人になれたドラゴンと人にした魔女とその代償
俺が彼女に出会ったのは、ある冬の日の事だった。
その日のことはよくよく覚えている。
とても冬とは思えぬほど暖かい日。
積もった雪が溶けて土に混じり、まるで牛乳に浸したパンの様な地面。うっかり外出すれば靴下までびしょびしょになる、そんな日だった。
出たくない、と、願っている時に限って外出しなければならない用事があるのは、なんのことはない、日常のルーティンの中の事。たまたま出たくなくなるような、そんな日に鉢合わせた。それだけの事だった。
意を決して外へ出た俺は、輝く太陽の光の中で、まだ溶けていない白い雪の反射で目を焼かれながら歩みを進めた。
家と家の間が遠い田舎の小さな村は、流れ者の俺にも優しい場所だった。
若い人手が都会に取られ、殆ど年寄りばかりだったのも幸いしたのかもしれない。
本来であればそんな村なら排他的であってもおかしくは無いのだろうが、狩りで捕った肉をわけたり、力仕事を引き受けたりと細々と貢献していくうちに、元々村の一員であったかのように馴染めた。
俺の容姿がすこぶる平凡で、悪さをするような面構えでなかったのも功を奏した。
都会なら嫁が貰えたかも危うい埋もれ顔、等と言われる甲斐が有るというものだ。嫁とりなんぞ考えてもいなかったし、なんと言われようとも気にもならなかった。
ただ、人の中で生きたい。
なんでもないような、そんな願いを叶えるため、俺は頑張って人になったのだ。
そう、人になった。
俺は、元々人ではない。
人でなし野郎、だとか、そういう事ではなくて。
数百年前にこの世に生を受けた、ピチピチのドラゴン。それが俺なのである。
ドラゴンはある程度育つと、巣から追い出されるという生き物である。
俺もそうやって巣立ち強制組なのだが、他のドラゴンとは少々内実が複雑で。
いや、単純なのかももうよく分からないのだが、前世の記憶があるドラゴンなのだ。俺は。
掃いて捨てるほど居そうな気がするのは前世の記憶のせいだったが、ドラゴンに生まれてこの方数百年、同じ境遇の者に出会ったことは無い。不思議だ。どこかで同じような存在と出会えるはずだと、勝手に思っていたのに。
ドラゴンとして数百年はそれなりに楽しく過ごしてきたのだが、娯楽といえばキラキラ綺麗なものを集める位のもので、やがて盛大に飽きた。
もちろん、できる限りの事はしたのだ。
ドラゴンぽく、ヒャッハー! 山の主はこの俺様だぁー!と、ごっこ遊びで雄叫びをあげて、近所のドラゴンにもうちょっと静かに遊びなさいと怒られたり。
何処かの大きな城の天辺に降り立って、いぇーい! ドラゴンぽいぜぇー! と雄叫びをあげて、重量オーバーで屋根を壊したり。
人の記憶が思うドラゴンぽいワイルドな生活を送ってはみたものの、それもまた飽きが来るものなのだった。人間だった時の記憶がそうさせるのかもしれない。
ドラゴンらしさを求めるのも、それに飽きてしまうのも、ドラゴンの思考ではないのだろうけれど。
そんな俺が、人のように暮らしてみたくなるのは、流れとしては当然の事だったと思う。
数千年を越えてドラゴンとして暮らせば、人になる術を得ると言う。知らんけど。
いや、本当に知らないのだ。そう言われている、と言うだけで。
そもそも、人になりたいというドラゴンがおそらく少数派であると思う。
それに、年寄りは地上に居ないので実際に見たことは無いのだ。早くに巣を出ているので、親族に会うこともない。
しかし、幼い頃母から聞いた話によればだが、確かにそういう話はあるんだとか。
昔、人の女に恋をしたドラゴンが、人になる術を求めたそうだ。だが、女の寿命は短く、ドラゴンは間に合わなかった。数千年の時を経て人の姿になったドラゴンは、女の墓をいつまでも守っている……、という古びたおとぎ話だ。
けれど、この話には続きがあった。
その可哀想なドラゴンの話を聞いた何処かの凄い魔女が、新たな魔法を作り出した。
それが、強制人化の魔法だった。
強い肉体と、溢れる魔力、そして、えげつない報酬を支払う財力があれば、その魔法をその身に受ける事ができる。
この条件をクリア出来る人外は、ほぼドラゴン一択。
強い肉体。ドラゴンボディ、ある。
溢れる魔力。使い方がよく分からんが、無駄にある。
えげつない報酬を払える財力。集めていたキラキラが火を吹くぜ。
というわけで、ある雪の降る冬の日、俺は十数年前に魔女を探し出し、願った。
人にしてくれ、と。
魔女は、まさかこんな日がまた来るとは、と、感慨深い様子で溜息をつきながら、俺が抱えて飛んできたキラキラを受け取った。
また、という事は、俺以外にも同じ事を願った者がいたのだ。よかった、初魔法じゃなくて。
