンカチで目尻を拭うと、令嬢はそっとハンカチを抱き寄せた。


「よろしければ、これは頂いても?」

「私はかまいませんが……」


 どうしてハンカチをと思ったけれど、訊くほどのことではないだろう。


「ありがとうございます。一生の宝物にします」


 大袈裟だなぁと思いながらも、ビビアナはやはり笑顔を浮かべた。

 たとえ最悪な日でも、この瞬間だけは楽しいと思えるように。


 それを、まるで眩しいものを拝むように令嬢が見つめていたのを、ビビアナは知らなかった。



    ◇



 その翌日。

 目を覚まして早々、玄関に呼ばれたビビアナが目にした光景は信じられない光景だった。

 エントランスに、所狭しと並べられているのは包装紙に包まれたプレゼントの数々。


(なに、これ……?)


 わけがわからず放心していると、プレゼントの間から一人の人物が出てくる。


「あ、昨日の」


 昨日の空色の長い髪をした令嬢だった。元気になったようでよかったと安堵してから、ふと違和感に気づく。

 昨日は暗くて服装まで見ていなかったけれど、いま令嬢が着ているのはドレスではなく、もしかして王国騎士団の制服なのでは……?


(騎士団に女性はいたかしら)


 近づいてきた令嬢(・・)は、ビビアナの前で軽く体を曲げる礼をする。


「昨夜はありがとうございました。あなたの励ましのおかげで、元気が出ました。ですので、これはほんのちょっとしたお礼です」


 ほんのちょっとには見えない量だけれど。


「ああ、申し遅れました。私は、ガブリエル・シルバーノと申します。以後、お見知りおきを」

「ビビアナ・コルサです。――て、え、シルバーノ様と言えば……」


 ビビアナは改めて目の前に立つ人物を驚きとともに見つめる。


 シルバーノ家といえば王国の公爵家のひとつだ。

 現在、王国騎士団の団長がシルバーノ家の長男だったはず……。


 たしか、名前はガブリエル・シルバーノ。

 中世的な顔立ちをしていてなおかつ髪の毛が長く、昨夜は暗かったから気づくのが遅れたけれど……。

 彼女――いや、()はれっきとした男性だ。


「っ、昨日はとんだ失礼を。シルバーノ様だとは気づかなくて……」


 あああああ、昨日の自分を殴りたい。いくら暗闇で相手の服装に気づかなかったからと言っても、まさか騎士団長だと知らずに励ましてしまったなんて。


「いえ、おかげで救われましたから」


 ガブリエルはそう言って柔らかく微笑んだ。昨夜泣いていたのが嘘かのように。


(そういえばシルバーノ様はどうして泣かれていたのかしら)


 あの女性の声も気になる。ガブリエルには婚約者などはいなかったはずだし。

 気になったものの、聞くことは憚られる。

 ガブリエルはそっと膝をついて、挨拶をする体制になる。流れに任されるがまま手を出すと、手の甲に軽く口づけをされた。


「これからよろしくお願いします、ビビアナさん」

「えっと」

「これから、全力で推させていただきますので」


 ガブリエルの口から、信じられない単語が出てきて、ビビアナは目を見張る。

 推し、とは最近社交会を騒がせている、あの「推し」のことだろうか。

 誰が言い出したのか、物語の登場人物や自分の尊敬している人を、影から見守ったり応援したりするときにつかう言葉だった気がする。知り合いの令嬢も最近の推しは王子だとか言っていたし、騎士団長を推している令嬢もいた。


 その「推し」という単語が自分に向けられているということは……!?


