トラジディ&コメディ
精神的に満ち足りている人間は、文学に人生を求めない。的なことを太宰治か誰かが言っていた気がする。明らかじゃないから俺が言ったことにしようと思う。
文学は基本的に暗い人間のためにある気がしている。そもそも、執筆という行為自体が地味で孤独で長ったらしい。それがどんな明るい物語を書くためだったとしてもだ。
そして、明るい物語を作るためには多少の悲劇的要素が必要なのだ。それは例えば喧嘩であったりすれ違いであったり、男が女に振られるとか何かが台無しになってしまったりだとか。そしてそれを乗り越えることでハッピーエンドが出てくるわけだ。
その一方で、最初から最後まで明るくハッピーで楽しい、というのが、音楽ならできる。今まさに木村カエラの音楽を聴きたくなり、そして聴いたことによってこの話を書こうと決意としたわけだが、初めから終わりまでここまでポジティブでいられるのかとその歌詞に驚かされる。きっと彼女はどんなに辛いことがあってもポジティブに生きてきて、自分を信じて生きてきた人なんだろうと思う。
創作は一体誰のために行うものなのか、という問いの答えは人によって違ってくると思うが、俺の場合はまさしく自分のためである。書きたいから書いている、それ以外にない。だから別に金にならなくても全く構わないのだが、仕事でやるとなると違ってくるのだろう。
世の中にこれでもかと恋愛ソングがあふれているのはそこに需要があるからなのだろうけど、もしも俺がロックシンガーだったら絶対に「お前を愛してる」とか「あなたが大事」みたいなことを言う曲は作らない。ひたすら世の中に文句を言い続けると思う。
俺の根幹はネガティブでできている。それ自体が良いとか悪いとかでなく、陽と陰とか、善と悪みたいなことだ。ポジがあり、ネガがある。人間はどちらか片っぽだけでできていない。ただ、根っこのところはネガティブである、ということなのだ。
話を戻して、文学と音楽の話だ。
太宰の「人間失格」のなかにトラとコメの話が出てくる。トラはトラジディで、コメはコメディの略である。つまり悲劇的か喜劇的か、ということだ。
この分類に当てはめると、文学はトラで音楽はコメである。もっと正確に言うと、小説がトラで詩がコメである。これは各々の意見があると思うが、俺の中ではこう分ける。
小説と詩の違いはなにか。それはものすごく簡単に言うと長いか短いか。そんなんでいいのかとも思うが、長いか短いかは物事の見方に非常にでかい影響を与えるのでそれでいい。その長短は何を見て何を見ないかを決めるからだ。3分か4分かの音楽の中に、人生観のすべてをぶちこむなんてことはできやしない。1000ページの小説なら、あるいはある程度可能だろう。
音楽はある程度決まった感情にフォーカスして作らなければならない。退屈とか焦燥とか、じれったい感情はあまり使わない。詩も同じで、無駄な言葉を入れていては完成度が下がるからとことん無駄は省かなくてはならない。だからこれらは理想によって作ることになる。ある程度現実の人生の無駄とかは無視する必要がある。
一方で、小説はそれを書くのが許されるというか、書いたほうがいいんじゃないかとも思う。小説とは何のためにあるかというと、その役割のひとつに感情の追体験があると俺は思っていて、それはリアルであればあるほど質が高いと考えている。現実の人生のなかに退屈とか失望とか絶望などのネガティブな感情が無い人間が存在するかというといないと思うので、そこは小説に書かなくてはいけないんじゃないかと。ときにはそれが面白いわけだし。
太宰の「ヴィヨンの妻」では、主人公のさっちゃんは子どものことで泣いてしまうピュアな人間から不貞をしても素知らぬ顔で隠し通せる人間に変わってしまうわけだが、それはさっちゃんが仕事をして段々とリアリストに変わったからだ。そして最後の「人非人でもいいじゃないの。私たちは生きてさえいればいいのよ」というセリフは、どうしようもない自分を認められない夫に対する、あらゆる人間の持つ後ろ暗さを認めたさっちゃんの力強い言葉である。物語を通してのさっちゃんの変化は実にもの悲しくもあるのだが、それでいてポジティブな変化でもある。
この考え方は坂口安吾「堕落論」にも通ずるものがある。人間の欺瞞を見抜いて、自分の後ろ暗さや真実にきちんと向き直ることが必要だと安吾は説いている。「正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ」という言葉の通り、理想に夢を見るだけではなく、現実を直視してそもそも人間が堕落してしまうものだと理解し、そしてそれを受け入れたうえでどう生きるかが大事だということだ。
そういうわけで音楽は理想主義、文学は現実主義的になっていきやすいのではないかと俺は考える。そもそも音楽と文学って主語デカすぎというのは今更だが、だから文学はトラで音楽はコメである。
だからなんだって話だが、そういうのを楽しむのもまた人生なんだ。意味より解釈こそが人生の醍醐味なんだ。