ドラゴンの俺は、ほっと息を吐いた。ぶふぅ、と、吹き出した鼻息が魔女の小さな家を吹き飛ばしそうになって、怒られた。
ごめんなさい、と言っているのだが、ぐるぅー、と鳴いて聞こえているだろう。でも魔女は、ドラゴンの言葉を当然のように聞き分けていた。不思議だ。
魔女は、言った。
これは魔法だけれど、ただの魔法じゃない、と。
それはそうだ。何年もかけて集めに集めたキラキラが空っぽなのだから、ただではないだろう。
そう言って深く頷いたら、ばしゃり、と、魔法の水を顔にかけられた。ごめんなさい。ちゃんと最後までお話聞きます。
魔女は、尖った踵で俺の硬い前足の爪を蹴りつけながら続けた。
まだ研究途中の強制人化魔法には四割の確率で代償が伴う。それでもよいか、と。
俺は、少し考えてから、地面にぺたりと寝そべって、魔女の顔をよく見れるように近づけた。
そんなこと教えてくれるなんて、コンプラ意識しっかりしてるね。
親切で強欲で優しい魔女。
俺の言う答えなんて決まっている。
よろしくお願いします。
ふふー、と、吹いた俺の鼻息が、魔女の前髪を舞いあげた。
魔女は、悲しそうに笑って、俺の鼻に触れた。
濡れてる、ドラゴンの鼻、濡れてる……、と、魔女が呟いたのはしっかりと聞こえていたとも。
魔女の魔法は、とても、その、……よく分からなかった。
魔法が完成した時、お前の身体になにがしかの代償の結果が現れるだろう、と、厳かに言いながらも、くるくると踊るように回っている。その足下の地面が光らなければ、突然踊り出してどうしたんだこいつ、と、思っただろう。
尖ったつま先と踵で、地面に魔法の絵を描いていたのだ。
代償って何だろうなぁ。あんまり運がいい方じゃないから、きっと重めの代償ゲットしちゃうんだろうなぁ、なんて考えていたら。
俺は人になっていたし、やはり代償をその身に受けた。
俺の肌の一部は、虹色の石になっていた。
なんてこと、と、嘆いて、ごめんなさい、と、魔女は泣いた。
嗚咽混じりに、いつかお前は石くれの様に固くなり、動けなくなるのだ、と、その代償の未来を教えてくれた。
そうか、と、人の姿で俺は頷いた。
人間の鼻息は細くて、魔女に届きはしなかったので、魔女の前髪は少しも揺れなかった。
いつか生き物はそうなる運命なのだから気にするな、それよりも俺、いけめんになったかな、と言えば、魔女はその尖ったつま先で俺の脛を蹴った。とても痛かった。
もう俺の喉はグルグル鳴かないし、這いつくばらなくても魔女と視線が合う。
それだけで俺は嬉しいのだ。
俺は、それから魔女の家の近くにある村に移り住んだ。
順調に人として過ごして、背中や腕に鱗のように生える鉱石を魔女にゴリゴリと削ぎ落として貰いながら、日々を過ごした。
削ぎ落とした鉱石は、季節によって色が違った。
赤い鉱石も、青も、緑も、黄色も。
どれもキラキラしていたから、魔女の家に溜め込んだ。やっぱりキラキラはいいものだ。
ドラゴンは、住処にキラキラをためる習性があるが、人はそんな事をしない。
だから、魔女の家に置いてもらった。
魔女は最初は怒っていたが、魔女の家の地下を掘って宝物庫(倉庫)を作ったら何も言わなくなった。むしろ、宝物庫に魔女の仕事の素材を保管するようになっていった。保存状態が頗るいいので、黙認してくれるようだ。
そうして過ごしていけば、背中や腕だけでなく、胸や足に鉱石が生えるようになった。
キラキラが増えて俺は凄く嬉しい。
宝物庫の中を眺めては、頷いた。
そろそろ、魔女に払った報酬と同じ位にたまったなぁ、と、感じるようになった頃。
とても冬とは思えぬほど暖かい日。
積もった雪が溶けて土に混じり、まるで牛乳に浸したパンの様な地面。うっかり外出すれば靴下までびしょびしょになる、そんな日だった。
出たくない、と、願っている時に限って外出する用事があるのは、なんのことはない、日常のルーティンの中の事。たまたま出かけたくなくなるような、そんな日に鉢合わせた。それだけの事だった。
意を決して外へ出た俺は、輝く太陽の光の中で、まだ溶けていない白い雪の反射で目を焼かれながら歩みを進めた。
歩き慣れた道。
崩れた家だったものたち。
放棄された畑。
小さな村は、数年前に廃村になった。
長い間人の真似事をしていた俺は、いつの間にかドラゴンであるということが知られていた。
暫くは、誰も何も言わないものだから、完璧に人として生きてる!俺凄い!と思っていた。
しかしある時村長から、お前さん、若いままだと即バレだが、と、釘を刺された。
あー、そうだった。
村長、俺がここに来てから三代目だもんな、流石にわかるか! ごめんごめん!