「このプレゼントは、推し活の一環として、受け取っていただけると幸いです」

「っ、えっと、その、そんなことを突然言われても」

「お嫌ですか?」


 そんな目を潤ませた捨てられた子犬のような顔をされると、断れなくなってしまう。


 こうして王国騎士団の団長から、「推し」として貢がれるビビアナの日々が始まるのだった。



    ◇◆◇



 それからの日々はめまぐるしかった。

 毎日のようにガブリエルから貢物と称して贈り物が届いた。


 さすがに一度に大量のプレゼントを持って来られても困ってしまうので、一日にひとつまでと制限を付けたが、贈り物はひとつひとつが豪華だった。

 宝石やアクセサリーならまだかわいげがあるものだ。それもほとんどが高級品だったり貴重な品だったりするのには目をつぶろう。


 一番驚いたのは、大きな石像を貰ったときだ。この国の象徴する女神の石像で神殿とかに飾られていてもおかしくもないものだった。さすがにそれは手に余るので受け取らなかったものの、しゅんとしたガブリエルの姿がビビアナの胸をざわつかせた。


 ある日は、シルバーノ家の土地の一部を貢ごうとしてきたこともあった。綺麗な花畑の広がる土地だった。ビビアナが花が好きだという話をしたからなのだけれど、それにしては大きすぎる貢物だ。土地の権利なんて貰っても、コルサ家には手に余るので断った。そうしたらなぜか一緒にその花畑に遊びに行く約束をすることになった。


(大変だわ)


 プレゼントを貰えるのは、正直嬉しい。

 だけど、大きすぎるプレゼントを断ると、ガブリエルは決まって潤んだ瞳をしてくるから、断れずに受け取ったものも多くあった。


 ただでさえ、ガブリエルは冷徹と名高い騎士団長だ。彼の剣は獲物の首を狩るまで止まることを知らず、獲物は一太刀で切り捨てる。部下に対しても厳しく、恐れられているともっぱらの噂。


 それなのにビビアナの前でだけは柔らかい笑みを見せたり、見えない尻尾を振ったり、しゅんと悲しげな表情を見せたりする。

 多様な表情に胸がくすぐったくなるが、それを隠すようにビビアナはいつも笑顔で対応していた。




 そんな折、ビビアナは久しぶりに息抜きにと街に出かけた。お気に入りのカフェに足を運ぶためだ。

 久しぶりに訪れるカフェはいつものように人で賑わっている。


 あの夜会以降、ガブリエルに貢がれる日々を送っていたビビアナは、すっかりヘラルドたちのことを忘れていた。婚約解消ももうとっくに過去のことになっていた。婚約解消を知った父や両親が「ヘラルド許すまじ」とか物騒なことを言っていたけれど、もうビビアナの知るところではない。


 だからすっかり油断していたのかもしれない。

 カフェは貴族御用達のところだから、他の貴族の姿があってもおかしくはない。

 だけど、まさか二人がいるなんて。

 それも――。


「僕には、アマラが一番だよ。ビビアナは笑顔以外に魅力がなくてね、君みたいな愛らしい一面のある女性が僕の新しい婚約者になってくれて嬉しいよ」

「まあ、嬉しいわ、ヘラルド」

「君みたいな一輪の花を大切にできるなんて、幸せなことはない」

「私もよ、ヘラルド!」


 店の真ん中で、カップル用のグラスにハートのストローを差して一緒に飲んでいちゃつきながら、ビビアナのことを貶しているなんて。


(……私のこと、笑顔だけだと思っていたのね)


 笑顔は武器だ。コルサ家ではそう教わった。 

 相手に不快感を与えないように、相手から舐められないように、笑顔で対応する。それが、コルサ家の家訓であり、身を守る術だった。


 それなのに――。


(笑顔だけだ、なんてね)


 ビビアナは目の前が真っ暗になる気分だった。

 せっかく息抜きのためにカフェに来たのに。こんなにも最悪な気分を味わうなんて。


 ビビアナはすぐに回れ右をすると、カフェの外に出た。


「ビビアナさん。どうされたのですか?」

「――あ、ガブリエル様」


 カフェを出てすぐ、ばったりとガブリエルに会った。

 彼ははっとした顔でビビアナのそばまでやってくると、そっと頬に手を伸ばしてきた。避けることなく、ビビアナはその手を受け入れた。

 ガブリエルの顔が険しくなる。


「どうしてそんな苦しそうな顔をしているのですか?」

「え?」


 苦しそうな顔なんてしているつもりはない。いつもと同じ笑顔を浮かべているはずなのに。


「私は、いつも通りですよ」

「……あなたの苦しそうな顔を見るだけで、私の胸も苦しくなるのです。……教えてください。あなたの笑顔を曇らせたのは、いったい誰ですか?」


 自分はちゃんと笑っているはずだ。だから心配なんてしなくていいと、そう伝えたいのにうまく言葉にできない。

 ガブリエルの手が離れていくのに名残惜しさを感じていると、彼はカフェの入口に視線を向けた。


「もしかして、原因は彼らですか?」


 カフェからは、ちょうどヘラルドとアマラが出てくるところだった。手を組み合っている様子は、どこからどう見ても仲の良いカップルだ。


「あれ、ビビアナ様?」

「ビビアナ、どうしてここに?」


 二人ともすぐにこちらの姿に気づいて声を掛けてきた。さっきまでビビアナを貶していたとは思えない、友好的な様子だ。

 さっきの会話を思い出して、うまく笑顔が取り繕えない。

 心配したようにヘラルドが声をかけてくる。


「ビビアナ、そんな顔をしてどうしたんだい? いつもの笑顔が台無しじゃないか?」


 普段なら笑顔で何事もなかったかのように対応するのに、さっきの言葉がちらついてビビアナはポロっと言葉をこぼしていた。


「私って、笑顔以外に魅力がないの?」

「え?」

「これまでも、さっきみたいに私のことを貶していたの?」


 何を言われたのかわからないと言った顔だ。でもすぐに思い出したのか、ヘラルドの顔がさっと青くなる。アマラはキョトンとしている。


「そ、それは……悪いと思っているよ。でも、君はいつもヘラヘラと誰に対しても笑っているだけで、いつも本心がわからなかったんだ。それに比べて、アマラは違った。アマラは、表情がころころ変わって、一緒にいる時間も楽しかったんだ」

「……っ」


(最悪ね、ほんと。私には笑顔しかないのだわ)


 ヒビアナは揉め事が苦手だ。だからなんでも笑顔で乗り切ろうとして、お気楽な性格と他の令嬢たちが噂していたのを耳にしたことがある。それすら何事もなかったのように笑顔でやり過ごしたのだ。

 ヘラルドに婚約解消されたのもそれが原因だったのだろう。彼らともっと本心から接することができていれば、いまの状況は違ったのかもしれない。


(私が悪かったのね)


 笑顔だけで、他に魅力がないから。

 自分にアマラみたいな魅力があれば、ヘラルドだって婚約解消を選ばなかったのだろう。


 いまも笑ってやり過ごせば、丸く収まる。気持ちを押さえて、ふたたび笑みを浮かべようとしたとき――。


「ビビアナさん。もう無理して笑わなくてもいいんですよ」


 柔らかい声に顔を上げる、

 ガブリエルが、ヘラルドとの間を遮るように立っている。


「え、シルバーノ様?」

「あなたですね。私の推しを傷つけたのは」

「推し……?」


 戸惑うようなヘラルドに、ガブリエルはただ冷たい声を出す。


「推しの平穏を守るのは、推し活の基本です。それなのにあなたは、私の推しを傷つけて、笑顔を奪おうとするなんて」


 ひっとヘラルドが悲鳴を押し殺す声を上げた。

 額にびっしりとした汗を浮かべ、顔を真っ青にしたヘラルドが何かを言う前に、ガブリエルが止めを刺すように畳みかける。


「もしこれ以上推しを――ビビアナさんを傷つけたら、どうなるかわかっていますね?」


 丁寧な口調なのに、ガブリエルの言葉は冷たかった。

 それを一身に浴びたヘラルドがガタガタと震えだしたかと思うと、踵を返して逃げて行く。アマラもその後を慌てて追いかけて行く。


「……ふぅ。これで、邪魔者はいなくなりましたね」


 張りつめていた空気が霧散した。

 ガブリエルのまっすぐな紫色の瞳を見て、ビビアナの胸がやはりくすぐったくなる。

 