そんな軽いカミングアウトで、人としての生活は終わりを告げた。
村人達からは、時期を逃してからは誰が注意するか押し付けあっていたと言う事を聞かされもした。
なんだ。俺は、人みたいに生きていけると思っていたけれど、やっぱりそれは無理だったんだなぁ、と、ちょっとだけれど落ち込んだ。
でも、それからも誰も態度を変えてくれなかったので。あれ、俺、ドラゴンだけど……? という、微妙な気持ちを味わうことになった。
そんなこんなで、初対面村長から五代目の時、村は消えた。
消えたと言っても、滅んだとかそんな不穏なことではない。
国と国とが併合するとかで、近くの村と区画整理の為、ここよりも開けた土地に移動しないかという偉い人からのお達しで、村ごと引っ越して行っただけの事である。
税金も何年も免除してくれるという事で、紆余曲折を経、村は消えた。
五代目の村長には、俺のとっておきのキラキラをこっそり持たせた。
俺は、ここに残った。
今日も、魔女の家に向かう。
魔女は、出会った時と同じ魔女で、きっとずっと魔女なのだろう。
俺の体に生えるキラキラが最近重くなってきたので、そろそろ俺自身が宝物庫におさまることにした。
魔女は、報酬を返すからドラゴンに戻らないかと顔を合わせる度に言う。
けれど、それは魔女が魔女である限りしてはならない事だし、俺は人でなしになりたくない。
大事な仲間である村人達も見送ったし、親しくなった魔女もいるし、俺はとても楽しい時間を過ごせたと思っている。
「どうして、ドラゴンに戻らない」
あの日のように悲しそうに笑って、魔女は俺の鼻に触れた。
硬くなったな、と呟く声はきちんと聞こえているとも。
以前のようには濡れてはいないだろ、俺の鼻。
ドラゴンではない俺の鼻息は、魔女に届かない。魔女の前髪を揺らすことは無い。
初めて人の声を喉から出した時、魔女が当たり前のように会話をしてくれた事が嬉しかった。
アフターサービスバッチリの魔女のことは、親切で強欲で優しい魔女、と、母には知らせておいた。
いつか、魔女が困った事があったら助けてやって欲しい、とも。昔、近所に住んでいた仲良しのドラゴンに言伝たので、きっと届いているだろう。
宝物庫の一番奥、キラキラの中で、俺はキラキラになった。
俺が魔女に出会ったのは、ある冬の日の事だった。
その日のことはよくよく覚えている。
俺の夢が叶った日で、俺の大事な人になる魔女に出会った日なのだ。
もちろん忘れないよ。
キラキラの中に埋もれるような俺は、きっと平凡で小さなキラキラだろうけど。
魔女が時々俺の鼻を撫でに来るのを、ここで待っているよ。
end
ドラゴン:最初から最後まで人間だった前の人生に比べたら長生き過ぎて、まあ、ちょうどいいか、くらいに思っている。ダル絡みしてもなんだかんだいいつつ相手してくれる魔女がとても好き。
凄い魔女:自分の魔法が研究途中だったためにドラゴンが犠牲になったと思って暫く落ち込んでいた。そのうち、魔法を代償不要なように研究に研究を重ねて完成させる。とはいえドラゴンを二度程破産させる報酬が必要な魔法として、暫く秘匿するし、魔女自身が隠遁して余生を過ごす。