 てっきりガブリエルも、ビビアナが笑顔以外なにもない人間だと知ったら興味を失うだろうと、そう思っていたのに――。


「ビビアナさん。私の言葉を聞いてくれますか?」


「……はい」


「ビビアナさんに、笑顔以外魅力がないなんてそんなことはありません。あなたは常に周囲を楽しませたり、和ませたりするために満面の笑みを浮かべている。その笑顔を疎ましく思う人がいるとしたら、それはただ嫉妬しているだけなのです。……それに、ビビアナさんの笑顔は、私に勇気をくれたのです。ビビアナさんは笑顔だけしかないわけではありません。存在そのものが魅力的なんです。そんなビビアナさんの魅力が理解できないあの浮気者に、あなたの気持ちを裂く必要なんてまったくないんですよ」


 少し早口だったけれど、ガブリエルのその言葉は確かにビビアナに届いた。

 

 ガブリエルは紫色の瞳を細めて、眩しいものを見るような目でビビアナを見つめる。


「あの夜会の日、私は苦しんでいたのです」


 庭園で泣いていたガブリエル。どうして泣いていたのだろうかと思っていたけれど、あのときに女性からかけられた言葉が、きっと彼のことを苦しめたのだろう。


「そんな苦しみを、あなたの笑顔が救ってくれた。あなたは私にとって、女神なんです」

「……女神は、言いすぎです」


 この国の象徴である女神を語ったら、いくら貴族と言えども神殿から抗議されるだろう。――まあ、女神に対する信仰は昔に比べると薄まっていて、いまは各々の偶像――すなわち「推し」を崇めているのが現状だけれど。


「あなたを捨てた男の言葉なんて、道端の石ころと同然。聞く価値はないので、もうあんな男の言葉は忘れください。私は、あなたの笑顔を拝むためならなんだってしますから」


 一生懸命伝えてくれる、真っ直ぐな言葉。

 それに、ビビアナは自然に笑みをこぼす。


「ふふ、ガブリエル様って、面白くて、優しくて、良い方なんですね」


 本心からの言葉だった。あの冷徹と噂されている騎士団長が、こんなにも熱心にビビアナを励ましてくれるなんて。

 胸をくすぐるような喜びとともに、楽しい気持ちが湧き上がってくる。


 ビビアナのその笑顔を見たガブリエルが、満足そうに頷く。


「それです。それが見たかったのです……。推しの笑顔を目の前で見られる幸せ……! もしかして、これはファンサでは?」

「ふふっ」


 ああ、このままもっと楽しい時間が続いてほしい。

 心の底からの笑顔を浮かべられるのが、これほどまでに嬉しいことだとは。


 ふと、先日の約束を思い出した。


「ガブリエル様。よければ、これから一緒に花畑に行きませんか?」

「花畑、ですか?」


 一緒に花畑に行く約束は、まだ果たされていない。だからこれはいい機会だと、ビビアナは思った。


 ガブリエルが了承してくれたので、これから一緒に花畑に向かうことになった。




 訪れた花畑には、多種多様な春の花が所狭しと並んでいた。王宮の庭園よりも広いところだから、いっそう壮観だ。


「綺麗ですね」

「……そうですね」


 ガブリエルが花を見て、なぜか顔を曇らせる。その頬を涙が流れていった。


「ガブリエル様、どうされたのですか?」

「いえ、なんでも」

「なんでもじゃありませんよ、泣いているじゃないですか」

「……これは、その……」


 ガブリエルが言いにくそうに口ごもる。

 あの庭園で女性と何があったのかはわからないけど、花を見るだけで泣いてしまうほど心に深い傷を負っているなんて。


「ガブリエル様。無理はしないでください。泣きたいときは、泣いたほうがいいのですよ」

「……そうなんですけど、その、私のこの涙は……」


 ぼそりと小声でガブリエルが囁いた。


「……花粉症なんです」


「かふんしょう?」

「はい。恥ずかしながら、あのときの涙も、花粉症のせいでして」

「それならあのときの女性の声は?」

「女性の声? 突然なれなれしく話しかけてきたから断ったら、突然怒りだした人のことですか?」


 どうやらガブリエルの涙に、女性は関係なかったらしい。

 それに安堵していると、ガブリエルがくしゅんとかわいらしいくしゃみをした。


「花粉症、だったんですね」

「はい。あのときも花粉症で泣いていたら、ビビアナさんが私を励ましてくれました。そのときの笑顔のおかげで、私は花粉症の苦しみから解放されたのですよ。ビビアナさんの笑顔は、花粉症にも効くのです」


「花粉症にも効く」


「それまで毎年この時期になると、いつも花がムズムズしたり涙を流したりしてしまっていたのに、ビビアナさんの笑顔を見るとなぜか花粉症が和らぎまして」


 まさか自分の笑顔にそんな効果があるなんて。

 だからガブリエルは、ビビアナを推してくれるようになったのだろうか。花粉症のガブリエルにとって、花粉症を和らげてくれるビビアナの笑顔は、女神のようだったのだろう。きっと。


「でも、それでビビアナさんを推す(・・)ようになったわけではないんですよ」

「違うのですか?」

「はい。あのとき、あなたは自分自身もつらい気持ちを抱えながらも、私のことを励ますために精いっぱいの笑顔を浮かべてくれていました。そんなあなたの、本当の笑顔が見たくて推す(・・)ことにしたんです」


 婚約解消されて、憂鬱ながらも、泣いている人を放っておけなくて笑顔で励まそうとしたビビアナ。

 そのビビアナの姿に、ガブリエルは感銘を受けたらしい。


「あなたの笑顔は、私を幸せにしてくれるのです。ですから」


 風に弄ばれて、空色の髪が揺れる。

 その隙間から、ビビアナを一身に見つめる紫色の瞳が覗いていた。


「これからもあなたの笑顔をそばで見守らせてください。それから、これからも私に貢がせていただけませんか?」

「……はい。と言いたいところですが……ごめんなさい、プレゼントはほどほどにしてほしいです」

「え、じゃあ、現在作らせているビビアナさんの石像は……」

「そんなもの作らせているんですか!?」

「はい。私の推しですので。……仕方ないですね、石像は私の邸に飾っておくことにして……」


(それも恥ずかしい。どうしてガブリエル様は石像に拘るんだろう)


 そんなにもビビアナにそばにいてほしいのだろうか。

 それなら、ここはもういっそのこと――。


「婚約しませんか?」

「こん、やく……? 推しと!?」

「はい。私のそばにいたいんですよね?」

「っ、たしかに、そうですが。……推しと婚約? え、それはファンサですか?」


 あわあわとしだすガブリエルに、ビビアナは輝かんばかりの笑顔を浮かべる。


「実は私もガブリエル様のことを、推そうと思っていまして」

「推しに推される?」

「はい。ガブリエル様が私の笑顔を褒めてくれて嬉しかったんです。だから、よかったらこれからもそばでガブリエル様のことを推させてもらえませんか?」

「そのための婚約……。これも、ファンサのため……。ならば!」


 跪いたガブリエルが、そっと手を差し出してくる。


「これからもずっとそばで、あなたを推し続けます。例え、私が骨になったとしても」

「私も同じ気持ちです。よろしくお願いしますね、ガブリエル様!」

「私のことは、どうかギャビーとお呼びください」

「はい、ギャビー!」


 こうしてビビアナとガブリエルの、推して推される、あらたな日々が始まるのであった。


 そのあとも笑顔の絶えない日々を幸せに暮らしたのは、言うまでもないだろう。



最後までお読みいただきありがとうございます(⌒∇⌒)

愛の重さが若干迷子になってしまったような気がしますが、すこしでも物語をお楽しみいただければ幸いです。



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